第52話 残り一分の攻防劇

江原が到底、出る筈のない力でボールを持って突進して来た、相手チームの一人をタックルで弾き返した。こぼれたボールは木下が拾い、そのまま単独し始めたが、それらは意表を突いた反撃だった。ちょうどいい位置に迄来た時、タックルを仕掛けられそうになったが寸前で、すぐ後方について来ていた仲里にパスを出した。この二人も到底、全力で走れるだけの力量は既に失っていたに違いない。

もし一瞬でも、このプレーが崩される様な事があったら、もう二度と連係を立て直す事はできない。いつノーサイドの笛が鳴っても、おかしくなかった最後のチャンスだった。

試合は終盤を迎え、さほど強くはない自分達を相手にしているとは言え、向こうも相当、疲れている筈だった。ただ今の彼等に、その相手以上の体力が残っている訳では無かった。

『例え、このまま終わってしまったとしても、やれるだけの事は十分やった…。』

長井は試合中にも関わらず『これ以上何を頑張るんだ?』と疑問を抱かずにはいられなかったが、きっと答えは土壇場で奇襲を掛けた、その彼等にしか分からないものだった。

来年という二文字が無い自分は、最後に何かをやり遂げたいと、みんなの前で協力を求めた。それが、この大会であり目的は優勝ではないが、実績が残る結果を出すのが当初の目標だった。では『実績が残る結果』とは、どこ迄を指すのかはボーダーラインは、具体的に取り決めていなかった。

未だに存在していない曖昧さが、投げやりな結末を招こうとしているのかも知れないが、適当な見切りを付けてしまっては、当初の目的が意味を成さなくなってしまう。それを、あの三人は訴えているのだと思った。限界に来ている今を、まだ限界の一歩手前迄、戻す事ができたなら勝つ事は不可能ではなくなる。

自分で提唱しておきながら、遂行できない実力の無さを感じたが、それが『その答え』だとも思った。やがて、もはやロスタイムに突入しようとする中、逆転できる確率は殆ど無かった。こちらが優勢の攻撃を試みているからこそ、延長されている様なもので、何かの反則が起こって笛が鳴ったら、即ノーサイドになってしまうのである。

後一歩の所迄、来ている様にも思えたが自分達には後少し、勝つ為の何かが足りなかった。長井には、そんな気がしてならなかった。

『もう、ボーダーラインはここでいい…。』

あまりの『時間が無い』という心理的な状況から、勝手な妄想から生まれる安心感に、奇襲をかけた三人を除く長井達は、支配されつつあった。早く試合時間が終わってしまえばいいとさえ思う、再び部員達を襲った悪魔の囁きは、立ち上がろうとする力さえ奪って行った。結局は最終的にボールを手にしている、仲里一人に全てが託される事になった。

パスしてくれた木下は直後にタックルを食らって、倒れ込んでしまい援護するのは困難だった。江原は遥か後方にいる為、とても当てになりそうにはなく彼等ができたサポートも、ここ迄だった。パスを繋ごうにも渡す仲間が周囲にはおらず、いるのは取り囲む敵だけだった。こんな時、キャプテンだったら…。

窮地に追い込まれた彼の脳裏に、棄権して終ってしまった、いつかの大会の場面が浮かび上がった。誰もが立ち上がれなくなった時、たった一人でキャプテンはみんなの分を走り、その時と同じ場面が自分に、再現できるとは思えないが立ち止まる事はできない。

「戦意喪失の長井を模範にしたって、しょうがないんじゃないの?」

冷静な判断かは不明だが、佳織は訴えた。それは当時の話しであり、今は司令塔として機能しておらず、最後にボールを所持するプレーヤーの独断が懸命だった。しばらくは向かって来るタックルをかわしながら、独走を続けたが標的にされるのを承知で、このまま孤立無援で走り続けるしかなかった。

こればっかりは避け切れないという、限界に来てしまって独走を続ければ、確実にタックルで捕まってしまい、ルール上はボールを離さなければならなくなる。パスを出す仲間がいなければ、手から離れたボールは当然、相手チームに渡ってしまい、蹴り出されてしまうのが目に見えていた。

仮に無事に通り抜けられたとしても、たった一人では十五人に太刀打ちできないので、ゴールラインに単独で到着するのは無理に近かった。どうすればいいのかと悩んでいる時、一瞬ためらいから走るスピードが緩くなった。

「迷うな!よく考えるんだっ!」

ここ迄の、お膳立ては江原と木下が組んで上げたのだから、後は自分で何とかしろと言う事を、近い位置にいるとは思えない長井が叫んだ。しかし、よく考えればこそ迷ってしまうものであり、それ以前に『指示を出せる資格があるのか?』となるのは必然的だった。

自分が部を去った後の次のキャプテンは、彼だと決めていたので仮にも今は、実質のサブリーダーを任せていると思っている。キャプテンになるのなら、それらしい所を見せてほしいと遥か遠くから、今更になって僅かながらの望みを抱いていた。例え勝負を諦めて試合を終わらせたとしても、棄権しない限りは善戦という結果が残る筈だった。

まさに『よくぞ言ったインチキキャプテン!』といった所で、最後の大会は綺麗に締め括りたいとかは結局、責任転嫁だった。

「接戦じゃダメなのね?それで終わったとしても、みんなの気は済まないのね…。後二点だけ、入れられる事ができたなら…。」

本当に冷静な藍子は、固唾を呑んだ。準決勝で終わったという実績は、校内中を説得させるのに十分過ぎていたが、その選択肢を、あえて捨てた部員達に胸が込み上げるものがあった。『諦めない勝負』という道を選ぶ為に、三年生だらけの相手チームに二年生の仲里が、たった一人で奮闘しているのである。

「ニ点?トライの後のゴールキックなら取れるかも知れないけれど直接は無理よね?」

せっかくの場面を見事にブチ壊すかの様に、佳織が言った。藍子は、一点差のリードを付けられている現状に対して後、何点入れられればという、意味合いで言っただけだった。受け取り方が、バカみたいにストレート過ぎていたのは、長井と同レベルの様だった。

仲里は次の瞬間、ボールを前に落として地面にバウンドさせて蹴るという、とっさの判断を下した。前回迄の試合でペナルティキックの合間に、起用していたドロップゴールだった。『どうか例え失敗しても誰も彼を恨まないでほしい』と長井は呟いたが勿論、これが失敗したとしても誰も責める筈がなかった。

『もう絶対に起き上がれない、意気地がないって言われても…。』

勝つ確率が乏しい現状なのだから、あえて取り囲まれている薮蛇に突っ込む必要は無いと思った。仮に外れたとしても、続行されるであろう試合には、加わろうとは思っていなかった。卑怯と思われ様とも、それだけ準決勝は身体に大きな負担が掛かっていた。

本当に疲れていたので単に立ち上がるのが、嫌だったという無責任、極まりない判断をした。責められるべきは無茶な得点を狙った、仲里ではなくキャプテンとしての立場に対し、放棄同然の行為を取った長井だった。

『このプレーの失敗は許さない、なんて言う奴がいたら俺が絶対に許さない!』

断腸の思いから、そう言いたかったが言う迄もなく、こういった考えこそが一番、卑怯なのである。肝心のボールは、周囲のマイナスだらけの予想を大きく裏切り、辛うじてポールを通過して行った。逆転した事を告げるレフェリーの笛が高々と鳴り、長井達は震える足で立ち上がった。

『どうかこのまま、ついでにノーサイドのホイッスルも鳴らして下さい…。』

嬉しいと言うよりは、そう願わんばかりで当初の『ペナルティーキック大作戦』は『ドロップキック大作戦』へと変貌し成功を収めた。しかし願いは叶わず試合は、もう少し続く事になり、もう長井達は立ってはいられないと、再びヘタヘタとグランドに倒れ込んだ。

『まだ逆転はできるチャンスがある』側と『まだ続けなければならない』側という、立場は全く持って対照的だった。試合前は相手チームの背中を追っていた筈が、終わり間際になって、追われる立場に変わってしまった。

こういった、何が起こるか分からないのがロスタイムの領域で、逆転時に感極まって立ち上がっていた勝浦も、ふさぎ込む様に再び腰掛けた。自分達にとっては逆転劇を掴み取れたのも束の間だが、相手チームにとっては、悲劇以外の何物でもなかった。

この悪夢の時間帯で起こるのは『奇跡』か『悲劇』の、どちらかだった。ただ優位性は自分達にあり、相手が何かペナルティを犯すか、こちら側がキックでボールをラインより外に出しさえすれば、それで試合は終わるのである。逆に、こちら側の反則で試合が中断されれば、今度は相手側に有利性が働いてしまい、延々と続いてしまう可能性があった。

とにかく気が抜けないという緊張感からか、ほんの一瞬、疲労感が消えた。時間的に見てワンプレーが限界という、見方が強かったが何かの拍子で『感動のドラマ』は、相手のものになってしまう。ここ迄来て、みすみす勝利を揉み消す様な事は絶対にしたくなかった。

相手ボールで再開され、ちょうど仲里の立ち位置に向って来たが、彼は余裕でキャッチすると高々と蹴り上げ、綺麗にノーバウントでラインの外に出した。すると短い笛の音が鳴った直後に、長めのホイッスルも鳴り響き、それは試合の終わりを告げるものだった。

一瞬だけ襲った緊張感と窮地の場面は、あまりにも呆気無く通り過ぎて行った。出場前は誰もが予想すらしなかった、決勝進出という快挙を、この時、成し遂げたのである。最終的に、自分達の勝利を決定的にしたものは、仲里の示した『リーダーらしさ』だった。

長井達には、事態が頭の中に浸透するのに時間が掛かり、ノーサイドの笛は聞こえていても、その場にボーッと立ち尽くすだけだった。勝ったとは言ってもグランドの中を、飛び回って勝利のポーズを体で表せる程、体力は残っていなかったので、誰もが素直には喜べないでいた。明らかな格上相手に一体、何が勝利を動かしたのか?

「どうしたんだよ、みんな。勝ったんだよ?もう終わったんだ、早く整列しよう…。」

仲里が語り掛けたが、もはや目の前で何が起こったのかを、しっかり把握できているのは彼だけだった。終了させる決定打を放った張本人と、それを傍観していたも同然だった立場の側には、実感の湧き方に違いがあった。

むしろ、自分達は勝ち過ぎたかも知れない。シード出場にも関わらず殆どをペナルティや、奇跡のドロップゴールで勝ち進むという、一発逆転策にも頼り過ぎていた。決して、純粋な実力で勝ち進めたのではない事実は、消耗し切ってしまった自らの体力が物語っていた。

『どうして勝ち上がってしまったのか…。』

振り返れば、試合に勝って勝負には負けたという内容ばかりで、この後の決勝は無事には迎えられない現状を、恐れずにはいられなかった。決勝進出という快挙が漠然としない大きな理由は、そういった断崖絶壁に立たされた様な思いからで、勝利の喜びに浸る余裕などはなく、本来は勝ち進むべき強豪に立ち塞がった『大会荒らし』同然だった。

とは言え前回の対戦時に負かされた上、優勝迄も持って行ったチームを破ったという、結果だけは残した。仮にも、この後に戦う事になる中崎のチームですら、勝てなかった相手だった。『運が良ければ次の大会で戦いましょう』と練習試合の最後に言った捨てゼリフは、現実のものとなった。

『ウチの学校が?嘘!?信じらんなーい!』

客席を見渡せば、こんな自分達にも声援を送ってくれる、ルールも知らずに勝利を喜んでくれた、多数の同校の女子生徒達がいた。ただ駆け巡る構想から、ベンチへと引き揚げる長井達の表情には笑顔が無く『本当に勝った方のチームなのか?』と疑われる程だった。暗い表情でゾロゾロと歩く『集団』には、せっかく駆け付けてくれた女子生徒達も、さすがに掛ける声が無かった。

「今あいつらのベンチに行って来て、とんでもない話しを盗み聞きして来た…。」

唯一、語り掛けたのは新山だった。『あいつら』とは勿論、次に対戦する中崎達の事で、その言葉を聞いた途端、先頭を歩いていた長井の足はピタリと止まった。

「どうして長井達が決勝なんかに…。一体、どんな練習をしていたんだ!?」

そう言って中崎は一人、発狂気味になっていたが、ある部員がなだめる様に言った。大した練習設備が整っている訳でもないのに、急に強くなる何て事は有り得ない。

きっと相手チームが弱くなっただけで大方、前回の総体の優勝から、いい気になって油断していたに違いない。『ウチはそんなアホの集団じゃないから』と聞いた長井は新山の両肩を揺す振りながら、かなり興奮して叫んだ。

「アホとは何だアホとは!イカサマ勝負やってシード枠から外されたのは誰なんだ!そっちの方が、よっぽどアホじゃないか!」

「俺が言ったんじゃない!『盗み聞きした』って、最初に言ったじゃないか!」

彼は慌てて弁解すると、話しは更に続いた。向こうの部員は仲間の中崎と、長井の間に存在する確執をよく知っていたので、今回が二度と復縁できないぐらいの関係にする、ちょうどいい機会だと言っていたらしい。

つまりは本気で潰しに来るという意味を、兼ね備えているものだった。二軍三軍を宛がわれた過去の対戦とは訳が違い、全国大会の予選決勝となれば向こうは当然、それ相当のチームで挑んで来る事になる。確執なんて言って所詮は、もう過ぎた事だと受け取られかねないが、それでは済まされない現状だった。

今日迄のわだかまりは決勝で晴らすしかないと、最後に新山は言った。晴らすどころか、こっちが『晴らされてしまう』のではないだろうかという、不安はあったが引き下がれない所に迄、来てしまった。ふとグランドを見ると決勝で戦う事になる、相手チームの面々が心無い愚痴を溢し合っているのに気付いた。

『女子高みたいな名前の学校とスコアボードを並べられたら、我が校の名が腐れる。』

中崎の姿もあったが、その中には加わっておらず、少し離れた所に一人で立っていた。シード枠から外れても、勝ち進んで来た彼が目の前にいたが、こちらの視線を察すると、さっさと会場から引き揚げ上げて行った。

どんなエリート集団であったとしても、ペナルティや、シード権に救われて勝ち上がって来た自分達と、グランドでの扱いは変わらない。かつては同じものを培い、同じ道を歩いていた筈だった彼との環境は、ある分岐点を期に一八〇度、正反対になってしまった。

再び出会ったと思ったら、今度は互いに全国大会の出場を賭けて対戦となった。難しい事を考えている内に今日は、かなり慣れない頭を使い過ぎていた様な気がしたと、頭痛がして来た。そーっと一人で場から離れると、少しトイレで頭を冷やして来ようと思ったが、途中の通路で、ある人影が目の前に現れた…。

「先輩!やっぱり観に来てくれてたんだ?」

それは大原だったが、一向に口を開こうとはしなかった為、不思議に思えてならなかった。自分を誹謗中傷するか、理不尽な要求を叩き付ける目的が無ければ、こうして姿を現す筈が無いが次第に、ある事を察した。

「言いたい事は分かっているよ。自分は在学中に何もできなかったのに、こうして後輩が実績を作ったりするのが、面白くないんだろう?」

不愉快だとか思われたとしても、何も悪い事はしていないし、自分一人で出した結果でもないので、これが現実だった。『またプライドを傷付けられた』となっても後輩達との努力を、とやかく言われたくなかった。

かつては気が強い脅威的な存在だった先輩も、卒業してしまえば所詮は部外者でしかないので、ご機嫌取りの必要も無くなり、これ以上の言い掛かりを付けられたくはなかった。

相手の口より先に自分の方から、言うだけ言ってしまえば今迄の様に、ヤラレ損にならずに済むとも思った。予想に反し彼女は何度も首を横に振って、さっきから表情一つ変えなかったのが、急に何かを訴えている様にも見えた。いつの間に目には涙を浮かべていて、初めて自分に見せた、決して普段は露にする事のない表情だった。

この時になって、ようやく彼女が悪ふざけなどで現れたのではないと悟った。『では一体、何の為に?どうして泣いているのだろうか?』と考える間も無く彼女は突然、静かに身を寄せて来た。そして延々と泣き続けていた為、その意味が、ますます分からなかった。

予想外の勝利という試合直後や、慣れない憶測を立てて頭痛が走っていた、タイミングが悪過ぎた…。『違う、そんな事を言いに来たんじゃないのよ…。』と彼女は純粋に『おめでとう』と言いたかったのだが、素直には言葉に出なかっただけだった。

本来なら、すぐにでも気付いて貰えそうな、この気持ちは長井は分からないままだった。決して温厚ではなかった『今日迄の経緯』という壁が、理解するスピードを鈍らせていた。出会ってから約三年もの間、あまりにも、お互いは互いを警戒し過ぎていた。

だから僅かの一瞬で、心が通じ合える仲などにはなれなかったのである。でも間違いなく言えるのは、そんな壁も今迄の不和も、この時点で消え去ったという事だが、それは今の長井には気が付く事のできない現実だった。

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