第40話 春休みの大作戦

無事に長井は部に戻り、いつも通りの練習が始まっていたが、以前の様な風景になったのかと言えば、そうではなく幾つか違っている所があった。一つは長井が制服姿のまま毎日、グランドに現れていた事で、まだ肩のケガが完治していないんだと必死でアピールしたが、一番の理由は単に顔を合わせ辛かった。それでも最初の頃は、かなり部員達と距離を置き、ポツンと見学している程度だった。

「ケガもそろそろ治っている頃だろう?」

とある日の練習中、みんなを代表するかの様に及川が急かした。激しい動きは無理だとしても走るぐらいはできる筈で、いい加減、早く運動着に着替えて貰えないかと思った。きっかけとなった新人戦での負傷を、未だ引きずっている部員自体、大多数だった。

この間迄、たった一人で抱え込んでいた問題などがあり、かなり悩んでいるに違いない。察する所ではあるが辛いのは皆、同じで満身創痍の中で誰もが、この場を放棄できたなら、どんなに楽になれるだろうかとさえ考えていた。酷ではあるが状況をまとめるのがキャプテンであり、また一緒にやりたいとの強い願いを目標に、練習を続けていると言っていい。

下手に刺激して本当に来て貰えなくなったら、それこそ取り返しが付かなくなるので、しばらくは、そっと好きな様にさせてやろうと思った。そんな部員達の気遣いを薄々と感じていたのか、確かに悩んでいた。自分なんかでも必要とされているのならと、考え直して戻ってみたのはいいが、何だか居るべき場所ではない様な気がしてならなかった。

元々は自ら立ち上げた部であり、おかしな話しで、あまりにも隠居するには早過ぎる。藍子と千秋は今、目の前で起きている事は本人自身の問題だと思った。まだ大原の件が引きずっているとか言うのは関係無く、このスランプの様なものは、自力で脱出できなければ絶対に取り除く事はできない。

『この腰抜け野郎!』

一方で対照的な佳織は、そう言う機会を伺っていたが勿論、そんな事をされたら全てが台無しになってしまう。日頃から全員が一丸となって、何を言い出すのか分からない彼女を必死で抑えていた。もう一つの今迄とは違っている練習風景とは、別に呼んでもいない新山が、あれから常時参加している事だった。

長井が自信喪失の現状、心細いだろうと勝手にコーチを名乗って、練習を取り仕切っていた。ハッキリ言えば実に有り難迷惑な行為だが、本来のキャプテンが機能していないのだから仕方がない。誰かが『ハイ』と言った訳でもなく、自然と彼をコーチの座に就かせてしまっていた。実質、キャプテンは不在に等しく、どうしても気に掛かる事があった。

「おーい集合だ、集合っ!」

普段から浴びせられ続けている不満いっぱいの視線に、痺れを切らした新山は突然、部員達に叫んだ。決して嫌いという事ではないし、こうしてコーチをしに来てくれるのが、嬉しくない訳でもない。

「なぁ、何となくは気付いていたんだけれど、そんなに俺じゃ嫌なのか?」

『いや何となくじゃなくて、もっと早く気付いてほしい。答える迄もないだろう?』

部員達は一斉に呟いたが、かつての先輩には逆らえなかったので、口には出せなかった。

「分かった…。コーチとして認めてしまうと、元々のキャプテンが、いなくなってしまうんじゃないかと思っているんだろう?」

長井が本当に、消えて行ってしまいそうな気がしてならなかったのが、自分をコーチとして迎え入れたくない一番の理由だと、自信をもって指摘したが全くもって無反応だった。

「何か言ったらどうなんだ!先生からも言ってやってくれよ!」

一層の痺れを切らして唐突に勝浦に訴えたが、安易な言動は出しゃばりとなり、羽目を外すのが怖かった。促される迄もなく、何かを言いたそうで言わない部員達に、割って入ってやりたいとは思っていたが、まだまだルールとかが分からない。

まず教えてくれるコーチが、わざわざやって来たのだから、指導者が増えたという事で、ハピハピハッピネスと捉えなければならない。実に身が軽くなって、いい様な気がしていた。

『何故みんな、その有難さに気付かないのか?いっそ、こっちに転校して正式な部員にならないか?』

そんな考えさえ浮かんでいたが、自身の立場でものを言っているだけであり、肝心の部員達にとっては喜ばしいものではなかった。それに他校の生徒がコーチに来るなどという、体制には相当の無理があって、あまり長くは続けられない話しだった。

回し者、或いはスパイ行為だとか言われて、校内で迫害を受けたりした時には責任が取れなかった。この練習場が、学校から離れた人目に付かない所にあるのが、せめてもの安心感かも知れない。校庭などでは目立ってしょうがない以前に、既に本人が開き直って来ている為、その心配については不要だった。

話しは進まないままだが、この場にいたのかどうかすら分からなかった長井が突然、輪に入って来た。こんな事を言える立場ではないが、しばらくは新山をキャプテンだと思ってほしいとの、普段の性格からは想像も付かない、とても控え目な意見だった。

こうして仕事の合間を練って来てくれているのか、それとも単に、勤務時間を削って自滅しているのかは怪しいが、その事には感謝はしないといけない。以前の自分に戻るには時間が掛かるから、それ迄は誰かに任せたいとの一心から、みんなの為に何ができるかを考えたら、か細い声で訴えていた。

部員達にとっては到底、納得できる内容ではなく、謙虚な態度には違いないが結局は押し付けに過ぎない。高校生活に入ってから約二年も、実践を休んでいる先輩など期待できないのが本心で、さすがに現役でやっている後輩達に、とっくに抜かれてしまっている。

否定できないし理解は得られない様にも思えたが、それだけ自分達は、かなり追い込まれている立場だと自覚しなければならない。実力は落ちていても試合の組み立て方や、練習内容はどうすればいいかとなると、コーチ目線の方が当然ながら指示し易くなる。

現役の立場を主張するなら尚更、分かり切っていなければならない事で、これで異議を唱える者はいなくなり、やっと新山はコーチとして振る舞える優越感に浸った。

『コ―チになれたぞ、イェイイェィ!』

激しい波の様に続いた彼の『コーチ招聘否定論』は、あたかも最もらしい理屈で、あっと言う間に幕を閉じた。もうラグビーとは関わる事は無いと思っていた寂しさが、一気に吹き飛んだ様な気がしたので、他校生であるが故の諸問題などクソ食らえだった。

しかし今度は大きな問題が出て来た事に気付いて、最近は何とか全日制で言う放課後の時間帯に、ほぼ毎日の様に顔を出せてはいた。自分にとっては登校前に相当し、普段なら今時間は仕事を終えて登校している頃なので、こんな日課が今後も続けられるとは限らない。

「今ぐらいの時間は授業にぶつかってしまう事もあるから、もしかしたら欠かさずは出れないかも知れない。その代わり朝練習は毎日、付き合うよ。」

せっかくのコーチ就任を、自らの都合で水に流したくはないので、強引なプランを立てるのに必死になった。頼りになる存在ではあり今迄、黙殺しては来たが、どう考えても学業や勤務に支障が出ている筈だった。

「なぁ、新山君よ。」

「何で…、ありんスか?」

長井は、確認の意味も込めて問い質そうとすると、ますます焦りが隠せなくなった。この先の『大きな問題』とは、生活や学費を支える日々の仕事だった。

「ぶつかってしまうかも知れないじゃなくて、モロぶつかるんじゃないのかい?練習の手伝いに来てくれるのは嬉しいけど、肝心の生活は大丈夫なのか?」

「だからぁ、今後は朝練習に専念を…。」

朝のコーチは自分、そして本番の放課後の練習は、いずれ長井が取り仕切ればいい。焦りを抑えつつも意気込んで、うまくまとめたつもりが、そうは問屋が卸さなかった。

「いや、それはできないんだ。」

『どうして?』となり今度は山元が言った。

「だからぁ、無理なんだって。」

「だから、どうして!」

「やってないんだよ、朝練習なんて。」

再び山元が念を押す様に言うと、さすがに声が出なくなった。朝っぱらから激しい練習なんかしてしまうと一日中、疲れが取れなくなってしまい、授業どころではなくなってしまうからだった。まだ朝露の残る校庭で励んでいた時期は、あるにはあったが練習場所が、どうしても確保できなかったからだった。

夏休みという事もあり、差し支えるものが何も無かった為、あの時は夢中になって体を自由に動かせた。あまり朝練習は効果が無いとの、実に余計な無駄知識を何かで知った為、個人練習で朝に軽いジョギングをする事さえ、キャプテンの一存で禁止してしまった。

以来、遅刻寸前といった特例を除いて、登校中に駆け足をする部員さえいなくなった。とにかく、練習時間が欲しかった自分達にとって『授業』という名の鎖から解放された、ほんのひと時の思い出話しだった。それは財産であり一応、感謝しなければならない…。

「そんな理由で朝練習をしないなんて、ただの怠慢だろう!?」

勝手な美化に怒り狂う寸前になったが、誰も耳を傾け様とはしなかった。キャプテンは機能しなくなっても、こういう習慣だけは活かされており『そんな事迄を部員達に?』と聞いた途端、愕然としてしまった。

「これから放課後は出れる範囲で構わないから。期待したって朝練習はしないから。」

そう言って念を押した長井は、気に掛かるものが一つ減った気がして、すっかり蘇生したかの様だった。他校の生徒が先輩風を吹き回すなど、調子のいい話しには何かしらの裏があり、どうしてもコーチになりたいと言うのなら、こういうリスクは背負わなければならないのかも知れない。

『せっかく来てやったっていうのに、この態度は何だ!もうヨロシクやってろよ!』

否応無く従わざるを得ないので、ますます怒りが心の底で爆発した。こうして妥協して就任した見返りかどうかは不明だが、コーチを超えた臨時キャプテンの座が保障されたものの、翌日から仕事の切り上げ時間の調整が中々つかず、殆ど来れなくなっていた。

無理して参加しようとすると、肝心の登校時間にも支障が出るからで、元々が口約束だけの胡散臭い役職であり、結局は有効利用できなかった。みんなの要望が叶ったとでも言うべきか、新山不在で日々、スムーズな練習が進んだ。長井にとっては、彼のコーチ志願といった一連の行動がなければ、こうして復帰する機会は無かったと間違い無く言える。

やがて入学してから二度目の終業式を迎え、春休みにも入り実質、三年生になった。同じく春休みに入った新山は、この時期を待っていたかの様に、念願の早朝練習に加わった。ある意味で開放感みたいなもので、しばらくは授業に束縛される心配をする必要が無い。

気に掛けなければならないのは、夢中になり過ぎて、仕事そっちの気にならない様にする事ぐらいだった。新人戦で負った部員達のケガは、すっかり完治して当然ながら相当の日が経っており、無理に練習試合も入らない為、長井も肩の調子が良くなっていた。

今度こそ本当に、以前の様な状態に戻った様にも思えるが、決してそうではなかった。長井は練習中、全くと言っていい程、笑顔を見せなかった。それに影響されてか他の部員達の表情にも、頑なに不自然な真面目さがあって、かなり本来の活気ある練習と程遠いものだった。毎日、目の当たりにさせられている勝浦は気が気でなかった。

いい加減、こんなガチガチの練習を続けていたら、また取り返しの付かない事態になってしまう。考えられないのは先陣を切っていたのが、クソ真面目な練習を一番に嫌った、長井だという事だった。誰か合間に、お笑いに走れる部員はいないのだろうかとも思った。

『彼は一体、何をやっているのか?』

再び勝浦が指摘した矛先は新山で、この異常さに何の異議も唱えず一緒に交ざって、まるで踊らされる様にボールを追い駆けていた。臨時であろうと仮にもキャプテンであるなら、然るべき態度で示す所を、すっかり同化してしまっていた。この空気からして下手な指示でも出したりすれば、コーチとしても来て貰わなくていいという、事態になりかねない。

自己防衛処置として、長いものに巻かれているに違いないが、もはや悪夢でしかなかった新人戦が終わり、次に目指していたのは県総体だった。全員が常時、自らプレッシャーを掛ける事で、あえて緊張感を走らせていた。

そうは言っても単に、長井の気まぐれに付き合わされていた現状は否めず、その信憑性は定かではない。狂った様に練習していたのは、他にも幾つかの理由があった。

「一日ぐらい休みを取ったら?それに確か、あまり朝練習は効果が無いとかって誰かが言っていた様な…。」

ある日の練習が終わったタイミングを見計らって、みんなに千秋が切実に訴えた。四月をまたいだというのに、長井達は終業式から一日足りとも、練習を休む日が無かった。

「俺達に休みなんかないんだ。」

「そうだ、もうすぐ新入生も入って来るし、カッコ悪い所なんか見せられないさ。」

そう及川と村田が、それぞれ言い切った。今は春休み真っ最中であり、当然ながら授業が無い。居眠りする心配もないので、幾等でも朝から体を動かせる上、疲れたら帰ってから寝ればいいだけの話しだった。こんな効率の良い練習時期はなく、笑っている時間が勿体無かった。堅苦し過ぎるとか言う前に、今を恵まれた環境だと実感しなければならない。

これが、新山や部員達をも見事に洗脳させた、長井の推奨する『春休みパラダイス大作戦』の全容だった。この休み抜きの過酷な試練を、しごきと思うかチャンスだと見るかは、練習に励む各々の部員が答えを出す事になる。推奨や選択肢以前に、既に強制的に実行させられており、第一『いつから?』だった…。

強引さを美化しているだけの様に受け取れなくもなく、また体を壊しては意気込みは幾等あっても、せっかく積み上げたものが崩れてしまう。それを勝浦は心配していたが、せっかく乗った軌道に歯止めを掛けてしまうのも、気が進まなかった。

「何かの本で読んだ事がある。最低でも週に一回は体を休めないといけないらしい。」

誰かに指摘される迄もなく、さすがに現状には疑問を感じていた新山が練習の合い間、言うに言えない状況を察した。どちらかと言えば当然、勝浦側の意見を支持していたが、自分の置かれた待遇を考えると、思った事を強く主張できなかった。

不要とされ解任されるのを、どうしても避けたかったので、全速力で回っている後輩達の歯車に、流される様に乗るしかなかった。すっかり場が静まり返った為、部外者が軽はずみな、余計な発言をしてしまった様にも思えたが、実際の反応はそうではなかった。

『このセリフはバッチリ決まっただろうか?顧問にも気に入って貰えただろうか?』

すると『みんなだっておかしいと気付いてはいた』と、さっきとは打って変わった内容で村田が言い捨てた。そう周りが動くから仕方なく後を追っていただけで、続ければ毎日培って来たものが、ただ体を痛めるだけで終わってしまう。大敗した過去がある立場上、過度な練習を積まなければならない負い目があったが、こんなパラダイスは、みんなが追い求めるものとは大きく違った。

「何も無理をして迄やる必要も無いと思うし、しばらく明日からは休みにしちゃおう!」

そう木下が勝手にリードして決め付けると、やはり新入生に良い見本を見せ様だなど、考えない方がいいと思い始めて全員『それもそうだ』と意見に賛成してしまった。始業式は五日後なので、それ迄は活動休止と即決し、本音としては春休みは欲しかったので、ちょうどいい期間となった。

長井にとっては、無理を働かせていたなどという自覚はなく、勝浦や新山の意見に耳を傾けるかどうかは、部員達本人が決める事だと日頃から思っていた。結果的に自分に耳を向ける部員はいなくなり、春休みの何とか作戦とやらは、これで終幕となった。

それにしても新入生とは一体、何人入って来るのか不安でならなかった。やっと共学になって三年目になろうとしているが、まだまだ知名度や周りからの認識は低かった。

中学時代に立ち上げたラグビー部の、当時一年生の部員達は今年、高校入学となる。この部員達と同じ様に、かつてのキャプテンの後を追って来てくれる事を、期待するのは現状では難しかった。新山は言った。

「もし高校に入ってからも続けたいと思っているなら、尚更ここは選ばないだろう?」

中崎が入学を果たした、初めから強いと分かっている方を真っ先に選ぶ筈だった。

「今、そういう心配をしたって仕方がないわ。それより、さっさと帰って春休みにするんじゃなかったの!?」

所詮は捕らぬ狸の皮算用だと、藍子が急かす様に言ったものの、その後も論議は続いた。

『どうしてみんなは、こんな学校を選んだのか?本当は全員揃って、中崎の高校に行く筈ではなかったのか?』

後悔してはいないのだろうかと長井は改めて、答えを聞き出そうとしていたとは言え、急にかしこまった態度が気持ち悪かった。問い掛けられた部員達は、凍り付く程の身震いを感じずにはいられなかった。

答えなら長井自身が、よく知っている筈で交流試合の後、ラーメン如きに買収されワル乗りし出したのが発端であり、あの日の出来事は忘れ様にも忘れられない。勿論、今更その件を持ち出して責めるつもりはなく、全ては各自の責任で決めた進路だった。

最も自分で誘って来ておきながら『どうしてこの学校を選んで…?』など、本心なら相当に記憶力が悪いとしか言い様がない。

「こんな学校を選んだんじゃなくて、キャプテンを選んで来たのは多分、みんな同じ意見だと思う。」

一応はキャプテンの面目を考慮して、自主的に早坂が代表して答えたが、この発言に嘘偽りもなかった。『泣かせるなぁ全くいい後輩達を持って!』と新山が泣きの演技で長井を盛り立てたが、藍子と千秋の反感を買った。

「さっきからね『こんな学校』とは何よ!」

一人も欠く事無くキャプテンの後姿を追って、かつての後輩達は『こんな学校』にやって来たのかと二人は言った。全員が同じ考えを持ったのは、何か引き付けられるものを感じたからに違いないが、そのきっかけになったのが、あの交流試合だった。

中学を卒業して後輩達の前から去ったと同時に、自動的にキャプテンを降りた後は、互いに全く違う道を歩く事になった。もう本来ならキャプテンとして現れる機会は無い筈が、実現できたのは例え状況が変っても、再び後輩達の前に姿を現せたからだった。

そこで接触を果たした事で翌年に、また同じ道を歩く様になった。そんな思い出話しとは当人の美談に過ぎず、無関係者からしてみれば、心に響くものではなかった…。

「とてもいい話しだわぁ。でも私達、いつ迄経っても掃除とかが始められないから、まだ続きがあるなら外でやって貰えない?」

『さっさと春休みに入ってくれないかしら?』が彼女達の本音で、藍子が冷たく言い捨てた。今日が今年度の最終活動日となるなら、マネージャー達は義務として学校への報告など、やるべき事が急に山積みになる。これは、それだけ長井が何の区切りも付けずに、ダラダラ続けて来たからであり、大人しい藍子と千秋は黙っていただけだった。

幾つかの不安を残したまま三度目の、自身にとっては最後の始業式を迎えて、あまり男子の入学者自体は去年と変わらない数だった。肝心の二つ下の後輩達はというと、自分の後を追って来た先輩達の意思を受け継いでか、そっくり全員が入学していた。

最終的に入部を果たしたのは全員とは言っても七人だけで、その代の部員というのは元々、既に部員である代の十二人と比べると断然、人数が少なかった。いいきっかけを作れた現部員達とは、全く展開が異なり二つ下の後輩達とは、中学を卒業してから一度も会っていなかった。それでも最終的には黙っていても、リザーブ確保の十分過ぎる数ではある。

他の中学の出身者からは入部を希望する、新入生は一人もいなかったが間違っても、優秀人材の春の大収穫祭をやっている訳ではない。今年は何とも言えない不安の中で、これ以上を期待するのは本来の目的から逸脱している事が、ある論議の発端になった。

『何かおかしい』と星が部室で新入生を目の前にして、勝手な妄想を掻き立てていた事が、あまりに周囲の部員達には、わずらわしく感じられた為『だから一体何が!』と前田が率先して追及した。あの新人戦での自分達は、周囲の期待を裏切って、到底できない様な激しい試合をやり遂げた。

誰もがやってみたいと刺激され、いい手本にもなった筈であり、門を叩く新入部員が一人ぐらい出て来たって、おかしくはなかった。さっきから新入生なら目の前に立ち尽くしており、誰も来ていない訳ではないが、そんな事は言われる迄もないと納得しなかった。

「違う!どうして他の学校からは新入部員がやって来ないんだって言っているんだ!」

初出場の新人戦で、キャプテン以外は全員、一年生だけのチーム編成にも関わらず準決勝迄、進出は果たした。その試合を今年の入校生が知り得ていたとしたら、何等かの励みになったに違いないし、自分達に少なからず憧れや感動を抱いた筈だった。それがフタを開けたら、かつての同じ中校の後輩達だけが、ただスライドした様にやって来ただけだった。

『ラグビーなんて基本は高校から始めるから、ひょっとして同じ事ができるんじゃね?』

『いきなり準決勝進出とか、俺達にも有り得るんじゃね?』

そんな安易な妄想に駆られる新入生はおらず、裏切られた現実に不満を隠せなかったが、ハッキリ言えば、いなくて正解ではある…。

「ホントにアンタ達、美化し過ぎているだけなんだって!それに過ぎた新人戦を激動の試合みたいに振り返るの辞めなさいよ!」

佳織が呆れた様に茶々を入れ、一人が何かを言うと全員が真に受けてしまい、その度に不穏な空気が流れる悪循環が中々、改善されなかった。あまりに勝手な高い理想を語られると、せっかく入ってくれた新入生達の立場がないし、むしろ七人全員が入って来ただけでも、有り難いと思わなければならなかった。

また思い出深い試合さえすれば、翌年は大量の新入部員が獲得できるという、保障が付いてしまう事になるので自分達が、感動に値する激戦をしたとは言い切れない。手荒な表現ではあるが、これは否定できない現実であり、こうでも言わなければ場もまとまらない。

「私が思うに、ただのドラマの見過ぎなのよ。悪い事は言わないから、よく考えて!」

藍子も言ったが、まだ食い下がる疑問が投げ掛けられ、出したのは意外にも仲里だった。決して目の前にいる新入生を、歓迎していない訳ではないが、さっきの星の狂ったかの様な意見を、無視できないと思った。お世辞で言っても強いとは表現できない自分達は、確かに下馬評を覆す結果を残したので、あれで感動を振り撒いていないのは本当におかしい。

この後輩達以外に、どうして同じ道を歩こうと思った新入生が、いないのかが腑に落ちなかった。もしかしたら存在したのかも知れないが、誰かが故意的に何か大きな圧力でも掛けて、その流れの方向を変えてしまっていたとしたら…。自分達の部の存在を、快くは思っていない部員がいる学校が一つだけある。

本来なら、こちらに傾き掛けた新入生を仕返しとばかりに、吸い上げたと十分考えられる事だった。もし自分達がよく知る、その部員が陰で操る実行犯だとしたなら、こうして降り掛かったデメリットを、どこからか見ていて笑っているかも知れない。

それが彼の、星の意見を別な意味で支持した一つの推測で、途端に全員に何かの呪いが掛かったかの様に、身震いと硬直が襲った。

『もしかして中崎の事を言っている?』

もはや存在自体が陰湿であり、そういう小細工もやらない筈だと、長井は確信していた。『それはちょっと違う』とタイミング良くと言うべきか、先に勝浦が割って入って来た。新人戦が始まった時点で、もう既に殆どの受験生は、進学校を決めていた頃だった。

そんな最中に、どんなに自分達が激動の試合をしようとも、身の振りを決めている立場を、揺り動かすには至らなかった。この学校に引き寄せるだけの力は自分達には、無かったという事になり仕返しとか、ましてや呪いなど憶測を通り越した話しだった。

「時期が悪かったんだと思う。これが総体や県予選の頃なら、まだ説得力があった。」

星が、仲里を賛同させて起こした論議は、これで終結になり時、既に遅かったという意味合いで木下は言った。

『結局は女神は味方してくれなかった…。』

長井は、どうしても自身の言葉で締め括りたいと企んだものの、要らぬ説明で終わって誰の耳にも届かなかった。今度は河野が、何を思ったのか唐突な事を言い出した。

「いい後輩が入ってくれたみたいだし…。」

上回れるのは学年だけで、キャリアでいったら後輩同然であり、ちょうどいい引き際だと思った様だった。日頃から、足手まといになるのを不安視していた事と、今日が今年度の練習最終日となった事で、本人にとって区切りになってしまった。緊張しているかも知れない、新入部員達の場を和ませ様としているのなら、とんでもない勘違い行為だった。

『何を言っている?誰かに吹き込まれた?』

野球をやった仲なので尚更、相手を倒すには仲間同士で潰し合わなければならないので、何もしない内から引く訳には行かなかった。箕田は必死で促すと、千秋も続けて言った。

「そんな弱気な事を言って、どうするの?今、言う事じゃないじゃない。」

やっと事無きを得たが、すっかり最後のトリと言うか、いい場面を持って行かれ、ますます長井の影は薄くなった。この二人と同じ中学の後輩達も実は、ここに入学を果たしていて、しかも全員が箕田派の野球部員だった。

かつてのエースを追って、再び一緒に野球をするのが目的な為、河野は彼等の眼中には無い。また、いつぞやの河野を襲撃した箕田派の残党とは、絶縁しており現在は肩を組んではいなかった。二人は、ひそかに実行され様としている、この計画をまだ知らなかった。

というよりは入学という手段を使って迄、すぐそばに潜り込んでいるといった気配には、まさか気が付き様が無かった。途中で投げ出してしまった河野とは対照的に、中学卒業迄は野球を続けていた箕田だが、去って行った、かけがえのない仲間を最終的に選んだ。

必死になって追う為に、この今の学校をも選んだ時点で、彼も野球を捨ててしまっていた。そうだとすると歴史を繰り返すかの様な展開が、再び訪れ様としていた。長井を追い駆ける様に、一つ下の後輩達が入学して来てから、ちょうど一年が経った。

「はいはい、もう情熱は十分、伝わったから。お願いだから本当に、どこか外でやって来てほしいわ!」

もう過去を語る討論会は聞き飽きたのと、中々下校できず、嘆く佳織だった。

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