村を救った蛙の話②

 ずぶ濡れの弥壱が村長の家に着いた時、そのただならぬ様子に、彼の両親は下の子ども達に何かあったのかと狼狽えた。


 しかし弥壱が、そうではないと必死に呼吸を整えながら桶を差し出すと、両親も、また、その場にいた大人達も、皆一様に首を傾げた。

 恭しく差し出されたその桶の中にはただの蛙が一匹、ただ悠々と泳いでいるだけだったからだ。


 その反応に納得がいかないのは弥壱である。


「おおい、蛙様。もう一回しゃべってくれよう。さっきオイラの目の前でしゃべってくれたろう」


 必死に語りかけながら優しく揺すってみると、その青い蛙は瞼を半開にし、弥壱を見つめた。何だか「面倒くさい」とでも言うかのように。


「なぁ、頼むよ。このままじゃオイラただの痴れ者だよ。この通り、この通り」


 今度は甘えたような声で必死に懇願してみる。すると、蛙は、ぱか、と大きく口を開けた。


「すはすは、すはるる。らふら。らふるや」


 これには一同「おお」とおののいた。安堵の表情を浮かべているのは弥壱のみである。


「あぁ助かった。ありがとう、蛙様」


 桶にほおずりまでし始めた我が息子を、両親はまるで恐ろしいものでも見るような目つきで見つめた。


「村長、もしやこの蛙は仏様の御使いの者では」


 そう言ったのは、弥壱の家の近くに住む老婆だった。息子と娘を流行り病で亡くし、亭主はというと足を悪くして、いまは寝たきりである。こういった寄り合いには彼女が参加するしかないのだ。


 彼女の発言に大人達はどよめいた。まさか、こんな小さな蛙が、と。


 しかし、そのが、意味はまったくわからないとはいえ、言葉を発したのだ。そうなると、下手に通じる言葉をしゃべるよりも何だか妙に信憑性がある。そうだ、仏様のような有難い方が下賤な我々と同じ言葉をしゃべるわけがない。ならばこの蛙も同様であろう。


「きっと仏様がこの雨に苦しんでいる我らのために使いを寄越したのだ。これは丁重におもてなしをしなければなるまいぞ。満足いただければきっとこの雨を止めてくださるはずだ」


 村長のその言葉で大人達と弥壱はお互いを見つめ何度も何度も頷いた。やり遂げてみせる。そんな強い決意で。



 その明くる日から、仏様の御使いである青蛙へのもてなしが始まった。


 弥壱の家の粗末な桶ではなく、村長の家にあった立派な漆塗りの大盃に移され、中の水もこまめに変えられた。川の水は濁ってしまっていたため、わざわざ遠出して、湧き水を汲み、それを入れた。

 とはいえそれも、元を正せば雨水なのだが、というのが重要なのである。


 仏様の御使いということは、つまり、ただの蛙ではなく、神通力を持った生き物であるわけだから、多少の酒を供えるのは当然だろうと、誰かが言い出した。それにかこつけて己が酒を飲みたいだけなのではないかと指摘する者はいなかった。

 有事に備えてと晩酌を控えていた村人は、仏様にお供えした酒は飲まぬ方が失礼だという大義名分を手にし、蛙を囲んで飲むようになった。大盃の中に、数滴酒を垂らすと、蛙はその方へと泳ぎ、まるで喜んでいるかのようにその辺りをぐるぐると泳いだ。

 ほうら見ろ、やはり蛙様は酒が好きなのだ、仏様の御使いなのだと、大人達はそのおこぼれにあずかって堂々と飲んだ。


 雨は相変わらず降っていたが、何となく、その量が減ってきたようである。ごくわずかな時間ではあったが、太陽が顔を出したりもした。


 これはいけるぞ。


 村人達はそう思った。自分達のもてなしが功を奏したのだと。



 もてなしも五日を過ぎた頃だった。

 蛙は目に見えて弱ってきた。連日の酒が効いたのだろうか。

 いくら仏様の御使いといえども、少々飲ませ過ぎたかと、その日は水の中には何も入れなかった。


「ふる、ひやすはふら。ふらなふや、やはむ」


 蛙は水面から顔を出し、悲痛そうにそう言った。


「蛙様、どうなされた」


 慌てて村長が問い掛けるもやはり意味はまったくわからない。


「ふる、ほほほふらなる。るるふうらう、るるふうらう」

「ううむ、まったくわからぬ。何か欲しいものでもございますか? 酒でございましょうか?」

「やふやふ」

「だいぶ弱っているようだ。もしかしたらもうすぐ仏様のところへお帰りなされるのかもしれない」

「成る程」


 この場合の『仏様のところへお帰りになる』というのは、つまりは死ぬということである。人は死ねば仏様のところへ行くのだと考えられていたからだ。


「そういうことであれば、たんとお飲みくだされ」


 村長がその大盃へいつもよりも多くの酒を注いだ。蛙はやはり一目散にその方へと泳ぎ、頭から酒を浴びた。その時である。


 止んだのだ。

 雨が、ぴたりと。


 最初に気付いたのは子ども達だった。

 

「止んだ止んだ」

「雨が止んだ」

「お天道様だ」


 その可愛らしい声につられて大人達は皆外へ出た。どんよりとした雨雲はきれいさっぱり姿を消し、目も眩むような太陽がかっかと燃えている。空は、あの蛙のような美しい青色だった。


 その空を見て思い出したように弥壱が蛙の元へ戻ると、その仏様の御使いは、並々と注がれた酒の中、仰向けになって死んでいた。


 弥壱はそれをしばらくぼぅっと見ていたが、その蛙はふわりと中に浮かぶと、天井にぶつかるか、というところでカッとまばゆく光った。思わず目を瞑り、次にその瞼を開いた時、あの美しい青蛙は消えていた。


「蛙様、ありがとうございました」


 天井に向かって手を合わせ、弥壱は深く頭を下げた。


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