「九十九神って知ってる?」

中田祐三

第1話

ハア、ハア、ハアハア


荒く息を吐きながら『私』は山の中を走りまわっている。


口から滴り落ちる血を拭うけれど、腕にもベットリと血がついているので、あまり多くは取れない。


あいつが来るあいつが来るあいつが来るあいつが来るあいつが来るよ!


心臓は早鐘のように動き、視界は赤く染まっている……それでも止めらずに駆け続ける。


砂利の上の小石を飛ばし、木々の間を抜け、川を越えたところでやっと一息着くことができる。

「逃げられ……たか?」

右腕から炎があがったことで言葉は否定された。

「グッ……」

「やっと追いついたわよ?わんころちゃ~ん?」

女が『わたし』の前に歩みでてくる。

覚悟を決めて身構える。

女もやや腰を落とし、臨戦態勢をととのえている。

瞬間、二つの影が交錯した。


鋭い爪とキバで襲いかかる『私』の攻撃に対して女は回避に専念していた。

四肢が軋むほど、速度を上げていく。

やがて全力で突き出した拳が女の胸を穿ち、穴を開ける。

よし!勝ったぞ!

十分な手応えを感じ、勝利を確信した瞬間……炎は消えた。


そして気がついたら地面に倒れていたのは『自分』だった。


確かに突き破ったはずの女の胸には穴どころか傷一つなく、代わりに『自分』の全身はボロボロになっていた。


痛む身体を引きずりながら見上げると女の手には小さなマッチ箱があり、その足元には小さな煙を上げたマッチの残骸が転がっていた。

「な、なぜ……」

当然の疑問に、女はニヤリと笑い答える。

「マッチ箱の中の夢(ドム・イン・ハフラ)に囚われたらもう終わりよ、私のマッチは全ての因果律を曲げて望みの未来へと連れて行ってくれる……もっとも条件はあるけどね」

「そ、そうか……足元のマッチが……」

力無い声で納得する。

「ご名答、私のマッチ箱の中の夢(ドム・イン・ハフラ)を発動させる条件は私自身がすったマッチを燃えつきるまで守ること 、獣臭い攻撃に耐えるのは大変だったわ」

「そ、そうか……お前も『私』と同じ……同類な存在なんだな」

転がった『私』を足蹴にして、またマッチをする。

「またまた大正解、ただ補足が一つあるけれどね?」

そう言いながら火のついたマッチを『私』の身体の上に落とす。

青い炎が一瞬で私の全身を包む。

だが不思議と熱くも痛くも無い。

むしろ安らぎさえ感じる代物だった。

「九十九神って知ってる?どんな物も百年使うと意思を持つってやつ……あれってねおとぎ話の人物にも当てはまるのよ?」

ブスブスと無痛の炎に燻されながら『私』の耳に女の講釈が入ってくる。

「もっともあんたみたいに実話から派生した物語の場合は六十年くらいで『概念の意思』が誕生するんだけどね」

ふと自分の過去を思い出す。

もはや顔を思い出すことも出来ない主人をひたすら人間がたくさん集まる所で待ち続けていた光景を視認した。

「でもまあ、早く創られれば良い物じゃなくて、実話系の存在は得てして本質からかけ離れた状態で『概念の意思』を持つこともあるの」

ふと顔や両腕についた血を見る。

そういえばこの血は一体誰のものなんだろう?

「特にあんたは最後は餓死に近かったから、『獣の本能』の方が優勢になりやすい……よってよく処分の対象になりやすい」

「処……分……?」

身体が崩れていく、ゆっくりゆっくりと……。

そしてそんな状況でもやはり気持ちは穏やかだった。

「安心しなさい、死にはしないわ、あんたも私も人間の概念が寄り集まって産まれた存在……いずれまた新しく『概念の意思』が発芽してこの世に誕生することになるの……まったく面倒くさい話でしょ?」

そ……そう……か……これは……終わりじゃなく……始まり、また最初から読みなおすように……『私』はまた……始まるのだ……。

願わくば、もう一度……主と出……会いた……い。


パチパチと綺麗に燃えながら、哀れな獣は逝った。



概念のかけらになってしまった獣を見送っている彼女の後ろにはいつの間にか男の子が立っていた。

「……終わりましたね」

白と黒のツートンカラーのスーツを来て、執事のような格好だった。

「そうね……次に会うときはもう少し溜め込んでから生まれてくるといいわね」

「もう追いかけっこはしたくないですよ~、いくら僕だって見失わないようにするのが大変だったんですから」

愚痴る男の子に屈託無く女が笑いを返す。

「ありがとう燕、おかげで助かったわ」

「ま、まあ……昔と比べれば気楽な命令でしたけどね」

笑うと意外に可愛らしい女に照れたように燕は返す。

大事な人の頼みとはいえ、その瞳や皮膚を剥がすようなことをしていたあの時よりかは、この鳥遣いの荒い人の方がマシだ。

「それじゃ帰るわよ?明日からは浦島を求めて毎夜男を絞りつくす乙姫と戦わなければいけないんだから」

心底楽しそうな女に、

「ええ~少しは休ませてくださいよ~」

心の底から嫌そうに少年は答えた

のだった。


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「九十九神って知ってる?」 中田祐三 @syousetugaki123456

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