第五日目
人々は何事も努力が大事だとか、努力は裏切らないとか、なんて無責任なことをいうのだろう。
努力は報われるなんて信じる、なんていうのはやってられない。
努力は報われる?
そんなの嘘だ。
どんだけ努力したって報われないものもある。
例えば自分が10努力したとする。
普通の人は平均して8努力をする。
しかし、それは平均であって12努力する人もいる。
そしたら、その努力は認められない。
なぜなら、上には上がいるから。
逆に下には下がいる、という意見もある。
しかし、下は見るな、上だけを見ろ、って言われる。
人は人を糧にして生きていると思う。
そしたら、自分は他人の糧になるだけなって廃れていくのだろう。
もうそんなの嫌だ、なんて思ったって努力しなかったらもっと廃っていく。
上になれなかったら、そこにはもう存在価値などない。
存在価値のない人に存在する理由があるか?
私はないと思っている。
でも、実際は存在価値のない人など存在しないのだから、全員存在していてよいのに。
こんなんだから、私はいつまでたっても社会に馴染めず自分の殻に閉じ込もるのだろう。
存在価値のある人とはどんな人か?
きっと軸があり、心が豊かな人だろう。
軸とはどのようにできるのか?
そんなものできない。
でも、実際は皆持っている。
しかし、私は軸がない人間だと思い込んでいる。
軸が欲しい、欲しい、欲しいと望んでもう何年時間が立ったのだろう。
望んでるだけでは手に入らないのは分かっている。
そのため、色々なことにチャレンジしてみた。
結果はどうだろう?
軸など、手に入らない。
ただ自己肯定感が減り、自分を否定するだけだ。
私はきっと自分で否定した自己肯定に囚われているんだ。
でも私の一部になっていることを信じていなきゃ生きてられるか。
そして皆、私を見ては軸があるではないかと問いかける。
もしかしたらあるのかもしれないし、ないかもしれない。
あるとしたらそれは私が自分で作ったものではない。
それは誰かのを盗んできたものだ。
盗んできたものは自分の物とは言えない。
今のご時世、一人一人のオリジナリティーを求める。
すると、私の軸にはオリジナリティーはない。
そう言われ、その軸を別の軸に変える。
でも、その軸も盗んできたものだ。
また言われ、変えての繰り返しだ。
軸はいつもブレブレで定まらない。
そして、また自分を否定していくのだろう。
努力は認められるためにするものではないよ。
努力は自分を磨くためにするんだ。
君が努力して、それ以上に努力する人だっている。
でもね、その努力は無駄ではないんだよ。
確かに今の社会は上を見ろ、下は見るなって言う。
だけどね、そんなの気にしなくていいんだよ。
自分らしく生きていいんだよ。
そして、君は自分に軸がないって言う。
例えば赤ちゃんは自分で言語を作らない。
親の真似をして覚える。
それと同じで君も他人の真似をして軸を作り、そこからオリジナリティーを出すんだ。
最後に、自分は否定せずに肯定しな。
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