第50話 思いがけないパスポート

それから間もなくして、県予選の組み合わせ抽選会の日がやって来て、今回は林と橘と星の、スクラム最前列の三人が向っていた。どうして、このメンバーなのかというと、また長井の独断によるものだった。『意表を突いたメンバーで行けば意表を突いた結果が出る』と言っていたのだが既に、こんな判断自体が意表を突いた、いい加減な考えだった。

一時期、隠居同然になって身を静めてはいたが、卒業迄に結果を残したいという目標を掲げて以来、キャプテンとしての立場を復権させた。それなら始めから自分が行けばいいものを、肝心な所は人任せでいた態度に、みんなは不満を漏らしていた。抽選会から戻って来た三人は早速、ファイヤーダンスを披露するかの様に、組み合わせ表を開き出した。

「何ふざけてんだ!」

ひょっとして初戦の相手が強豪過ぎて、おかしくなったのではないかと、前田は呆れた様に言った。他に行かせられる部員はいなかったのかというのが、吉報を待った側に共通する考えで、過去の大会は、仲里のクジ運無くしては勝ち進めなかった。長井は急に、斬新な試みをしたいとか言い出して、彼を抽選会に向かわせるのを取り止めてしまっていた。

『いい加減にしろ!』

そう言いたかった誰もが声を抑えたせいか、場は静まり返ってしまったが同時に、ふと何かに気付いた。組み合わせが幸いして準決勝迄、行ったのを喜べたのは、この間で終わっていた。所詮は実力が、決勝で通用するものではなかった事ぐらい、大会前から現実として受け止めていた筈だった。もし今後、初戦で敗退した場合、原因が組み合わせの悪さにあったという様な考えは、もう許されない。

クジ運がなければ勝ち進めないなら終わりであり、どこと当たっても勝利の確信を持てる様にならないと、出る意味が無かった。どこかの強豪と当たったが為に負ける様なら、それ迄だと自分達は自覚するしかない。

長井は今回、そういった置かれた立場を理解して貰おうと、あえて抽選会には信頼のある仲里を向かわせなかった。どうも最後の締め括りが怪しく『本当かしらねぇ?』と佳織が代表するかの様に疑いの目を向けた。

「わざわざ持って帰って来た、この組み合わせ表を見て一人でも文句がある奴がいるなら、今から破り捨てる!」

すると橘が強気の口調で反論し、林と星も同様で仮にも任されて行った、本人達からしてみれば開いて見せてもいない内から、抗議を受ける筋合いなど無かった。クジ運ばかりは落ち度というものが存在しないが、この三人は、いまいち日頃からの信頼度が薄かった。

運命を託したのが仲里ではない限り、ろくな結果が出ないのは明らかとの、勝手な先入観を抱かれていた。それだけ彼の導き出す結末とは、周囲を裏切らない、大きな期待が持てるものだった。過去、土日にぶつかる日程のクジを引き当て、ほぼ全員から反感を買った経緯が『あった程度』だった…。

かなり揉めて洒落にならなくなり、笑い合っては済まされなくなり掛けた。場は再び静まり返り長井は、ただ黙って見届けていた。

試合以外の事で、自分が口を出す必要は無くなったと思い、これから後々に出て来る問題は、後輩達自身で解決して貰わないといけなかった。どうして、こうなったのかと言う元凶が理解できておらず、あまりにも図々し過ぎると、見かねた佳織が突っ込んだ。

「何さっきから黙ったままでいるのよ!」

斬新なアイデアだとか言って本来、抽選会に出向かせる筈のメンバーを外した事から、今の問題が始まった。つまりは試合以外の事に大きく口を出したのが発端であり、理想とは全く異なる行動だった。一向に反論などの返答が無かった為、みんなからの異議は無いものと判断した橘は『チャーンチャチャチャーン』と意味不明な奇声を発しながら、ようやくトーナメント表を開き出した。

ここで仮に不満が出た所で、既に決まってしまった組み合わせには、誰も逆らえない。その両脇を固めるかの様に林と星は、勝利とも言うべき情熱のファイヤーダンスを、再び踊り始めた。ある意味で、長井の抱いていた後輩達への期待を、誰よりも良く理解していたのは、この三人なのかも知れない。

そして運命の組み合わせ表を覗き込むと全員、何とも言えない心境に追い込まれ三人は、声すら出なくなった表情を勝ち誇った様に伺っていた。誰もが『…!?』と素直には喜べなかった内容が、この表には記されていた。

「そんなぁ…、まさかぁ…。」

「これって、何かの間違いじゃ…。」

やっと口を開いたのが半信半疑のままでいる、前田と及川で一番、驚かずにはいられなかったのが長井だった。去年、二回戦を途中棄権で終わらせていたにも関わらず、シード校扱いされていたのだった。初戦の相手は、どこなのかという不安から来ていた、さっき迄の騒ぎは、ただの取り越し苦労だった。

自分達と対戦するのは未知なる強豪とはなるが、どちらかの一回戦で勝った方となり、待ち構える立場になっていた。シードなので既に対戦位置は決まっており、何よりはトーナメント表の見栄えが良かった。

素直に現実として受止められない、大きな疑問があるのも確かで、こういった内容は普通なら事前に知らされる筈だった。抽選会場に出向いて初めて、シードだという事実を突然、知らされるなど有り得ない話しだった。

「本当に、本当にシードなんだな…。」

他の部員達と違い、怪しい待遇だと疑問に思うどころか、慎重にはなれなかった長井は、ただ声を震わせていた。部を設立させてから、たった二年目にして、全国大会の予選のシード枠を獲得できた。始めた本人からしてみれば、そんな特等席での出場が本当に信じられなかった。そのせいか今、部室内を飛び交っている推測には全く無関心で、求めているのは事実か否かの確認のみだった。

準決勝の舞台は、これ迄に二度も踏んでおり、一回目は新人戦で次が先日の総体だった。元々シード枠とは同大会の、前年度迄の成績で決められるものなので当然ながら、十分な結果さえ残せば翌年に獲得できるものだった。

いずれもノーシードで勝ち上がった、この二つの大会なら来年は、その枠での出場は間違いないと言っていい。今回の県予選は、言う迄もなく異なる大会にあたるので、参考には入らない筈だった。去年の成績といえば初戦こそ勝ち進めたものの、いきなり二回戦では優勝候補とあたった運の悪さがあったが、全く歯が立たず試合にすらならなかった。

あれから一年経って大した実績も残せないまま、シード枠を差し出されてしまうのは、何か筋違いな気がしてならなかった。『今回に限って何故?』と自分達が何かの埋め合わせの、まるで緊急策に使われた様にも思えた。

「こっちがシードだなんて一体、どうなっているんだ全く…。って、えっ?!」

今大会には他にも大きな動きがあり、理解し難い高待遇ばかりに目が行っていたせいで、肝心な点を見逃してしまっていた。最初に気付いたのは村田で、何と中崎の学校が一回戦からの出場になっていた。あらゆる大会に当然の様に、二回戦から出場していたにも関わらず、その指定席から見事はみ出てしまった。

仮にも去年に至っては準優勝を果たしており、それでも『惜しくも全国大会出場を逃した』とでも表現しているであろう、次元の連中だった。本来の枠が入れ替わったかの様だが原因は、この間の不可解な練習試合が大きく影響していて、実は大会直前という事もあって何校かの生徒に終始、偵察されていた。

長井達も相手校も、その事実には気付かず『プレー』に励み、つまりは相当に荒れ果てた試合光景を、そっくりそのまま見せ続けていた事になる。当然、偵察隊は黙っている筈もなく、お互いをライバル視しながらも考えは共通していた。中崎のチームがアンフェアを働いた実態を、各々自分達の学校に、土産話しとして持って帰ったのだった。

当初の目的に長井達など眼中には無く、優勝候補筆頭チームの戦力分析で来たつもりが、とんでないスクープ発掘の収穫となった。総体の決勝で負けた腹癒せに、無名校相手に到底、やるとは思えない卑劣な試合をした噂が、次第に流れて行った。中崎達が悪態の限りをフル発揮できたのも、そこ迄だった。

結局『よくない問題がまとわり付く集団』というイメージが強くなってしまい、どこからも練習試合の要請が掛からなくなった。大会前に、悪い印象が付きまとうチームと一戦、交えたいなどという学校が現れる訳がなかった。一度とはいえ、安易にバラまいてしまった種であり、敬遠の対象にされる結末からは、もはや避けて通れなくなっていた。

そこで、やむなく出場自体を辞退しようとしたが、学校側の反対に遭った。いかにも潔さだけを見せ付ける行為だと、周りに取られかねず、それをしたからといって、何らかの責任を取る事には繋がらない。かえって学校の面目が潰されると、校内で非難を浴びてしまった為、与えられる筈のシード権を取り払って、出場するという答えに辿り着いた。

本来、掴んではならないものに手を伸ばした当然の結果で、辞退された枠は何故か、長井達に優先的にスライドされていた。どうして、そうなったのかという裏の事情は、未だ誰にも知らされてはいなかった。

ちなみに中崎のチームとは決勝迄、勝ち進まない限りは顔を合わせる事はないが、彼等を倒す事が今回の目標ではなかった。敵は全て同じ目線にいるものであり、特に対戦意欲があるといった、優位性も感じていなかった。どことあたっても勝てなければ大会自体、自分達は通用しないと考えるべきだった。

いつもなら『順当に勝ち進めたら』の話しだと誰かが言って、笑って終わっていたかも知れない。もう一回戦出場チームではなくなった今となっては、勝ち上がって行く事こそが宿命であり、手段を選ばない強豪など別に意識はしていなかった。

長井にとっては、本当に全てが終わろうとしている、最後の大会だった。こらえ続けている肩の負傷も、いつ再発するか分からないので、ちょうどいい退き際だとも感じていた。

来年の新人戦も総体も、またシード枠が獲得できるとは限らないが、その時は自分はグランドに立つ事はない。自分がいなければ存在しなかった部は、自分がいなくなっても維持できる状態になり、後輩達に託す時期が、足音も立てずに近付いていた。

「何か上の空みたいだけれど、大丈夫?」

冥想にふけて、訳の分からない独り言に走る姿を、本気で心配する佳織だった。正確には、自分が去らなければならない立場にある事を、認めたくなかった。とにかく流れたシード権は、思いがけず手元にやって来た。それは、どこからか舞い降りて来た、幸運のパスポートみたいなものだった。

シード枠での出場の為、大会初日は当然ながら出番は無いが、参考迄に自分達と戦う相手が決まる、一回戦は観ておきたかった。会場に着いた時には既に試合が始まっていて、慌てて観戦し始めると、グランドからの尋常ではない雰囲気に気付かされた。

何故か自分達と同時に、救急車が到着していたと思ったら、頭を強く打った選手が出た様で搬送されて行った。このどちらかと仮にも次に戦う事になるので長井は、こんな雰囲気を最悪だと感じていた。

これが果たして一回戦なのだろうかと、他の部員達は声が出なかった。シード校の自分達より到底、劣っているとは思えない試合が今、目の前で行われていた。去年も似た様な事があって、勉強の為だと見学に来た筈が、かえって逆効果になってしまっていた。

まだ入部には至っていなかった箕田を無理矢理誘って、県総体を観に来た時だった。自分達と同じタイミングで救急車が到着し、全員が硬直してしまう事態になった時の二の舞を、まさに今回も踏もうとしていた。

二回戦から出場できる様になったとはいえ、まだまだチームは駆け出しで、完全なものではない。だからこそ、こんな緊迫した試合を見せ付けられただけで、動揺を隠せなくなる。優勝する為に出場するのか、もしかしたら勝てないかも知れないと、不安を抱きながらグランドに立つのかは各々の自由だった。

ただ当初に掲げた絶対的な目標とは、こうも簡単に崩れてしまうものではない筈だった。怖さから来るプレッシャーからは、誰も逃げる事はできないが、あえて避けて通れる選択肢を、自分達は持っていない訳ではなかった。

どんな試合にするのかは勝手に決められるので、無気力に走るのも自由だが、意気込みを持たずして、大会に出場する意味は無い事ぐらい分かっていた。そうなると悔いのない試合をしようという、みんな共通の答えに自然と辿り着くのだった。長井は必死に訴えたつもりだが、うまく伝わらず、佳織のフォローにもならない呟きが出てしまった。

「口で言うのは簡単なのよ、本当に…。」

そんな当たり前の様な心掛けは、本番が近付くと中々、実行できなくなるのも確かだった。どちらのチームと顔を合わせるのかなど、もうどうでもよくなり、試合を最後迄は観る事なく一人、その場から離れて行った。

キャプテンとして居られた時間は既に終わっており、どれだけ自分が、みんなの支えになれるのかが問題なだけだった。試合を組み立てるのは後輩達であり後は、それに手を差し伸べるだけだった。やがて自分達にとっての大会初日を迎えたが、会場に入った途端、誰も一言も発しなくなった。

シード枠という慣れない立場のプレッシャーから、みんな緊張し過ぎていたのが明確で、長井は雲行きの怪しさを感じた。下調べにと偵察のつもりで行った一回戦が、予想以上に激し過ぎた為、またも『かえって逆効果』になっていた。試合は圧され気味で進行してしまい、いい所が何もなく、何点かを上げられて前半が終わった。

あの激戦が目に焼き付いて、頭から中々離れず、今の対戦相手に恐怖心さえあった。もし、このまま打開策も見い出せずに終わるのなら、途中棄権した去年と何も変わらない。

自分達の実力は、この程度ではない筈だと思う反面、明らかにプレーに身が入っていなかった。とても今の状態では後半は迎えられず、前半だけで気力や士気は完全に落ちてしまっていた。『今迄の練習は何だったのか?また大差を付けられて途中棄権せざるを得なくなるのだろうか?』は言い訳だった。

やはり第一線から外れて、後輩達に試合の全てを行使させるのは、早過ぎたのかも知れない。そう言う自分にも打開策が見つけられない以上、チームを総括する資格は無かった。何も意見が出ないまま全員、疲れを癒すだけのハーフタイムが刻々と過ぎて行った。

自分達との対戦権を賭けて競い合うのは一体、どんなチームなのかと軽い気持ちで行った、一回戦見学会は強烈極まる『危険なハイキング』だった。事前に相手の戦力の情報取集をするどころか、カルチャーショックを持って帰っただけだった。それは悪夢となって、今日の試合に非常に悪い方向に降り掛かった。

シード枠での出場校という配置から、かなり周囲の視線も厳しく、とてつもない緊張感に走らされた。決して強くはない自分達は、そういう土台に始めから乗るべきではなかったと、安易な気持ちで向かった一回戦見学会の日を後悔していた。

息を切らしながら思いを張り巡らせる中、勝浦が言った。シード枠とは、あくまで勝ち上がって行く為の土台に過ぎず、強制的に乗せられたと受け取ってはいけない。対戦数を減らせるといった、決して楽観的なものでもないので、その枠での出場校らしさを意識した試合を、周りに見せる必要もなかった。

確かに自分達は、その枠を実力で勝ち取った訳ではないにしても、何もネックに感じる事はなかった。今戦っているのは毎年、上位に食い込んでいる様な強豪ではない。そう実力は変わらない筈なので、今迄の成果を発揮すれば絶対に勝てる相手であり、敵の威勢に翻弄されたりシード枠である事に、プレッシャーを感じている場合ではなかった。

それらの言葉は一人一人の心に大きく響き、再び守備位置に着こうとした頃には、いつものペースが戻って来た様に感じられた。技術は備えていなくとも、こうして奮起させてこそ、顧問としての役割が果たせたと言える。『本当かしらねぇ…?』と所詮は胡散臭い説教に過ぎないと、佳織は何気に疑っていた。

後半の開始早々には、トライを上げられる直前の所に迄、陣地を進めて来たがカギを握っていたのが仲里だった。後ろからユニフォームを、両手でガッチリと掴まれていた為、中々ゴールラインには入れないでいた。

掴まれた相手選手を、気合で叫びながら引きずって前進しようとはしたが、それ以上が進まなかった。彼自身、体が大きい訳ではなく馬力も無い上、周りの敵も味方も手を出そうにも出せないまま、ただ見ているしかなかった。すると相手チームの面々が『そんな小柄な奴は振り回せ!』と叫んだ。

タックルで倒そうとすると、どうしても一瞬だけ、ユニフォームを掴んでいる手を離さないといけない。その隙に逃げられるとトライを入れられてしまいかねず、今の体勢を崩す訳には行かないので、てこずるぐらいなら手っ取り早く振り回して、ボールを手から離させればよかった。両手で、ユニフォームの後ろを鷲掴みにされたまま、本当にブンブン振り回され始めた彼は奇声を発した。

「あーれーっ!」

得点回避を試みる相手と、それを阻止したい長井達側の思惑は交差するが、この場面では誰も助けに入る事はできないのである。回している相手はコンパスの軸の役割を果たし、仲里を大回転させる事で、スパイク跡で描いたとは思えぬ非常に綺麗な円を描かせた。

それでもボールを離す事無く前進しようとした為、そのグランドに描かれた円の直径は膨大になって行き、周りには大移動するハリケーンの様に見えていた。

「おおぉっ!?」

勝浦は思わずベンチから飛び出し、そう漏らさずにはいられなかった。彼の執拗な粘りに驚いたのではなく、スピーディーに移動しながら回る円に、芸術的なものを感じたからだった。マネージャー達、そして間近から見ている長井達も、開いた口が塞がらなかった。

ますます円は成長して行き、やがて思わぬ事態を引き起こしてしまった。回されている彼の体は、ゴールポストの方向に近付いて行き、綺麗に激突したのだった。

「あっ!おい担架だぞ担架!」

あまりの円の素晴らしさに見とれていた勝浦だが、ハッと我に返りマネージャー達に叫んだものの、グランドには既に、時間が止まった様に冷や汗がしたたる緊張感が走った。仲里は激突したショックからか、フラフラーっとゴールラインの中を、ボールを抱えたまま千鳥足で彷徨っていた。

それは場の深刻さを物語るものであり、レフェリーは危険極まる状態として笛を鳴らそうとはしていた。タックルで倒された訳ではなく、直立状態を維持している為、プレーは続行されているのだが、相手チームはボールを奪いに動こうとはしなかった。次の瞬間、仲里がボールを抱えたままゴールラインを割って、前方に倒れ込んだ所で長い笛が鳴った。

「先生ーっ、チョー長い笛よっ!」

トライを告げるものだったので千秋が叫ぶと、反応する様に長井達は、慌てて倒れている彼の元へ駆け寄った。

「先生が言った事は慰めとか嘘じゃなかった。本当に努力次第で、この試合は勝てる。」

そう言いながら蘇生した様に立ち上がった彼は、すっかり気迫負けしていた仲間達に体を張って迄、忘れ掛けていたものを教えてくれたのだった。長井は自分が去った後は、きっと彼が全ての意志を継いでくれると思った。

「おいっ!担架はどうしたんだ!」

「大丈夫って言ってたよ、本人…。」

ベンチでは勝浦が、まだそんな事を言っていたので、佳織が呆れる様に答えた。

「何をのん気な事を!みんな見ただろう?」

頭を打ったかも知れないので、きっと自覚症状がないから適当な事を言っているに違いない。大事な教え子が危険に晒されたというのに、さっき迄は血相の一つも変えていなかったどころか、その場面で芸術鑑賞に浸るという、顧問らしからぬ発想に酔いしれていた。

仮にも固いゴールポスト際で、ブンブン振り回されていたにも関わらず、誰がのん気だったのかと聞きたい。今更どんな心配をしても遅いと言うしかないが『ゴールポストという名の塔に忍び寄る怪しいハリケーン』といったオブジェか絵画ぐらいにしか、本人には映っていなかったに違いない。

その後はトライこそ奪えなかったものの、殆どを敵陣地で優位に進めて行き、焦った相手から何度もペナルティーゴールを拾っては、得点に繋げて行った。最終的には僅差ながら得点を上回って、ノーサイドの笛を聞く事ができたが、開始早々から勢いがあったなら、もっと点差を付けられていたとも思った。

反省点を述べる程の実力も無いだろうと突っ込まれるが、悪夢を引きずる様に幕を開けた二回戦は、こうして無事に終わった。続く三回戦は二戦目という持ち直しもあって、少し緊張感を抑えて迎えられた。元々部の創設から日が浅い現実は否めず、未だ大会慣れしていなかった。

前回の課題をここで晴らそうとは思っても、自分達の勝手な勢いだけでは当然、勝てない。試合が始まった途端、それは現実となり優勢に持って行くどころか、点差を開げられる一方になった。やはり二回戦の時と似た様な出だしで、幕を切ってしまったが相手のミスから得た、たった一回のペナルティーキックの成功が、形勢を引っ繰り返した。

その後も何度か得たペナルティーキックで、順調に得点を積み重ねて行った。ミスとは言う迄もなく、勝利の風向きを大きく変えてしまう致命的なもので終始、出さない完璧なチームというのも存在しない。

今、戦っている相手チームは決して、焦って反則を取られている訳ではなかった。当たり前の様に生じるエラーを何度か出しているだけであり、それを長井達が一つも外す事無くチャンスとして、拾いまくっているのは執念としか言い様がなかった。一方で不思議と、こちらが出すミスは失点には至らず結局、広げられていた点差を終盤に差し掛かった頃になって、その方法のみで挽回してしまった。

得点では上回ったので、例えノートライでも逆転さえしていれば、何も問題はなかった。最終的には去年の自分達のレベルなら、間違いなく負けていたと思われる相手に、確実なチャンスを活かした事で勝利に結び付いた。そんな相手に打ち勝った事で、確かに経験値が上がって行く実感が湧いていた。

「そう言えば聞こえがいいんだけどねぇ…、どう思う?」

所栓はペナルティーゴールだけで勝ちを拾ったという、ただそれだけの事じゃないかと、佳織は思った。何を確信しての呟きなんだと、長井の奇行ぶりを藍子と千秋に訴えたが、二人の反応は無かった。結局は、これが果たして実力で掴み取った勝利なのだろうかという、怪しい新たな課題が重く圧し掛かった。

そして舞台は準々決勝に移り、いわゆるベスト8であり、順当でない限りは勝ち残れない領域だった。ここ迄、自分達が登って来れたのは本当に順当だったからなのかどうかは、出番が終わる頃には答えが出ている事になる。

一つだけ言えるのは、前回迄の試合で勝ちを拾った方法は、もう通用しないという事だった。ペナルティーキック一筋で優勝したチームなど、あまり聞かない話しであり、それを自分達が仮に達成したとしても、伝説と呼ぶには程遠い伝説を作り上げるだけだった。

勝ち上がれたのは、相手の隙や反則を利用したものに過ぎなかったのか?今の自分達に、シード枠で出場する意味はあったのか?もうすぐ出る、その答えのホイッスルは鳴った。

この舞台に立っているのが、実力あってのものだという事を、どうしても自力で証明する必要があった。しかし歴然とした実力の差は現実となって現れてしまい、どんなに意志を持ってしても、相手の強さに体がついて行かず、一方的に追加点を上げられて行った。

勝てさえすれば周りからの、冷酷な視線を綺麗に吹き飛ばせるが、前半が終わり自分達が入れられたのは、二本のペナルティーゴールだけだった。それでも後半に入ると、相手チームは追加点を上げられなくなった。

長井達が前半の内に、ある程度の相手の攻撃パターンを読み切ったからで、やがては必然的に出る相手のペナルティーを拾って、再び追加点に繋げて行った。向こうもペースダウンしているとはいえ、前半に奪われた失点には中々、追い着けなかった。だからと言って偶然にしか生まれない、相手のペナルティーを延々に待つ訳にも行かない。

ゴールライン直前迄、何とか攻め込めるが、それ以上が進めそうで進めなかった。そんな場面で、相手が上手く反則を繰り返してくれるので、何度かのペナルティーゴールが成り立っていた。自力でトライが奪えない以上、追加点は『ペナルティーキック大作戦』に頼る他ないと思われた。

ゴールライン直前迄、攻め込んでおきながら、その先が繋げられないのでは勝機は掴めない。攻撃の続きを考えなければならなかったが、取るべき道はただ一つで、何とか力技でゴールラインに突っ込むしかなかった。

『力技以外に何かあるの?』と佳織に突っ込まれなくもないが、長井が策を練るべく、そうこうしている内に遥か先では、ボールを抱えた江原が独走で相手陣地に突進していた。二十二メートルラインに入った途端、勢いは『ためらい』へと変わった瞬間、ペースが落ちた。前方から敵が束になって向かって来たからで、そばにはパスを回す味方がいない…。

その名の通り後、たった二十二メートル進めさえすれば、確実にゴールラインに入れるのだが、それは余りにも長く感じるものだった。すぐ近くに誰も向かって上げる事ができず、これはミスを犯す以前の、日頃のフォーメーションの問題だった。せっかくの突進を止めたくはないが、その為には薮蛇に頭を突っ込まなければならない。このまま突っ切るしか道は無い様に思えた、その時だった。

「ポールに向って蹴ればいいんだ!」

そう仲里が叫んだのを合図に、江原は何かをひらめいた様に、ボールをワンバウンドさせてから高々と蹴り上げた。狙ったのはドロップゴールで、ボールがゴールポスト頭上を綺麗に通過さえすれば、それで得点になる。

蹴り位置から遠くはない距離と、角度を瞬時に見切った仲里が出した指示が見事に成功して、僅か一点差ではあるが始まって初めて、ビハインドから脱出した。直接、危機に遭遇した江原自身には、かなり焦りがあった為、こういう戦略を取る機転は働かなかった。

仲里の見ていた側だからこそ成し得た、的確な判断でゴール直前に迄来て、その先が阻まれるなら、何とかして突破口を見つけるしかない。どうすればいいかという力技以外の回避方法とは、この事だったのかも知れない。

長井は気付いてはいたが、とっさに仲里の様に指示を下す事ができなかった。勝機を見い出すのに、頭がいっぱいになっていた。

「そういうのは『気付いていた』っては言わないのよ!」

怠慢同然で仲間を助けに行かなかった上、自分の手柄の様に瞑想にふける考えなど、お見通しだとばかりに佳織は思った。その後の数分間は双方、追加点が無かったので僅かなリードを終了迄、守り切った形で勝ちを拾った結果になった。本当に接戦だったと、涼しい顔でグランドを降りる長井に、やっぱり突っ込みを入れた方がいいと思った佳織だった。

『あぁ、やっぱりあの連中、またしても非常にセコイ勝利を拾いやがった…。』

それ以前に、そういう無数の冷ややかな観戦の視線が浴びせられていたが、開き直るしかなかった。自分達は『相手の隙』というエサに、ひたすら喰らい付くハイエナ集団と思われて構わない。実力で勝ったと言っても過言ではないし、内容を疑問視され様が勝ちは勝ちなので、このフェアな勝敗に誰も異議を唱えられない筈だった。

これで運や、まぐれで勝ち進んで来た訳ではなかった事実を、周りに証明できた事になった。とはいえ、ここ迄クリーンなトライが無く勝ち上ったチームという印象が、ますます強くなった。唯一の一本というのも仲里が、敵と揉み合っている内に、何とか強引に入れたものだった。勝ち進んで来る過程で、どこかで負けてもおかしくなかったという結果が、付きまとったのも確かだった。

果たして準決勝はペナルティゴールだけで、勝ち試合に繋げられる展開を演じられるかが、大きな疑問だった。本来なら『次こそはワントライでも上げてみせる』という闘志に、かられないといけないのだが長井達は、とんだ遠回りの心配を抱える様になっていた。

『トライが入れられなくても勝てる方法』を考えるぐらいなら、トライを入れられる努力をすればいいだけの話しだった。破竹の勢いで勝ち進んで来た訳ではないので、気迫のエンジンが未だ全員に掛かっていなかった。

トーナメントという篩いに掛けられて、もう残っているのは、たった四チームになっていた。負けに繋がる様なペナルティを、何度も起こす試合を演じるチームなど、ある訳がなかった。どこかで長井達は何等かの戦略を練らない限り、自力での勝利は絶対に掴めない。タイミング良く出くわす、相手のミスから得点を積み重ねる方法や手段は、本当に通用しないのである。

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