村を救った蛙の話、あるいはある転生者の末路
宇部 松清
村を救った蛙の話①
ある貧しい農村での話である。
その村ではある時から、雨がまったく止まなくなってしまった。
黒く分厚い雲が、空をすっぽりと覆ってしまい、しとしとしとしとと日がな一日降り続けるのである。
恵みの雨、なんていうけれども、さすがにそれは度がすぎる。
豪雨というわけではなかったし、粒もそう大きくはないのだが、ただただ、ひっきりなしにしとしとと降り続けていた。このままでは作物はすべて駄目になってしまうだろうし、家屋だって粗末な作りなので、雨漏りなんかはかなり早い段階で住民達を悩ませた。
しとしと。しとしと。
梅雨時でもないのになぜこんなにも雨が降るのか。
夜になると、大人達は村長の家に集まってこれからのことを話し合った。その時の弥壱はというと、自分よりも小さい弟と妹が濡れないように、新たな雨漏りが発生していないか桶を持って狭い家中を歩き回っていた。
弥壱は濡れた床を拭きながら、いくら大人といえども、この雨をどうにか出来るわけがないと思っていた。
大人というのは子どもにとってはある意味仏様のような存在だ。腹が減ればどこからか飯を用意してくれるし、着物の穴もきれいに繕ってくれる。自分一人では到底持ち上げられないようなものを軽々と担いでみせたりもし、毒のある実やらキノコまで知っている。
けれども、こればかりは。
仏様のような存在では駄目なのだ。自然を相手にするならば、それはもう本当の仏様でないと。
しとしと。しとしと。
ぴちょり。ぴちょん。
たまたま置いていた桶の中に雨粒が落ちる音がした。見上げても穴なんか見えるわけがないし、見えたところで弥壱にはそれを塞ぐ術はない。それでもついどの辺りだろうかと見てしまう。
その時。
「――うわっ」
天井から垂れた雨粒が弥壱の左目に落ちた。
慌てて袖で拭うも雫は完全に目の中に落ちてしまっている。その場から離れ、しばらく瞬きを繰り返す。これといって問題はないようだった。
しとしと、しとしと。
ぴちょり、ぴちょん。
しとしと、しとしと。
ぴちょり、ぴちょん。
少しの間、弥壱はその桶の中に雨粒が落ちていく様子をじっと見ていた。父さんも母さんも早く帰って来ないかな、などと考えながら。隣の部屋の弟妹達が気になって、四つん這いの姿勢になり、後ろのふすまに手をかけた時だった。
――ぼちゃん。
明らかにそれまでとは違う音だった。
大きめの魚でも落ちたかと思うような音だった。
「何だ?」
音は桶の方から聞こえた。
けれども、桶の中の水は大して溜まっているわけでもなかったはずだ。あの音はもっと深さのある水の中に落ちたような感じだったが。
そうは思うものの、音はその――桶の方から聞こえたのである。
弥壱は四つん這いのまま、恐る恐る桶に近付いてその中を覗き込んだ。
「まさか……」
桶の中はいつの間にやらたっぷりの水で満たされていた。雨水……とは思えないが、それしか考えられない。
ついさっきまでは桶の中で小さな水溜りを作っていた程度だったはずなのに。
そして、そのなみなみとした雨水の中を、一匹の蛙が悠々と泳いでいた。
「お前が落っこちてきたのか?」
とりあえず問い掛けてみる。もちろん、答えなぞ返ってくるわけがないことくらいわかってはいたが。
蛙は一度弥壱をちらりと見たが、すぐにまたぷいと前を向いて、すいすい、すいすいと泳ぎ始めた。
しとしと、しとしと。
しとしと、しとしと。
「困ったなぁ、タツは蛙が苦手なんだよなぁ」
タツというのは3つになったばかりの一番下の妹である。
「でもさ、オイラは好きだぜ、蛙。お前達って、泳ぐの上手だしな。それに、なかなかの別嬪だ」
桶の中の蛙は、弥壱がいままで見た中でも一番きれいな青色をしていた。澄みきった空のような色だった。
「お天道様がさ、最近じゃあとんとご無沙汰なんだよ。お前はそっちの方が良いんだろうけどさ。このままじゃ村の皆、ふやけちまう」
わざと軽い調子で言って、ははは、と笑う。そうでもしないとこの空よりどんよりと暗い気持ちになってしまうからだ。人の心だけは仏様にだって手出し出来るものか。弥壱はいつもそう思っていた。
「ふるるすほ。らふら。らふら」
「――何?」
蛙がしゃべった。
その上、その意味は全くわからない。
まんまるの目でじっと弥壱を見つめ、尚も「ふるるすほ。らふら。らふら」とのたまった。
もしかして、これは仏様の使いなのではないか。
しゃべるはずのない生き物がしゃべったのだ。ということは、つまり、そういうことなのだろう。
弥壱は隣の部屋の弟妹達がぐっすり眠っていることを確認してから、しとしとと降り続ける雨の中、桶を大事に抱えて家を飛び出した。
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