遺書『喪失権』

中田祐三

第1話

 なんと気疲れの多い人生だったのでしょう。 

 

 私は疲れ果てました。


 夏に青々とした若さを残し、待ちくたびれてしまうほど待っていた秋を目前にして、熟れていた実が晩秋を過ぎ、初冬に差し掛かった時期、腐食と見紛う程熟れたその実のように、私の心中は疲れきっているのです。


 思えば私の人生は理不尽の連続でした。


 ふと思い出してみれば橋の下で朝焼けの空をボンヤリと眺めていた子供は果たして日本の中でどれほどの不幸レベルなのでしょうか?


 うっすらと幻のように思い出す思い出は父の基地外じみた暴力なのです。


 幼かった私が何も状況をわかっていなかったことを思うとそれほどまでに母が守ってくれた証なのか、それとも自分は無数にやられてしまい脳の中の回路が切れてしまっていたのか?


  今ではわかりません。


 ただそれほどまでに私の人生は不幸というものでした。


 私は他人は他人、自分は自分と自然に分けていましたので他の幼児達から見れば何とも忌々しい人間だったでしょう。


 またあるときは一人でいると先生が話しかけてうざったかったので数人と話している集団の近くにいてさも話に参加しているようにして座っていました。


 当然かの集団の人間はいぶかしんで聞いてきます。


 何をしているのか?


 私は当然のように答えます。


 一人でいると話しかけられるので自分のことは椅子か何かだと思っていてくれ。

 彼らはうす気味悪がって私を排斥しました。


 よって私は常に嫌われ者の一人でした。 


いいえもしかしたら常に一番の嫌われ者だったのかもしれません。


 学校では気味悪がられ、無視されていた私ですが、その反面、母親には溺愛されました。


 当時母はスナックをやっていて女の子も使っていましたので小さかった私も可愛がられたのです。


 学校では嫌われ、家では溺愛され、この極端な生活が今の私の性根に影響を与えたような気がします。


 また母や姉の趣味でレディースコミックやエログロ少女マンガなどの本も読みふけっており、性的には早熟でした。


 しかしながら小学校四年を過ぎた頃から私は太り始め、所謂小学生の時にはとても気持の悪い子供でした。


 当時の写真を見ると死んでしまいたくなるほどです。


 無邪気な子供らしい考えではしゃぎまわっていたのを他者の目から見て、また自分が見たときに不快な感情にかられることは間違いないでしょう。


 あの醜さには子供の愛らしさも関係ありません。


 ああどうして子供の時に死ねなかったのでしょうか?


 そうすれば諸処の事情も、まとわりつく血筋の問題に気づくこともなかったというのに……。


それは心を潰してしまう程の絶望ではなく、緩慢に腐食させていく遅効性の毒なのです。

 人生というのは文字通り「人の生き方」です。


 私が忌み嫌った父や周りの環境も結局は私の『人としての生の一部』になってしまっているのですから、いくら私が否定しようとも、様々な形を通して自身にまとわりつくのです。


 もしそれを完全に隠そうというのなら文字通りの意味で『隠す』しかないのではないでしょうか?


 つまりまるで『スパイ』のように『犯罪者』のように、思い出を捏造し、あるいは誤魔化して生きていかなければならないのです。


 しかし私にはそんな気力はもうありません。


 『生を謳歌』しようと思いましたが、無理を重ね、自らを偽り、そしてその結果としての虚しい『生を謳歌しよう』とは私は思えないのです。


 私が生を終了するのは逃避なのではなく、疲れ果てたが故の諦めなのです。


 この遺書をどなたが読むのかはすでに『終了』している私には知る由もありませんが、このように終わる生があるというのを認め、そして黙認してください。


 どなたの批判も懇願も説得も、それ自体が私の『諦め』の『一因』なのですから。


 生きる権利……『生存権』もあるのなら、どうか死ぬ権利『喪失権』もどうか認めてください。 それだけが私の最後の願いなのです。



どうか……どうか……どうか……認めてください。

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