数ある出会いの一つ―夢―
街宮聖羅
僕の夢
―――僕にはずっと「夢」がなかった。
でも、その「夢」を見つけさせてくれた一人の友人がいた。
彼は同じバレーボール部の友達という、友人Aのような存在だった。
小学校の時に一度だけ同じクラスになったことがあるだけで、僕が友達として認識している人の中では挨拶を交わす程度。
学校生活の中において会っても数回。いや、会わない日の方が多いくらいの彼。
部活中に見かけることはあるものの、すれ違うだけで会釈すらしない。
同じ空間で共に汗を流しつつあるのにまるで他校のチームメイトのようであった。
その時の僕らは『ただの部員仲間』という称号を与えられることもないままに月日が過ぎていった。
その出会いから一年、僕と彼は大きな成長を遂げていた。
ポジションとしては彼がエース。僕が正セッターの対角を支える第二セッター。
当時の三年生が引退して、一緒に試合に出る回数が増えた僕らは話す頻度が急激に増した。試合中の励ましの掛け声、スパイカーからセッターへの要望など。
それらはこれからの僕たちに良いきっかけをもたらした。
以前のように他人行儀な素振りもなくなり、共に助け合える関係を築けた。
しかし、僕と彼との距離は詰まる一方で他の部員との距離が縮まっていたためプライベートのことを話すことはあまりなかった。
だが、彼と共に試合に出続けることで絆が芽生えないことがあるはずない。
家に帰る方向が同じだったこともあり、たまに帰る人がいなかったときは一緒に帰っていた。
最初は主に部活についてだった。
監督の言っている意味が分からない、トスがうまくできないなどの愚痴。
部活がきついだの休みをくれだの部に対する不満。
それから、徐々に慣れてきたのか下ネタが増え始めた。
確かに彼を蚊帳の外から見る限りでは、他の仲の良い部員と話す際はそのような話題が多いのだろう。
それらの内容は数メートル離れていても、彼らの大きな声量によって耳に正確に聞こえてきた。
周りにいた部員らの笑い方が男特有のふざけた笑い方だったために容易に察することができた。それを心良く思わない者は部内にはいなかったが、隣の女子バレー部に変な目で見られていたことからその場の雰囲気を掌握していたのだろう。
だが、彼はそのようなことを言っても嫌われたりするようなことがない人間だったため、それらの女子とも仲が良かったように思える。
良い人であることは誰のから見ても一目瞭然。常に周りが見えている視野の広さは先生方に褒められるに値するものだった。自分の感情を押し殺すところと出していくことが抜群にうまかったように思える。そして彼はそれらのことから副キャプテンに抜擢された。彼は部の第二の顔として後輩の模範となるような象徴と言える存在へ。技術面でキャプテンに一歩及ばなかったという影響から彼は副キャプテンになったのではないかと僕は考えている。
それからまた一年が経ち、僕らは県大会の切符を懸けた勝負をする場に立っていた。非常に苦しく、全員が力の限りを尽くし、ボールをつなぐことをモットーとした泥臭いプレーを繰り広げていた。
そのころの僕らのチームは所謂弱小チームと呼ばれ、練習試合では連戦連敗を喫していた。監督に叱られて嫌になるくらいに。
しかし、競って負けることが多かったのか、ここぞというところで力を発揮しそこねるプレーが多くみられた。特にネット際の攻防において。
エースだった彼は相手チームの大きなブロックを突き破ることが難しかったのかことごとく止められていた。相手の体格が彼よりも二回りほど大きかったのもあるがエースである以上は打ち込み続けなければならない。
しかし、それでも彼はどんなに乱れたトスだろうが難しい位置からのスパイクだろうが打ちきった。そのガッツはチームを奮い立たせるきっかけ作りに大いに貢献したと言えるだろう。
僕らのチームは全体的にやる気がなかった時期がありその時の練習が疎かであったことが効いていた。しかし、その部分の技術を補えるような時間もなく、ただ日数を費やしていくばかりで成長が停滞していた。
さらに、三年間指導してくれた監督はバレーボール経験者ではなかったためにあまり技術面に関しての指導が少なかったことも一因であるようにも思える。
結局、僕らは地区予選で三チーム中の二位。惜しくも県大会出場を逃すことになった。
引退した僕らは受験生という名称を付けられ、その後の学校生活を送っていくことになった。部活という重りを外した僕らは下校時間が圧倒的に早くなった。
そして、僕と彼は同じクラスになっており一緒に帰る機会が増えた、というよりはほぼ毎日一緒に帰ったと言った方がいいだろうか。
帰る際の話はたわいもないことばかりで、今日の宿題が多いだとか、好きな人は誰だとか、あいつの授業めんどくさいだとか……。
とにかく、そのような話をできるくらいの友達として隣に立つことを許される関係になっていた。当時の僕はいつの間にかの状況だった為に特に違和感もなく一緒に帰っていた。中一の僕を見たら中三の自分はどう思うだろうか。こんな感じだったのかと驚嘆していたかもしれない。けれど、それを過去として位置づけて、「今は今!」なんて言っていたのかもしれない。とにかく、当時の僕はその空間にいられる奇跡を感じていなかった。そしてこのあと、僕は彼から様々な相談を受けることになる。
彼には夢があった。その夢の大きさは測れないがとにかく大きかった。
彼の小さい頃からの夢は「漫画家」。それもあの有名な某少年誌で漫画を描きたいらしい。
その夢を本人から訊いたのは中三に入ってからだが、噂で耳にしたことがあるくらい有名だった。それも彼の描がく絵はかなりの技術らしく、見たことあるものは絶賛していたということを友達に聞いたことがあったので、本人から直接聞いたことにより噂から事実に変わった。
僕は当時、夢ということについて深く考えず、ただ漠然と「社長」という夢を追いかけようとしていた。夢のスタートラインにすら立っていなかった僕は、明確な夢が決まりその道を突き進んでゆく彼を素晴らしいと思う反面、羨ましいという気持ちも心の中に存在していた。
明確な夢を決めるということは「自分の人生はこれなんだ!」と主張し、その主張が嘘でないことを証明するために周りに見せつけていくということ。
それは勇気がいることであり、かつ、自信を持ちながら生きていくということでもある。
僕には彼の覚悟がどこまでなのか知る由もなかった。
というより、彼の夢の深淵を探る権利が当時の僕にはなかったと言える。
だから、その時の僕はどこか遠目で「がんばれ」と応援していたのかもしれない。
今考えてみると僕が心から応援していたのかと問われたら答えられないような事態になっていたのだ。これは友達として失格な行為。最低な友人だ。
正直、最初の方はバカげた夢であると心の中の隅で感じていたのかもしれないが、もしかしたらという気持ちの方が大きかった気がする。
信じてみるということができなかった僕はバレーボールにおいてもかなり我儘なプレーをしていた。だから、このような気持ちがほんの少しだろうと芽生えた。
でも、彼がある日。
「一枚、絵を描いて贈ってもいいか?」
というようなニュアンスで聞かれた。
もちろん、僕はすごく欲しかった。
将来有名な漫画家になったら、この価値が上がる。なんて、考えていたのかもしれないがそのような煩悩はすぐに頭の中から消えていった。
とにかく、彼の描いた絵が貰える。それだけで良かった。
僕はありがたく頂きます、と返事をした。
だが、貰うまでの道のりが長かった。実に五カ月待っただろうか。
彼は定期テストでの成績不振から親に漫画を描くことを止められたり、彼が描いている漫画の案に頭を抱えたりと様々な問題の壁にぶち当たっていた。
僕はこの事情を聞きながら一緒に帰っていたので、毎回のように遅れることについてお詫びをされていた。その度に、
「延びてもいいよ、勉強の方もがんばれよ!」
などと笑いながら彼のお詫びを聞いていた。
だが、この時の僕は貰えないだろうと半分諦めていた。
僕の絵を描く暇があるなら、彼の勉学、作品づくるの方がよっぽど大切である。
それが友達としての思いだった。
内心はこのように思っているにも関わらずに普段の僕は「まだかよー?」なんて彼をせかしていた。
友達の心の余裕がいっぱいいっぱいの正念場でなんという煽りを吹っ掛けていたのだろうか。今考えてみると、これまた、先ほどのことといい最低である。
この状況で掛ける言葉は「どうだい?勉強の方は?」というような焦りを抑える鎮静剤のような言葉だったのだろう。
無神経さが露呈するこの場面は中学時代で後悔したランキングトップスリーには入ってしまうだろう。
やり直せるならば、彼に違う言葉をかけてみたかったと思っている。
過去の俺には拳骨十発くらい食らわせてやりたいが、それも叶わない。
それから数カ月、僕たち三年生の戦いは幕を開けることになる。
まず、初陣に私立推薦入試の受験生たち。ここで受験の呪縛から解放されるものが多く、教室は私立に受かった者の活気で溢れることになる。
県立入試を控える人達からすれば邪魔でしかなかったというのが率直な感想だ。
それから、県立推薦入試が始まり、落ちる生徒の方が多かったように思えるような戦果だった。その生徒たちは一般入試で屈辱を晴らすべく、今まで以上に机に集中していくことになった。そして、県立一般の滑り止めを受けるための私立一般が始まった。これはほとんどの生徒が合格した為、特に盛り上がることもなかった。
そして、最終決戦である県立一般入試の日がやって来た。ここがこの戦いの終止符を打つ、人生の大きな分岐点だ。
結果として、歓喜に浸った者、悲しみの雨を降らしてしまった者。
このように二極化した感情が合格発表当日を包み込んだ。
肝心の彼は第一志望をかなり余裕で合格した。
定員割れしていたこともあり、落ちていく人数の方が少なかったらしい。
受験から解き放たれた彼は早速、漫画の制作作業に取り掛かっていた。
そして、お待ちかねのあれ。
僕の絵が入試を終わって直後から一週間後に手元に届いた。
彼は、長い間待たせたことを平謝りしていたが僕にとってそれは些細なことになっていた。何故ならば、以前より格段に進歩した彼の作画技術は僕の想像をゆうに超えてくるものになっていた。繊細なタッチは以前の彼の絵にはなかった丁寧さが込められ、模写されたそれは原本と少しの狂いもないようなに見えた。その中に彼らしさがあり、より良いものが出来上がっていた。
ちなみに、彼はこの絵を制作するために漫画を三日間ほど休んで描いてくれていたらしい。すると彼はこんなことを言い出した。
「お前はこれからも繋がりたい友達だからな、喜んでくれてよかったよ」
「そりゃ、そうだろ。喜ぶだろ!」
当り前じゃないかとでも言うような心の声はぶっきらぼうだった。
心の中ではそう思いつつ本心は嬉しかったことについて僕は彼に伝えていない。
僕に描いてくれた絵は持ち帰るとすぐに自分の部屋の壁に飾って長い間眺めていた。嬉しさと同時に、自分の部屋に新たな色がつぎ足されて彩りが良くなったような感覚に包み込まれた。
入り口から一瞬で見える位置のそれは不思議なオーラを放っていた。
これから、大物になるような予感を感じさせてくれるような。
これからの大躍進を予期するような。
そして一か月後、僕たちは高校生にステップアップした。
僕の学校は中学と変わらず学ランであるため新鮮味がなかった。
しかし、彼の学校は高校生らしくブレザーを採用しており、それは彼の見た目を一回り大人へと成長させたような感覚にした。
そんな彼の新生活は漫画尽くしの忙しいものであったそうで。
学校がそう遠いわけではない彼は、すぐ家に帰って漫画を描く。そして、徹夜しながら描いて。フラフラになりながら学校に行く。その繰り返しをするそうだ。
さすがに少しは寝ているだろうがそれでも聞いているだけでこちらが倒れそうだ。
その生活を繰り返し、彼には一つの作品が生まれた。
系統はバトル物という彼が一番好きなジャンル。読ませてもらうとなかなか良かった。よく話の内容が通っていてかつ、絵がうまい。
僕が言える立場でもないが、世の中に出しても恥ずかしくない作品だった。
「これならいける!」と思った彼は近隣の県で行われる出張キャラバンに出向くことにしたらしく、僕は「一緒に行かないか?」と誘われ一緒に同行させてもらった。アシスタント感覚で行ってみるのも面白いかもしれない。それに彼の夢がかなう瞬間を見られるならいいなという願望も入っていた。彼の漫画に対する熱量は半端ではない。彼ならばいける。彼ならきっと良い結果が貰えるだろうと、そう思っていた。
当日、早朝六時の駅は人が少なく電車のエンジン音だけが鳴り響いていた。
冬へと変化する季節だったので、少し肌寒さを感じた。
そこに、僕と彼はゆっくりと歩きながらやってきた。
少し厚着の彼はこの寒さをしのぐためだと言って手にはホッカイロを持っていた。対照的に僕は薄着で持ち物は財布とスマホだけという非常にラフな格好。
僕らは、
「寒くねえの?俺はマジで寒いんだが」
「いや、それほどでもないよ?」
というような、これから勝負の場に出て行くというようなことを感じさせないたわいもない会話をしていた。
そして、俺たちは目的地に行くべく、まるで僕たちを待ち構えていたかのような顔つきの特急列車に乗り込んだ。自由席はほとんど開いていたため選び放題。僕らはトイレにすぐ行けるように入り口付近の席に座る。
すると、彼は座席に座って早々、
「まだ漫画描き終わってないんだよな、よかったら手伝ってくれよ」
マジかよ。内心はこのような気持ちだったが、アシスタント気分でついて行っている僕からしたらありがたいお仕事だった。
僕は彼からジーペンを貸してもらい、彼の指示したところを黒色で塗りつぶしていく作業を行う。彼が描き、僕が塗っているその最中、僕は彼に質問を投げかけてみたくなった。
「なあ、夢ってどういうものだと思う?」
「夢……かぁ……」
彼は手に持つペンを置き、僕の気まぐれな質問に付き合ってくれた。
「夢は……趣味の延長線上っていう考え方かな。夢ってさ、したいことを望むから夢なんだろ?それのスケールが大きくなっただけで根本的なことは変わらない」
「へええ、なんかすごい考え方だな」
彼の考え方に驚かされた。夢が趣味の延長線だなんて考えたこともなかった。
この答えを聞いた僕は突然腹を思いっきり殴られたような感覚に陥った。
この最中に彼は元の作業へと戻っていった。彼はこの質問を聞かれたことが影響したのか先ほどよりも緊張感を持って描くようになった。その線の一つ一つが彼のみこの先を切り開くかもしれない未来チケットを掴みに行くような勢いだった。
その姿勢を見ていると、僕の小ささが際立って見えた。
夢も持てていない僕は大きな焦りを覚えた。
このまま夢を持たずに高校生活を終えたくなかった。
そういう思いを目映えさせたきっかけを作ってくれたやり取りの後、目映えさせた僕らは目的の地へと降り立った。
彼の夢切符売り場はそう簡単にチケットを与えてくれなかった。
彼の漫画は画力を大いに評価されたものの、内容の方に関してかなりの指導を受けたようだった。
我が社には類似作品が存在している、もう少し内容を詳しく。などの言葉を言われた彼の表情は死にかけていた。
彼は覚悟はしていたもののまさかここまで言われるとは思っていなかったそうで大ダメージを受けていた。
事前にネット内の友人たちにアドバイスをもらった作品はここで終わってしまい、今まで作品に懸けた時間は水の泡になろうとしていた。
それでも、彼はあきらめずに帰りの電車に乗る前には新しい作品の案を作り上げていた。
出張キャラバンが終わってから電車に乗る前の間の短時間で次回案を作り上げる力を与えるほどの気持ちをこの企画は彼に与えていた。
帰りの電車では早起きしたことと日ごろの疲れが合いまったのか、すぐに夢の中へと入っていった。
彼は今回の大敗でしばらくは漫画を描くことをやめたと聞いている。
新しい気持ちを作るためなのか、それとも嫌になったのか理由は分からなかった。
何故描くのをやめたのかも見当がつかなかった。
お休みの期間を置くというのは良い選択だったように思う。
一度落ち着いてもう一度目標を再確認するという上で。
そして彼は再起動した。
彼は「もう誰にも何も言わせない」というスローガンのもと日々の時間を大切に漫画へと費やしていったそうだ。
「負けを知った者は強くなる。」
どこかで聞いたこのフレーズはまさしく彼そのものだった。
そんな彼は最近、リベンジの地へと赴いたそうだった。
一年前の屈辱を返すために一人で旅立った。
今度こそは。この思い一筋で頑張って来た彼に死角はなかったという。
新作は絵の技術の向上、内容の進化が著しく感じられるもので文句を言われることもなく、担当を付けるまでに至った。
彼は念願だった漫画家の世界への第一歩を踏み出すことに成功した。
僕は担当が付いた瞬間に立ち会えることは無かったものの、彼が笑顔で自分の故郷に帰って来られるということが何よりもうれしかった。
そして彼は、あくまで担当が付いただけだからこれからが勝負だ、とレベルの高い前向きなコメントをネット上で述べていた。
彼は長年の夢を叶えるべく本格的に動き出す。
その背中にいい意味で嫉妬した僕も動き出すことにした。
だから、僕は大まかな夢を作った。
「夢追う者のサポートがしたい」というざっくりとしたものだ。
人の夢をサポートするには人格・財力・人脈のこれらが大切であると感じた僕は、経営に関するもの・人の心の育て方・エッセイなどを読み漁った。
始まったばかりでまだ一歩も踏み出せていないけど、夢を追い続ける人々を助けられるような人材になることを約束したい。
漫画で人に感動や笑顔を与えていくだろう彼のような職を応援できるように。
夢を作る機会を与えてくれた彼との出会いに感謝。
そして、夢の終着駅を求めて、僕と彼は今日も走り続ける。
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