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 深夜零時の研究室。

 

「それじゃあ巴子くん。今日も戸締りよろしくね」

 

 そういって、最後の一人がいなくなった。

 作業が終わり、巴子は暗い室内にまた一人になった。

 この時を待っていたのだ。

 

 ――さぁ、今日も日課をこなそう。


 研究室の大きな窓をあける。

 それは部屋の空気を換気するためでも、ましてや星をみるためでもない。風を感じるためでもなかった。


「――今日も来てくれたのね」


 巴子にはもう妖精の姿が見えていた。

 妖精は人ではなく、蝶の姿をしていた。

 妖精の羽根はねは、蝶のはねだった。


 ひらひらと舞う、綺麗な蝶。

 たった一羽だけで夜の街灯に揺蕩っている。

 群れからはぐれて、どうしていいかわからない。

 どこにいけばいいかわからない。

 そんな不安げな印象。

 

 そのあり方は、まるで巴子自身を見ているかのようだった。

 蝶も気付いたのか、巴子の方にゆっくりと近づいてきた。


「こんばんは、妖精さん」


 はばたきの羽音も、肩にかかる重さも、ほのかな温もりも、今は目に視える本物だった。

 あぁそういえば、とそこで巴子は思い出す。

 記憶の奥底の――自分でも忘れてしまっていた秘密の宝物を偶然にも見つけたような。

 そんな朧げな感覚で、

 

 昔、聞いたことがあった。

 

 

 春に羽ばたく青い翅は、人の魂の輝きで。

 そんなにも人の魂は美しいのだと。

 

 ――ずっと、どうにかして欲しいと思っていた。

 

 巴子はそれを妖精に願い続けていた。

 けれど、この『私』が蛹なら、美しい蝶になればいいだけだったことだったのだ。

 妖精は人の形をしていなかった。

 それはきっと、人という期間が蛹に過ぎないからだろう。その時期を乗り越えてこそ蝶になれるのだ。

 

 飛び立つのなら今しかない。

 妖精が迎えにきたこの瞬間しかない。

 煩わしい『私』がいない。そんな世界があることを、巴子はもう知っている。

 答えは初めから用意されていた。

 

 窓枠に足をかけ、彼女はたしかな意識で。紛れもない自分の意思で――飛んだ。

 


 幻想そらへと落ちていく浮遊感。

 それと対照に、徐々に近づいていく現実ちじょう

 

 だけど確信があった。

 これは羽化。

 蛹から蝶になるための飛翔。

 

 ――真っ赤な花を咲かせた後に、キレイな蝶が飛び立っていく。

 どこか遠くへ。

 ここではない遥か遠くに向けて。

 

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