【短編】解剖台上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい

 クリスマスの夜。

 白く染まった町を歩く、小さな少女の姿がありました。

 粗末なエプロンと、ボロボロの赤いマフラーを大切そうに身に着けていますが、お下がりの靴はぶかぶかで、帽子やコートはおろか、手袋すらつけていません。

 今にも凍えそうな格好で、ミシンを満載にしたリアカーを引いています。

 美しい金髪には雪が積り、小さな頬は赤く染まり、吐く息は真っ白。

 今日も寒さに震えながら、少女はミシンを売り歩きます。

「ミシンは……、手術用ミシンは要りませんか……?」

 ミシン売りの少女は、寒さに負けじと健気に声を張り上げます。しかし、その声は店先から流れる陽気なメロディにかき消され、足早に帰宅を急ぐ人々の耳には届きません。クリスマスの夜に、なぜ少女がこのような無謀な営業活動をしているのか。

 もちろんそれには事情があります。

 彼女の父親は、小さな工場を経営していました。しかし、不況により取引先が倒産し、納品するはずだった大量の手術用ミシンを在庫として抱えてしまいました。それ以来、少女は不良債権と化したミシンを町で売り歩くようになったのです。

「奥様、手術用ミシンはいかがですか?」

「―――えっ? 手術用? それは一体何が出来るんですの?」

 ようやく話に興味を持ってもらえる人に出会えました。

 少女は、意気揚々と商品の説明を始めます。

「なんとこちらの商品を使いますと、自宅で簡単に切り傷の縫合手術ができます」

「縫合、手術……?」

「はい、縫合手術です。遊び盛りのお子様に怪我はつきもの。クリスマスプレゼントにこれ以上の品はありません。今回話を聞いていただいた奥様に限り、感謝の気持ちを込めてクリスマス特別価格でご奉仕させていただきます。一年間のメーカー保証付きで、今なら整備用の油もつけて、三台セットでなんとお値段たったの―――」

「間に合ってますわ。自宅で手術をする予定はございませんの」

 淑女はすたすたと去っていきます。その後姿を少女は肩を落として見送ります。営業方法について勉強しているのですが、なかなか上手くいきません。ただ、引き止めても無駄だということだけは今までの経験から分かっています。

 華やかに飾り付けられた町を、古いリアカーを軋ませながら、少女はミシンを売り歩きます。

 どれくらい経ったでしょう。少女はすでに限界を迎えていました。疲れと寒さから足の感覚がなく、もう歩けそうにありません。少女は路地裏に座り込み、マフラーに顔を埋め、膝を抱えて丸くなりました。

 電飾の光で華やかに色づいた町をぼんやりと眺めます。家々の窓からは暖炉の明かりが漏れ、幸せそうな笑い声が外まで漏れています。

 たった一枚の窓ガラスを隔てた先で繰り広げられている光景は、目の前にあるのに遠く、まるでおとぎ話の世界のように現実感がありません。しかし、降り止む気配のない雪が、現実の冷たさをこれでもかというくらいに容赦なく教えてくれます。

 家には帰れません。今朝、父親から「ミシンが売れるまで帰ってくるな」と言われたからです。手術用ミシンはまだ一台も売れていません。家に帰ったら、きっと父親からぶたれてしまいます。それに帰ったところで寒いのに変わりはありません。ボロボロの家には、冬は冷たい隙間風が吹き込んで来るのです。

 少女は路地裏でひとり凍えていました。小さな両手は寒さでかじかんでいます。

 先程まで誰かが暖を取っていたのでしょうか。目の前には焚き火の跡がありますが、火はすでに消えかけており、周囲に燃やせそうなものは見当たりません。一瞬だけ、首元のマフラーの存在が頭をよぎりましたが、それは亡くなった母親からクリスマスプレゼントで貰った大切な品。燃やすなんて絶対にできません。

 ミシン売りの少女は、せめて自分の扱っている商品がミシンではなくマッチだったら良かったのにと思いました。マッチだったら燃やせば暖まれるからです。

 山積みになっている手術用ミシンを恨めしげに見つめていた少女は、不意にある事実に気付きました。彼女は立ち上がり、リアカーに積んであった売り物の手術用ミシンを、焚き火にくべ始めました。

「暗い夜にはピカピカとお前の鼻が役に立つのさ」

 ついでに歌を口ずさむと、クリスマス気分になってきます。

 彼女が気付いたのはつまりこういうことです。

 確かに、手術用ミシンは一般家庭では何の役にも立ちませんし、こんなニッチな需要のものが、町で売れるはずがありません。行政上の扱いは『不燃ゴミ』です。しかし、よく考えてみれば、燃やそうと思えば燃えないことはないのです。マッチ代わりに使っても何ら問題はありません。それどころか、整備用の油も一緒に加えるとびっくりするくらいよく燃えます。

「あったかい……」

 黒煙をもうもうと上げながら、燃えさかる炎と、美しい火の粉をじっと見つめていると、ぽかぽかと体が温かくなり、まるで暖炉の前に座っている気分になりました。

 少女の目の前には、立派な煙突がついたレンガ造りの暖炉があります。その古くて大きな暖炉からは時折、真っ赤に燃え盛った薪がぱちんとはぜる心地の良い音が響いてきます。少女はふかふかのカーペットに寝転がり、足を伸ばしてすっかりかじかんだ手足を暖めようとしますが―――そこで不意に火が消えてしまいました。

 気がつけば、目の前には燃え尽きた手術用ミシンが残っているだけ。

 先程まで少女を温めてくれていたあの大きな暖炉の面影はどこにもありません。

 少女は再び、手術用ミシンを火にくべました。

 たちまち燃え上がったミシンの灯りが、彼女に再び不思議な光景を見せます。

 少女は明るい部屋にいました。部屋の中央には大きなテーブルがあります。雪のように白いテーブルクロスが広げられ、おしゃれなキャンドルと、美しい陶磁の皿が整然と並び、皿の上には食べきれないくらいのご馳走が盛り付けられています。リンゴやプラムなどの果物が詰められた焼き立ての七面鳥は宝石箱のようにきれいですし、真っ赤なイチゴの乗ったショートケーキは夢のようにふわふわです。ご馳走を目の前にして少女が戸惑っていると、信じられない出来事が起こりました。こんがり焼き色のついた七面鳥がぶるりと体を震わせ、皿からぴょんと飛び降りると、テーブルのうえを横切り、ナイフとフォークの突き刺さった姿のまま、少女のもとへやってきたのです。湯気を立てているそのご馳走に手を伸ばそうとした瞬間、部屋の灯りが消えました。

 気づけば、少女は薄暗く冷たい路地裏にいました。

 ミシンはいつの間にか燃え尽きています。

 リアカーから新しいミシンを取り出してきて再び火を灯すと、今度は目の前にクリスマスツリーが現れました。

 見たこともないくらい大きなツリーです。数え切れない装飾がほどこされ、緑の枝のうえに何千もの光が輝いています。少女は思わずツリーに向かって両手を伸ばし―――その瞬間、ミシンの火が消えました。

 クリスマスツリーの輝きは天に昇っていき、星になりました。少女は夜空を見上げ、もはや決して手が届かない存在となった輝きを眺めます。

 すると、不意に空から一筋の光が降りました。

 昔、母親から聞いたことがあります。星が一つ流れ落ちる時、魂が一つ神様のところに引き上げられるのだと。

「誰かが天国に行ったのね」

 少女が新しいミシンに火を灯すと、今度はぱあっと輝きが広がります。

 その光の中には、亡くなったはずの彼女の母親が立っていました。

「お母さん!」

 温かい光の中で柔和な笑みを浮かべている母親に向かって、少女は叫びました。

「ああ、お願い! どうか私を一緒に連れて行って! だってこの火が消えたら―――ミシンが燃え尽きたら、お母さんも消えてしまうのでしょう? あのあたたかい暖炉みたいに、おいしそうな七面鳥みたいに、きれいなクリスマスツリーみたいに!」

 少女はありったけの手術用ミシンを火にくべ、

「だからお願い、今度は私も一緒に連れて行って!」

 そう懇願しましたが、母親は困ったような表情を浮かべるばかり。少女は母親に駆け寄ろうとしますが―――不意に誰かに肩を掴まれ、体を揺さぶられました。

 少女は、はっと顔を上げてきょろきょろと周囲を見渡します。

 そこは白い粉雪がはらはらと舞う、例の路地裏でした。

「―――あ、え? ここは? お母さんは?」

 目の前には母親のかわりに、外套を身にまとった年若い紳士がこうもり傘を差して、立っていました。

「こんなところで寝ていたら低体温症になりますよ。今夜は冷えますから、早く帰った方が良い。きっとお母さんも心配しています」

 紳士は優しそうな声で少女にそう言いました。

 もう少しで母親と一緒に、天国に行けたのを邪魔されたような気がしました。

 そんな少女の気持ちなどつゆ知らず、紳士は彼女の頭に積もっていた雪を払い落とすと、右手に持っていた黒いこうもり傘を差し出しました。

 きょとんとする少女に向かって紳士は、

「どうか使ってください。クリスマスプレゼントということで。それではメリークリスマス」

 困惑するミシン売りの少女に、押し付けるようにこうもり傘を渡すと、紳士は少しの先の区画にある病院の建物に入っていきました。

 紳士から貰ったこうもり傘の中に入ると、少女は少しだけ暖かい気持ちになりました。


 しばらく経った後、ミシン売りの少女は病院の前までやって来てました。

 先程の紳士にこうもり傘を返しに来たのです。

 帰り道に傘がなければ、親切な彼も困るだろうと気付いたからです。

 大きな病院でした。入り口からは煌々と灯りが外に漏れています。扉の向こう側は何か別世界のように思えて、少女はしばらく中に入るのを躊躇していましたが、ガラス越しに例の紳士の姿が見えたので、思い切って院内に足を踏みれました。

 そして、驚きます。

 病院の中では雨が降っていたのです。

 天井からザアザアと降り注ぐ雨のせいで、床は水浸しです。

 いたる所から怒声や混乱した叫び声が聞こえます。

 例の紳士はどうやらお医者様のようで、今は白衣を着ています。慌ただしく職員に指示を出していますが、その全身は降り注ぐ冷たい雨でびっしょりと濡れていました。

「ああ、さっきの君か」

 目が合うと、紳士は親しげに声をかけて来ました。少女は訊いてみました。

「一体、何があったんですか?」

「火災報知器が誤作動を起こしてしまってね。ご覧の通り、スプリンクラーで水浸しになってしまったというわけさ。とんだクリスマスになってしまったよ」

 紳士は、髪から水を滴らせながら苦笑しました。

「それにしても困った。手術用ミシンが水で濡れてダメになってしまってね。手術中の患者がいるんだが、傷の縫合が出来ないんだ」

「!」

 紳士の役に立ちたい一心でした。ミシン売りの少女は申し出ました。

「手術用ミシンならここにあります」

「何、それは本当かい?」

 紳士は驚いた表情を浮かべましたが、すぐに冷静になり、

「ああ……しかし、ミシンがあっても、スプリンクラーが止まらないことには、壊れたミシンを増やすだけだ……」

「それなら私に考えがあります」

 紳士に案内されて、手術室に入った少女は解剖台のうえに手術用ミシンを設置しました。

 そして、ミシンが水で濡れないように、こうもり傘を差します。

「今のうちに縫合を」

 少女の機転によって、手術は無事成功しました。

 手術後、紳士はミシン売りの少女にお礼を言いました。

「君の持っていたミシンと、こうもり傘のおかげで患者を救うことができた。普通、クリスマスの夜に手術用ミシンを売り歩く女性はいないよ―――これは奇蹟だ! 神様からのクリスマスプレゼントに違いない。君には、何とお礼を言ったら良いことやら」

 紳士はうっとりとしていました。

「そんなお礼だなんて。このこうもり傘はお借りしたものですから」

 紳士は院長の子息でした。ちょうど水浸しになって、すべての機械類が壊れてしまったこともあり、事情を話すと、在庫に抱えていた大量の手術用ミシンは、病院が買い取ってくれることになりました。

 クリスマスに起こった奇跡によって、少女は家に帰ることが出来ました。

 運命の出会いを果たしたふたりはその後、結婚し、末永く幸せな家庭を築きました。


 プロポーズの際、紳士はその少女と出会った時の印象をこう語ったそうです。


「あの時の君は―――解剖台の上でのミシンとこうもり傘の運命の出会いのように美しかった」

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邪神はサイコロを振る 太平 洋 @ghost3

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