第45話 わがままな裏部長

「何だ、そのだらしないキックは!」

箕田は異常に、練習で張り切る様になった。その程度では大会に出たって、いい結果なんて残せないとばかりに、躍起になっている姿は、ついこの間迄なら考えられない事だった。

気落ちした素振りを見せる以前から、どちらかというと元々は口数は少なく、いざという時しか発言しない控え目な方だった。急にリーダーを気取った人一倍も張り切る変わり様に、部員達は驚くというよりは呆れていた。

それが何日か続くと次第に他の部員達の目には、その態度が面白くはなく映る様になって来た。まるで何かの迷いでも吹き飛ばす為に、あえてやっている様にも見えて、注意も、ここ迄来ると単なるヤジに取られていた。

「おい、いい加減にしろ!ミスしない奴なんているのかよ!」

最初に不満を漏らしたのは部員の中では一番、短気な早坂だった。パスされたボールを落としてしまった事に、注意を受けたのが感に障って、そのボールを箕田の顔に向かって投げ付けた。少なくても、こっちの方が長く経験を積んでいる意地があり、キャリアの浅い部員などから言われたくはなかった。

場が騒然となり大会を直前に控えた時期だけに、間違っても仲間割れだけは起こす訳には行かないと、真っ先に感じた長井は、取りまとめるべく大声で言った。

「今のは明らかにお前が悪い!箕田も河野も、いつ迄も新人じゃないんだから、タラタラやっていると、すぐに抜かれるからな!」

文句を言われるのが嫌なら、注意されないプレーを心掛けるしかない。さすがに、その言葉には逆らえず、早坂は渋々と投げ付けたボールを拾い上げた。まだ納得できていないといった表情を浮かべながらも、おとなしく練習に戻った事で、不穏な空気は消え去った。

きっと箕田は焦りを隠しているに違いないと、長井は睨んでいた。結局は、あの後輩達の元に戻る道は選ばなかったので、色々と悩んだ上での決断の直後だろうから、気が気でないというのは分かっていた。

そんな箕田が騒ぎの発端ではあるが、本当の原因は別な所にあり、部員達に日頃からある河野と箕田への格下意識だった。二人が入部した頃は勿論、そうなりかねない自分も含めて絶対に持ってはいけないと、みんなに注意は促していた。無意識の内に抱き続けていると、チームは連携を取るのが困難になり、不信感や壊滅に近付くだけだった。

ちょうど部の活動を始めて一年が経った今、起きてはいけない兆候が浮き上がり掛けていた。始めから部には上下関係は存在しないのが、設立時に掲げた理想の内の一つで、長井は普段から決して、後輩達より勝っているとは思っていなかった。キャプテンでいるのは、部としての形式を維持する為の手段でしかなく、もし部員達が、その理想をかき乱そうとするなら『手段』では片付けられなくなる。

その時は仕方がないので、キャプテンとしての立場を使って、取りまとめなければならなかった。チームは向上を願って実行に移そうとした時、どうしても内部で亀裂が走りそうになり、レベルを上げたいと各自が願うからこそ、やがては色々な意見が交差する。

まだまだ隠居する訳には行かないし、認識の違いが出るからこそ、全体を誰かが仕切らないといけないので、目的を果たす迄はキャプテンでいようと思った。

「カッコいいわぁ…。残り少ない間、一緒に部を支え合って行きましょうね。」

まるで『口だけは立派な事ばかり言う』とでも捉える様に佳織は言ったが、明らかな皮肉であり、真意を理解したかは定かではない。練習が終わった部室は、何の会話も飛び交う事なく静まり返っていた。早坂と、その味方に付いた大半の部員達が、さっきの長井の片付け方を理不尽に感じていたからだった。

その為、大多数を占める面白くないといった表情が、部室全体を支配していた。彼等は不満を口に出そうにも無駄だというのが、分かっているので着替え終わると無言のまま、さっさと帰って行くしかなかった。それは、ある意味での『抵抗』の姿勢だった。

もし藍子か千秋がいれば、何とか場を和ませてくれたかも知れないが、あいにく既にいなかった。まさかと長井は後ろを振り返ると、そこには用具をせっせと片付けている佳織が、まだ居残っていた。あまり彼女は、こういう場面では当てにはならなかった。

溜息を吐くと部員では、ただ一人残っている箕田が視線に入った。他のみんなは帰った後なので、佳織がいるのもお構いナシに、この間の話しを切り出そうとした。

「あのさ、箕田…。」

何を言われるのかは分かっていた様で、この間の話した通りであり、ここを辞めるつもりはない。その事で気を紛らわす為に練習で、異常なテンションを上げていたのは事実だった。仲間にあたり散らし、色々と気まずい思いをさせてしまったのも、今更で申し訳ないが悪かったと認めていた。

まるで長井には何一つ喋らせまいと、物凄い早口で自分の意見をまくし立てると、明日からは練習態度を改めるとだけ言い、足早に立ち去ろうとした。口だけではなく、逃げ足にも相当なスピードが掛かっていたが、そうは行かせないと無理やり引き止めて『ちょっと待てって!』と強引に座らせた。

『どうしても俺を辞めさせたいらしい…。』

そんなに迄して、野球部に行ってほしいと思うのは何故なのかと、押さえ付けられながらも、抵抗しながら必死で訴えた。佳織は、不気味な静けさの次は今度は何が始まるのかと焦り、静かに部室を出て行こうとした。

「もう帰るのか?」

どうせ彼女一人が知った所で、どうなるという訳でもなく、別に聞いていたって構わないと、後ろで気配を感じ取った長井は言った。

『失礼じゃないの!こっちがビックリして何が悪いって言うのよ!』

そっちが急に暴れ出したから、怖くなって逃げ出そうとしただけであって、か弱い女性の立場にしてみれば当然の反応だった。彼女は意外にも第三者に漏れると困る秘密には、実に口が堅かったのをよく長井は知っていたので、箕田にとって誰かに聞かれたくはない話しでも、この場で平気でしようとした。

野球部を作りたいとは思っても、うまく人が集まらないと言って入部前、目の前に現れた時、自分は何もしてやれなかった。新入生が入る来年、人数を集めて始めればいいとでも言うしかなく、せめて『それ迄の間』と割り切って勧めたのが、やがては一緒に活動するきっかけとなった。

所詮は野球部の後輩達が抱えている今の苦労など、関係の無い長井にとっては対岸の火事でしかなく、こだわりを持つのが箕田には理解できなかった。『再び野球に打ち込める環境が整ったら』が当初の、いつ辞められても構わなかった入部条件だった。守ろうとしているにしても、あまりにも時間が経ち過ぎた間、彼には大きな心の変化が現れていた。

『そんな約束は憶えていないから、もう野球の事なんて忘れてほしい。』

普通に考えれば、そう言って強引に引き止めるぐらいの往生際の悪さを、持っていても良かった。それを何の恩がある訳でもない、あの後輩達の目的を、限りなく果たそうとしているのは一体、何の為なのかと思った。

『アパッチ集団』と称する一味からの奇襲は勘違いで終わり、彼の野球界復帰の意思は完全に失せていると、確認できた時点で全ては終わった筈だった。昔の仲間の事情を考えて、今の部に留まろうとしているのなら、それは思い違いだと促す必要もなくなっていた。

男子が何割を占めるのかは、たかが知れている学校であり翌年になれば、何人の男子生徒が増えるのかなどという、期待を寄せる事自体できなかった。入学希望者の誰もが、あえて自覚していた現実だった。

そんな先入観を打ち砕いたのが、箕田の後輩達であり、一つのチームとして成り立つ程の人数で、かつての先輩を追ってやって来た。戻る機会は無いと思われていた野球部ではあるが、何の前触れもなく今頃になって出来上がったものに、飛び込む気にはなれなかった。

これが、この間の件で判明した彼の本心とされていたが、事態は収拾には至っていなかった。舞い戻る気は無いと周囲に思わせている反面、些細では済まされない、仲間と衝突を引き起こした事からも、中々拭い切れないでいる状況が明らかだった。

ここ最近は、それがずっと気掛かりだった。キャプテンとはいえ誰かの歩きたい道を妨げるなんて、どうしてできるだろうかとなるし、周りを気にする必要は無く、最終的には本当の自分の意思で選ぶべきだった。

「だから今、その時が来たんじゃないのかって言いたいんだろう?今の部を続けるかどうかなんて、やっぱり俺の勝手なんだ。」

返って来たのは何のためらいもない反論で、長井には深く突き刺さってしまい、口を開けず黙ってうなずくだけだった。キャプテンが、他人の過去の野球部の話しに首を突っ込むのは、おかしいというのが彼の言い分だった。

決定的なのは今でも、本当に野球をやりたい意思があるのなら別に、ここを選んだりはしない。あの後輩達との関係はハッキリ言わせて貰えば、今の部の面々には関係が無く、未練など無いからこそ自分は、こうして立っていると捉えて欲しかった。

ある意味で、あのアパッチ集団が入校して来た動機に酷似していなくもない。勿論『戦力構想外』『要らない』と言われれば、それ迄であり、さすがに逆らう気は無かった。

「最もだわ!しっかりしてるじゃないの。」

佳織は、すっかり聞き惚れていた。この学校に入ってしまえば、嫌でも甲子園への道など諦めるしかなく、夢を断つには絶好の環境だった。普通なら、何々がしたいと言って志望校を決める所『ピッチャー辞めます』と言って、できなくなる環境をわざわざ探し求めて来るなど、成せない業だった。仮にも我が校に、もっとマシな表現はできないのかと長井は疑ったが、彼女には誇りがなかった。

彼が今の部を、辞めたくはないという言い訳をすればする程、あの後輩達からの逃げ場を失いたくはないと、言っている様にも聞こえなくはない。それを言うと真っ先に長井の元に逃げ場を作った、河野と同じ理由になる。純粋に野球を続けたいと思っているのではなく『河野と野球がしたかった』に違いない。

誘いを受け入れないでいるのは、河野は絶対に、キャッチャーをしてはくれない現実からだった。もし行動を共にしてくれるのなら、迷わず元の鞘に戻っていたかも知れないが、そうではないと勘付いている以上、自分だけで決断する訳には行かなかった。それが最終的に、無理に迷いを吹っ切るかの様な強引な行動に、自分を走らせる結果となった。

「違う!この学校に隠れ込んだのが許せなかったんだ!だから俺も、ここに入って逃げ場を作れない様にしてやったんだ。」

ただ、それだけの理由だと言って否定した。本来なら会った瞬間、鉄拳制裁でもお見舞いしようかと思っていたが、今は必要は無くなった。共に肩を並べてスクラムを組む様になる迄、仲は修復となったものの、またバッテリーを組めるかは話しが別であり、河野は頑なに嫌がっていた。

こうした彼の異議は、それだけの理由で、高校なんて選べるものだろうかという疑問が生じ、何となく怪しかった。単に、かつての女房役を異様な迄に慕っているあまり、後ろを付いて回ったストーカーに過ぎなかった。

「そこにいるのは誰!?」

佳織が部室の入り口で、物音がしたのを感じると長井も、それを聞き逃さなかった。弁解に夢中でいた箕田だけは気付かなかったが、部員仲間の内の誰かだと思った。盗み聞きならタチが悪いが、聞かれたくはない話しなどしていない。それとも誰か忘れ物でもしたのかと、彼は入り口の方へ向かった。

「こんな所に何しに来たんだ?!」

そこにいたのは、あの後輩達で『何をしに?』とは言っても目的は誰かが説明する迄もなく、こうして部室なんかに総出で押し掛けて来たのは、彼に用があったからだった。どう見ても再び説得しに来たにしては、最終手段にしか受け取れず押し掛けというより『殴り込み』に近いものがあった。

「これ以上、何を言われたって無駄だ。全部、聞いていたのなら分かってくれるとは思う。かえって手間が省けて良かった!」

全員を部室に入らせたものの、相手の意見も聞かない内から、そう真っ先に言い捨てた。盗み聞きしていたのなら、こちらから話す必要が無くなった事になり、別に怒ったりはしない。せっかく追い駆けて来てくれたのは申し訳ないが、これで済まさなければならないのが現実でもあった。本当に慕ってくれるなら、どうか、そっと見守っていてほしかった。

「それでいいの?」

さっき迄、箕田の肯定派でいた佳織ではあるが、さすがに気遣いを隠せなくなって来た。彼には、この後輩達の気持ちが分からない訳ではないが、こうして目の前にやって来た目的と、自分が入った目的は根本的に違う。確かに河野の後を追って、この学校には入ったが、また野球がしたかったからではなかった。

『最初から君達は選択肢を誤ったのだよ。』

後戻りなどは不可能であり、その答えに尽きた。昔の後輩達の為に、自分の意思を押し殺す様な事はしたくない。今のキャンパスライフは絶好に満喫しており、所詮は自分だけが可愛かった。去年の語るに堪えない男子の少なさから、嘘を言っているのではないのは明らかで、もう何度も言って来た。

高校でも絶対的に野球の継続を願う球児が、どう考えても入る様な学校ではなかったので、こんな自分がエースだと呼ばれて、すまなかったという無念さだけはあった。幾等何でも後輩達は、ここ迄、見放されるとは予想しておらず、あまりにも冷たい反応だった。

とうとう佳織は何も言い返せない、この後輩達に同情し始めると、長井に改善を訴えた。彼の冷酷にあしらう態度を見せびらかされている様で、味方に走る気にはなれなくなっていた。何とかしてほしいと迫られたものの、あくまで彼個人の率直な意見であり、どうにもならなかった。彼に選ばれなかった以上は誰にも、その意思を責める事はできなかった。

むしろ自分の姿勢を明確に示した事で共感さえ覚え、この後輩達の方に引き下がって貰う他ないと思った。あえて言うなら何の予告も無く乱入して来た、アパッチ集団にこそ非があるのが歴然とした事実で、酷だと受け取られ様が、彼は間違った行動は取っていない。

「もう自分はキャプテンなんかじゃないんだ。いつ迄も頼ってないで、誰かがキャプテンになればいい。」

自分がいなくなった去年だって、そうやって乗り切って来た筈だと、トドメを刺す様に指摘した。全ては彼の、後輩達に対する接し方の悪さが招いたものであり、多少なりケジメの付く去就であれば、理解は得られていたかも知れない。突然グローブを投げ出して去って行ったものだから、こうやって、どうしたんだと追い駆けて来られるに決まっていた。

挙句、当時の事情を知らないのであれば、こちらの問題には首を突っ込まないで欲しいと、佳織に警告さえ発した。彼女にしてみれば、気を利かせて部室の掃除をしていたら、見ず知らずの過去のわだかまりが突然、勃発しただけの事だった。勝手に進行したものであり、そんなものを見せ付けられたら、次第に介入せずにはいられなくなった。

下手な同情は要らないとの念の入れ様には、かなりのわがままさを感じるものがあった。周囲迄をも巻き込む原因を作ったのは、どう考えても散々喚き散らしている『仮にも年下なのに随分とデカイ口を叩く』彼自身だった。

「河野に説得させ様としても無駄なだけだ。根っからヤル気が失せているから今では、すっかり、こっちが気に入って俺と一緒に続けて行きたいんだってさ。」

不信感さえ覚えた彼女は何とかして、この後輩達を救って上げたいと思う様になったが、それさえも見越していたかの様に、踏み倒される事となった。だから後は自分達で頑張るとの事ではあるが、河野の野球離れを招いたのは紛れもなく彼だった。自分のポジションを、守り通そうとしていると言えば聞こえはいいが、その中身は、さっきから自己中心的な発言を繰り返していただけだった。

もはや河野の本心の確認は意味を成さなくなり、そういう状況に鍵を握る存在がある以上、説得には使えない事になる。これで望みが完全に絶たれたので後輩達は全員、肩を落として引き揚げて行った。長井と佳織は、この事態の済ませ方を否定する事はできず、ただ黙って見ているしかなかった。

せめて彼に転機が訪れる迄にと、受け入れ態勢を作った長井の取り計らいは、かえって裏目に出た。その後の日々の経過と共に熱意に変化が現れて、彼にとって野球部の新設は、待ち焦がれていたものではなくなっていた。

ただ過去にも今にも、誰も間違った道など歩いた事実はなく、何が元凶なのかという訳ではなかった。困難に遭遇した事で、今迄は無かった枝道が幾つもでき上がり、その分かれ道に各々が飛び込んで行った。この学校へと最後は一本の道に繋がっていた為、河野と箕田と、あの後輩達は揃って辿り着いた。

結果的には司令塔も同然の立場である二人が、彼等とは別な道を切り開いてしまった事が、今回の経緯に違いなかった。せっかく再会を果たしたものの、また全員が同じ方向に進んで行くとは決まっておらず、それが唯一、望まれなかった手段という事になる。

単にタイミングが悪かったのか、それとも別な何かが、この件の要因なのか迄は追求できなかった。揉め事に繋がる事態は起こしたくなかった箕田は、仲間の部員達には内緒で済ませたいと思っていた。確かに後々尾を引くと面倒になるので、それには長井と佳織は黙って従ったが、そんな彼の用心深さから来る配慮は、実は見事に覆されていた。

この部室と、ちょうど背中合わせの場所には陸上部の部室があり、この一連の出来事は、そこから仲間達に筒抜けになっていた。誰が、先陣を切って仕組んでいたのかというと…。

今現在、ラグビー部と陸上部を自由に行き来する事が可能な状況にある、藍子と千秋だった。練習も追い込みに入らなければならない、大切な時期だというのに、ラグビー部員を引き連れて全て聞いていたのだった。

特に千秋はスパイ活動の前科があり、こういう分野は得意中の得意だった。二度と背信行為は働かないと、涙を流して誓っておきながら、つい仲間に乗せられていた。

『これは裏切りではない、気になる部員の動向を調査する一環である…。』

そう表現するには、かなりの強引さがあったが、それだけ日頃の箕田には、怪しい動きが見て取れたという事だった。大原の代の悪知恵は到底、やりそうになかった彼女達が引き継いでしまっていた。

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