第5話


『先生の様子はどう?』

「もう、貴女はそればっかりね」

『他に何がある』

「吉井さんにも戦ってもらいます」


 精いっぱいの不満をあらわにするアレクシスだが、ただでさえ欠ける迫力が半透明のホログラフ姿で半減している。チャンドラは意に介さず、船に換装したクマリの管理者席で海域の情報に触れている。


 大西洋、旧ブラジル領沖。王族たちによるグレンへの説得も実らず、リオデジャネイロ攻略戦が行われることになった。作戦会議は既に終わり、チャンドラの艦隊は雄一郎の潜水艦を伴って西進している。

 休戦前に何度かリオ攻略を失敗しているバルコだが、それはプラントを傷つけずに奪おうとしたからだ。もし破損や火災が広がれば、一日に数億食を産み出すリオのプラントは年単位で停止する。

 リオを攻略すれば南米は陥落する。しかし侵略先の領民を保護してきたバルコとしては、破壊は可能でも奪取が不可能なら、リオ攻略もまた不可能という認識を王族間で共有してきた。リオを避けるなら太平洋側にあるメタルフラッグの破壊が必要になる。進軍は南米を横断することになり、断続的に連邦軍の邪魔が入ることを考えれば、コストは大きく膨らむだろう。


 しかしバルコは不可能とされてきたリオプラント奪取に舵を切った。クロスオーメンならばリオの地下迷宮を、破壊せずに沈黙させられるからだ。プラント復旧までの時間も替えるのが電子部品だけなら数日で済み、その程度ならチャンドラの備蓄でも賄える。


「リオのプラント保護は、お爺様も望んでいること。吉井さんがクロスオーメンを独占する以上、彼自身に出てもらうしかないわ」

『君、先生の提案を受けるんだって?』

「受けざるを得ないわね」


 クロエが望んだ深海の調査に専念するDネットは、オセアニアのグノウェーを中心に立ち上がる予定だ。連邦とバルコから隔離された環境となるため、雄一郎が秘匿を望んだラボはこの下に設けられる。


「……そんなことより貴女。大きくなったわね。最後に会ってから一月くらいかしら」

『え? ……うん、食べる量を増やしたんだ』

「そう。貴女がそんなことを望むなんてね……まさか弄ったの?」

『ば、バカな! 先生はそういう……あいや、何でもない。とにかく違うよ!』


 ステッキのように細かった手足や男児のようだった胸や腰回りが、女性らしい丸みを帯びている。一目見て変化には気付いていた。

 それにしても身長まで伸びているのではないか。乙女の執念には凄まじいものがある。


「大丈夫よ。取ったりしないわ」

『余計な心配だよ。それとなく先生に聞いたことがあるんだ。愛する女が二人いたらどうする、って』

「それで、彼は?」

『悩んでいたよ。だから私はこう言った。その女同士も愛し合っていたら?』


 チャンドラはため息を吐いた。


「それで?」

『大チャンスじゃないか と真顔で言っていた』

「どうしようもない人ね」

『私も大チャンスだと思う』

「貴女、まだ目が覚めないのね」

『チャンドラ、私は君も愛している。本気だよ』


 以前から似た告白を受けていたが、チャンドラは受け流していた。成長すればいずれ目が覚めるだろうと思っていたが、見通しが甘かったかもしれない。


『私は君たち二人がいればいい。それだけに。いかに君とはいえ、先生を戦場に送り出すなんて許せない。今からでも私に任せる気はない?』

「いいえ」

『……そう』


 アレクシスは深いため息をついた。


『……本当なら、今すぐにでも君に掴みかかりたい所だけど、指揮官は君だ。私にはどうしようもない……だから悪い想像はしないでおく』

「ええ……バックアップをお願いね」

『うん、戦いなんかにやる気が出るのは初めてだ』

「これから彼と話すけれど、何か伝えておきたいことはある?」

『……ご武運を』


 恨みがましい目つきをヘッドセットで隠し、アレクシスはブルークラウンの管理に戻った。



「乗り心地はどうですか、吉井さん」

『良好です。一人乗りにはもったいないくらいですよ』


 対流圏まで到達できるロケットに、雄一郎が呑山を伴って乗り込んでいる。上空から急襲する作戦だが、本来なら地表を制圧し、安全を確保したうえで彼を送り込むはずだった。しかしバルコ軍やヴィクトルは雄一郎を先行させ、地下を沈黙させてから本格的に進軍すべきだと主張した。その方が軍の消耗が少ないからだ。


 たかが科学者ひとりに振り回される必要はない、捨て駒として扱われたくなければ、クロスオーメンを渡せ……そうしたバルコの意向を感じ取りながらも、雄一郎は自ら先陣を切ることにした。


「重い役目を背負わせていますね、貴方に」

『何を仰いますやら。いやまてよ?』

「?」

『首尾よく仕事をこなしたら、ご褒美をくれるってことですね?』

「……」

『お茶しましょう。いや、会って話すだけでも結構です』


 雄一郎は毎日のようにチャンドラへ通信を申し込んでいた。することは他愛のない雑談だが、チャンドラにとっては一切関わりのなかったスパイ稼業の話が面白く、会話は良く弾んだ。


「ええ……解りました。ご一緒しましょう」

『よォし!! ベストの結果をお届けしますよ!!』

「可哀相だものね、このままじゃ」


 メット越しでも雄一郎の表情が解るようになってきた。きっと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているだろう。


「ねぇ吉井さん。私は子供の頃から政略結婚するつもりだったから、愛する人を見つけるのではなくて、どうしたら人を愛せるか考えてきたわ。この世にはいろんな人が居るけれど、中でもいちばん愛し甲斐のない人よ、貴方」

『……』

「貴方の望みが叶うとき、貴方には帰る場所がないわね」


 雄一郎は連邦バルコ双方に大きな被害を出さないまま講和し、ライブアース計画を実現した上で深海勢力を解体しようとしている。終戦後の彼は連邦にとって犯罪者であり、バルコにとっては最後まで恭順しなかった部外者だ。


「貴方の言う通り、私もアレクシスも所詮、王ではありませんから。私たちがいくら反対しても、ヴィクトルは貴方を連邦に売りますわ」

『私も今の在り様を望んでいるわけじゃない。犠牲になる気もありません』

「だとすれば貴方は、独立を維持しなければならない。月面基地を支配するくらいしか、手がないのではなくて?』

『……』

「させないわ。そして貴方の志がどんなに独り善がりでも、こうして貴方の発明に頼る以上、無残に死なせもしない。世界中が貴方を見ています。貴方やアレクシスの言葉を借りれば、生命も。人類は生贄を捧げることで困難を乗り切った。そんな風に思われたくないわ」

『私にどうせよと?』

「私が連邦に付き添います。貴方の自由を、私の夫という立場で保障します」

『……』

「ご不満?」

『いえ、ですが貴女は――』

「憐れみなど要りません。どんな境遇だろうと必ず幸せを掴んで見せます。相手が、貴方なんかでも」


 普段はお調子者と言っていい雄一郎の静かな苦悶をチャンドラは楽しんだ。彼が自分を口説いていることくらい解る。私がそれに応えたとしても、貴方が得るのは憐憫越しの愛に過ぎないと、いつか言ってやるつもりだった。

 チャンドラは犠牲を尊んだことはない。そんなものが必要だと思ったことはない。雄一郎の献身がどんなに理路整然としたロジックに導かれていても、それが運命だとは認めない。

 彼がこの星と生命を救う、英雄だなんてことは。


「貴方がどれほどの準備をして今日を迎えているか、私ごときには想像もつかないけれど。そのバカバカしい孤独な戦いを、止める見通しはつかないのね」

『……はい』

「夜が明けたとき、罰すべき罪さえ無い。それがベストです」

『仰せのままに』



「王国から南米警備隊へ。沖をご覧あれ」


 チャンドラの声を聞き、グレンは管理者席に映像を呼び出した。バルコの無人艦がリオ沖の水平線を歪めている。見渡す限りずっと。


「壮観だな。そのまま太平洋まで行ったらどうかな。それだけ数があれば、深海工場とやらを捕まえるかもしれん」

「貴方次第です。武装解除して私の船をお迎えください」

「断る」

「そう」


 バルコ艦隊がさらに前進する。リオの地下からも、縦穴を通って砲が現れた。


「てぇい!」

「撃て」


 沖では無人艦が、陸では砲台が一瞬で赤熱し、溶け、爆散する。

 リオデジャネイロ攻防戦が始まった。



「バルコの潜水艦、湾内に侵入」

「山面の縦穴からレーザーを出せ」


 戦闘開始から一時間。海岸線を守っていた連邦軍と南米警備隊は、バルコ軍の物量によって徐々に内陸へと押されていく。

 機雷だらけの湾内を強引に突破し、ドローンを満載したバルコの潜水艦がビーチに突き刺さる。波と砂を掻き分けてリオへ進撃する六足型たちに、音もなくレーザーが降り注いだ。フレームが溶ける赤熱光と、人工筋肉を燃やす火が夜闇を照らし、刻々と明るさを増していく。

 さらに沖から薬品入りのクラスター弾がレールガンによって射出された。対空レールガンがそれを撃ち落とすものの、降りそそぐ薬品が海沿いの廃屋や木々を溶かし、立ち上る煙がドローンたちをレーザーから守った。

 しかしリオのレーザーは大きな融合炉からエネルギー供給を受けており、極めて高い出力を誇る。ちょっとした煙幕などは焼け石に水だ。エネルギー供給量はレーザーやレールガンの威力、そして射程にも直結する。沖のドローン艦は残弾を抱えたまま破損し次々後退、あるいは撃沈されていく。

 それでも、水平線を埋め尽くすバルコ艦隊は止まらず、海岸で始まったドローン同士の戦闘に援護射撃を加える。洩光弾の軌跡を映す海面はまるで燃えているようだった。


「戦いぶりは、上品とは言い難いな。チャンドラ姫」


 パワードスーツの繊維装甲を揉みながらグレンは笑った。司令室のオペレーターは戦闘能力のない女性や中年を過ぎた士官ばかりで、パワードスーツを着ているのは彼だけだ。他に戦えるものは全員が出払っている。地下に繋がる縦穴をうまく利用して神出鬼没を演出すれば、砲を担いだ歩兵がドローンの代わりを務めることもできる。物資に乏しい南米にとって、歩兵の利用は生命線なのだ。


「……司令、また逮捕者です」

「……チッ」


 地下迷宮の情報が漏れているため、作戦中に怪しい動きをする人間は問答無用で拘束している。中には濡れ衣もあるだろうが、このままいけば夜明けまでに十名に届こうかという勢いだ。グレンはため息をついた。

 歩兵は生命線だが、彼らはドローンほど従順ではない。グレンに従っていれば南米の戦争は泥沼化しかねず、手っ取り早く平和をもたらすにはバルコに従うのが一番だった。


――世を乱しているのが一体誰なのか、解らんのか。いっそ哀れな……。


「装備を剥いで牢に入れておけ」

「了解」


 それきりオペレーターは戦況の報告に戻ったが、彼らの心境も揺れているだろうとグレンは思った。実際にクロスオーメンの使い手と遭遇したときが正念場かもしれない。あんな兵器が使われること自体許されないが、しかし手に入れればそれだけで連邦バルコへの圧力になる。とくにバルコはドローンへの依存度が高く、人間同士の戦いとなれば不利だ。


「アサルトフレームやパワードスーツは居ないか? スピアーで来るとは限らんぞ、ドローンの眼は監視に向けろ」

「司令、沖の様子が変です」

「沖?」


 燃える無人艦から立ち昇る煙のむこう側。はじめは雲が蠢いていると思った。

 しかし映像を検分してみると違う。それは何かの群れだった。シルエットだけなら鳥そのもの、しかし鈍く赤色に光る眼が明らかに鳥のものではない。一体何羽、いや何機いるのか見当もつかないほどの、巨大な群れ。


「なんだあれは……どこから来た?」

「バルコ艦隊から飛び上がっています」


 チャンドラから通信が入る。すぐにグレンは応じた。胸騒ぎがそうさせた。


『ご覧になれますか、中将』

「鳥のことか? 悪趣味だな、それに使い方もなっちゃいない」

『そうですか? では次に、こちらを』


 さらに状況が動いた。


「バルコ艦から飛翔体……有人ロケットの可能性!!」

「来るか……吉井」


――このリオに対して、まさか空からとは。ならばあの鳥どもは、きっとそれを助ける兵器なのだろう。こちらの対空兵器を潰すための。


「鳥の数はいくつだ」

「計測できる範囲だけで、約一億」

「……」


――バカじゃないのか。それで飢えた人々を養えばいいのに。


「撃ちおとせ!!」


 バルコの地上部隊を狙っていたレールガンが、今度は鳥を狙う。すると帯を成す群れにさっと穴が開き、鳥たちは攻撃を避けた。まるでイワシの群れがそうするように。

 メタリックグレーの翼が、月あかりをギラリと照り返す。そこでグレンは鳥の大きさに気付いた。あれでは量子暗号通信機を積むゆとりはない。ならハッキングに対して隙があるはずだ。


「ハッキングを試みろ」

「やりました。しかし……」

「しかし?」

「あれは命令を受け付けていません。それぞれがスタンドアロンです。つまり、事前に下された命令に従って動くだけです。それを完遂するまで」


 要するにドローンではなく、ただの爆弾か? 逡巡するグレンにチャンドラが呼びかける。


『中将?』

「……なんだ!?」

『最後にこちらをご覧ください』


 別の映像が届く。クジラに偽装した潜水艇が見える。


「これは?」

『今しがた、我々が見つけたものです。リオ西の海岸で』

「……」

『中身について、最悪の想像をしてください』


 南シナ海でもミサイルランチャー入りのクジラが見つかっており、まさにそれが移動する深海工場の痕跡だった。それがこの戦場へ介入しており、今度は中身が何なのかは解らない。

 いったいどこから、どれくらいの規模で? 固まるグレンを士官たちが不安げに見ている。


『いいですか、よく聞いてください……これは有人船です。ただ我々にぶつけるだけなら、人を乗せる必要はありません。人を乗せるのは、まず第一に、通信で命令を下すことが出来ないから。そして第二に、高度な判断が必要だから』

「……」

『あの鳥は、予め決められた標的に体をぶつけるだけ。ですがクジラが乗せていた何かは、人間の判断で標的を選別する必要があるのです。地下迷宮への入り口は、数週間ごとに場所が変わるそうですね。クジラに乗っていた人が何を狙っているのか、貴方は考えるべきです』


 脅しだ。この小娘の脅しに過ぎない、とグレンは思った。口先八丁で南米を降伏させ、吉井を独占したまま戦いにケリをつけるつもりだ。

 だがもし、得体の知れない深海工場がここに介入しているとしたら。


『もし、この世に悪が存在するとしたら』


 チャンドラは殊更に、この部分を強調した。


『もっとも軽蔑されるべき悪徳は、悪を見過ごすことです。貴方はどうお考えですか?』

「……」

『……そう。ならせめて、プラントだけは死守なさいませ、カスティーヨ中将』


 警報が鳴った。リオ上空に敵が居ることを知らせるものだ。


「司令……」


 グレンは深呼吸した。

 何のことはない、想定の範囲内だ。物量で地表を蹂躙されても、以前なら地下に伏せるドローン部隊が戦えた。しかしクロスオーメンはその切り札を薙ぎ払ってしまう。不敗を誇ったリオの戦術を、この一晩で破るであろう圧倒的な兵器。だからこそバルコを倒すため、リオと引き換えにしても欲しい。手に入れるための準備は整っている。

 だが事態が最悪の方向へ転がり、もしあれが深海勢力の主に漏れたら。この戦場に介入しているらしい連中に吉井の身柄を抑えられたら、そのとき本当に世界は終わるのかもしれない。


――人類がこれからどうすべきか、明確な道筋を立てねばならんのだ。今すぐに。


 マイケルの言葉が脳裏をよぎる。

 独裁は認められない。侵略も認められない。当たり前の話だ。

 だがそれを当たり前にする覚悟を、俺は持っていただろうか。


「可能な限り迎撃しろ……撃ちまくれ!!」


 南米警備隊すべての通信に、迷いを振り切ったグレンの怒号が乗る。

 メタリック・グレーのきらめきは今まさに、上空を覆いつくさんとしていた。やがて鳥たちは真っ逆さまにリオへ降り注ぎ、腹に抱えた爆弾を施設へぶつけていく。



 地球が丸いことを実感できる高度に、人影がポツンと浮かんでいる。

 雄一郎は大きな傘を上向きに差し、その「ふち」にあるスラスターで重力に逆らっていた。役目を終えたロケットは既に落下中、呑山はハッキング防止のため量子暗号通信機を背負い、滑空するために取り付けた翼で螺旋を描きながらゆっくりと降下している。


「頃合いです。降下します」

『まだレールガンが残っています。お待ちください』


 鳥たちがいまもリオの施設に殺到し、迎え撃とうとするドローンたちを追い回している。


「いえ、レーザーでなければどうにかなります。この期に及んで降伏しないなら、私を迎え撃つ準備中と見るべきです」

『解りました。ご武運を』

「ありがとうございます。お茶の約束、忘れないでくださいね」

『……はい』


 雄一郎は傘を畳み、その穂先で地上を指し、降下を始めた。



 鳥による基地破壊は途中だが、やはり対空兵器の迎撃はない。雄一郎は予定通りの高度でクロスオーメンを起動した。 

 コンタクトレンズ型のウェアラブル端末、顔を覆うベゼル・ディスプレイ両方が機能停止し、視界を闇に覆われる。姿勢制御の効かなくなった降下傘はあっという間に上を向くが、それも計算のうちである。傘のダイヤルを捻ってスラスターを全開にし、再び重力に逆らう。

 目星をつけておいた倉庫の傾斜した屋根へ滑るように着地した。素材が防水布だったこともあり、目論見どおり地面へ向けて弾かれることができた。ギリギリのところで骨折を免れる。

 二度目の着地は緩やかで、よし、と思わず安堵のため息が漏れた。しかし次の一歩を踏み出そうとした瞬間、緊張に胃を掴まれる。鳥から逃げきれなかったのか、胴が欠けた人間の死体が倉庫の外壁にもたれ掛かっている。南米警備隊のパワードスーツを着た死体。雄一郎の背後で、音もなく倉庫の窓が開く。


――――。


 地を這うように滑り込み、バズーカから射出された暴徒鎮圧用のネットを躱す。窓から飛び出た警備隊員はバズーカを捨て、対パワードスーツ用の麻酔銃を構える。彼はすぐ狙いを定めようとしたが、飛んできた土の塊がベゼルに張り付いたので思わず瞬きした。雄一郎はネットを躱したとき土を拾い、固めていて、それを親指で弾いたのだ。

 既に間合いは縮まっている。射出された針は雄一郎に刺さらず、繊維装甲の上を滑った。黒煙に陰る満月の下、二人の影が交錯する瞬間、雄一郎の手甲から薬莢が排出される。


「……」


 警備隊員の腿に、細く小さな杭が刺さった。密着した状態で射出されたため人工筋肉を貫通している。しまった、と警備隊員は思った。銃を使って同じことをしてやろうと考えていたので、自分の意識が遠のいていく理由もすぐに解った。薬物である。

 雄一郎はくずおれる警備隊員を窓に向けて投げたか、遅かった。中に居たのであろう二人目が信号弾を撃った。それは空高く舞い上がり緑色の光を放つ。雄一郎は焦燥に呻きながら駆けだした。


 すぐに四方から落下傘付の照明弾が上がり、信号弾の周辺を照らす。 

 隆起してひび割れたアスファルトと、休戦前に刻まれた弾痕が生々しい高層ビルたちが、直前に襲った鳥爆弾の煙に巻かれている。インフラはとうの昔に壊滅したのだろう、明かりを点せるような設備もないが、瓦礫の積もった街並みはもちろん、山の斜面にまで広がるバラック群さえも見えるほど、明るい。

 流出した情報から、このゴーストタウンの真下にリオを司る巨大AIがあると解っていた。しかし鳥に追い回されながらも地下へ退避せず、犠牲を払ってまで地上で待ち受けるとは。


「これが欲しいか、中将……」


 軋む体を労わる間もなく、昼間のような明るさの中を駆けだした。すぐ近くで南米警備隊と思しき誰かの怒号が響いている。



『クロスオーメンが起動しました』

「こちらでも確認した。おお……エラい数の照明弾だな。見やすくていい」


 背広姿のまま腕を組み、指令室に一人で立つランスだが、指揮を執るのに不便はない。フロア全体が黒で統一された壁や床、天井。それらに必要な情報はすべて映し出されていて、ランスはすべてを把握している。

 リオ北側に展開していたセルゲイ隊に出撃命令を下すと、輸送ヘリがスピアーを釣り上げる。ヘリからも加速力を得ながら、速い者はほんの数十メートルの高さからスラスターを吹かし、夜空へと飛び立っていく。


『ところで、深海勢力が戦場に介入しているらしいな』

「お前、内緒話が好きだなァ……バルコ側が言ってるだけだ。何の確証もない」

『バルコより詳しく知ってるんじゃないのか、お前』

「滅多なことを言うな、セルゲイ。少しは立場を弁えろ」


 まだ深海勢力は連邦のコントロール下にはない。リオへの介入も稲田から可能性の指摘はあったが、確証がないのは事実だ。


『何が滅多なことなんだ? 大統領として、深海勢力のことを知っていてもおかしくないだろう。例えばやつらの狙いは、地下のプラントだとか』

「連邦の目的はここをバルコに渡さないことだ。お前たちには吉井も捕えてもらう。余計なことを考えているヒマはないぞ」

『……』


 それ以上は何も言わず、セルゲイもまた飛び立っていった。

 連邦の目的は、南米をバルコに渡さないこと。そこに嘘はない。しかし力及ばず南米が陥落したとき、リオのプラントが潰れていればバルコの負担が跳ね上がり、翻って連邦の利益となる。

 一方でバルコに負担を掛けたいエドガーが、プラントを崩すために「核兵器」を送り込んでいたとしても、ランスとしては雄一郎の方が気になる。

 プラントを守るより、クロスオーメンの入手。ただそれを、あえて言う必要がないだけだ。



 一刻も早い講和のため、ヴィクトルに先んじて南米攻略に乗り出したチャンドラ。

 堅牢な軍事拠点でありながら、巨大な食料プラントを抱えるリオデジャネイロを破壊せずに陥落させるため、上空から雄一郎を送り込む。

 空から降ってきた光の球体が、地下の巨大AI「グラン・マドレ」を包む。司令塔を失い烏合の衆と化した南米警備隊を蹴散らし、そのまま連邦軍までも飲み込もうと、バルコは攻勢を強めていく。

 背後から忍び寄る第四勢力の姿は、まだつかめないままだ。


「吉井さんは……捕まってないかしら?」


 クマリの管理者席でチャンドラが呟いた。それをアサルトフレームに乗るリンシンと、ブルークラウンの管理者席に座るアレクシスが聞いている。


『南米警備隊のヘリ部隊が、スーツ部隊に呼びかける音声を傍受できました。スーツ部隊

の無線は潰れているらしく、信号弾か何かでヘリを誘導しているようです』

「そのヘリで、彼を内地まで運ぶつもりなのね」

『ええ、捕えた様子はありませんが……しかしパワードスーツで戦場に入っているのは、警備隊と彼くらいのものですから。鬼ごっこもしやすいでしょう』

「二人とも、ゴーストタウンに急いで」

『了解』


 グラン・マドレ沈黙に加え、内地との通信設備を鳥爆弾に破壊された南米警備隊は、海岸線を守るドローンに十分な処理能力を分配できず、易々とバルコの突破を許した。南から攻め上がるバルコと、北から下ってくる連邦のちょうど中間地点にゴーストタウンはある。心配されていた雄一郎への空爆もない。生け捕りに拘るグレンがスーツ部隊を送ることは解っていたので、彼らを巻き込まないようランスが配慮していた。


「セルゲイ隊がゴーストタウンに着くまで十分ほどよ。出来ればそれまでに確保したいわね」

『呑山を降下させてもいいですが、目立ちますからね。むしろ囮に使うべきでしょうか』

『ともかく視界に入ったドローンは撃っていいんだね? 一応……万が一に備えて、パワードスーツは網にかける、けれど』


 言いながら、アレクシスは雄一郎の専用パワードスーツ《典武(てんぶ)》の資料をもう一度検分した。暴動鎮圧用のネットは非殺傷兵器だが、パワードスーツ越しでも相当の衝撃はある。間違っても彼を撃つわけにはいかない。


「ええ、リンシン。貴女は吉井さんの捜索に専念なさい」

『了解しました』

「ゴーストタウンまで、あとどれくらいかかる?」

『十分弱です……セルゲイがやってくるのと、ほぼ同時ですね』


 リンシンを含めたアサルトフレーム部隊は六名、爆心地へ向けて進軍するブルークラウン所属のドローンに随伴している。アサルトフレームに乗ってはいるが、彼女らの役目は

クロスオーメンの影響下でも雄一郎を支援すること、つまりパワードスーツでの行動を念頭に置いている。


「いいわね。セルゲイを見かけても、可能な限り交戦は避けなさい」

『……はい』


 バルコのアサルトフレーム乗りは全員、教官や同僚などをセルゲイに殺されている、と言っても過言ではない。セルゲイと「交戦できる」機会を前にして、士気が高すぎることをチャンドラは危惧していた。


『ところで。戦場にいるパワードスーツは、警備隊と先生だけ、という話だったけど』

「え?」

『違うのを見つけたよ。ポイントはリオから約五十キロ西』


 アレクシスがその映像を送ってきた。乗っていた四足型マシンごと網に掛けられたパワードスーツ姿の男が、撃つな、ロックもするな、降伏するから撃つな、と繰り返し叫んでいる。彼が指さす先には同じ四足型マシンが居て、バルコの四足型ドローンに周囲を取り囲まれている。大きさから見て、量子暗号通信機は積んでいない。

 チャンドラは血の気が引くのを感じた。アレクシスの操作に割り込み、四足型ドローンのマイクを使って男に話しかける。


「それの中身は何ですか? 撃つとどうなります?」

『か、核だ!! プルトニウムが十キロ!! ロックオンでも起爆する!!』

「深海から来たのですね? 目的は?」

『プラントの破壊。こいつを侵入させて、地下で起爆する』

「……命じたのは?」

『解らない。ただ、成功すれば脳の耐用年数を伸ばせるっていう、確かな情報があって――』


 チャンドラは思考を切り替えた。命じたのが誰かなんてどうでもいい。ただ確実に地下へ送り込むため人に縦穴を探させる一方で、それに失敗すれば破れかぶれで起爆するような設定にする人物なのだ。相当に身勝手で無慈悲な人物。しかしそのおかげで、怯えきったこのテロリストから情報を引き出しやすくなった。


「アレクシー……この四足型の構造を、彼からよーく聞きなさい。起爆装置はどこか、その仕組みは――」

『プルトニウムをどこに抱えているか、およそ何人がこのテロに参加したか、あとはどこから上陸したか。解っているよチャンドラ。君はランスたちと交渉して。リアルタイムで情報は伝える……リンシン』

『はい!』

『専門知識のある技術者を紹介して。私と彼の話を分析させよう』

『了解』


 チャンドラは生意気な叔母に頼もしさを感じながら、広域チャンネルで戦場全体に呼びかけた。


「戦場に核爆弾を持った所属不明の兵士がいます。数も不明です。我々は一時停戦を提案します。軍の代表者は指定のチャンネルにお越しください」



『核?』

『ああ、テロリストはプルトニウムを積んだ四足型を、ここまで送り込むつもりらしい。少なくとも、チャンドラはそう言ってる』


 リオのプラントを核兵器が狙っている。そんな話をしているのにグレンとルーカスは落ち着き払っていた。ラリーは唇を噛んで指揮官たちの話を聞いている。

 クロスオーメンが起動したあと、まず警備隊がとりかかったのは地下の通信網復元だった。薙ぎ払われた区画に四足型が巡回し、非常電源が生きている他の区画とを繋いで迷宮を掌握している。司令部はこの状況を見越して巨大AIから離れた場所に陣取っていたため、地下のドローンは大半が無事である。

 

『いずれにせよ、地下への侵入は許さん。ルーカス、縦穴はいくつ閉まった?』

『ほぼ全部閉まった。手動の分も、もうすぐ終わる……にしても、いいのか? 地上へ出るんだろ?』

『今更言うな。情報の真偽は不明だ。いいか……侵入しようとする者は容赦なく撃て。撃てば核爆発が起きるとしても、だ』

『……了解した』

『よし……いくらかドローンを貰っていくぞ』


 地上に伏せていたスーツ部隊は、吉井雄一郎の追撃を始めているはずだ。しかしバルコや連邦も彼を探しているため、状況は三つ巴の争奪戦である。アサルトフレームパイロットでもあるグレンは地上に出て、部下を支援するつもりだ。

 ラリーは二人分の心配で押しつぶされそうだった。地上には父だけでなくニキータも居るのに。プラントを守るためには、爆弾を地上で処理しなければならないのか?


――チャンドラは嘘を吐いてない。父さんだってきっと解ってる。それでも吉井を追って地上へ行くの?


『ラリー』

「はい」

『しっかりやれ』

「……はい」


 グレンが声色に別れを滲ませる。核に焼かれる彼の姿がラリーの脳裏を過ぎった。もしそうなっても、彼亡きあとの南米を私も守らなくては。オセアニアのように自治が認められるとしたら、また選挙になる。武人としての人気で当選したグレンの地盤を、誰に引き継がせるか? グールは選挙に勝てないから、バルコとも上手くやっていける指導者を見つけて――


「……うぅ」


 堪え切れずにラリーは呻いた。こんな未来、想像するだけで吐き気がする。愛してくれた人がいない世界に、もう私は生き残りたくない。でもそれ以上に、負けたくない。私の体を通り抜けていった人たちのためにも。


――お父さん、ボリス、ドナーの皆さん。私はお母さんより弱い心の持ち主です。だから見守ってください、これから何が起きても。私が壊れてしまわないように。



 東京VRは新しい生命の箱舟として造られたが、チーム・ノアの解散後は軍事演習場として使われ、主な利用者は連邦軍だった。彼らは休戦中、演習に一般やバルコ軍からも人を招いたが、相手のノウハウを盗みつつも手の内をすべて明かさなかった。

 疲れや痛みを再現できるほど現実と遜色ない環境ながら、経費や準備にかかる時間はカット。命の数は無限で、何度も同じ状況をやり直せる。そうした環境を独占することで、兵士の練度差を決定的にしようとしたのだ。アレクシスに東京VRが売り渡されるまでそれは続いていた。


「B7からF11までクリア!!」

「E区画を囲め! 今度こそ逃がすな!!」


 雄一郎は逃げている。遮蔽物の多いゴーストタウンという環境は彼に有利だが、ここがクロスオーメンの「爆心地」になることを見越して警備隊も訓練していた。追跡側は百人体制、随時追加される照明弾が街中の陰という陰を照らしている。

 怒号のほかに聞こえてくるのは、南米警備隊が所有するヘリ型ドローンのプロペラ音だ。二トントラックほどの大きさまで小型化され、地面スレスレを機敏に飛んでいた。


――もし捕まったら、アレで運ばれるのか。Gが凄そうだな。


「壁だ! 29ビルの外壁、中程!!」


 典武の指先、足裏には開閉式の微細な吸盤やスパイクがついており、ヤモリのように壁を登ることもできる。サーチライトを担いだ警備隊員に照らされた雄一郎は、急いでビルの外壁から窓の中へと飛び込んだ。

 ここまで逃げおおせた理由の一つは重火器の掃射がないことだ。向けられるのは小銃か暴徒鎮圧のネット、対パワードスーツ用の麻酔銃である。本命となるネットと麻酔銃は弾丸の都合で連射が効かず、射程も短い。生け捕りに拘っているらしいが、それが「生死問わず」に変わるとしたらどんな時か? 考えながら暗闇に目を凝らし、手甲にパイルバンカーを再装填する。

 ショーケースを突き破ったマネキンの頭に、窓から差し込む照明弾の光が揺れている。、コンクリートのパウダーをまぶされた燃えかけのポスターが、かつては百貨店だったと伝えている。雄一郎は壁を走って登り、高所からエレベーターを探した。崩れた天井からむき出しの鉄骨に手を掛けて辺りを見回すと、遠くで別の鉄骨が前触れなく床に落ち、けたたましい音を立てる。


――さっきのヘリと音が違う。大型……有人ヘリか?


 それは建物の真上に留まっている。嫌な予感に背中を押され、エレベーターに向かって飛ぶように走った。ふと、視界の隅にある窓の外に、太いワイヤーが音もなく垂れ下がる。雄一郎はもう一度、素早く周囲を見渡した。


――上からか。


 フロアを仕切っていた壁は崩れているらしく、その階にある窓を全て見ることができる。四方八方にある窓の外に、何本ものワイヤーが相次いで垂れ下がる。雄一郎が駆けだすと同時に、警備隊員たちがフロアに転がり込んできた。


 エレベーターの扉を蹴破って、スタン・グレーネードを放り込む。爆発の後、一拍おいてから中の様子を見ると、地上付近に人の気配があるだけだった。雄一郎は壁の一部がガラス張りだったらしい半円柱のエレベーターシャフトから外の景色を見て、余裕が大きくなるのを感じた。雄一郎は錆びついたケーブルを強度も確かめないまま掴み、深いシャフトの中で宙づりになる。別にケーブルが切れても危険はないと思った。


 しかし追いすがってきた警備隊員は仮に雄一郎を落下させた場合、それを助ける自信が無いのか、地面のないところで銃を撃つ自信が無いのかは解らないが、せっかく運んできた麻酔銃を捨ててしまう。

 雄一郎は愚直に壁を登ってくる警備隊員の爪先を見た。堅牢そうな丸い装甲に覆われた靴を履いている。対する典武の爪先は足袋のように親指が別れており、ケーブルやひび割れた壁を掴むことも出来た。先々に足場があるかのような機敏さでシャフトを登り、雄一郎は追手との距離をどんどん引き離す。その途中、左肩の留金を外すと、背中に張り付いていた脇差が鞘ごとずり下がり、右わき腹から柄が覗いた。

 ギン、という音がした。金属が切れる音だ。それは間を置かず二度続いた。

 一拍おいてから長いケーブルが落下を始める。壁をこすりながら落ちていくそれを警備隊員は何とか躱したが、上をみて思わず舌打ちをした。

 切断の音は二回だった。そして雄一郎はシャフトの角に張り付きながら、二メートルほどの短いケーブル束を掲げている。下の警備隊員に狙いを定めているのだ。今度は彼も躱しきれなかった。


「うおお――」


 同僚を巻き込みながら警備隊員たちはシャフトを滑り落ちていく。

 まもなくバルコと連邦がこのゴーストタウンにやってくる。警備隊もそこがタイムリミットと解っているだろうに、破れかぶれの行動をせず、訓練通りと思しき追撃を繰り返している。彼等もまたプロだと雄一郎は思った。ただし扱う戦術に柔軟性がない。


 南米警備隊は戦闘のコストを下げることで、長い戦乱を生き残ってきた。アサルトフレームやドローンが扱う重火器を、より安価なパワードスーツに運ばせ、難点となる機動力や装甲は入り組んだ迷宮の構造がカバーする。そうした基地全体の戦術に合わせたパワードスーツは、重いものを素早く運ぶことに特化している。

 東京VRがこういう形でアドバンテージになるとは、創った当時の雄一郎も考えていなかった。南米警備隊には訓練の時間と環境が足りないのだ。だから様々な状況を想定できない。彼らには何千時間も、パワードスーツを着てフリーランニングをする資源のゆとりもない。壁を走るとき、天井に張り付くとき、なぜ失敗したのか理由を数値化し、その都度パワードスーツを改善することも出来ない。そして命がけの訓練を行い、失敗しても何食わぬ顔で起き上がることも出来ない。

 それらはすべて、東京VRがあれば出来ることだ。だから彼らは百対一の有利があっても、この鬼ごっこに勝つことはできない。


 雄一郎はシャフトを登り切り、屋上へ出た。バルコと連邦それぞれが陣を張る方角から、ドローンを輸送するヘリと、アサルトフレームのスピアーが向かってくる。

 次の追手は連邦軍のアサルトフレーム部隊だ。彼らは東京VRで念入りに訓練している上にパワードスーツ使いとしても上澄みのため、警備隊のようにはいかないだろう。雄一郎は隣にあるビルの窓へと跳躍した。その背後から警備隊員の怒号と、爆発音が聞こえてきた。屋上に居た小型ヘリがミサイルを受けたらしかった。



「セルゲイ隊全員への窓を開けろ。吉井はゴーストタウンのショッピングモールを抜け、

E04地区の聖堂まで逃げ延びている。繰り返す、E04の聖堂、すり鉢をひっくり返したような建物。バルコが感付くのも時間の問題だ、各自の判断で捕獲に入れ」


 ランスはヒュージ・ソーサーに命令を下しながら、無数の照明弾を上げた警備隊に感謝した。闇に紛れ込もうとする雄一郎をヘリ型ドローンのカメラが捉えていなければ、この戦いに介入した意味が無くなるところだ。

 雄一郎を追撃するドローン部隊は、道中で遭遇するバルコのドローン部隊を捨身で押しのけ、聖堂に立てこもる彼を包囲している。あとは兵士が突入するだけの状況だが、時間はない。バルコ側はクロスオーメンを警戒する必要がないため、単純な物量でこの場を制圧すれば終わりだ。パワードスーツを送り込まなければならない連邦より戦術が単純で済む。

 と、セルゲイから秘匿回線の要求があった。微量の苛立ちを覚えながら応じる。


『バルコが広域通信で何か言ってるな。核が介入しているそうだが』

「わが軍としては確証を持っていない」

『映像付きだぞ』

「だからなんだ。あのテロリストも、向こうが用意した役者かも知れんさ。吉井を首尾よく回収したいのは向こうも同じなんだ。ごちゃごちゃ言ってないで目の前の聖堂に突っ込め。見ての通り状況は有利だが、今だけだ。もし失敗したら責任を取ってもらう。部隊全体で、な」


 チャンドラから核を抱えたテロリストについて通報があった。セルゲイからも事実確認があった。しかしランスは撤退を許さない。彼にとっては未確認情報だからである。


「ほれ……お前の倅はやはり活きが良いな」

『……!』


 レッド・ガストがバルコのドローンを蹴散らしながら聖堂の屋根に取り付き、くり抜いている最中にクロスオーメンが起動した。付近のドローンも巻き込んだため、少しのあいだ中継映像が乱れたものの、すぐに別のドローンが望遠モードで引き継いだ。パワードスーツ姿のニキータが、ステンドグラスを割って中に突入する。


「敵のアサルトフレームをまず抑えろ。それが済んでからニキータ少尉の援護に向かえ」



『ニキータ!! 突出するな、戻れ!!』

「ボス……聞こえねェって、もう」


 このあとセルゲイも突出して、ニキータを助けに行くところまで先が見えている。あのチャンドラから通報があったのだから、ジュリアンも深海勢力の介入は事実だと考えている。が、撤退は許されない。


――しかし吉井の奴を捕まえれば、あとは逃げても文句ないわけだ。


 目標をスマートに達成すべく、ジュリアンは状況を検分した。

 標的が立てこもる大聖堂は高さ七十メートル超。それを挟んでバルコと連邦が対峙し、互いの輸送ヘリとスピアーが次々と増援を送り込んでいる。既に包囲が崩れはじめている上に、先に増援が枯渇するのは連邦だ。時間が経つほど選択肢は減っていく。

 加えて吉井にはクロスオーメンがある。ドローンで聖堂周辺を制圧すれば勝ちのバルコに対し、連邦はパワードスーツで踏み込む必要がある。


『私が道を作る……ジュリアン、援護しろ!! リゼ、タミール、お前たちが聖堂に踏み込め!! DCはバルコのドローンを抑えろ、温存は考えなくていい!!』


 カフェだった廃屋の影から、スラスターを吹かしてセルゲイが躍り出た。オープンテラスに転がっていた椅子が吹き飛び、それが石畳へ落ちるより前に、アイアン・イーグルの盾が甲高い跳弾音を立てる。

 両軍のドローンたちが、本格的に戦列をぶつけ合う。建物の屋上から屋上へ飛び移る四足型たちが頭部の砲を撃ち、体当たりで敵を地面に叩き落とし、あるいは足を吹き飛ばされながらも、わき腹の中に折り畳んでいたサブアームで六足型の胴体にショックブレードを突き刺す。人工筋肉から噴き出た黒い血が雨のように降り注いだ。それは水溜りとなって砲火の光をキラキラと照り返す。

 やがてセルゲイが聖堂に取り付いた。負けじとバルコ兵たちのアサルトフレームもそれに倣う。セルゲイは虎のように喉を鳴らし、うち一機に襲い掛かった。

 アイアン・イーグルの軌跡が、聖堂の外壁に沿って弧を描く。バルコのドローンたちが狙いを定めるも、連邦の四足型が身を挺して射線を遮った。バルコ兵は頭上を取られる前に、自らもスラスターを吹かして飛んだ。


「おっ……」


 援護に入ろうとする別のバルコ兵を、スナイパーライフルでけん制しながら、ジュリアンは期待に胸を躍らせた。久々にボスの十八番を見れるかもしれない。



 ビッグ・ピラーに盾を割られ、リンシンは泡を食って物陰に隠れた。さらに追い縋ってくる連続ミサイルを何とか躱し、躱しきれない分はドローンに擦り付けながら同僚に叫ぶ。


「止めろ!! レオン、誘いに乗るな!!」


 レオンと呼ばれたバルコのパイロットは雄叫びを上げ、セルゲイに挑みかかっている。二機は互いに頭上や側面を取ろうと、いびつな螺旋を描きながら激しく撃ち合い、かつ高度を上げていく。

 アサルトフレームはバックパックを背負っている。弾薬や燃料、バッテリーなどを格納しており、絶対に狙われてはならない急所である。なので背後は勿論、頭上や側面を取られることも敗北を意味する。

 また上向きに盾を構えると、被弾の衝撃が重さに加算され、肩部の負荷限界を超えてしまい腕が故障することもある。なのでファイターたちは高所から撃ち下ろされることも嫌う。

 互いに有利を得ようとすると、高度を上げながら敵の側面や頭上に回り込み、撃ち下ろすことになる。すると二機は二重らせんを描きながら高度を上げていくことになる。うまく行けば時間と弾薬を節約できるこの戦術を、アサルトフレーム黎明期の腕自慢たちは競って用いた。二機が描く軌跡にちなみ、その戦術はダブルへリックスと呼ばれたが、よく見られたのはあくまで黎明期である。


「レオン、応答しろ……」


 ダブルへリックスは勝負が長引くほど、機体の高度が上がっていく。数十メートルの位置で銃撃などを受け、マシントラブルを抱えようものなら墜落し、パイロットは死ぬ。戦術や機体が洗練され、彼我の差が縮まっていくほどに、勝負は「互いに墜落」という形の痛み分けが増えていった。ダブルへリックスはデスへリックスと名前を変え、不毛の代名詞となり誰も用いなくなった。ただ一人の例外を除いて。

 何度やっても彼だけは墜落せず、確実に相手を葬り去る。噂が広まるにつれ彼を破ろうとするパイロットも増えたが、いつしか誰も挑まなくなった。その頃には不毛の代名詞ではなく、セルゲイ・ヴァロフの代名詞として畏怖の対象になっていた。

 デスへリックス。死への単一螺旋。


「……」


 レオンの機体が無残に墜落する一方で、セルゲイはスラスターを吹かし落下を緩やかにした。しかし彼も盾を削られている。仇を討とうと別のバルコ兵がライフルを構え、銃口下のランチャーにロケット弾を送り込む。


『あ』


 と思ったときには遅かった。セルゲイの着地点に狙いを定め、引き金を引いた直後。射出されたロケットと、セルゲイの撃った一発の銃弾が衝突し、爆発した。至近距離で爆風を受けたバルコ兵の機体が、炎に巻かれながら石ころのように転がった。ドローンたちがすぐに中身を救出する。


――人間技じゃない。


 リンシンは慄いた。あんなことを、そもそも自分たちは狙わない。成功率が極端に低いと思うからだ。どんな射撃プログラムだって実施を推奨しないだろう。


『リンシン、下がりなさい』


 チャンドラがそう命じてくるが、そうはいかない。大切なのは吉井や自分の命でなく、チャンドラの名前だ。我が姫の指揮した作戦で、クロスオーメンが敵方に流出した、という事実はヴィクトルを有利にする。彼の王権が仮初のうちに、つまりマイケルが存命のうちに、連邦との外交はチャンドラが担うと決定づけたい。稲田がそれを望んでいることも背景に。


「吉井の援護をお願いします。あくまで吉井の」

『リンシン』

「今度は聞けません」


 だからこそ、吉井をここで失うわけにいかない。マイケル様は宇宙開発を絶対に許さないが、それは自らが生きている間、と節度を設けている。理由はクロスオーメンの出現だ。この意向はバルコの中でも暗黙の了解となっている。

 月面基地を管理するのは我が姫であるべき。ヴィクトル様による無慈悲な破壊はあくまで最後の手段、それが連邦やバルコ、そして星に生きる生命のためであり、何よりヴィクトル様自身の御心をも慰めることになるだろう。

 勝利を決定づけるため、アイアン・イーグルが再び跳んだ。聖堂の周辺からバルコ軍を押し返そうと、連邦のドローンたちも最後の攻勢を駆けてくる。

 ならば連邦の増援が枯渇するまで、ここに踏み留まってみせる。リンシンが一歩を踏み出したとき、西の海が光った。

 リンシンの背後、東の地平線まで照らさんばかりに、強く。



 時間は少しさかのぼって、聖堂の中。包囲突破の機会をうかがっていた雄一郎の前に、パワードスーツ姿のニキータが立ち塞がった。


「いちおう言ってやる。スーツを脱げ」


 無言で雄一郎が下段に構えると、知っていたとばかりにニキータは中段の構えをとった。雄一郎の獲物は脇差だが、ニキータは右手のサーベルに加え、今日はソードブレイカーを左手に持つ二刀流だ。圧倒的優位である。

 信仰心の厚い人々が管理していたのか内装は補修されていて、整然と並ぶ長椅子のあいだに一本の道が出来ている。そこでニキータは十字架を、雄一郎は扉を背にして十メートルほどの距離を置いている。ときおり外で弾ける戦火が、割れ残ったステンドグラスを鮮やかに照らした。


 ショック機能のない合金製の刃物は、ショックブレードに比べて軽量でスペースも取らないが威力に乏しく、パワードスーツの装甲を切断するのが極めて難しい。連邦軍でもこれを採用しているのは、全隊を含めてもセルゲイとニキータだけだ。

 しかも雄一郎が持っているのは脇差だ。相当な自信がなければ選べない武器で、それがハッタリでないことは既に分かっている。ニキータは自分よりクロスレンジの戦闘力が高い人間を知らない。これについてはセルゲイでさえ例外ではない。同じセルゲイ隊の兵士を相手にしても大半を一手で斬れるし、勝負が三手より長引くのはセルゲイだけだ。

 だから十手、二十手先を見越しても雄一郎を斬る確信が得られない、その事に驚いた。


 パワードスーツの動きは人の反射神経を超えている。相手は勿論、着ている本人にとってもそうだ。だから使い手は動く前から、一秒後までに体がどう動くか知っていなければならない。性能を適切に引き出せたなら、十メートル先の相手まで詰め寄り、剣を弾き飛ばした上で手首、膝、肩と斬りつけてお釣りがくる、一秒あれば。その動きを少しの狂いもなく予見できていれば、こうして向き合っている時からすでに有利と不利がせめぎ合っているのが見える。

 雄一郎の肩を斬り下げるため、前足を爪半分すすめる。これが察知できない相手なら楽だ。大抵の人はそれが何の予備動作なのか判別できず、構えで対処できない。そして不利が致命的に積み重なるまで解らず、肩を斬り下げられたことに後から気付くのだ。

 しかし雄一郎は体の軸をわずかに回転させた。袈裟斬りを受けながら刃物を滑らせ、懐に入り込むつもりか。なら斬撃は囮にして、出足を払ってやろう。そのためには後ろ足の踵を、もう少しあげておこう、今のうちに。二手目の布石を打つニキータだったが、やはりこれもすぐ対処された。雄一郎の重心が僅かに後ろへかかり、足払いを見越したのが見て取れる。

 なら三手目、四手目は……無数に枝分かれしていく未来の剣戟で、ニキータの視界が埋め尽くされていく。時に壁、時には天井、さらに宙を舞う長椅子まで足場にして斬り合う自分と雄一郎の姿が、確定的な未来としてニキータには見える。それらは雄一郎が姿勢を変えると一瞬で掻き消え、新しい未来に置き換わっていく。


――やるじゃねえか、本当に……。


 雄一郎がここまでやる理由。それはセルゲイが指摘した通り、彼の訓練を盗み見ていたからだ。連邦公安庁でも力を持っていた人物なら、最高レベルの軍事機密に触れていたとしてもおかしくない。例えば山奥に引きこもっていた剣豪が、世界中から才能を集めて訓練していた集団に勝るなんてことは、あり得ないのだ。強くなるために重要なことは、誰と訓練するか、なのだから。

 まして東京VRを造ったのは他でもない、吉井雄一郎である。自らの才能を隠したまま、セルゲイの教えを盗む。彼はそうして秘剣、秘術というべき技を実現させたのだ。


――見つけてやる、隙を。


 それでも自分なら勝てる。そのはずだとニキータは思った。斬り合いでセルゲイに勝ったとき、自分が斬れない人間はこの世に居ないと確信した。子供の頃からの自負心が確信に変わったのだ。例えば休暇中のセルゲイと出かけるとき、毎回必ず手品のショーへ連れて行ってもらった。ニキータは手品のタネを見破れなかったことがない。そしてそんなことが出来るのは、父親以外では自分だけだった。

 自分たちの目に、見破れない意図はない。それを確かめるたび、戦神セルゲイとの繋がりを強く感じていた。


――……?


 なのでニキータは、少なくとも視覚的なトラップに嵌ったことがない。騙し絵や、手品師が増殖させたコインで驚いたことがない。その感覚をいま、生まれて初めて味わっていた。雄一郎がいつ、自分との間合いを詰めたのか解らない。


――……。


 ニキータから間合いを詰めることはあったが、雄一郎が前進していることに気付けなかった。いつ? どうやって? 思わず彼の爪先に目を奪われそうになったが、すんでのところで堪える。

 聖堂中を埋め尽くす雄一郎の技。一つでも見落としたら、たちどころに斬られる。もし定点カメラにこの斬り合いを撮らせたら、何のことはない、すり足で間合いを詰める雄一郎の姿が映っているだろう。しかしニキータが恃みにしていた目は、今も増えていく未来の雄一郎を追うので精いっぱいだ。その陰に隠された、静かな、タネも仕掛けもないすり足を見切ることができない。

 恐怖に乱れそうになる呼吸を必死で抑えながら、ニキータは後退を決断した。獲物の長さが同じならとっくに斬られている。一度間合いをあけて、戦略を練り直さなければならない。じり、と後ろ足を後退させたところで、レオンの機体が聖堂にぶつかり、建物全体を押し揺るがした。


――しまった。


 建物が崩れるほどではない。だが瓦礫は二人の周囲へ雨のように降り注いだ。後退するニキータは後ろを見ることが出来ない。踵が石を踏みでもしたら、それが勝負の分かれ目になるだろう。

 人生の中で、これほど耳を澄ませたことはない。意識から遮断していた環境音のうち、やかましく鳴り響く外の戦闘音を弾き、雨音のように微かな瓦礫の音だけを選り分ける。背後に広がったそれらの配置を知るために。しかしそれは軽率な行為だった。

 雄一郎の顔を覆っていたベゼルが開く。ニキータはそれを見てしまった。敵の体が震えたと思ったときには、もう遅かった。


「――――」


 シャウトがニキータの耳を叩き、精神を打ち据えた。高音なのか重低音なのか、その判別さえつかないほど忘我の淵へと追いやられる。

 聖堂中を埋め尽くす雄一郎の技。それを抑えていた自分の姿が掻き消え、四方八方から万の斬撃が殺到してくる。実際に振るわれるのはうち一本だが、運よくそれを掴んでも二手目で斬られるだけだ。


――おかしい。


 勝負はついた。もう巻き返せない。しかし一方でニキータは、後退を始めた時からある疑問を抱いていた。


――あの時、俺を斬れたはずだ。斬れなかったわけがない。


 アリススプリングスで浅く膝を斬られた、そのこと自体が不自然だ。彼我の実力差が圧倒的だからこそ、あらゆる常識を超えて確信する。こいつは、俺を殺さない。殺せない。理由は解らないが、そうじゃなきゃ、あの時俺は死んでいるはずだ。ニキータはその確信に命を賭した。


 反転して、尻を踵にのせ、敵に背骨を晒す。ニキータは目を閉じてその時を待った。

 音もなく殺到する雄一郎の、踏みしめた足から伝わる微かな振動。そこに表れた一抹の戸惑いを、ニキータは見逃さなかった。

 ステンドグラスから眩いばかりの光が差し込んで、聖堂の中を煌々と照らす。その中で二人は交錯した。宙返りをしながらサーベルを振るったニキータは左足を腿から、腕の装甲を使い、巧みに斬撃をそらしながら脇差を振るった雄一郎は、右手をひじの先から失う。


「ひゅーー……。ふっ、ふ」


 腿からの夥しい出血が、ニキータの視界を暗くする。それに抗うため肺に空気を取り込むが、横隔膜の痙攣が邪魔をして、喉から空気のこすれる妙な音が漏れた。長椅子の背もたれに腰を預け、なんとかサーベルを構える。

 雄一郎はニキータの様子を一瞥すると、自分の腕でなく、床に落ちたニキータの足を掴んで駆けだした。そのまま割れたステンドグラスを通って外に出る。ニキータに追いかけるゆとりは無かった。


「はは、は……」


 俺の脚にプレミアでもついてんのかよ。雄一郎の行いが理解不能すぎて、ニキータは笑うしかなかった。

 それにしても、さっきの光はなんだろう。シャウトのせいで耳がバカになっているが、爆発音もそれなりに大きかったのではないか。地面もけっこう揺れている。

 まるで核でも爆発したみたいだな、とニキータは思った。



 例のごとく、セルゲイが連打で秘匿回線を要求してくる。応じた瞬間に彼はこう言った。


『説明しろ、ランス』

「逃がしたんだな?」

『逃がした。吉井は行方知れずでニキータは重傷、おまけにバルコ側の増援は加速度的に増えている。それと……西での爆発、ひょっとすると核じゃあないのかね』

「そうらしい」

『そうらしい?』


 そーーらしい。とセルゲイは繰り返した。唇を噛むような音、浅い呼吸の音が彼の激昂を伝えてくる。いくつになっても落ち着きのない奴だな、とランスは思った。


『撤退する。文句はないだろうな』

「いや、絶対に許さん」

『……』

「これから大量破壊兵器が出てくるたびに逃げ帰るつもりか。お前と共に戦い、死んでいった連中はそんな臆病者だったかな?」


 セルゲイはキレた。


『自分の無能を棚に上げるんじゃねェ!! 稲田に首輪をつけていれば……吉井なんぞにこだわる必要は無かったろうが!!』

「今から私がする話を、黙って聞いていろ」


――吉井を見失った。しかし奴を捕えるチャンスは、まだある。


 ランスは縦穴にドローンを一機走らせた。もう使われていない地下鉄の線路上に、パワードスーツ用と思しき直径一メートル強の入口があり、その部分だけ線路が途切れている。クロスオーメンの直撃は免れたはずだが、スライド式の蓋は閉まっていて中に侵入することはできない。しかし地上の様子を伺うためのセンサーが何処かにある。そこだけに届くような単距離通信でこう呼びかける。


「ランス・ガードナーだ。ドローンの指揮者を出せ」

『……ルーカス・ジルベルト大佐だ。私がドローンを掌握している』

「そうかね」


 床に視線を落とすと、バルコのドローン相手に奮戦するモレノ・モールの映像が見えた。量子暗号通信機を背負っている様子はない。つまりグレンは南米の指揮系統から実質的に外れている。


「連邦としては、核が、地上で爆発することを容認しない」

『……』

「おい、急いでいるんだ。ボサッとするんじゃあない。グレンからどういう命令を受けている? 処理する分にはどこでも構わん。ただ、地上で爆発させたら絶対に許さんぞ」

『……地下で爆発させろ、ということか? 縦穴を開いて招き入れろと?』

「そんなことは言っていない。ただ地上には、我が軍の部隊がまだ残っている。彼らを焼くことは許さんと言ってるんだ」

『地上の安全を優先するなら、地下深くまで核を招き入れることになる。プラントがすべて潰れるぞ』

「大佐よ、英語は解るんだよな?」


 リオの地下迷宮は横に広い代わり、深さは最深部でも1.5キロメートル程度に過ぎない。テロリストの証言によれば起爆ポイントは最深部付近だが、大部分が空洞であることも考えれば地上の安全もまた保証できない。

 しかし侵入したことが解ってから、起爆ポイント到達まで時間はある。その時間を使って兵士を退避させれば済む話だ。議会に言い訳する材料は揃っている。


「我々が生きるこの世界で、死ぬまで敵意に晒されたくなかったら、よく考えることだ」

『……』

「ああ、それと。DCを一人残せ。吉井がプラントを守るためにそちらへ行くことになる。来たらすぐ居場所を中継しろ。どんな偽装をしてくるか解らん、小さなAIに判断を任せず、DCを残せ。解ったか?」

『……承った』

「賢い判断だ。投降後の扱いも考慮しよう」

『その言葉、忘れるなよ』

 

 会話を切り上げると、ランスはチャンドラのチャンネルに入った。停戦交渉をするために設けられたものだ。核兵器の介入が事実なら、停戦より前にすべき決断がチャンドラにはある。


『ランス、すぐに攻撃を止めてください。核兵器を探しましょう』

「断る。それとプラント保護のため、吉井を戦場へ戻していただきたい。核が処理されるまでは、彼に攻撃しないと約束する」

『……それは』

「停戦は出来ない。我々はこの地を独裁から守るため戦っている。しかしプラントが壊れることも本意ではない。おたくが提供したデータが真実なら、核兵器はクロスオーメンで無力化できるかもしれん」

『それは保証できません。爆弾はすでに起爆の一歩手前の状態だわ。クロスオーメンで誤作動すれば、それが爆発に繋がる可能性もあります』

「だが、止まる可能性もある」

『……ランス、吉井を戦場へ戻すことはありません。貴方も兵士を撤退させるべきです』

「なぜ? 地上で爆発する分には許容範囲。そう考えているのかね?」


 地下へ通じる縦穴は殆ど閉まっている。地上で爆発してもプラントへの被害は軽微だ。


「侵略者と言う立場をお忘れのようだから、改めて言わせて頂こう。戦いを止めたいなら、おたくが撤退すればいい。我が軍は独裁に抗うこの戦いを投げるつもりはない。もちろん……我が軍の兵士を、核の炎で焼くつもりもない。これは“南米警備隊にも伝えた”」

『貴方、まさか』


――理解が早くて助かるぜ。


 閉まっていたはずの縦穴が開き、そこから地下へと侵入する核爆弾。そんな光景がチャンドラの脳裏を過ぎったはずだ。


「チャンドラさん、我々は核兵器の爆発を許さない。“どこで爆発するにせよ”だ。解ったら吉井を引き戻せ。今こそクロスオーメンを役立てる時だ」


 それだけ言うと、ランスは一方的にチャンネルから抜けた。


「聞いていたな、セルゲイ」

『……ああ』

「吉井は核を止めるために戦場へ戻るだろう。周辺で待機しろ……功を焦った部下を、犬死させるなよ。戦神どの」

『後で殺してやる』



『ラリー少尉以外は、潜水艇に乗り込め』


 ランス・ガードナー大統領と何を話していたのか。内容を伺わせない無機質な声でルーカスは命じた。迷宮には潜水艦の出口も備わっており、すぐに浮上して機関部を停止すれば降伏扱いとなる。

 西で核爆発が起きてもスーツ部隊は動揺することなく働いていたが、先ほど信号弾で吉井を完全に見失ったと報告してきた。内地への輸送ルートを死守しているグレンも諦めていないようだが、捕獲作戦は失敗だろうとラリーは思った。残る仕事は地下へ核を入れないことだが、縦穴はすべて閉まっている。一人残れば十分だ。


――特に難しくもない仕事。グールと蔑まれる自分に、プラントを守る名誉をくれるんだろう。


『大佐、少尉……ご武運を』

『ああ』

「はい、また後ほど」


 DC達は初めから潜水艇の周辺に待機していた。ものの二、三分で出航準備を終え、脱出していく。


「大佐……もし司令が戻ってきたら、招き入れてもいいですか?」

『……』


 ラリーはルーカスの沈黙を量りかねた。グレンだけでなく、ニキータもまだ地上に残っているかもしれない。本音を言えば二人だけでも地下に招き入れたいし、許されるなら機体を無力化してでも引っ張り込みたい。しかしせっかく閉まっている縦穴を何度も開け閉めすることになり、招かれざる客の侵入リスクも上がってしまう。

 物思いに耽るラリーは、縦穴が開くときにだけ鳴る警告音によって現実へ引き戻された。モニタを見た瞬間、ラリーははじめ故障を疑った。リオの地下へ通じる二千本近い縦穴が開いていく。


「大佐、何をしているんですか!?」


 さらにルーカスは、縦穴の開閉を司る設備を破壊していく。電力を送る配線から非常用の手動ハンドルまで、徹底的に。ラリーは言葉にならない悲鳴をあげた。


「た……大佐ァ!!」

『少尉、家族を救いたかったら、私の話をよく聞け』


 指揮車のハッチが勝手に開き、四足型が乗り込んでくる。パワードスーツを強引に剥ぎ取られ、恐怖に慄いている間にハッチを壊され、そのまま閉じ込められた。


『地上には連邦のアサルトフレーム部隊がまだ居る。彼らを焼いてしまったら、警備隊は連邦に帰れん』

「あな、たは……」

『核は地下に招き入れ、放っておく』


 つまり地上の兵士たちを生かすために、リオのプラントを犠牲にするのか。


「何人死ぬと思ってるんですか、大佐!? 何千万人、いや、何億人――」

『弱者はバルコが救えばいい』

「彼らの資産だって無尽蔵じゃない!」


 南米には二十五億も人が居るのに。しかしそんな訴えで時間を浪費するより、譲歩を引き出すべきだ。ラリーは唇を噛んで考えを巡らせる。


「家族を守りたかったら、話を聞けと言いましたね? 守る方法があるのですか?」

『プラントを守るため、吉井が地下に入ってくるらしい。理由は解らんが……奴を捕えるならグレンのアサルトフレーム部隊とスーツ組が必要だ。今後の方針を巡って奴と揉める時間が惜しい。君は人質だよ』

「……あの人は、そんな手に屈する人じゃない」

『そう渋い顔をするな。切り札になれとは言わんさ。天秤を傾ける錘であればいい……あれは君が思う以上に激情家でな。手綱の握り方を覚えておくといい』


 ラリーは俯いた。吉井なんかどうだっていい。戦争の勝敗もどうだっていい。ただプラントだけはどうしても守らなきゃ、あの日を生き延びたことに何の意味もない。

 それなのに今、出来ることが何もないなんて。


「……」


 きつく瞑った目から、ラリーは悔し涙を流した。



 聖堂から脱出した雄一郎は、近くにいたバルコの四足型に手招きした。その背を腿で挟みながら、燃えている建物の中へニキータの足を放り投げる。


「チャンドラ様、吉井です」

『先生!? ……ああ、無事でよかっ……』


 アレクシスの声だった。雄一郎の欠けた右腕に気付き、小さく悲鳴をあげる。


「アレクシー、チャンドラ様は?」

『ランス、と……交渉中だよ。ともかく、生きていてよかった……このままあなたを回収する』

「さっきのは核爆発かい? 爆心地はどこ?」

『リオの西、海中。どの軍にも大きな被害はない』

「残弾は?」

『尋問したテロリストによれば、十人がこの作戦に参加。でも爆発した分も含めて、五個しか処理できてない』

「発見した分は、どうやって処理したの?」

『標的は、四足型マシンが内部に核爆弾を抱える、という構造でね。起爆は同伴のテロリストが定めた目標地点にたどり着いたとき、または攻撃の気配を察知したとき、あるいは夜明けを迎えたとき。解除の方法はないから見つけ次第、上空からロケットを斉射して粉微塵にしてる』

「そうか」

『ただ……リオ上空は連邦と制空権争いをしてる、そこまで到達されたら、対処は難しい』


 内部に爆弾を抱える四足型は俊敏で、分厚い繊維装甲も纏っているだろう。一発で処理するなら、上空からの大型ロケット斉射ぐらいしか確実な手段はない。依然として争うドローンたちの砲火を一瞥し、雄一郎は地上での爆発を覚悟した。しかし。


『近くの大通りに呑山を降ろします。吉井さん、乗り込んでいただけますか』


 チャンドラの声が聞こえると同時に、雄一郎を運んでいた四足型が急な方向転換をした。振り落とされないよう、腿でしっかりと背を挟む。


『……何言ってる、チャンドラ。このまま離脱する方が早い』

『縦穴が開くかもしれません』

『……なんだって?』

「根拠はなんです?」

『ランスは私に、クロスオーメンで核爆弾を処理するよう求めてきました。どこであれ核爆発を起こしてはならないと』

「なるほど」

『そして独裁を阻むため、地上へ展開している連邦兵士は撤退させない。そのことを南米警備隊に伝えた、と』


 筋は通っているな、と雄一郎は思った。独裁と核の爆発を許さない。連邦の大統領としてあるべき判断だ。しかし現実的なリスク配分を考えたとき、連邦兵士より上にリオの食料プラントを置くだろうか?


「つまり……地上の兵士へ配慮するよう、南米警備隊に圧力をかけた?」

『テロリスト達によれば、核爆弾の起爆ポイントはどれも深層です。爆弾が地下に入ってから起爆ポイント到達まで、時間の余裕があるわ』

「その時間を使って、地上の兵士を撤退させるわけですか」


 地下施設の全容が漏れているため、核による破壊計画も具体的だった。テロリスト達はどのポイントで爆発を起こせば最も被害が大きくなるか分析し、候補を数か所に絞っている。地下へ踏み込まれてもすぐ核爆発が起きるわけではないので、以後も爆弾を止めるチャンスは残ることになる。不幸中の幸いだ。

 ただ地下に残っている南米警備隊のドローンに、標的を確実に処理できる装備はない。そもそも縦穴を開いた時点で、プラントを守る意志を疑わねばならない。南米を巡る戦いは、もはやバルコの勝利が見えている。どうせ敵の手に渡るプラントなら、崩れてもいいと考えるかもしれない。


『そして爆弾を壊しに来た貴方を、改めて襲う。それが解っていても……私は貴方に、戦場へ戻れと言うしかありません』


 核兵器の地下侵入作戦は恐らくエドガーの独断だが、ランスがそれを利用することも計算されていると雄一郎は思った。本来ならこのまま船に帰れるところを、核兵器の処理までするハメになるとは。しかし雄一郎は士気は最高潮に達していた。

 チャンドラはこれからも、その善性を逆手に取られるだろう、今日に限らず。

 だが彼女を敗北させはしない。今日も、これからも。


『二人とも、縦穴が開いていくよ』


 アレクシスが不機嫌も露わに報告する。リオの地下は一万平方キロメートルに渡って広がり、地上と繋がる縦穴は二千本以上もある。連邦と争いながらすべてをカバーするのは不可能だ。

 テロリストはまだ五人残っている。リオ近辺まで辿りついているとしたら、もはや核爆弾の地下侵入は不可避の情勢である。


『アレクシス、武装を外した六足型を送り込んで、内部と連絡を取りなさい』

『了解』

『吉井さん、こういう在り方は本意でないと仰ってたわね』

「ええ」

『でも貴方には引き返す機会もあった。それをフイにしてそこに居る以上、他の誰でもない。貴方自身の責任で切り抜けなさい』

「言われなくとも」

『言い残すことはありますか』


 雄一郎は考えを巡らせるように視線を上げ、アレクシスは唇をかんで視線を下げた。


『貴方がここで死んだとき、それが何のためだったかを覚えておきます』

「信用のために」

『貴方の?』

「それと、人という種の」


 チャンドラは頷いた。自分たちのせいで世界が暗くなるさまを、これ以上人に見せてはいけない。


『解りました。やり方は貴方にお任せします』

「標的のデータをください」


 雄一郎のメットに、テロリストの証言をもとに作られた四足型マシンのデータが送られる。


「爆弾を撃ちます」

『……先生』

「一発で爆弾を撃ち抜けば、起爆できない構造だ」

『敵は戦闘プログラムを積んでいます。ただの一発で撃ち抜けますか?』


 核爆弾は、外部からの攻撃を感知すれば起爆する。


「御心配なく。では明朝に」


 雄一郎は通信を切り、呑山のスラスターを吹かした。ともかく地下に入り、核爆弾を待ち受けることにした。



 愛機のモレノ・モールに乗って地上に出たグレンは、雄一郎を追っていたスーツ組の一部と合流した。


「吉井はどうした!?」

「たったいま、聖堂方面に呑山が降下しました!」

「解った。小隊長らに新しいメットを支給する。通信網に復帰して儂に追従しろ

「了解!」

「内地への輸送ルートを聖堂付近まで伸ばし、死守する。DCは手筈通り援護しろ!」


 DCは斥候らしいバルコのドローン部隊へ向けて、四足型を捨身で突っ込ませた。破壊されるまでの間に物陰の敵をロックし、ガンナーのミサイルを送り込む。発火剤を散布するタイプで、致命傷を負わせる威力はない代わりに効果範囲が広く、熱により敵のマシントラブルを誘う。

 着弾と同時にガンナーがジャマーを起動すると、グレンたちファイターの出番だ。通信網から切り離されたドローンたちに、物陰から、至近距離でフルオート散弾を浴びせていく。落雷のような轟音が響く一瞬に、十数発の銃声が連なっている。グレンが襲った六足型は熱で人工筋肉が痙攣しており、一発も撃ち返すことなく粉微塵になった。


『司令、緊急です!』

「何事だ」


 弾を撃ち切ってオーバーヒートしたバレルを六足型に預け、新しいバレルと弾を受け取りながら返信する。背が低く幅広な機体は肘や膝にも車輪を備えていて、伏せ撃ちに近い姿勢で物陰から飛び出し、前腕に貼りついた盾のさらに下から射撃することで的を小さくしている。一方でバックパックが小さく継戦能力に乏しいが、それでもすぐ補給が受けられるならデメリットは発露しない。守りに徹する南米警備隊ならではのアサルトフレームだ。


『大佐が裏切りました』

「……」

『地下に置いてきた司令の車両が破壊されました。リオにおける序列は大佐が1位となります』

「そうか。あの男が、な」


 おそらく地下の機密情報を流したのも彼だろう。二十年近く苦楽を共にした相棒だけに、驚きよりも寂しさが勝る。Dネットは侵入を許さない鉄壁のシステムだが、すべてが人の思い通りとはならない。だから鉄壁を崩してまで人を信じたことを後悔してはいない。

 ただ器でなかったとグレンは思った。もちろん自らのことを。


「ルーカス。応答しろ」

『縦穴を全部開いた。ルートを指定するから地下に戻ってこい』

「プラントをどうするつもりだ」

『もうお前には関係ない』

「今ならまだ間に合う。地下に核が侵入したら知らせろ。儂が止める。裏切り者の末路は惨めだぞ」

『いいか、核は潰させない。お前の相手は吉井だ。地下に戻ってこい、グレン。そのドローンも俺の指揮下だ。無駄な抵抗はするな』


 グレンは「そのドローン」に銃口を突き付け、一発撃った。さらに蹴飛ばして裏返し、腹部からバレルと弾を収めた弾帯を奪ってバックパックに詰め込む。


『部下が死ぬぞ。一人ずつ悲鳴を聞かせようか?』


 グレンのメットに、パワードスーツを剥ぎ取られたラリーの画像が送られてきた。


『よく聞け。核を潰すために、吉井が地下へ入ってくる。奴と戦うには兵士が必要だ』

「奴を連邦へ貢ぐために、儂らを使うのか」

『お前は敗けたんだ、グレン。バルコを倒すためには、連邦へ降るしかない』

「……ルーカス」

『プラントの存亡にお前はもう関係ない。吉井のことだけを考えろ』


 お前は敗けたのだ、という言葉が骨身に染みる。ドローンを奪われたグレンの戦力は、アサルトフレームが十二機にパワードスーツが百あまり。広い戦場から核を見つけ出すのは不可能に近い。それでも僅かな可能性に賭けようとしていたが、ラリーの姿で正気に戻された。

 惨めだった。もはや南米と関係ない利権争いに巻き込まれる、リオのプラント。相棒だった男が着ようとしている、消せない汚名。そんな現実に抗う力のない自分。


『……グレンよ』

「何だ」

『噂をすれば影。吉井が来たぞ』


 グレンは無言のまま、ルーカスに先導され地下へ向かった。



 リオの地下表層に、プラントや融合炉などの重要施設はない。最終防衛ラインとして戦場になる可能性があるからだ。

 侵略者が縦穴まで辿りつくと、それまで出入りしていたレールガンや大型レーザーは深層へ送られる。侵略者からすれば地下の詳細は不明なため、大型の爆弾を落とすわけにもいかない。結局は表層への侵入を余儀なくされ、そこは地上からの通信も不自由な南米警備隊の独壇場となってきた。


 雄一郎の降りた縦穴は直径三十メートル、深さ百メートルの円柱形でリオでは最大級となる。リング状の溝が壁面を等間隔で刻み、その数だけ防壁があったはずだが、今は解放されている。縦穴の底はそのまま大部屋となっていて、周囲には貨物列車のレールが何本も通っており、出口がある壁の非常灯は霞むほど小さく見えた。


『ドローンの侵入を許可した覚えはない。吉井を残して今すぐ出ていけ』


 レールの周囲に積まれたコンテナの影から、警備隊の四足型が数機現れた。それにチャンドラの六足型が向き合う。連絡のために送ったものと違い、今度は機銃や連続ミサイルで武装している。


『許可は要りません。しかしこの戦いを世界が見ていることはお忘れなく。事情はどうあれ、貴方がたは核の処理を諦めた。あまつさえ私たちを阻むのですか』

『侵略への反抗は当然の権利だ』

『そうですか。では撃ちなさい。先手は差し上げます』


 ルーカスは呑山の動きを注意深く見た。ここで引き返すようなら、地上からクロスオーメンで核を処理するという意思表示になる。雄一郎は戦場で再び孤立することになり、伏せているスーツ部隊に再びチャンスが巡ってくる。しかし雄一郎は動かない。


『吉井、核をどう処理するつもりだ?』

「状況を見て決めます。ライフルで撃ってもいい」

『大したクソ度胸だな』

「セルゲイ隊と鬼ごっこするより気が楽です」

『捕まれば、少なくとも生きていられる』

「それは生きていると言わない」

『いま争えばクロスオーメンも、連邦の信用も、警備隊の名誉も全て失うかもしれない。貴方こそいい度胸ね、ジルベルト大佐』


 それから十秒近くもジルベルトは黙った。そして。


『吉井だけは通す。しかし他にはお帰り願おう』

『あくまで戦うのですね?』

『そんなことより、爆弾の現在地を教えよう』

「なに?」

『もう侵入してる』


 メットに地下のマップと、爆弾の通過ポイントが示されたので、雄一郎はすぐ呑山を走らせた。護衛の四足型が付き従うも、警備隊のドローンが進行方向を遮るなど妨害してくる。アレクシスが盛大に舌打ちした。


『チャンドラ、狙撃に適したポイントを割り出した』


 アレクシスが示したデータには、呑山が爆弾を狙撃しうるポイントが示されている。一か所や二か所ではない、広大な地下施設すべてにある狙撃ポイントが3Dマップにズラリと並んだ。


『ジルベルトに送るかい?』

『まさか。とにかく、狙撃ポイントにドローンを送るわよ。位置を特定されないよう、ふんわりと、ね』

『ああ。先生の回収まで必ずやり遂げよう』


 地上では既にリオの半分以上をバルコが制圧している。連邦は既に反転攻勢を諦め、いくつかの縦穴周辺を懸命に守っていた。セルゲイ隊は核爆発を警戒して地上に留まっているものの、爆弾処理完了の一報を聞けば地下へなだれ込み、この戦い最後の山場を作るかもしれない。

 問題はその戦いが、地下深層にまで及んだ場合だ。そこには食料プラントがひしめいており、バルコとしては侵してはならない場所である。


『急いでください、吉井さん。核を深層まで到達させてはなりません』


 返事をするより先に呑山はスラスターを吹かした。



「グレン、吉井を捕捉したか」

『……』

「深層に留まられては厄介だ。核を処理したら奴を捕えろ。出来なければ、連邦が押さえている縦穴まで誘導しろ」

『核が爆発しなければ、な』


 ランスは頷いた。もっとも稲田から聞いた話によれば、問題なく核を処理する可能性が高いと思われた。吉井の射撃はセルゲイに迫るものだという。それが本当ならドローンに任せるよりも成功率は高い。


「セルゲイ、お前も吉井を追え」

『核が処理されたらだ』

「それで構わん。生け捕りに出来るよう努力しろ」

『努力? 努力でいいのか?』

「かまわん」

『稲田からクロスオーメンを奪えるのか? 自信なさげだったようだが』

「確証はない。だがこの期に及んで逃がしては一層見込みがない」

『……』

「殺せ。それが稲田を追い詰める。その上で奴から奪う」

『解った』


 そこで治療中のニキータから、セルゲイへの着信があった。


『どうした。怪我はいいのか』

『ああ……それより親父、吉井を追ってるのか』

『そうだ……大統領も聞いてるぞ』

「気にするな。それで、用件はなんだ、ニキータ少尉」

『よ、吉井について進言です、大統領。クロスレンジに入ってはいけない。大佐、お気を付けください』

『……クロスレンジ? 手強いのか』

『私では、相手になりませんでした』


 ランスとセルゲイは目を見合わせた。ニキータはパワードスーツ戦ではセルゲイを抑えて連邦最強である。思った以上に手強いのかもしれない。


「セルゲイ隊は、合図があったら半分が地下に降り、半分が地上で縦穴を守れ。セルゲイの退路を吉井まで繋ぎ、死守せよ」


 それでも、アサルトフレームでセルゲイに勝てる人間など居ない。

 その背をかつて追いかけたランスだからこそ、そう確信していた。



 地下侵入を果たした核爆弾は合計三つ。それぞれが最終命令を受けた四足型マシンによって運ばれている。


 通路は大型兵器用からパワードスーツ用まで大小様々、ときおり敵を迎え撃つための「籠」と呼ばれる部屋に出るが、壁や天井の砲台が火を噴くこともなく、待機しているドローンがマシンを止めることもない。


 このように戦場となる表層は迷路じみた造りだが、深層は食料プラントが方眼紙のように整然と層を重ね、生産効率だけを考えた造りになっている。そこまで敵に到達されると、あとは物資用のリフトシャフトを滑り降りるだけになるので、追いつくのが難しくなる。


――敵の接近にも反応して起爆するらしいな。


 通路や籠にいる警備隊のドローンは身を伏せ、機体をスリープさせている。敵を認識すると起爆する核爆弾への配慮だろう。活動中のアサルトフレームは近寄れても二百メートルまで。その距離から撃っても弾が届くまでに防御運動を取られてしまい、一発で爆弾を撃ち抜けないかもしれない。


――跳弾を使うか。


 雄一郎はバックパックからカメラを射出した。それは天井の非常灯すぐそばへ張り付く。足裏の車輪を転がしながら壁を撫で、材質と硬さを確認する。呑山や典武のセンサーは人間の感覚よりもずっと鋭く、触覚や嗅覚に至るまで人間の数倍から数万倍の感度でパイロットの脳に送る。セルゲイ隊のアサルトフレームを真似た造りだ。

 楕円形の籠部屋に標的が入ってきた。その寸前に雄一郎は反対側の通路に入り、五十メートルほどいったところにある曲がり角に姿を隠す。カメラが猛然と此方へ向かってくる四足型の姿を送ってくる。標的まで五十メートル、雄一郎は深呼吸して、壁を撃った。

 弾が壁に跳ね返った直後、四足型の胴体を貫いた。四足型は怯むことなく曲がり角へ突っ込み、壁を蹴りながら雄一郎とすれ違う。しかし、腹に抱えた核爆弾は既に潰れていた。


『大した腕だ』

「……中将」


 オープンチャンネルからグレンの声が聞こえる。


『ルーカス、カメラの映像をオープンにしろ。プラントを守るためなら不都合あるまい』

『奴はバルコの手先だ』

『だがもう孤立してる。通信も届かない。お前の薄汚い手の内を、奴の姫君にバラされることもないさ』


 もし核爆発が起きなければ、記録に残る会話である。ルーカスはグレンの言葉通りにした。雄一郎のメットに、残り二機の詳細な映像が送られてくる。


「ありがとうございます」

『起爆条件が増えているんだな?』

「二百メートル以内への接近を察知した時」

『ふん、儂らには装備がないな。貴様に頼るほかない……このままだと、一機は深層に到達する』

「南側を先に処理します」

『解った。儂らは一足先に深層へ潜って、北側の予想ルートにカメラをまく」

「お願いします」

『知ってると思うが、深層のトンネルはプラントと隣接している。表面は合成繊維で跳弾は望めん。どうするつもりだ』

「このマシンは敵の接近を、主に熱で感知します……指定の場所に熱源を切って座り、盾を構えてください。あとは私が調整します」

『……礼は言わんぞ』

「ええ、私は侵略者だ」


 それ以上は誰も、何も言わなかった。そのまま雄一郎は二体目も処理し、深層へと潜っていく。



 ラリーはルーカスによる拘束を解かれ、ドローンの指揮に奔走していた。戦場はこちらのテリトリーである地下だ。敵の通信には弊害があるにもかかわらず、アレクシスの指揮ぶりは凄まじい。苦戦するルーカスはDCが本業のラリーに応戦の役目を回してきたのだが、ラリーはなぜ従っているのか自分でも良くわからない。


――私、何やってるんだろう。どうしてこの人たちに命令されてるの?


 戦わなければ投降後の扱いが危うい。自分だけでなく、警備隊の同僚たちも。本当にそうなら喜んで戦うが、そもそも必要な戦いだろうか。核爆弾の侵入を未然に防ぐ方法は無かったのか? それ以前にこの戦いを防ぐ方法は? 


『そこを左折だ』

『了解』

『急げ、もう時間が無い』


 警備隊員に誘導され、雄一郎が目的地へ急ぐ。深層はスペースの殆どを食料プラントが占めており、網目のように張り巡らされた運搬用の細いトンネルは、壁のすぐ向こうがプラント本体となる。雄一郎は行く手にある貨物車両を避けた。壁との距離はほんの数十センチメートルしかない。

 戦闘など全く想定されていない区域。アサルトフレームのライフルなら一発でプラントの気密壁を破り、一基で日産数千食のプラントを台無しにしかねない。


『目標、起爆ポイント到達まであと二十秒』

『フフ、ギリギリだな』


 この期に及んで笑っているグレンの傍に、呑山が立った。沈黙しているモレノ・モールの盾の角度をほんの少し調節しただけで、雄一郎は射撃の体勢に入る。


『あと十秒。そちらの交差点を通過するまでは――』

『お陰様で見えてる』


 そして短い沈黙が訪れた。ラリーもルーカスも固唾を飲んで見守っている。核爆弾を運ぶ四足型マシンがモレノ・モールを視界にとらえる。次の瞬間、呑山が撃った。


『……』


 四足型マシンが足を止めた。起爆ポイントに着いたからだ。しかし爆発は起きない。


『礼は言わんぞ、吉井』

『……』

『詫びもな』


 再起動したモレノ・モールが呑山に襲いかかった。プラントに傷をつけないよう、ショットガンは使わない。下から突き上げるような両足タックルを、呑山はすくい投げで切り返す。互いに横倒しとなってレールの上を滑る。と、やおら呑山がライフルを撃った。


「……!」


 銃声の質にラリーは気付いた。本来の射撃よりも弾速が遅いため、弾丸はモレノ・モールの機体内に留まって周囲の壁を傷つけていない。

 連邦公安庁のアサルトフレームは敵を生かしたまま捕えるため、破壊力を調節できる武器を取り揃えているらしい。戦場では邪魔になるはずの機能を、ここにも持ち込んでいたのか。警備隊のアサルトフレームも続々と集まってくるが、至近距離から四枝を撃たれた上に、蹴りや体当たりを受けて道を開けてしまう。


『撃て! 撃って構わん……殺して構わん!』


――ああ。


 ラリーには解る。隊員たちもきっと解っている。グレンは本気じゃない。吉井のことはともかく、部下にプラントを傷つけさせるような人じゃない。彼等の人生に、取り返しのつかない傷をつけるような人では。

 それでも吉井は気圧されたように退がった。ショットガンを恐れたのではなく、ショットガンがプラントを傷つけることを恐れた。隊員たちとの接触をあからさまに避け、連邦軍が待ち受ける区画へと追いやられていく。あと一息で包囲を突破し、バルコ側が制圧した区画へ逃げられると解っているはずなのに。

 人類と生命のために。彼が世界に向けて語った言葉を、ようやくラリーは信じることができた。


『ラリー少尉! 奴の居所を連邦軍に伝えろ、伝え続けろ! ……!』


 バルコのドローンがルーカスの指揮車両を転がした。そのまま彼の声が聞こえなくなる。


「……南米警備隊から連邦軍へ。核爆弾を三つとも処理しました。吉井を144番シャフトへ追いやります」

『了解、ご苦労だった』


 立場は違えど、人類と生命のために。そう考えている人を追い詰める行為に、ラリーはやるせなさを覚えた。自分の属する社会が、あんな立場に人を送り出したことが許せない。あんな、誰の愛も育たない場所に送り出したことが許せない。

 私が今日まで生き延びたのは、こんな日を生きるためじゃない。


『貴様が長か。ドローンを止めて出てこい、……?』


 演説の麗しい声とは違う、怒りをはらんだ低い声。ラリーの布陣を突破したアレクシスの声だ。ひしゃげて開かなくなった指揮車両のドアを不審に思ってか、ともかく四足型を使ってこじ開けてくる。


『先生は……吉井雄一郎はどこだ!? 言わないと、貴様――』


 チャンドラが会話に割り込んで非礼を詫びてきたが、むしろアレクシスの詰問がラリーには有難かった。自分から指揮車両を降り、腹這いになって降伏の意志を示しながら、顎の下から小さくハンドサインを送った。

 彼は、144番シャフトに向かっています。



 雄一郎は追い縋ってくる警備隊員たちを振り切り、144番シャフトへたどり着いた。プラントの食料だけでなく、最深層の倉庫から弾薬を表層まで運ぶ四角い穴は、深さ一キロメートル以上に及んでいる。リフトをのんびり待っていては警備隊に追いつかれるため、雄一郎は呑山のスラスターを吹かし、壁を蹴って上昇していく。


――いよいよだな。


 先ほど呑山に乗りこんでからずっと嫌な予感がしていた。こんな展開になるのではないか、と。核の処理も大仕事だが、厄介さで量るならこれからがピークだ。シャフトを昇りきった先には大部屋があり、そこは直径五十メートル級の縦穴の底でもある。地上までは二百メートル余り、登りきれば生還が見えてくる。


――そうすんなり行くはずもないが。


 徐々に近づいてくるシャフトの出口からは、激戦の気配が伝わってくる。大部屋は争奪戦の真っ最中なのだ。逃げ回りながらバルコの勝利を待つのが安全だが、雄一郎がここへ向かっていることはバレている。セルゲイ隊がこちらへ向かっているはずだ。彼らに囲まれたら終わる。

 それでも行くしかない。見下ろすと、リフトを使って上がってくる警備隊のアサルトフレームがいる。もう時間はない。意を決して雄一郎は大部屋へ突っ込んだ。シャフトの出口はコンテナを積んだ列車に挟まれていて、上手く姿を隠すことが出来た。雄一郎はバルコのチャンネルを開いて叫ぶ。


「対電子スモークを焚け、今すぐ!」


 チャンドラかアレクシスか、あるいは両方か。すぐに応じてスモーク弾を射出する。大部屋に煙が充満するまでの短い間に、雄一郎は四方八方にカメラを射出して周囲の様子を伺う。


『穴を昇ってきなさい、吉井さん!』


 パチパチというノイズの向こうに、チャンドラの声が遠ざかっていく。対電子スモークは視界を覆うと同時に、音と通信を断つ兵器だ。巻き込まれたパイロットたちは目と耳を塞がれる。


『そこはすぐ――セルゲイ達に囲まれ――』


 乱れるカメラの映像が、縦穴の底に降り立った機体の姿をかろうじて映す。すぐにスモークの向こうへ消えていったが、見間違えようがない、かつて夢に出るほど分析を重ねた機体、アイアン・イーグルだ。



『目標は144番シャフトをあがってくる、行き先はS4区画の大部屋だ。先ほど指示した通り、アサルトフレームは半数が地下へ潜り、先回りして目標を包囲せよ。残り半数は縦穴周辺を死守、地下へ行く者の退路を確保せよ。恐れるな、核はもう処理された』


 ランスの命令を聞いているセルゲイの傍に、ミサイルの破片らしきものがパラパラと落ちてきた。沖のバルコ艦隊が撃ったものか、それとも北の陣地から連邦軍が撃った迎撃ミサイルか。どちらにせよ、そんなものが雨のように降ってくるなら、本来は地上部隊が居ていい場所ではない。

 吉井が地下に潜ってからは砲撃の着弾も増えてきた。戦場に留まっていられる時間はあと十分もないだろう。S4区画の大部屋へ降る縦穴を挟み、犠牲になることが前提のドローン達がぶつけ合う戦列のすぐ傍。廃ビルの陰に隠れて輸送用の六足型から補給を受けていると、ジュリアンから通信が来た。彼自身もジャマーを起動しているので、不便でもレーザー通信を使うしかない。


『アブドルとイーサン、エイブラハムが地下に伏せてる』

「解った」

『行かなくて大丈夫か?』

「お前だから、そこを任せる」

『それ正解』


 ジュリアンは縦穴に入ろうとするバルコの四足型を狙撃した。アイアン・イーグルはビッグ・ピラーと最後にもう一度視線を交わし、低くジャンプしてからスラスターを吹かして、穴の中へ真っ逆さまに降下していく。


「……」


 着地とほぼ同時に煙が立ち込めた。対電子スモークだ。これを使った目晦まし戦術は、日々進歩していくドローンに対抗するため、セルゲイが編み出した。機体全身の微細な吸排気口を開き、流れる空気に人工神経を晒す。

 アサルトフレームやパワードスーツは強い力を備えるだけでなく、必要な部位には神経が密集し優秀なセンサーとしても機能する。パイロットは視覚にズームを掛けるように、任意のタイミングで触覚や嗅覚を強化できる。どんな生物よりも鋭いそれらが、セルゲイの脳に周囲の情報を伝えてくる。


――アブドルたちが動き出した。


 スモークはパチパチという激しい音を発するため、小さな物音はかき消されてしまう。しかし地面から伝わってくる振動と轟く銃声は、慣れ親しんだリズムを刻んでいる。セルゲイの脳裏には、右往左往するドローンを仕留めていく教え子たちの姿が映っている。コストを絞られたドローンに搭載するには、使い道の限られた曲芸に近い技術だ。少なくとも煙の中では、まだ人間が有利で居られるだろう。


――そして、この気配が……奴だな。


 待機状態にあるスラスターが発する独特のにおい。距離は十メートル足らずだが、敵はコンテナの陰に隠れていると、歪な空気の流れが教えてくれる。足裏の車輪を転がし、無音のままじりじりと距離を詰める。コンテナを挟んで隣接したところでスラスターを空吹かすと、音に反応した敵の身構える気配がした。


――剣か、しかし……。


 ショックブレードの唸り声が微かに聞こえた。敵が煙の中でも「みえる」使い手なのは想定内だ。こちらの隙をついて格闘戦に持ち込み、押しのけ、縦穴への活路を開くつもりなのだろう。

 セルゲイも剣を手にかけた。殺すよりも生け捕りのほうがいいのは確かだ。そのためにはショックブレードで膝を割るのが一番確実である。一歩踏み出そうとした次の瞬間、ニキータからの報告を思い出す。


――クロスレンジに入るな、か。


 アブドル達は邪魔なドローンを処理しながら此方へ向かっている。仮にクロスオーメンを使われパワードスーツ戦へ持ち込まれても四対一、恐れる理由はないし、恐れてはならない。それでもあえて警戒するとしたら、やはりクロスオーメンだ。こちらがアサルトフレームを失い、かつ敵のアサルトフレームが健在なら脱出を許してしまうだろう。


「……」


 ドローンの処理を終えたアブドルたちが、気配を殺してこちらに向かってくる。縦穴を背に、コンテナの裏側に居る敵を扇形に包囲しようとする。言葉を交わさずとも、互いにどう動くべきかを隊員たちは知っている。

 それをセルゲイは制止した。スピーカーの音量を最大にして叫ぶ。


「散れ!!」


 その瞬間、クロスオーメンが起動した。素早く飛び退いたセルゲイ以外は球体に巻き込まれてしまう。

 空気が伝えてくる情報には光と違って時間差がある。強化された五感を過信せず、絶えず予測をしなければならない。敵は機体から降り、風よりも早くセルゲイたちの足下に滑り込んでいたのだ。セルゲイ達だけをクロスオーメンに巻き込むために。


――と言うことは、奴の機体は今……。


 主を失い、がら空き。そこを撃つためにセルゲイは跳んだ。跳びながら叫んだ。


「ハッチを開けるな!!」


 叫びながら右手のアサルトライフルを、左手の盾で庇った。直後にすぐ近くで爆発が起きる。

 手投げ弾だ。爆風程度でアサルトフレームにダメージを与えようと思うなら、輸送ヘリからの爆弾投下が必要だが、パワードスーツにとっては手投げ弾も危険な武器である。


――にしても、少し買い被ったか。


 爆発はこけおどしと言っていい規模だった。これならパワードスーツに直撃しても致命傷にはならない。武装を極端に削ったスーツだというニキータの報告が脳裏を過ぎる。防御のタイムロスを後悔しながら銃を撃つが、聞こえてきたのは跳弾の音だ。既に呑山は動き出している。


――まぁ、いい。


 いずれにせよ、敵は肝心なところで詰めが甘かった。一目散に逃げる呑山をセルゲイは追う。登る縦穴は直径五十メートル、深さは二百メートル余り。

 死の螺旋を描くには、十分すぎる。



『上がってきた、チャンドラ、上がってきたよ!!』


 縦穴の底に淀むスモークの中から呑山が現れた。壁を蹴りながら必死の様子で登ってくる。目指す地上には公園の跡地が広がり、そこを挟んで対峙する両軍がドローンの残骸を大量に積みながらも、縦穴の壁面にカメラを張り付けることに成功していた。


『ハッチが外れてる……クロスオーメンを使ったな』

「でもセルゲイには躱されたのね」


 なので呑山に追い縋るアイアン・イーグルの姿を、ランスも見ているだろう。五十メートル以下の至近距離から撃ち合う二機。常識で考えればすぐ共倒れとなって落ちていくはずが、マズルフラッシュと銃声は途切れることがない。

 ただし追い詰められているのは呑山だ。僅かながら上を取って有利のはずが、見る間に繊維装甲は弾け、人工筋肉が黒い血を流している。視界確保のためハッチを外したせいで機体制御が万全ではない。そもそも視界も万全ではない。


「火力支援をするわ」

『でも、どうやって? というか、どこに?』


 ドローンは遮蔽物の乏しい公園跡を渡れない。敵の的となり、両軍とも多くの残骸を晒している。ミサイルなどの支援砲火で敵を退かせようにも、敵方の対空レーザーや迎撃ミサイルはこの区画の守りに徹していて今すぐ破れるものではなく、その元凶である北の連邦陣地を制圧するには時間が足りない。

 いま敵の対空防御を突破できるのは重量弾の砲撃だが、着弾まで時間が掛かるため、ドローンやアサルトフレームに当たるものではない。それどころか新たな瓦礫を生んで、味方の射線を遮ることになる。


「公園を砲撃します。縦穴の近くギリギリを、吉井さんが出てくる寸前まで、絶え間なく」

『……何のために?』

「セルゲイを圧すのよ」


 雄一郎ははっきりと言っていた。アサルトフレーム戦でセルゲイには勝てない、勝ち目はない。

 だがもし彼に隙があるとしたら、その疲れ切った心だと。



 縦穴の底を発ってから十数秒、高度三十メートル。セルゲイは狩りの行程を着々と消化していた。

 撃った弾が百二十発に対して、撃たれたのは八十四発。こちらの被弾はゼロだが向こうは機体に十四発受けている。この調子なら高度百五十メートルへ達するまでには確実に仕留められる。


『公園は激戦だ。仕留めたら別の穴から出てこい。お前たちを回収したら、そのまま連邦軍は撤退する』

「了解」


 ランスと話す間にも三発、敵に弾丸が吸い込まれた。敵は態勢を立て直そうとスラスターを吹かし、素早く壁を蹴って上昇する。滴る黒い血液が、壁面の非常灯に飛び散った次の瞬間、それが霧散するほど強い振動が縦穴を襲った。


――砲撃?


 遅れて土砂が雨のように降ってくる。洋上の艦隊から相当な重量弾が飛んでいるらしい。今回の作戦に連邦はそうした武装を用意していないので、バルコの仕業である。

 ノイズにまみれたジュリアンの声が聞こえてくる。


『さっさと仕留めろ! 穴に放り込まれるぞ! ……畜生、なんて女だ!』


 セルゲイは舌打ちして、壁面に貼りつくカメラの群れを見た。放り込まれるのは急いで仕留めた後ではないのか? 砲撃は今のところ脅しだが、吉井が死ねば脅しで済ませる必要はない。彼に生還の見込みが無くなれば、砲撃は縦穴の中を狙うようになるだろう。では初めの報復が飛んでくるまで、何秒猶予があるだろう。あと五秒か、十秒か。

 そもそも吉井など、バルコにとっても捨て駒ではないのか?


「ぐっ……」


 そんな事を考えていたら、目の前の敵に撃たれた。被弾するのはずいぶん久しぶりのことだ。今まで戦ってきた中で、段違いに最強の敵。しかし相手はたった一機だ。今より厳しい状況は星の数ほどあった。高さ七十メートル。


――詰めが甘かったのは、俺の方か。


 当初の見込みより早く、高さ百二十メートルに達するころには、仕留めるまであと一押しのところに来ていた。しかし百二十メートル下の底がずいぶん遠く感じられるのは、チャンドラの砲撃を恐れているからだ。

 以前の自分なら恐れたりしない。しかし「以前」というのが一体どれくらい前なのか、セルゲイ自身にさえもう解らない。


「……地下に残った隊員を回収して、別の穴から撤退する」

『セルゲイ! 貴様――』

「これ以上は危険だ」


 壁に右手足をつき、スラスターを吹かすのを止めた。そのまま滑り降りながら、生き延びるために必死で壁を昇っていく敵を、何の感慨もなく見送った。

 自分はもう、戦士ではないと思った。

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クロス・オーメン 荻原功 @oghr

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