感謝


 「漫画家になる」



 口先だけの奴ではないことを僕は知っている。



 「だから、俺は東京に行くんだ」



 その大きな挑戦を聞いて笑う周りの人などいないが笑ったやつがいたならば僕は絶対に許すことができないだろう。

 夢は笑われるためにあるのか?………いや違う。



 「まずは専門学校で学ぼうと思っているんだ」



 彼にとってはまだまだ知らないこと多くある場所で知っている人が限られてくる環境で生きて行こうと決心するその姿は、僕には勇者のように見える。



 「親にもなるべく迷惑かけないようにしないと」



 彼が最も感謝をしているであろう人が彼の両親。

 『漫画家なんてやめろ!』と言わず、自分たちの息子が頑張る姿を応援する姿勢はめったにお目にかかることはできない。ほとんどの親御さんは自分たちの子どもが将来不安定な職に就くことを不安に思っているはず。ただでさえ就職率が下がる一方のこの世の中でリスキーなことに挑戦することを応援できる彼の両親の心は芯がしっかりしていると言わざるを得ない。



 「姉ちゃんが大学通っているんだ。それも私立。だから俺も学費の足しになるバイトを見つけないといけないな」



 またしても親の負担を考えて行動しようとする彼のオーラはすさまじい。

というより、絶対にしなければならないという使命感もオーラと一緒に漂っている。その凄まじい勢いに僕だけでは耐えきれない。



 「うちはそこまで裕福ではないからな。それでも行かしてもらえるということに感謝の言葉しか出ないよ」



 日頃、自分自身の機嫌が悪い時やこの生活が当たり前であると思う時。

 僕らは皆、『親への感謝』を忘れてしまうのでないだろうか。僕自身は何度も何度も繰り返してきた過ちであるため、身に染みてわかっているつもりだ。

 けれど、彼にその心が欠けたような素振りを見たことがない。

 




 


 以前、彼とショッピングモールで遊んでいたとき。



 「今日は母の日だけどどうしようかな。去年は花をあげたから………今年は小物にでもしようか」



 僕も二年に一度くらいは忘れずにプレゼントしているが、彼は毎年欠かさずあげているとのことで。



 「あーー。やっぱりあげたことがないものにしよ」



 小物は一度贈ったらしく、違うものを脳内で検索し始めた。

 そのとき、僕らは雑貨屋のテナントの前を通り過ぎるところでその店の中に目が入った彼は思いついたように声を張り上げて言った。



 「そうだ!うちの母さんのスリッパが破けているから、スリッパとかにしてみるのもいいよな。季節関係なく使えるし」



 作品の構想を練る力があるだけにプレゼントの内容を素早く思いついた。使用する時期を考えなくてもいいように年中使えるものを選ぶあたり、彼はすごく頭がキレている。当然、僕にはスリッパを贈るという発想が出てくる由もなかった。



 「決めた!今日はスリッパを買って帰ろう。色とかは………」



 そのあと、僕らは雑貨屋の店内に入り共に意見を出しながら選んだ。

 特に口出しをすることもなく、彼が「これどう?」と聞いて来るのを「いいんじゃない?」と返すというやり取りをしていた。

 種類が多いわけではなかったので一通り見終われば、あとはすぐだった。



 「やっぱ、シンプルなのがいいよな」



 そう言って彼はブラウンのふわふわの毛に覆われたスリッパを手に取った。







 「やっぱ、こういうのって自分が稼いで買う方がいいよな」



 僕たちは学校の規則でバイトをすることはできない。学校が違えど、校内の規則がきついのはどこも同じようだ。彼の一言は校則なんてなければ自分で…という思いがにじみ出るようなものだった。

 


母の日ギフトを選び終わった僕らは夕日が沈みゆく海岸線をバックに自転車を漕ぎ、帰途についていた。彼の家は海岸寄りとは言えないが少し内陸部。彼曰く、海の方で自転車を漕いでいると新たな作品案が浮かんでくるとか。その影響もあるのか無意識的に海の方へ行かなければならないと身体が動いているのかもしれない。




 「まあ、母の日に何もあげることができないという事態になるよりかは百倍ましだわ」




 良心の塊かよと思わせて来るこの人は明らかに格が違う。自分の欲望のままに生きてきた者としては内心焦りを覚えるような言葉。生まれてから一度も母の日をあげたことがない愚か者の心に深く染みこむ一言だった。




「次は父の日か。そうだな、去年は……車の中で使うゴミ箱をあげたんだっけ。車の内装に合わせて栗色にしたんだったな。今年は何をあげようかな」



 

 まだ母の日だというのに既に父の日のことを考えている彼の脳内はどうしたものだろうか。僕は一カ月も先のこと、ましてや家族の為になどといったことを考えたことはなかった。でも、彼はこれが「あたりまえ」のことだと言った。

 








 「あたりまえ」―――この言葉は「そうするのが普通」という意味。

 僕はこの言葉を乱用し過ぎているのではないかと思うことがある。

 最近、「料理はお母さんがするのがあたりまえなんだよね」という会話を耳にしたことがある。それは、その人自身にとっては日常の中で染み付いてしまった「あたりまえ」。だが反対に、「両親の帰りが遅いから、料理は私がするのがあたりまえなんだ~」ということも聞いたことがある。こちらも、その人自身に染み付いてしまった「あたりまえ」である。




 今一度、心に問いかけてみてくれ。

 



 あなたの心に「感謝」の二文字はありますか?…………と。





 


 




 









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数ある出会いの一つ―夢― 街宮聖羅 @Speed-zero26

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