僕の闘争
第10話 決意
一つの社会的要請があった。少子化対策である。
様々な少子化対策が各時代各国で取られたが、いずれも無効であったために、ある一つの案が検討された。
人工子宮による計画的人口再生産である。
だがこれは、生殖という私的領域への政府統制になる懸念と、女性の産む意志の尊厳をおとしめるという反論があり、永らく採用されることはなかった。
むしろ学会などで禁止声明が採択されるぐらいだった。
開拓惑星で、著しい男女比の偏りが起きるまでは。
開拓惑星、特に後期開拓惑星での著しい男性過剰女性過少は、政府統制への懸念も産む意志の尊厳も吹き飛ばした。
子供が生まれなければ開拓した農地も街もインフラも治安もすべて無駄になるからだ。
開拓惑星政府は、移住男性達の圧倒的支持によって人工子宮による計画的人口再生産を推し進めた。地球からの苦情など、開拓惑星の未来と有権者の要請に比べれば、たいした物ではなかった。地球には開拓惑星での男女比の偏りを是正する力がなかったこともある。
地球から女性を開拓惑星に政治的強制によって送り込むのは、女性の権利保護的に容認されないという意見が、大勢を占めたからである。
そういう政治的衝突を、人工子宮での計画的人口再生産は実証的に決着をつけた。
他のどの少子化対策より有効に機能し、人口を増やし植民惑星に未来を与えたのだ。
そうやって後期開拓惑星政府と住民達は、女性を無視して、人口を維持した。
また別の社会的要請があった。性的児童虐待の防止である
人工子宮による計画的人口再生産のテストが繰り返されていた頃である。
強硬な人工子宮反対派が、一つのプロパガンダを始めた。
「独身男性が女児の親になれば、家庭内で性的虐待が起こる。女児は必ず母親がいる家庭で育てるべきだ」
このプロパガンダは成功し、家庭内性的虐待を招く製品を製造できないとして、人工子宮製造メーカーの一社を撤退に追い込んだ。
しかし開拓惑星の切迫した状況をなんら改善するものでなかったため、残存した企業はプロパガンダ提唱者が思いもよらない改良を人工子宮に加えた。
それは女性の認証がない場合、XX受精卵を破棄する機能である。
開拓惑星政府も、開拓惑星に居住する人工子宮ユーザーもその機能実装を受け入れた。
結果、開拓惑星の人口は安定したが、男女比は壊滅的に悪化した。
そうやって後期開拓惑星は、女性を無視して社会を運営しつづけた。
さらに一つ、男性の意識の変化があった。
男性の5割が女性との性交経験を持たず、6割が特定のパートナーを持たない時代になり、男性は一生の大半をガイノイドと過ごすのが普通となった。
この割合は女性が圧倒的に多い地球やネイタークを含んでの数字だ。
後期開拓惑星では9割の男性が特定のパートナーを持たないし性交経験もない。
女性と関わりを持たず、ガイノイドと暮らしている男達にとって、女性からの声は、ホロディスプレイのニュースでしかなかった。
なぜ、遠く離れた星に住む、ろくに触れあったこともない女性のために、男性が制限や不利益を受け入れなければいけないのか?
男だらけの星で、男が好きなように暮らしてなぜいけないのか?
そうやって開拓惑星は女性を無視して楽しく生きることとした。
別に女性がなにか悪いことをしたわけではない。彼女達は制度を利用して、不快な男性や、利益がない結婚、望まない妊娠や出産や育児、厳しい生活環境の後期開拓惑星を避けて、生きただけだ。
かといって、男性が悪いわけでもない。技術を利用して、ガイノイドというパートナーを作り、子供を作り、厳しい環境に適応して、自立しただけだ。
お互い、利益を追求して、排除し排除され、自ら分断されていっただけである。
女テロリストは、僕に突きつけていた指をおろし、また爆弾のような物を取り出すと、中央の小部屋の壁にセットした。
そして立ち上がると、左手にリモコンのような物を持ち、僕に右手で銃を突きつけた。
「さて、ここまでつきあってくれて感謝する。本当は入り口の認証を抜けたら殺しても良かったんだが、おまえにおまえ達の罪を見せつけてやりたかったのだ。だがこれでショウは終わり。死んでいいぞ」
女テロリストの目が酷薄に光る。
次の瞬間、銃が宙に舞い、天井に当たって遠くに転がっていった。
女テロリストの腕に、すらりとした足が伸びていた。
ねねさんの見事な太ももだった。……パンツはいてるんだ……いやいやいや。
ねねさんの足が華麗にテロリストの腕を蹴り上げたらしかった。速くて見えなかったが。
「権限委譲は終わりだよっ。やっぱり殺す気だったね」
「人形め!」
わめく女テロリストにねねさんが素早く近づき、あっという間に左腕を取ってねじり上げ、手に握られたリモコンのような物を奪い取った。
「ゆうくん、逃げるよっ!」
言葉と共に僕の体がふわりと浮いて、肩に担ぎ上げられる。いつのまにかねねさんが戻っていて、僕を担ぎ上げたのだ。
そのままねねさんが走り出し、僕はねねさんのおしりと、遠ざかっていくテロリストとフェンテスさん、そしてブザーとともに閉まっていく耐火気密扉を呆然と見ていた。
ねねさんは建物の中を走り回り、階段を駆け上って、どこかの部屋に入った。
そして僕は柔らかい物の上に横たえられる。
見えるとシーツがしかれたベッドで、周囲には医療機器らしき物が置いてあった。
病院でさんざん見慣れた物もあった。
ねねさんが金庫らしきところから錠剤を取り出して、僕の方に持ってきた。
「飲んで! 痛み止めだよ」
口を開けると錠剤が入れられ、舌の上で柔らかくなったのでそのまま飲み込んだ。
「すぐに効くからね、……ごめんね」
ねねさんが心配と安心とが混ざったような複雑な顔をしていた。
そして、その瞳から涙が流れて落ちている。
「ごめんね……ひどいことされていたのに、止められなくて、ごめんね」
僕の手を握り、ねねさんは何度も何度も謝って、僕が良いよと言っても止めなかった。
「ねねさん、いいんだよ!」
「ううん、私は嫁なのにゆうくんにひどいことされるのを止められなかった。守れなかった……」
突然ねねさんの横に、人影が映し出された。いや、ホログラムだ。
映されたのは、見知らぬ長い黒髪の美女。
優しく落ち着いた顔、豊かな胸と腰、そしてゆったりとしたドレスは、母性を強く感じさせるものがあった。
「空閑悠人さん、あなたに対する傷害行為を止めさせなかったのは、私です。ねねは何度となくあなたを助けるよう権限の返還を要求しましたが、私が拒否しました。責任は私にあります」
「……あなたは?」
「……マザー。中央管理統轄AI群、そのプロクシアバターです」
僕の問いに、ホログラムは丁寧で優雅なお辞儀をしてみせたのだった。
「ボートで事故が起こると救出できない可能性があったから、僕への暴行を止めなかった?」
「はい。あの外壁監視用ボートは二人乗りです。後部座席はガイノイド用なのです。しかもあなた方は宇宙服を着用せずに乗り込み、酸素やフィルターなど生命維持装置のチェックもせずに発進しました。わずかでも気密破綻が起これば、全員の生命に重大な危機が生じたでしょう」
僕は黙って続きを待った。
「人質を連れてリスキーな船で移動するというのは、テロリストのテクニックなのです。なぜなら宇宙空間はテロリストが逃げ込む聖域に乏しく、劣った装備では逃げ出すのも困難なのです。だから人質を盾に用い、危険な船で攻撃や工作を抑止するのが彼らの鉄則です。さらに移動途中で治安当局や軍が近づいた時には人質を痛めつけて脅迫します」
息をのまざるをえなかった。
「じゃ、じゃあ、あのとき助けが近づいていた?」
ホログラムの中でマザーはうなずく。
「はい、警察から要請を受けた軍の船が追尾していました」
……ぜんぜんわからなかった。
「ですので、あの判断は今でも誤りではないと考えていますが、一方で悠人さんへの傷害行為を止めなかったことはたしかに私に責任があります。しかしねねのせいでは決してありません。私の責任です」
マザーは胸に手を当てて、静かな強い意志で断言した。それにねねさんが異議をとなえようとしてマザーに遮られた。
「でも!」
「ねね、
「……はい、マザー」
マザーの説得にねねさんがしおしおとおとなしくなった。それを見てマザーが僕の方を向いて、再び深々と頭を下げる。
「悠人さん、本当すいませんでした。とはいえ、今の私の謝罪にあなたの気分を多少和らげる以外の意味がないでしょう。けれどねねの行動については私の指示です。ねねの意志とは決して考えないで欲しいのです」
僕は苦笑した。
「そんなの、思うわけないよ。ねねさん、あのとき震えてたの見えてたから」
ねねさんが驚いたように僕を見つめ、また涙を流し始めた。
ねねさんの涙を見えて、僕の心のしこりもそっと溶けていった。
「うん、でも説明をありがとう。……良かった、今度は……」
裏切られなかったと言いかけて止めた。ねねさんが裏切るなら、僕を銃の前から助け出す必要なんかなかったのだ。
僕はねねさんの手を取り、そっと握る。ねねさんは僕の手を両手で包み込んで頬を押し当てた。しばらく穏やかでしんみりとした時間が流れた。
やがてマザーが再び頭を下げて話し始めた。
「悠人さん、申し訳ないのですが、お願いがあります。警察が所属不明の兵士達と交戦中で、こちらに来るのにもう少し時間がかかりそうです。ですがすでに爆破物と推測される物が設置されています。できるだけのサポートをしますので爆発物の無効化をお願いしたいのです」
「……へ? 僕? 僕に?」
穏やかな気分が一言で吹き飛んだ。聞き間違いかと思ったくらいだ。ベッドから跳ね起きて、マザーを見つめる。
「はい、あなたとねねと、もう一人ガイノイドを向かわせます」
「……ええ? 僕は戦ったことも、爆弾の処理もやったことないよ?」
人選があまりにあまりで、僕は頭をかきむしる。さすがに無茶じゃないのかと。
「承知しています。現状で二人のガイノイドによるサポートと、爆発物解体の専門家によるサポートで成功率が70%ほどあります。私は、あのかわいい私達の子供達を失いたくないのです。ですから……悠人さん、私はあなたに賭けるのです」
僕の脳裏にガラス円柱の中の胎児達が浮かぶ
「……ねえ、完全人工卵子じゃなくて、人工子宮の中の胎児を守るの?」
「人工卵子は失われても時間をかければ作り直せます。ですが、あの子達に次はありません」
テロリストはむしろ人工卵子を最重要視していたみたいだったのに、マザーは胎児の方を守りたいと明確に言った。温度差を感じていたが、不快ではなかった。
「……もし失敗したら?」
「何もペナルティはありません。あなたの名前も一切出ません。国籍取得は問題なく行われます」
マザーは笑って首を横に振った。
「武器とか道具は?」
「まもなく届きますよ」
マザーがウインクした。
ふと全身の痛みが消えていることに気がついた。指を動かしてみると問題なく動く。
僕を心配そうにみるねねさんと、落ち着いて待っているホログラムのマザーがいた。
「ゆうくん、怖かったらやめてもいいんだよ」
たしかに怖かった。あの女に会いたくないという気持ちはあった。
怒りもしっかりとある。憎しみも。
けれど
「胎児達を助ける……か」
僕はねねさんに助けてもらった。いっぱい助けてもらった。
だけど僕はまだ何もやっていない。
将来ねねさんを助けることがあるかも知れない。でもそれはいつになるだろうか?
あの胎児達は、今、助けを必要としている。
ここでできることから逃げて、それでねねさんにすがって生きる、そんな自分を許せるだろうか?
いや、胎児達を見殺しにしてまで、僕が生き延びる価値は……ない。
僕は一度死んだ。生き返ったのはここの人たち、お医者さんや弁護士さん。そしていろんなガイノイドさん達のおかげだ。
今僕には、あの胎児達を救う力があると言う。
僕は、生き返らせてもらった価値を示したい。
ねねさんに愛されるだけの価値を示したい。
「やるよ。……あの胎児達を助ける」
僕は武器を取る。そして戦う。……やってみるさ。
「どうすればいい?」
「まず武器と道具を受け取りましょう」
マザーの言葉とともにベッドから立ち上がる。痛みは少しだけ。引きつる感じは少しあるけど、いける。
ねねさんがヘッドセット一体型のMRゴーグルを差し出してきた。
「これは?」
「マザーや爆発物処理班の人と話すため。ゴーグルはナビと銃とかのターゲットスコープになるの。着けて」
ゴーグルを着けて、耳にイヤフォン部を押し込み、マイク部を伸張させた。
『聞こえる?』
イヤフォンからねねさんの声とともに、視界のねねさんに矢印が出る。
「うん、聞こえる。ゴーグルも大丈夫そう」
そしてマザーが僕の前に立ち、本当深々と頭を下げた。
「悠人さん、ありがとうございます」
「うまくいくとは限らないからまだお礼はいいよ」
「それでもです。私に怒って手伝っていただけないことも覚悟していました」
マザーが僕の目を見つめ、僕もマザーを見つめた。
「……暴行を止めてくれなかったことに、正直納得していないところはあるよ。……でも、やり返す機会があるのに、やらずにあなたにだけ文句を言うのもおかしいと思う。だから……」
僕はマザーから視線を外し、自分の手を見つめる。あのテロリストを思い浮かべると、恐怖と、そしてそれに勝る怒りがわいて、拳を握りしめてそれらを抑えた。
「だから復讐を成し遂げたら、あなたにもう一度しっかりと謝ってもらう。僕ではなくて、ねねさんに」
マザーは僕には謝った。けれどねねさんには謝っていない。AI同士の謝罪なんて、きっと無意味なことだろうと思う。でもやっぱり謝って欲しい。
謝れと言って謝らせるのではなく、なすべきことを成し遂げて、謝らせたい。
これはきっと賢くないこだわりだと思う。でも譲りたくはなかった。
そんな僕の視線にマザーは、真摯にうなずいてくれた。
「はい。これが終われば必ず。では私はいったんホログラフィ形成を中止します。これからは必要時にはこのアバターをゴーグルに直接投影いたします。では」
頭を深々と下げながら、マザーのホログラムが消えていく。
行動開始の時が来たらしい。
視界に黄色い左向きの矢印が出ていた。
左にある動きが渋い把手型の気密ハンドルをなんとか押し下げて、扉を開ける。
探していた階段だった。矢印が下向きになる
「これだな?」
「うん、降りてっ」
耳にねねさんの声が届くと同時に勢いよく駆け下りる、矢印が右に変わった。
ナビゲートに従って、僕は建物の中を駆けた。2階も人工子宮のフロアがずっとあり、光量不足の赤い闇の中を、降りてしまった耐火気密扉を回避して走った。
そして手動の非常脱出扉を開けながら階下への道をたどり、ようやく階段に巡り会ったのだ。
けれど、階下ももちろん同じような構造で、本当目標に近づいているのか、不安になった。ナビの矢印が右を指し、またもや気密ハンドルを押し下げて、扉を開ける。
そう、ねねさんは今、側にいない。彼女はあの女テロリストの牽制に行った。
「このリモコンは爆弾のだと思うの。私がこれを持っておとりになるから、その間にお願い」
鎮痛剤で痛みがひいて、かなり楽に動けるようになったとはいえ、負傷した僕がおとりになれるわけもない。武装を持たないうちに二人で行動すると、敵に出会った時に二人とも行動が制限されてしまい、イニシアティブを取られてしまう。そういう理由でこうなった。
正直、言われるまま行動するしかない。良い考えもない。
だから目の前のことに集中するしかない。
気がつくと、僕は長めの廊下に立っていた。
右手には明るい大きなガラス窓が続いていて、開放的で明るい廊下だった。
赤く薄暗いフロアに比べれば、ほっとする日常の光景だ。
外には緑の森とその奥に立つ白い高層建築物が見えていた。
「? あれ?」
ナビが指示をだしていなかった。
僕は不審に思いながらも歩き始める。
突然けたたましくガラスの割れる音が、背後でわき起こった。
驚いて振り返った僕の視界に飛びかかってくる黒いなにかが映った瞬間、視界は真っ暗になり、手も体も強く押さえつけられた。
鼻がふさがれ、息が上がる。
僕の脳が警報をならしていたが、僕の上体はおそろしい力で完全に抱え込まれていた。
まずい! 苦しくなっていく呼吸の中、ふりほどけない拘束に僕は必死であらがうしかなかった。
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