波紋
物事の見え方は、一通りではない。ある人が見た時の捉え方とまた別な人が見たときの捉え方が全く違うというのは、往々にしてあることだ。そう考えると、我々人類にいさかいが絶えないのも無理のない話なのかもしれない。世界恒久平和の道程はまだまだ長い。気長に達成されるのを待つつもりではあるが、せめて死ぬ前に、全人類が手を取り合って生きていけるような世界が訪れることを願う。なかなか無理そうではあるが。
質実剛健を校訓に掲げる我が、神宮かみのみや高校は、進学実績も去ることながら、放課後の部活動も大変盛んである。
高校の部活の花形と言えば、幾分か下火になったとは言えど、高校球児達が繰り広げる野球であろう。予選には受験を控える三年生も応援に行き、教職員も野球部の試合結果を気にする。
そんな球児たちの声が校庭に響き、それに合わせるように他の部活動の声が聞こえてくる。
もちろん盛んなのは運動部だけではない。一部の文化部の練習の雰囲気は体育会系そのものである。夏の暑さが残る九月、練習を終えた俺はウォーターサーバーで水を飲みながら、そのような激しい文化部の一つである、演劇部の面々を俺は見ていた。
上級生の厳しい声が飛び、下級生が縮こまっている。こう言う情景を見ると、いつも思うのだが、萎縮してしまうような雰囲気は部活をする上で役に立たない、むしろ害悪であると。
だからといって俺は、声を張り上げる御仁に、提言することもなく静かに見ているだけなのだが。
しかし、糾弾するような声の、話の内容を聞くに、ことはそう単純なものではないようだ。
「いったい誰なの!正直に名乗りでなさい」
上級生が言う。どうやら誰かが何か良からぬことをしたらしい。
「人のものを盗るなんて、最低よ。人間性を疑うわ」
窃盗か、物騒だねえ。ぎゃんぎゃん騒いでいるのはおそらく、ものをとられたとか言う御仁なのだろう。ことがことなだけに周りの上級生らしき人達も、彼女をなだめられないでいる。
それにしても、この学校ではよく窃盗が起こるなあと思う。俺が知っている限りで、携帯電話の窃盗と、佐藤の二つの件とで三つも今年のうちに起きている。どうにもこの学校は俺に平穏な高校生活を送らせたくないようだな。
それはそれとして、目の前で起きている事件が俺に飛び火しないうちに、さっさっとずらかろうと思い、足早に水のみ場を後にした。
犬も歩けば棒に当たるとはよく言ったものだが、棒が見えても避けてしまえばいいのだ。たとえぶつかったとしても、後ろに下がり、頭をさすりながら、一歩横にずれればうまくすり抜けられるものである。演劇部内で問題が起ころうと、所詮部外者でしかない俺は関わらなくていいはずであるし、関わろうとしても(もちろんそんな気は全く無いが)関係者はいい顔をしないだろう。
高校入学以降、数々の問題に仕方なく巻き込まれてきた俺ではあるが、未だに、平穏な高校生活を諦めてはいないのだ。
部室に戻り、着替えを済ませ、少し休憩をとってから、いざ帰ろうとしたところ、雄清が部室へとやって来た。
「よかった、太郎、帰ってなくて」
「今帰るところだ。山岳部員は暇ではないのだ」
「それはごもっとも。でも帰る前に少し手伝ってほしいことがあるんだけど」
「……何だ」
「実はちょっと問題が起きてね」
「演劇部の話じゃないだろうな」
「知ってるのかい?なら話が早い」
俺はようやく悟った。棒に頭をぶつけてしまえば、決してそれから逃れることはできないのだと言うことを。
「犯人見つけろってか?」
「まあ大体そんな感じだけど、ちょっと違うかな」
「何だよ」
「かわいそうな、無垢な市民を救ってほしいのさ」
雄清曰く、演劇部の二年生の鞄が紛失し、ある一年生の演劇部員に嫌疑がかけられているらしいんだが、雄清と同じく生徒会執行部の構成員であるその一年生は普段の生活態度から見るに、到底そのようなことをする人物ではないらしい。本人も犯行を認めてはいないのだが、部内でアリバイがなく、かつ、犯行時刻と予想された時間に、盗難場所へ近づいた人間が他にいなかったために、その一年生が犯人として疑われているらしい。
「盗まれた鞄は大きいのか?」
「そう、聞いてるよ。多分僕や太郎のザックと同じくらいの大きさだと思う。色はピンクだったかな」
「鞄は今どこにある?」
「それがわかんないんだよ」
「ふーむ」
俺はその容疑者の子のことを知らないが、雄清が信を置くからには、それなりに誠実な人間なのだろう。もちろん雄清に言われるがまま、その生徒を完全に白だとするのは早計だが、とりあえずはその生徒が犯人ではないと仮定して考えよう。
「太郎、助けてくれるのかい?」
「一応考えてはみるが」
「頼むよ、女傑のご意向でもあるからね」
「京子先輩か」
綿貫の従姉、綿貫京子は執行部のトップだ。執行委員の一人が濡れ衣を着せられるのを黙って見てはいられないのだろう。京子先輩に頼まれるからと言って張り切る俺ではないが、いい加減な仕事はできないなと思った。
「まあとりあえず、現場を見に行こうか」
「そうだな」
雄清と二人で、演劇部の活動場所である体育館へと向かった。
体育館の入り口に行くと、京子先輩が立っていた。
「深山君来たね。また君たちに手伝ってもらうことになったが、よろしく頼むよ」
もはや問題に首を突っ込まざるを得ない段階に来ていたのは分かっていたが、何となく、言われるがままに手伝うのが少し癪に障ったので皮肉を言ってみたくなった。
「京子先輩、勘弁して下さいよ。俺たちは推理クラブじゃないんですよ」
「おや、もう女史とは呼んでくれないのか?」
「あなたが周りに特別視されることを嫌っていたからですよ。というか話をそらさないでください。他の事ならまだしもどうして俺たち山岳部が警察のまねごとをしなければならないのですか」
「おかしいな。さやかは確か、君がこういうのは得意だと言っていたんだが。それに」
そういって、京子さんは俺の耳元に口を近づけて、
「山本君は君がさやかと旅行したことを知らないんだろう。君がこの件に役に立つと判断した理由を詳しく話さなくてはならないのだとしたら、そのことも言わないと…」
と意味ありげに目配せをしてくる。ばらされたくなかったら素直に従えという事か。前々から思っていたことだが、同じ綿貫家の人間でありながら、綿貫さやかと京子先輩とでは性格が全く違う。
結局こき使われている点では同じなのだが。
「分かりましたよ。手伝えばいいんでしょう」
「よろしく頼む」
全くこの御人は。
雄清は俺と京子先輩との会話を不自然に感じたようで、
「何の話をされたんだい?」
「別に、簡単な取引さ」
「なんだよ」
「それは言わん」
親切にしたことがかえって足かせとなるとは、全く辛い世の中である。
「それで現場はどこですか?」
「上手袖だ。来てくれ」
京子先輩が体育館のステージ側に向かったので、俺たち二人も後ろに続く。
上手袖に入ると演劇部員と思われる面々が何人か詰めていて、先ほど俺が見た、声を張り上げていた二年の女子生徒もいた。
「あんたがやったってのはもう分かっているのよ。私の鞄をどこにやったのか早く言いなさいよ」
「私本当に何も知らないんです。信じて下さい」
どうやら嫌疑をかけられた執行委員というのはこの女子生徒らしい。
「嘘よ!」
ああ、そんな興奮するなよ。と俺は思いながら、どうしたものかと京子先輩の方を見る。すると、京子先輩が来たことに気付いたある演劇部員(おそらく二年生の)が、被害者に耳打ちする。
「執行委員長が来ましたよ」
すると、その被害者はこちらを見て、
「これはこれは、綿貫委員長様。執行部が何の御用件ですか?」
なるほど、俺の苦手なタイプだ。嫌味な感じがにじみ出ている。誰が鞄を盗んだのか知らないが、そいつの気持ちも少しわかる気がする。京子先輩はその被害者に向かって言う。
「あなた演劇部の部長さんよね」
ほう、被害者が部長とは、この部活、相当情勢が、崩れているな。
「ええ」
「演劇部のマネージャーさんから頼まれて仲裁に入ってほしいと言われたんだけど、何も聞いてないのかしら?」
その部長は、先ほど耳打ちをした女子生徒の方を見る。その生徒(多分マネージャー)はうなずく。そして、マネージャーに向かって演劇部部長は尋ねる。
「なんで部外者を呼んだのよ」
「だって」
「執行部ではなく、風紀委員が介入したら、演劇部は活動停止。発表会前のあなたたちにとってそれは一大事よね。そうでしょう、マネージャーさん」
「はい」
「でもわざわざ執行部を、呼ぶ必要ないじゃない。犯人はもう出ているんだし」
「部長さん、お名前は確か、北村さんでしたよね」
「ええ」
「北村さん、それはフェアじゃないわよ。彼女弁護人もいないでしょう」
「弁護人なんて馬鹿らしい。答えは明確よ。そこの一年生が私の鞄を隠した。それ以上でもそれ以下でもないわ」
マネージャーが北村にまた耳打ちをする。
「部長、あまり執行部にたてつくと、後々困りますよ」
「何言ってんのよ、みんな女傑、女傑って囃し立てて、馬鹿みたい。どこが怖いのよ」
全部聞こえているんだが。
俺は恐る恐る京子先輩の方を見る。恐ろしいほどににこやかな顔をしている。この人は本当に怖いんだぞと北村に怒鳴ってやりたい。
マネージャーはめげずに説得を続ける。
「でも、もし本当に陽菜ちゃんが犯人じゃなかったらどうするんですか。風紀委員に知られたら本当に活動停止になってしまいますよ」
どうやら疑いをかけられている一年生は陽菜という名前らしい。
俺は校内の生徒会の仕組みを良く知らないが、どうやら、もめ事を解決するのは本来風紀委員会の仕事らしくて、風紀委員が介入するような事態になればその団体は多かれ少なかれ活動停止になるようだ。どんな問題も許さないという事らしい。普段ならば各部活は問題が起きたとしても部内でもみ消そうとするのだろうが、このマネージャーさんはどうやら陽菜ちゃんとやらが犯人ではないと思っているらしい。しかし、面と向かって部長と対立する気にはならず、かつ活動停止も避けたいので、執行部に泣きすがったというところか。
京子先輩が俺に「私が話を聞くから、君は他に犯人がいそうにないか考えてくれ。もし他に知りたいことがあったら言うと良い」と言った後に演劇部部長と話を始める。
「では、問題の整理をしましょうか。鞄があったのは上手袖でいい?」
「ええ」
部長は不承不承といった感じであったが、京子先輩と話をすることを受け入れたようだ。
「鞄が確かにあったのは何時まで?」
「私がここに来て、置いた時よ。部活の開始時刻に出たから、四時だったかしら?」
そう言って演劇部のマネージャーのほうを向く。
「はい、確かに四時でした」
「それであなたが陽菜を犯人だと考える理由は?」
「この子が一人で上手袖に入って行ったのを見たからよ」
「それは何時?」
陽菜が答える。
「上手袖を出たのは四時五分です。委員会が長引いて部活の開始に遅れてしまったんです」
「それは確かに正確な時間なの?」
京子先輩は陽菜に聞きなおす。
「はい。上手袖のあの時計を見ましたから」
陽菜が指さすその先には壁に掛かった時計があった。京子先輩はその時計の時刻と自分の腕時計の時刻を見比べる。俺も同様に確かめたが、時間は一致している。
「それがおかしいって言ってんのよ。あんたが舞台に出てきたのは、とても私たちの五分後だったとは思えないわ」
このイライラしやすそうな部長が実際の五分を、十分や、十五分のように感じてしまうというのはありそうなことだと思うのだが。
京子先輩は冷静に、
「ステージ横にある時計で確認しなかったの?」
「舞台からじゃ時計は見えないのよ。確かめてごらんなさいよ」
京子先輩が舞台に出て、俺と雄清もそれに続いた。
確かに舞台横にある時計は舞台の下に降りなければ、見ることはできなかった。
上手袖に戻って、京子先輩は質問を続ける。
「陽菜が出た時に部長さんの鞄はあった?」
「ごめんなさい。よく見ていないんです。急いでいましたから」
京子先輩は少し考え込むようにして、
「北村さん。それだけで陽菜を犯人と決めるのは少し乱暴じゃないかしら」
「じゃあ、他に誰が出来たっていうのよ。もし誰かが他に上手袖に入ったら、絶対わかるわよ。私ずっと上手袖の前にいたんだから」
「あらそう。それで無くなったことに気付いたのは何時なの?」
「四時半に休憩に入った時よ」
「舞台袖に入るのに、別に舞台に上がる必要はないわよね。ほら舞台の下からでも扉を通って」
「それもないわ。この子に聞いてよ」
北村はその場にいた、一人の女子生徒を京子先輩の前に連れてくる。
「あなたは?」
「バスケ部のマネージャーです」
「どうしてあなたが舞台袖に誰も入らなかったことが分かるの?」
「はい、私ずっと扉の前に座ってましたから」
「四時前にも誰も入らなかった?」
「はい、入りました。三時五十分に出てきた人がいます」
「よく細かい時間まで覚えていたわね」
「はい、その人に時間を聞かれたので。……四時十分前ねって、確認もされましたから」
「四時以降に上手袖に入った人はいないわけね」
「はいそうです」
すると、北村が勝ち誇ったように言う。
「ほら、犯人は陽菜しかいないじゃない」
京子先輩は軽くスルーして、
「ところで、上手袖は全部探したのかしら。結構雑然としているけど」
「探したわよ。隈なく」
「もう一回探してみたら?」
「ふん」
そう言って、北村は上手袖をもう一度探し始める。いや正確には探させるというべきか。俺たちも一緒に袖を見回る。それなりに大きい鞄だと聞いていたから、ありそうな場所を見るのにそれほど時間はかからなかった。
探していて、時計の下の床のみがきれいに拭かれていたことに気付いた。何とも適当な掃除の仕方だ。どうせ拭くなら、全体を万遍なくやればよいのに。
一通り見回ってから、京子先輩は、俺と雄清を手招きして体育館の外に連れ出した。
「どうだ、深山君」
「どうといわれましてもねえ」
「陽菜が犯人だと思うか?」
「あなたはそうは思っていないんでしょう」
「そうだが、君の客観的な意見が聞きたい」
「……ちょっと来てもらえますか?」
俺は雄清と京子先輩を連れて、体育館の北側、上手袖の外側に向かった。体育館の北側は垣根があり、すぐそこに道路がある。他には何もないので、普段は人気のない所だ。ちょうど上手袖の横あたりに来て俺は立ち止った。
「犯人が誰かはまだわかりませんが、陽菜や他の人が部長の鞄を持って上手袖から出てきていない以上、鞄は窓から出入りしたことになります」
「だけど太郎、何もないじゃないか」
「鞄を窓の近くに捨て置く道理はないだろう」
「ああそっか。……それなら、犯人が上手袖に入るところを誰にも見られずに鞄を盗めるね」
「だが、それには問題がある」
「何が?」
俺は窓に近づき、手で開けようとするがびくともしない。
「この通り、窓は閉まっているんです」
「なるほど。外から侵入することは不可能か」
「すると、陽菜以外に容疑者がいる可能性も提示できないわけだな」
「残念ですが。……三時五十分に上手袖から出てきたという人の話を聞きたいんですが」
「そうだな。一旦上手袖に戻るか」
俺は去り際、後ろを振り返り、日中も日が差し込まないために冷たく湿った体育館裏の地面をちらりと見た。
北村はかなりいら立っているようだった。先ほど、大会前だと言っていたので、そのこととも相まって、イライラはピークなのだろう。
「それで、委員長様、何か考えは浮かびましたか?」
どうせ、なにも思いつていないだろうという言いぶりで、北村は言い放つ。
「バスケ部のマネージャーさんが見たという人を連れてきてほしい」
京子先輩は気に留めない様子で話す。
「でも私その人のことを存じていないんです。シューズは二年生の色でしたけど」
とバスケ部のマネージャーは答える。それにしても他の部の厄介ごとに巻き込まれている点で、俺とこのマネージャーさんとはにているなあと何気なく思う。ご苦労なこって。
「その人が何をしに上手袖に来たかはわかる?」
「コルクボードをもっていってましたよ」
「コルクボード?」
「はい、そこにあるのと同じものです」
「結構大きいな。なぜ一人で取りに来たのか……」
バスケ部のマネージャーの話を聞いて、京子先輩は少し考えこんでいるようだった。俺は思いついたことがあったのでそのことを京子先輩に告げた。
「京子先輩、もしコルクボードを運んでいたのだとしたら、他に見た人がいるんじゃないですか?目立ちますから」
「そうだな、聞き込みに行くか」
「それは執行部でやってよ。そんな面倒なことやりたくないわ」
北村がそう、横やりを入れる。俺は演劇部に頼もうとは端から考えていない。演劇部の問題ではあるがこの北村が介入したら余計時間がかかりそうだ。それだけは阻止せねばならない。おそらく京子先輩も同じ考えだろう。しかし、こんな横柄な態度をとられるとさすがの俺でもカチンときた。カチンとは来ても何もしないのがこの俺なのだけれども。だがもし、雄清や京子先輩の委員会仲間のためでなければ俺はすぐにでも手を引いていたと思う。
「部長殿はここでゆっくりしているといい。ただ陽菜は借りていくぞ」
「どうぞ」
「あと、バスケ部のマネージャーさんも来てくれ」
京子先輩は陽菜とバスケ部のマネージャーを外へと連れ出した。あんな息の詰まるようなところにかわいい後輩を置いておきたくないと思ったのだろう。
「それで、京子先輩、どっから聞き込みに行きますか?」
俺は京子先輩に尋ねた。
「コルクボードを運んだのだとしたら、校舎にだろう。体育館の出口から校舎に行くまでのルートに沿って聞くのが妥当じゃないか」
と京子先輩は答える。
「なるほど。ではサッカー部員が何か見ているかもしれませんね」
雄清がそういう。
「そうだな。聞きに行こう」
そうして、俺たち五人はサッカー部が練習しているところへと向かった。
サッカー部に話を聞いても、何も情報を得られず、その後も三十分ほど聞き込みをしたのだが、どの生徒に尋ねてもみな「コルクボードを持った人など見てはいない」というばかりで特に情報は得られなかった。
調査に行き詰まりを感じ途方に暮れていたところ、綿貫に出くわした。
「深山さんに、山本さん、それに京子さん、皆さんお揃いで、どうしたんですか?あと、後ろのお二方はどちらさまです?」
綿貫が尋ね、京子先輩がそれにこたえる。
「やあ、さやか。ちょっと人探しをしていてね。こちらは、演劇部員で、執行委員でもある、道家どうけ陽菜だ。それでこっちはバスケ部のマネージャーの」
名字は道家というのか。そういえば聞いていなかった。マネージャーの名前は京子先輩も知らないらしくそこで詰まってしまったが、
「文田博美です」
マネージャーさんが自分で言う。
「綿貫さやかです」
綿貫がご丁寧に自己紹介をする。そして、
「それで、人探しというのは、いったいどなたを探しているのですか?」
と尋ねる。
「四時ごろにコルクボードを運んでいた人を探している。一応聞くが、見なかったか?」
「見ましたよ」
「そうか、……えっ」
京子先輩は綿貫が見ていたと思っていなかったようで、大変驚いたようだった。
「四時頃にコルクボードを運んでいた人ですよね。見ました」
「どっちに行ったか分かるか?」
俺はすかさず尋ねる。
「えっと、私が東階段を降り終わったところですれ違ったので、保健室に行かれたんだと思います」
「ほかに何か、なかったか?時間を聞かれたとか」
俺は続けて尋ねる。
「ええ、確かに時間を聞かれました。深山さんどうしてわかったんですか?」
「いや、その人が時間を気にしていたらしかったのを聞いていたからな。ちなみに何時だった?」
「えっと、三時五十五分だったと思います。確認もされましたから」
「そうか」
綿貫は俺たちが単に人探しをしているわけではないことをもう見抜いているだろう。京子先輩がいて、知り合いではいない人間も二人混じっての、人探しだ。並々ならぬ雰囲気をすぐに察知できたと思う。それに俺たちの付き合いはまだ一年にも満たないが、俺が単なる人探しなんぞに手を貸すような人間ではないことは綿貫も知っているはずだ。さすれば何をやっているのか、興味を持つかもと思ったのだが、
「では、私はこれで」
といったので俺は少し意外に思った。
「何か用事があるのか?」
「校誌の山岳部のページをどういう風にするか、留奈さんと相談することになっていますので。時間があれば深山さんや京子さんのお手伝いをするんですけど」
「そういえば、もうそろそろ考えなきゃだね。僕もこっちが片付いたら様子を見に行くよ。ごめんね綿貫さん。任せきりにしていて」
「いえいえ、山本さんは委員会が忙しいですから。……でも、もし、面白いことがあったら教えてくださいね」
「はは、綿貫さん鼻が鋭いね。まあ、面白いことになるかどうかは分からないけど、太郎なら今取り組んでる問題ごとを解決してくれると思うよ」
おい、何勝手なことを言っているんだ、お前は。
「それは楽しみです。深山さん期待していますよ。ではまた」
そう言って、綿貫は行ってしまった。
京子先輩がにやにやしながら、
「だいぶ期待されているんだな君は」
「ほっといてくださいよ」
俺は口をとがらせて言い返した。
そんな俺たちのやり取りを見ていた、二人の女子生徒はぽかんとしているばかりだった。
「そんなことより早くその綿貫、いや、さやかさんが見たっていう人のところへ行きましょうよ」
「そうだな」
俺たち五人はそうして、保健室へと向かった。
保健室の戸を開けると、一人の女子生徒が部屋の中央付近にある机に添えられた椅子に座っていた。上靴の色から、二年生であることがわかる。
京子先輩がバスケ部のマネージャーに確認する。
「文田さんが見たっていうのはこの人?」
「はいそうです」
その女子生徒は俺たちが入ってきたのを見て訝しがるような顔をする。
「あなたたち何の用ですか?体調不良者でも?」
「いや、違う。委員会の仕事の最中だと思うが少し話を聞かせて欲しいんだ」
「えーっと、あなたは執行部の綿貫さんよね?」
さすが京子先輩は有名人である。
「そうだ」
「話って何?」
その女子生徒は話を促す。
「今日の夕方、演劇部のある部員の鞄が紛失した。鞄が今どこにあるのかも、犯人が誰なのかもわかっていない」
「物騒な話ね」
「いかにも。それで、犯行時刻前後に、現場に出入りしていた人物が見かけられている。コルクボードを上手袖から運び出していたという人よ。それはあなたで間違いない?」
「確かに、上手袖からコルクボードを運び出したわ。そこにおいてあるそれよ。保険便りを張り付けるのに使うの」
その女子生徒が指差すところには確かにコルクボードが置いてあった。
「なるほど。まだ名前を聞いていなかったけど、教えてもらってもよろしい?」
「岡村真美。保健委員よ」
京子先輩は岡村に質問を投げかける。
「岡村さん、上手袖に入ったとき、怪しそうな人とか見ていない?」
「見てないわよ」
「ピンクの鞄があったのは知っている?」
「さあ、人の鞄なんて注意してみないから」
「そう、ありがとう。また何かあったら聞きに来るわね」
「あっ、すみません。俺からもいいですか?……えっと、深山と言います」
「どうぞ」
「四時ごろに何か用事があったかと思うんですけど、無事に済みましたか?」
「なんの話?意味わかんないんだけど」
岡村は少しイラついたように言う。
「あっ、いえ、すみません。俺の勘違いです。では失礼します」
周りの人間は不思議そうな顔で俺の事を見ていたが、俺が保健室を後にしたので、一緒に出てきた。
「深山君何か気づいたことはあるか?」
歩きながら、京子先輩が俺に尋ねる。
「疑問に思ったのは、岡村が何に焦っていたのかということです」
「……さっきも何かを確かめていたが、……彼女は焦っていたか?」
「少なくとも話の中では焦っていたと思います」
「よくわからないんだが」
「岡村は時間を気にしていました。上手袖から出てきたときに、文田さんに時間を尋ね、そして校舎ですれ違ったさやかさんにも時間を尋ねていた。何か用事があって焦っていたと考えるのが妥当です。しかし、さっき見たところ岡村はのんびりした様子だった。もう用事を済ませたということなのかもしれませんが」
「なるほど。ほかにはないか?」
「岡村の事とは直接の関係はありませんが、鞄の出入りした経路についてです。さっき言ったように鞄は窓から出入りしたのでしょう。問題は鍵が閉まっていたということです。すると犯人は鞄を窓から持ち出し、自分だけがまた窓から戻ってきたということになる。ではかばんはどこへと消えたんだ?」
「太郎、それは簡単じゃないか。体育館を回って、表に出て、校舎内とかに持って行ったんだよ」
雄清がどうだと言わんばかりに胸を張る.
「それは無理だ」
「どうして?」
「犯人は普通目立つことをしたがらない。でっかいピンク色の鞄を持って人目につくところを歩きたがるとは正直思えんな。演劇部員に目撃される可能性もある」
「そうかなあ」
「それにだ。体育館の横の地面は日陰になっているために地面が柔らかいんだ」
「というと?」
「そんなところを歩けば、足跡が残るが、さっき見た時、俺たち以外の足跡は見受けられなかった。それに上履きに泥が付くことも避けられないだろう。しかし、上手袖には泥のついた上履きで歩いたような跡もなかった」
「ほう、さすが太郎だ。よく気付くね」
「それで、京子先輩もう一度体育館裏を見たいんですが」
「いいぞ。二人は返してもいいよな」
京子先輩は、バスケ部の文田と、道家を示して言う。
「ええ」
二人は体育館へと戻っていった。
「じゃあ行こうか」
「はい」
「それで深山君、何が見たいんだ?」
体育館裏に着くなり、京子先輩がそう尋ねてくる。
「これです」
「はしご?」
俺が指差したもの見て、雄清と京子先輩は怪訝そうな顔をした。
「はい、はしごです」
「太郎、それが一体なんだって言うんだい」
「おそらく犯人は岡村でしょう」
雄清と京子先輩は目を見開いて俺の事を見た。それから、雄清が俺に尋ねる。
「それと、梯子がいったいどう関係するんだ?」
「岡村の上履きを見ましたか?」
俺は二人に問いかける。
「いや」
「岡村の上履きには茶色い汚れが付いていました。しかしそれは土の色とも微妙に違っていた。
話は変わりますが、犯人を誰かに仮定するのならば、道家と岡村の他には考えられない」
「まあ出入りしたのが、その二人しかいないのだからな」
「中立的な立場から見れば、道家と岡村のどちらを犯人と考えてもおかしくない。むしろ一番最後に上手袖に入った、道家が犯人と考えるのが自然でしょう」
「それは……そうかもしれないな」
「それで太郎、はしごの話はどこに行ったんだい」
「そう、梯子が俺たちを真犯人へと導いてくれる。犯人は目立つ鞄を持って人前を歩くようなことはしたくなかった。だから人目のつかないような方法で鞄を運ぶことを選んだのです」
「それってまさか」
そう言う雄清に俺は頷いてみせる。
「岡村が上履きに付けていた茶色は、このはしごのサビだったんです」
「本当かなぁ」
雄清は突拍子もない考えに賛成し難いようだ。すると京子先輩が、
「まあ、確かめてみればわかるだろう。さて山岳部のお二人さん。日頃の鍛錬の成果を見せてもらおうか」
俺は梯子をよじ登る真似なんてしたくなかったので、
「ということだ雄精。登ってカバンがないか確かめに行ってくれ」
「うへぇ。人使いが荒いなあ」
雄清は文句を言いながらも、身軽な身のこなしで梯子をひょいひょいと登って行った。
数分と経たないうちに、雄清は戻ってきた。ピンクの大きな鞄と一緒に。
「いやあ、驚いた。まさか本当にあるとは」
「よし早速、演劇部長のところへ……」
雄清と京子先輩はすぐに体育館内に戻ろうとしたが、
「まってください」
二人は俺の声に驚きこっちを向く。
「どうしたんだ深山くん。何かあるのか?」
「俺たちは道家が犯人ではないということを立証する必要があります」
「だったら、さっきの話をして……」
「それでは駄目です。靴にサビの跡がついているからといって、梯子を上ったとするのは根拠が弱すぎます。それに重大な問題がまだ残っています」
京子先輩がそこで気づき、
「岡村は四時前にすでに保健室前にいた」
といった。
「そうです。そのことがある限り、岡村を犯人と決定することはできないんです」
「じゃあ鞄はどうするんだい」
雄清が手に持っている鞄を見ながら言う。
「とりあえずまだ見つかったことは伏せておこう。岡村が犯人として、鞄が見つかったことを聞けば尻尾をつかむのが難しくなる」
「というと?」
「鞄をいつまでも放っておくとは考えにくいからな。回収しにくるかもしれない」
「なるほど、そこを叩くんだね」
まあ、回収しに来なかったら、計画はおじゃんだが。
「鞄を安全なところに置いてとりあえず上手袖に戻りましょうか」
俺たち三人は体育館の上手袖へと向かった。
体育館の入り口の辺りで、一人の女子生徒が立ちすくんでいた。よく見れば、道家陽菜である。京子先輩が心配そうに声をかける。
「どうした陽菜。部長に何か言われたのか?」
道家は、大粒の涙をこぼすばかりで何も言わない。
「陽菜、辛いのはわかるが、私に何があったか話してくれないか」
道家は嗚咽を漏らしながら、ぽつりぽつりと話し出す。
「私、もう耐えられないんです。部長は完全に私の事を犯人だと決めつけています。もう私……演劇部にいたくありません。もし、私が犯人ではないと分かったとしても、部長とうまくやっていける自信が無いんです」
そういって、涙をぼろぼろとこぼす。京子先輩は道家にゆっくりと近づき、やさしく抱きしめながら、
「わだかまりができたところにいたくないということだな?」
といった。
陽菜は首肯する。
「まあ、それがいいのかもしれない。好んで、居心地の悪い場所にいる必要なんてないのだからな」
「……はい。それに私には執行部がありますから。あんな……意地の悪い人たちと一緒にいるより、綿貫先輩や執行部の他の皆さんと楽しく仕事しているほうがずっとずっと楽しいです」
俺は抱き合う女子二人を眺めながら、少し気恥しい気持ちになっていた。女同士とはいえ、人が抱き合っているところを見るとなんだかムズムズした感情に襲われるものなのだと俺は知った。
もちろん京子先輩にそれを告げるほど、俺は馬鹿ではない。
京子先輩は道家に、執行部の部屋にいるようにつげて、それから俺たちと一緒に上手袖へと戻った。
戻ってきた俺たちの姿を見るなり、演劇部長は、
「綿貫執行委員長、お目当ての人は見つかりましたか?」
この鼻につくような慇懃さはどうにかならないものか。俺たちを迎えた演劇部長の様子を見てそう思った。
「まあ、一応な」
「へー、誰?」
京子先輩は俺の方を見る。そのことを話してよいのか、俺に尋ねたいのだろう。俺は、同意の意味を込めて、首を小さく縦に振った。
「保健委員の、岡村真美だ」
その名前を聞いた途端、演劇部員に動揺が走るのが見て取れた。特に演劇部長の顔は、明らかな嫌悪感を示している。
「北村さん、岡村さんの事ご存知なの?」
「ふん、ただの裏切り者よ」
「どういうこと?」
岡村が答えずに、代わりに演劇部のマネージャーが答える。
「岡村さんは、元演劇部員です。昨年度の春に演劇部をやめています」
途中で退部するからには、円満に抜けられたとは考えにくい。岡村と演劇部員との間に何らかのトラブルがあったか、退部の原因自体は演劇部に無かったにせよ、抜けるうえでもめたと考えるのは自然なことだ。一つ引っかかることは、俺たちが岡村に話を聞きに行ったとき、演劇部で問題が起きたというのに、彼女が自分が元部員であったことに全く触れなかったことだ。
京子先輩がより詳しく話を聞こうとする。
「どうして裏切り者なの?途中で退部したから?」
「それは……」
マネージャーが何かを言いかけたところ、演劇部長がそれを遮る。
「それはこの件に関係ないでしょ。あの裏切り者が私たちを検討違いな理由で恨んでいるとしても、あいつが私たちが来たより前に上手袖を出ている以上、あいつの事を探るのは無意味よ。最初から言っているように、犯人は陽菜。それ以上でもそれ以下でもない」
演劇部長がまくしたてるように言葉を吐いた。俺には北村部長が岡村の事を話したくないように見えた。なぜかは知らない。京子先輩がなだめるように言う。
「北村さん少し落ち着いて。……下校時刻も近づいているし、今日のところは終わりにしましょうか」
ふんと、鼻を鳴らし、北村は部員に解散を告げた。
俺は人を見るのが得意というわけではないが、いくら演劇部員といえども、道家陽菜がさっき見せた涙が偽物であったとは到底思えない。もはや真犯人は岡村で確定だろう。問題は時間だ、三時五十分に上手袖を出た岡村、そして五十五分には保健室の前にいた。四時に上手袖を出た部長とマネージャー。その五分後に上手袖を出た、道家陽菜。岡村はやたらと時間を気にしていた。そして、何度も人に時間を尋ねた。まるで、……まるで、自分がその時間に上手袖ではないところにいたことを人に覚えてもらいたいかのように。俺はそこでふと上手袖の時計がかけられているあたりをもう一度見た。時計に近づき、少し思いついたことがあったので、紙とペンを取り出し、その時計の品番をメモした。それを調べて分かる答えが大体予想の付くものだと分かってはいたが。
京子先輩は、帰り際、演劇部のマネージャーに声をかける。
「ちょっといいかしら」
「何ですか」
京子先輩はマネージャーの手を取り、人気のいないところへと連れて行った。
「岡村さんの事について教えてほしんだけど」
「……無理です」
「どうして?」
「それは……彼女は私の友達です。友達を売るようなことは出来ません」
どうやら、マネージャーは岡村が部長の鞄を取るだけの理由を持っていると考えているらしい。
「でも岡村さんは犯行時刻にはもう保健室にいたのよ。彼女の事を話すことが見捨てる事にはならないと思うけど。それに何か隠すなら、余計怪しまれるわよ」
「……はい。わかりました」
マネージャーが口にしたのは、演劇部で起こったいざこざの話。とても、気分が良いとは言えない話だった。
彼女の話の中では北村、岡村、そして登場人物がもう一人いた。岡村の親友、樫尾ほのかである。
三人は全員演劇部員であった。はじめのうちは三人とも切磋琢磨し、純粋に演劇の腕を高めようと練習に励んでいたらしい。彼女らは仲が悪いわけでなかった。むしろ好敵手として、部活動の仲間として、親友といってもよい間柄であったという。
しかし、部内の競争がいつまでも良好な関係を保たせてはくれなかった。樫尾ほのかは才能を開花させ、演技力が買われ、主役に抜擢されるようになった。その一方で、北村は雑用ばかりをやらされ、次第にやさぐれていったという。いつしか、三人の中、特に北村と樫尾の中が悪化し、北村は樫尾に嫌がらせをするようになった。樫尾はかつての友人と敵対することを嫌い、真正面から立ち向かうのではなく、何も言わず耐え続けたという。そんな樫尾をみて北村は余計面白くないと思ったのか、嫌がらせをエスカレートさせていった。問題は樫尾にとっての敵が北村だけでなかったというところだった。主役を奪われた上級生とその取り巻き、樫尾の才能をねたんだ同級生たち。次第に樫尾は孤立するようになり、部活に来なくなってしまったという。彼女は部活のメンバーに顔を合わせるのが嫌で、不凍港気味にもなってしまった。
多くの部員が、樫尾を攻撃するなか、岡村は樫尾の味方であり続けた。だが彼女を守り切ることは出来ず、樫尾から充実した高校生活を奪った演劇部を敵視するようになった。
足の引っ張り合い、そんな程度の低い行為が跋扈していた部内に嫌気がさし、岡村は退部したのだという。
話を聞いた、雄清が声を上げる。
「じゃあ、悪いのは全部演劇部長じゃないか!」
それを聞いた、マネージャーは静かに首を振る。
「いいえ。部長に同調した周りの者も、それを見て見ぬふりをした、この私も部長と同罪です。岡村さんは親友を不登校へと追いやった演劇部を憎んでいるんです。だから、もしかしたらと思い……」
確かに、このことは岡村にとって不利な話であろう。マネージャーが話すのを渋った理由もわかる気がする。
「マネージャーさんは……、あっ、名前を教えてもらってもよいですか?」
いつまでも名前で呼ばないのは変だと思ったので、名前を尋ねた。
「柳下咲です」
「柳下先輩は岡村先輩や樫尾先輩と仲が良かったんですよね」
「……さっき友達だと申し上げましたが、本当に仲が良かったと言ってよいのかわかりません。私は彼女たちが孤立したとき何もしてやれませんでした。それを友達だといってよいのでしょうか?私には彼女たちに友達だと認めてもう資格はありません。もう……いいですか」
「最期に一つだけ。演劇部の方は部活中は時計をつけないみたいですね。あなたを除いて」
「はい、練習に集中できるようにと、伝統的に部活中は時計をつけないんです。タイムキーパーは必要なので、私は付けています」
「ありがとうございます」
「では、失礼します」
彼女は足早に、俺たちの前から去っていった。その眼の中にはきらりと光るようなものが見えるような気がした。
「彼女もいろいろつらい思いをしているんだろう」
「そうですね。……京子先輩」
「なに?」
「鞄は部長に返しておいてください」
「えっ犯人を捕まえなくていいのかい」
雄清が驚いた顔をしている。
「ああ。もう必要ないだろう」
残暑の夕暮れのムッとする空気は、演劇部内の不穏な雰囲気を表しているような気がした。
次の日、教室で雄清の口から告げられたことは軽い衝撃を俺に与えた。
「演劇部が廃部になるそうだよ」
なんとまあ、それは一大事な。
「何が起きたんだ」
「だれかが風紀委員にリークしたんだ。部内の人間か、部外の人間かはわからない」
「でも大げさじゃないか。鞄一つぐらいで」
「それが鞄の事じゃなくて、樫尾先輩が不登校になった要因を作ったことが原因らしい。風紀委員は鞄の事は知らないよ」
「それで鞄盗難の犯人は?」
「太郎が解いていないんだから、まだ不明のままさ。でも太郎は岡村先輩がやったと思っているんだろう」
「まあ」
「時間の謎は解けた?」
俺は何も言わない。
「ねえ、太郎。聞こえている?」
「ああ。時間な。さあ分からんな」
「さすがの太郎でもお手上げかい」
「そうだな」
ぼんやりと受け答えする俺を雄清は不審に思ったようだ。
「太郎。嘘だろう。もう答えがわかっているんじゃないか?」
「どうして?」
「幼馴染を見くびるなという事さ」
俺はすこし考えてから話しだす。
「……雄清よ俺は思うんだ。演劇部は多くの人間を傷つけた。樫尾ほのか、岡村真美、道家陽菜。話を聞く限り、彼女たちはまっとうな人間だと思う。そんな、彼女らを傷つけた、部活に存在する価値があると思うか?もはや廃部はひっくり返らないだろう。俺は正義の人間じゃない。演劇部が誰かに恨まれた結果、粛清されるならば俺はそれを起こす人間を責める気にはならんよ」
「……太郎がそれがいいと考えるならば、僕は何も言わない。……じゃあ僕は委員会に行くから。文化祭の件で色々忙しいんだ」
「おう頑張れよ」
雄清が去っていったのを確かめてから俺は立ち上がった。
さて、与えられた課題にけりをつけるか。
執行室のテーブルをはさみ、俺は京子先輩と向かい合わせに座っていた。執行室は間仕切りで部屋が仕切ってあった。
「演劇部の事は聞いたか?」
「雄清から聞きました。……北村部長はどうでしたか」
「鞄を受け取ったら、すぐに機嫌がよくなったよ。あの様子じゃもう誰が犯人なんかは気にしていないようだな」
以外にもそこはさっぱりしているんだな。
「それで、深山君、真相は分かったかい」
「はい」
「聞かせてくれないか」
「犯人は岡村真美です。岡村は三時五十分以前に上手袖に侵入して、演劇部長の鞄を窓から外へと運び出し、はしごを上って体育館屋上に鞄を放置した」
「深山君ちょっと待ってくれ。演劇部長たちが上手袖を出たのは四時だぞ。岡村が時空の移動をしない限り、北村部長の鞄を取るのは無理じゃないか」
「ある意味では、岡村は時空をゆがめたと言えるかもしれません。正確には人に認知される時間ですが」
「よくわからないんだが」
「すみません。つまりですね、岡村は時計の時刻をずらしたんですよ」
「だが、君も確かめたように、あの時計の時間は正確だったぞ」
「ええ、ひとりでに戻るように設計されていますから」
「えっ」
「あれは、電波時計です。ネットで調べて説明書を読んでみましたが、毎日正確な時刻を受信するように設定されているみたいですよ」
「その時間って」
「午後四時です」
「……そうか、だから北村部長は四時ちょうどの五分後に行ったという陽菜が来るのが異様に遅く感じたと言ったのだな。実際に十五分から二十分ずれていたのだから。でもよく気が付いたな、どうしてだ?」
「はい、時計の下を見たら、そこだけ埃が掃かれたようになっていたからです。あれは時計の針を動かすために、時計の下に台を持ってきたことによるものでしょう。あとは、昨日も言ったように、岡村が異様に時間を気にしていたこともヒントになりました。時計の針を十五分程早めて、北村部長が上手袖を出る時間、つまり偽の時間の四時になったところで、鞄を外に持ち出し、何食わぬ顔で上手袖から出てくる。バスケ部マネージャーが見る時間は本当の時間で、先程から五分ほど経過した、三時五十分だった。そして、保健室の前で出会ったさやかさんにも、コルクボードを運んでいる人間が四時五分前に体育館から離れたところにいたことを印象付ける。このころになって上手袖の時計は自動時刻合わせによって、正確な時間に戻り、道家陽菜が見た時間は正確な時間となった。このトリックによって北村部長が認知した偽の「四時」以降に侵入したのは道家陽菜のみになり、道家は濡れ衣を着せられるという事態に陥ったわけです。
岡村がこんなことをした原因は昨日、柳下マネージャーが話したことから推測できるでしょう。風紀委員を介入させることによって、演劇部を活動停止にする。短期間であったとしても、大会を控えた演劇部には大打撃です。
以上が俺の推論です。だが、これが正しいとしても、立証する方法は、ありませんね」
「なるほどな。しかし、一つ疑問がある。岡村真美が演劇部を恨んでいるのだとしたら、こんな回りくどい事をしなくても、彼女の親友がどんな目にあったか、風紀委員にいえば目的は果たせたんじゃないか」
「ええ、岡村が樫尾ほのかのことを風紀委員に訴えたのだとしたら、話はおかしなことになります」
「じゃあ、君はリークしたのは岡村じゃないと」
「違うでしょう」
「誰だと思う?」
「これも想像に過ぎませんが、樫尾ほのかと、岡村真美の親友、あるいはそうありたいと願った人物のやった事」
「柳下マネージャーか」
「はい。というかそもそも、彼女は共犯だったと思います」
「どうして?」
「このトリックは、北村部長が時刻のずれた時計を見ない事には成立しません。部内で唯一時計をつけている柳下マネージャーがあの時計のずれを認知しない可能性にかけるといのはお粗末すぎます。樫尾ほのかや岡村真美が部活をやめたことに後ろめたさを感じていた、柳下マネージャーは部長にうその時間を教えろという岡村の要求を飲んだ。だが、岡村が何をするかは知らなかったのでしょう。しかし、部長の鞄がなくなり、すぐに誰が取ったか気づいたはずです。そして、関係のない一年生が疑われている。自分のしたことで他人を傷つけるのは嫌だ、だがまた友達を裏切ることは出来ない。せめて、道家陽菜を守るために、彼女を庇護するであろうあなたを呼んだのです。しかしそれだと風紀委員は介入せず、岡村の狙いは達成されない。道家陽菜を助け、岡村と友達でいる為にすべきこと。俺たちが岡村真美と演劇部の間とで何があったかを尋ねたことで、彼女も吹っ切れたのでしょう。彼女は全てのけじめをつける為に終止符を打つことに決めた」
「それで、風紀委員に話したわけか」
「鞄の事を伏せれば、犯人が誰であるか追及はされない。陽菜も岡村も疑われないで済む。そして、樫尾ほのかを退部、そして不登校に追いやった演劇部員たちの所業を風紀委員に話せば、演劇部は大打撃だ。岡村の狙いはもともとそうであったわけですから。岡村真美が演劇部にどれほどの処分が下されるかを望んでいたかはわかりませんが。
でも、もう一度言いますがこれは俺の想像です。あなたも俺もこのことについてはもう考えるべきではないでしょう」
「そうかもしれないな」
京子先輩は不敵に笑っているように見えた。
この事件は、いずれ誰にも話されなくなるだろう。学校の七不思議に加えるにはちと話が現実的過ぎて逆に痛々しい。
後日雄清に聞いた話によると、北村部長は樫尾ほのかと岡村真美に謝りに行ったらしい。今まで自分がしてきたことを。さすがにすぐに仲直りというわけにはいかなかったようだが、北村が自分のしたことを悔いるようになったのは、大きな進歩であると思う。休みがちだった、樫尾ほのかも学校に来る日が増え、笑顔を見せるようになったらしい。
このまえは俺自身も、あの柳下と、岡村が仲良く歩いている姿も見かけた。
結果としては、一つの部活が消滅するという惨惨たるものとなったが、彼女らが己の生き方を見直すのにいいきっかけとなったのならば無駄ではなかったと思う。
女傑、綿貫京子がこの裏で活躍したことはあえて触れないでおこう。
山岳部の日常 逸真芙蘭 @GenArrow
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