第46話 『棄権』と隣り合わせ
また早坂は練習中、なんでもないボールを落としてしまって、何か言われると思い恐る恐る拾いながら、何気に箕田の顔を覗き込んだが彼は無反応だった。慣れてしまったせいか『怒らないのは何故?』と、かえって野次が無いと気迫が出ないとさえ感じ、反応が無かったので『何も起こらなかった』のが、逆に騒動の発端になり掛けた。
「いや…、ミスは誰にでもあるから。ドンマイだよ、ドンマイ。」
「ハハハ…。」
あまりの予想外の返答に早坂は苦笑いするしかなく、他の部員達も互いの顔を見合わせながら『ハッハッハ』と高らかに笑い合った。
「キモチワルいわ、ホント!」
猿芝居にも程があると散々見せ付けられた佳織が、たまらず言ったが、こういった仲間内での光景など過去、一度として無く明らかにぎこちなかった。この間の一件で箕田は、ここしか自分の居場所は無いので、もう二度とマウンドには立たないと心に決めていた。
立場をわきまえるなら、謙虚に振舞うべきだとも考え直した。周りにいるのは、こうして迎え入れてくれた、かけがえのない仲間達だった。逆に部員達にしてみても先日の件は、今迄の彼に深く突き刺さっていた心境を知る、きっかけとなった。今では事情が理解できたので、できる限り支えになって上げ様との考えが全員、一致していた。
エースの頃のプライドを捨てて迄、部の残留を選んだ行動に、酷く感動したからだった。あの練習中の奇抜なハイテンションが、わだかまりを必死で消そうとする焦りから来る、不安定な精神状態だとは気が付かなかった。
それによる『後遺症』が現れているのも事実で、みんな謙虚な気持ちが前に出過ぎてしまい、接し方が遠慮し合う振舞いになっていた。次第に練習にも影響が及び、かばい合うあまりタックルにすら行かなくなった。
「いい加減にしろ!いつ迄、仲良しごっこを続けるつもりなんだ!」
あらぬ事態を招きつつある展開に、痺れを切らした長井は、そう叫ぶと練習を一旦、中断させた。隠居の身であり普段は控え目を貫いていたものの、これ以上は黙って見ていられなかった。ラグビーとは元々、決してソフトなスポーツなどではなく、負傷し易いのは言う迄もなかった。極端に言えば試合中、仲間を罵り合うぐらいでないと成立しないものではあるが、どのスポーツにも共通する、励まし合いと支え合い無くして連係は取れない。
これを欠いたばかりに、こうしてワンポイント所では終わらない、長井のラグビー基本講座が開かれる羽目になった。かえって練習に支障をきたし、永きに渡る隠居生活からの目覚めは、あまり意味を成さない様に思えた。
「大会迄もうすぐだって言うのに、ナヨナヨの練習ばっかりやってどうするんだ!」
目前に迫っているものが自覚できないなら、隣町の小学校でやっている、タッチラグビーにでも交ざって来いという話しだった。先日迄、箕田は一人暴走して、仲間から不信感を持たれたかと思えば、今日は全員バカみたいに『キモチワルイ劇場』を演じている。どうして、その間が取れないのかと疑問でならず、やむなくキャプテンとしての威厳を示した。
箕田にしてみれば野球部への打診は秘密内容であり、どうか漏れない様にと、ひたすら隠していた。一方、部員達には残念ながら筒抜けになっているが、盗み聞きして得た情報の為、不知を通さなくてはならなかった。
箕田と同行していた長井は当然ながら、千秋が先陣を切った、部員達の方の事情は知らなかった。それでいて隠居生活脱却を図っており、みんなが阻止したいと思うなら、各自が責任ある行動を取るしかなかった。
やがて大会前日へと差し掛かり、いよいよ本番に向けての練習も最終日を迎えた。登録するレギュラー選手は今迄と変わらず、一年生は全員、またリザーブに回って貰った。これは以前、参加した曰く付きの地区内での大会と同じ内容にはなるが、公認の大会で控えの選手を付けるのは、今回が始めてだった。
箕田の騒動があってか、すっかり影が薄くなっていた勝浦には、ある決意があった。もし誰かが試合中、負傷退場する事があっても、一年生からの新たな選手の繰り上げは考えていなかった。去年の同大会は、あまりにも学年の差という壁が重く圧し掛かった。
勝てないと分かっていたにも関わらず、残り十人に減って迄も、続行しなければならない事態を避けられなかった。勝負は諦めたら終わりだとか、言っていられなかったのが明らかで、顧問として安全策を取る為、棄権を何度も勧告した。避け様と思えば避けられたものを、長井が頑なに拒んだ事で、そのまま薮蛇に突っ込まれてしまった。
教師生活を絶たれる寸前に迄、吊るし上げられる結果となったものの、学校から叩かれる程度で何とか事無きを得た。控え選手不在の状況が、個人に大きな負担を掛けてしまい、そういった凄惨な試合に繋がった。同じ悲劇を繰り返さない為にも、レギュラーが欠けた後の穴埋めは尚更、必要だとは思えるが…。
『その悲劇』を教訓にするなら補欠の一年生が出れる程、甘いものではないという答えに、辿り着く様な気がしてならなかった。今年はどうかと言えば一番のネックである、学年の差の壁が少しだけ薄くなった程度だった。
上級生が殆どを占める大会で、キャプテン以外は二年生で構成されるチームとは、未だ厳しいものがあった。当然、優勝は狙える位置には無く、まだまだ無謀な夢でしかない。
上位に入るといった目標を掲げるのも雲行きが怪しく、そこに一年生を出すなど危なっかしくてできなかった。もしも、また危険極まりない試合になったら、今度こそ失職しかねない。大会の雲行きの怪しさなんかより教員生命が後、どれぐらいかを計った方が良さそうで、部員達の身の心配よりも、まずは自分の身の安全を確保したいぐらいだった。
大会のレベルは相当に厳しいのは言う迄もなく、出場するのはレギュラー枠に記載してある、部員達だけだという事をよく自覚してほしかった。練習が終わった直後、最終ミーティングのつもりで、みんなを集めて言った。
一年生達を大会名簿に載せたのは、あくまでも形式上、取った処置なので試合には出さない。だから万が一には備えないので、リザーブは当てにはしないでほしいとの事だった。
『以上って言われたって…。』
仲間である筈なのに一年生は劣っていると思われたのが、どうも気に入らず村田を皮切りに、部員達からは不満を漏らす声が鳴り止まなかった。どうして先入観だけで端から出さないと、決め付けられるのかと勝浦に不信感さえ抱いた。やがては自分達こそ形式上、レギュラー枠に入っているだけだと、河野と箕田が揃って降りると言い出した。
学年が上というだけの話しで、新入生達より勝っているとは思っていないので、ここは中学時代から長く息を合わせている、一年生から二人を繰り上げるのが最善だと気付いた。
酷ではあるが否めない現実であり、誰かに指摘された訳でもなく、勝浦に反論するどころか謙虚さが光っていた。仮にも大会前日に、こんな論議が繰り広げられる事態は、部の中の相当な目茶苦茶さを物語っていた。話しはややこしくなり仲間割れではないが、また別な意味での混乱が始まってしまった。
「何か意見は無いの?卒業する迄はキャプテンを続けるって言ったんでしょう?!」
最終的にはリーダー格が決断すべきだとばかりに、そう佳織に急かされると、部員達からも意見を求められた。どちらかと言えば勝浦の考えには、あまり賛成ではなかったが、全体を監督する立場である顧問の出した方針には、逆らうべきではないと思っていた。
実は河野と箕田を見習ったかの様な、急に控え目な態度に変わったのは、他の理由からだった。元を辿れば勝浦に本来なら有り得ない、消極的な方針を持たせてしまったのは、かつての自分の強引な試合運びのせいだった。
棄権という勧告を、素直には受け入れられなかった為、今回ばかりは、勝利の度外視を選ばざるを得なくなった。監督命令とでもしてしまえば誰も逆らえなくなるので、勝浦なりの強行突破な手段を用いたという事だった。あの時、もっと早く指示に従っていたら、もう少し自分は信頼を得られていたに違いない。
闘争心だけで刃向かったが為に、負傷退場者が続出した去年の大会こそが発端であり、全ての原因は自分にあった。それは別として、一年生部員よりもキャリアが少ない河野と箕田が、レギュラーなのは今迄の流れから来るものだった。格下意識は持つなと言う以前に、まだ高校に入ってからの実戦を積んでいない。
これは年功序列でも劣って見られがちな、先入観でも偏見でもなく必然的な事で、この二人と違って新入生を大会に出すのは早かった。そう迄、念を押さなくても理解できなくはないが、そんな事情を考慮して下した決定は、あまりにも部の中では不評だった。
そこで勝ち進んで行った以降、続行不能者が出た場合、二人程度なら一年生をレギュラーに入れるという補足を、やむなく付加した。本来の人数を欠いたメンバーで、次の試合に臨まなければならない事態は、心細く感じるというより、もう絶対回避が必須だった。
どんな強豪チームでも例外無く、負傷による退場者が出るのは、よくある事だった。ましてや、こちらは規定選手数ちょうどの構成でもあり、この付加条件が通れば一年生の出番は、そう遠くはない話しだった。
他に、入れ替わらなければならない人数が、全体の三分の一を超える状況になった時点で、即棄権させる事とした。但し、これは数試合をこなせた累計に限ったものなので『棄権する条件』に達する頃には決勝あたりに差し掛かる事になり、まず有り得ないと睨んでいた。
更に成り行き次第では一試合中、一度に二人も退場者が出たりしたら、やはり同じ結末を迎える場合があった。そのぐらい厳しい対処法を設けないと、とてもではないが怖くて大会には出せなかった。
『ややこしい、実にややこしい…。』
長井は、足りないアタマで必死に計算し始めた。単純に言えば、一試合で許される戦闘続行不能による離脱者は、たった一人だった。優勝に辿り着く迄には大体、五試合はこなさなければならず、そのペースで勝ち進んで行ったとすると、負傷者の総数は全部で五人になる。規定の限界を超えるのは六人なので、何とかギリギリで済みそうだと安心していた。
「いや、待てよ。一試合で二人も退場したら、その時点で棄権になるから…。」
『何か、おかしな事を考えているんじゃ?』
トータル六人に満たなくても、大会を強制終了させられてしまうので、まさに今回は常に『棄権』という指示と隣り合わせの大会になっていた。さっきから一人で、ブツブツ呟いているのを勝浦は不審に思った。ただでさえ負傷者続出を抑えたい一心での、苦肉の策であり計算通りに、許容範囲内で退場されたのでは意味がなかった。最も決勝迄に何人の犠牲者が出るかなど、皮算用にも程があった。
「それじゃ後は、さっさと帰って明日に備えてゆっくり休もう!」
そう締め括った江原を合図に、声を合わせて全員、足早に部室を出て行った。最後迄、粘るかの様に残っていた長井は、勝浦と目を合わせた途端、みんなを追って帰って行った。
顧問として面目を保つ手段は結局、部員達に妥協してしまい、いささか危険な提示をして不完全で終わってしまった。これにより、教え子達に危険行為をさせる新米教師というレッテルは、再び剥がれにくくなり、どうか今回の大会は何事もなく済んでほしかった。
やっと下準備が終わったと勝浦は一人で、その場に溜息を吐いた。そして大会当日を迎え、一回戦の相手は、それ程は強くない様に見て挑んだ。学年こそ一回り大きくなっているので、去年より少しは、いい結果を残せるかも知れない。それにしても、たった一人の三年生キャプテンのチームで、どこ迄、通用するのかが大きな不安だった。
いざ試合が始まると、自分達を縛っていた鎖の様なものが一気に解かれ、止まらない勢いで攻め続けて、三〇点以上の大差で難なく勝利を収められた。見掛け通り、本当に強くはない相手だった。
グランドを降りると、そこには新山がいた。昼間の仕事が調整できたので、勝ち続ける限りは毎回、観に来れる様になったと言った。初戦を圧勝で終えたというのに、彼は水を差す様に、あまり歓迎はしていなかった。今の相手なら、もっと追加点が上げられていた筈であり、中盤で勝利を確信したので、力を抜いたのではないかとさえ思えたからだった。
『新山君、冗談を言っちゃいけないよ。』
そう長井は言いたいぐらいで、この大会自体、油断したり手を抜いたりする余裕など、とてもではないが持てなかった。もし、あらぬ誤解で見られていたのだとすると『ある事態』を引き起こしてはいけないという心掛けから来る、自然と浮き出た回避手段だった。
余裕が無いからこそ、こういう考えしか自分達は思い付かないし、言えば絶対、彼は怒り狂うに決まっていた。観客として来るのは勝手だが、こうして声援ではなく介入されるのは、単にチーム方針の支障に過ぎなかった。むしろ勝てると分かったなら、この先を見据えて、無理せず体力温存を優先すべきだった。
「俺達、退場者は一試合につき一人迄って決められているんだ。」
「えっ!?」
やむなく橘が事情を暴露はしたが当然ながら、さっぱり彼には意味が理解できなかった。とにかく、調子に乗ってハメを外して、負傷者を出す訳には行かなかった。全力を出し切っていないだとか言われて、周りから叩かれ様が、試合は慎重に運んで行く必要があった。
ここに来る迄、組み合わせなど全く知らなかった彼は、ふと会場内の対戦表が目に止まった。順当に勝ち進んで行ったとすると決勝では、中崎のチームと対戦する事に気付いたが勿論、そこ迄『行けたら』の話しであって、そんな推測を立てるのは現実的ではなかった。
『これ以上つまらない冗談を言うでない!』
トーナメント表を指で辿って行くなど大それた行為は、まず誰もやらない。明日も試合がある、また次もあるという確信など持てない事こそ、部員全員で彼に言いたかった。
「トイレは行かなくてもいいの?このバス、休憩ナシで学校迄ノンストップよ!」
中々帰りのバスに乗り込めないと、佳織が痺れを切らして言った。試合の前後には必ず行く習慣があったのを、ここ何年かの付き合いで、彼女は把握する様になっていた。最も明日に備えるなら尚更、早々に撤退しなければならない所であり、いつ迄もグランドに留まっているのは、ただの足止めと感じていた。
予想外な圧勝という結果に、すっかり緊張感が解けて、せっかくだからと急いで向った。『どういう事?』と呟いた佳織は呆れていた。いつものパターンだと、このあたりで大原が現れていた為、長井は途中、とてつもない胸騒ぎに襲われた。果たして今回は…。
辺りを見回したが、それらしき影は見当たらなかった。どこか陰から今日の試合は観ていたのか、それとも始めから来ていなかったのかも知れないが、どちらにしても、姿が見えなければ確認する事はできなかった。
『もう姿を現す事はない』と、いつかの彼女は立ち去る自分を唯一、見送った千秋にだけ言い残していた。その通りなら観戦の目的以外では、二度と長井達の前には現れない事になり、仮に来ていたとしても、試合が終われば足早に去って行かなければならなかった。
千秋は第三者が知り得ない、その場面での出来事を誰にも話していなかった。本人が二度と現れないと言っている以上、あえて打ち明ける事ではないと思ったからだった。
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