第39話 キャプテンを救い出せ
次の日から早速、長井は練習には寄らずに、まっすぐ帰るのを日課にしようとした。
「やっと今日から夕刊配達に専念できる。」
そう呟いてはみたものの、現実逃避から発したもので今更、舞い戻る訳には行かない。そんな事を考えながら自転車を走らせている内、学校近くの公園の前に差し掛かった。
「ひょっとして待ち構えていたりして…。」
そういえばここで大原と、ある騒動があったのを思い出したが、見過ごさなかった佳織は、こっそりと帰り道をつけていた。現実なら怖いが、まず有り得ないだろうと半分、笑いながら公園を覗き込むと…。
「えっ!?」
こっちを見ながら大原が本当に立っていて、ここに自分が来るのを知っていたのか、ずっと前から待ち構えていた様だった。『まさか冗談だろう?それにしてもどうして?』と恐る恐る公園に足を忍ばせ、彼女に尋ねた。
とっさに佳織は木陰に隠れて、これから始まるやりとりを聞いてやろうと思い、長井がピンチになった時は、いつでも飛び出して行くつもりだった。それにしても一体、今日は何しにやって来たのか、大きな疑問だった。
「どうしてって、あなたの通学路じゃない?それに今日から、部には顔を出さないんでしょう?だから、きっと早い時間に通るんじゃないかと思ったの。」
「という事は…、俺に用があってここに?」
『当ったり前じゃない!あのバカ何を言ってんのかしら!そうじゃなければ、こんな所に来やしないわよ。』
まるで状況が掴めていない長井に、佳織は苛立って思わず小声を発したが、まさか退部を考え直す様に説得しに来たとでも…。
「あなたが出なかった昨日の試合を、初めて観て改めて思った…。やっぱりダメなのね、十五人揃っていないと。」
その言葉を聞いた途端に異常な寒気を覚え、こういう控え目な態度が逆に怪しく怖かったが、何となくの予想が当たっている事は確かであり、落ち着いて話すいい機会だと思った。
仮に万全な体調で出ていた所で勝負が、ひっくり返るぐらいの活躍が見込めたかと言えば、まず有り得ない話しだった。追加点を幾らか抑えるぐらいは、できたかも知れないにしても実力は、そこ迄だった。とてもではないが昨日対戦したチーム相手に、一人で勝利を導いてやれる程、自分は強い選手ではない。
例え自分が出ていたとしても、ほんの少しだけ一人に掛かる負担が、軽くなっていたかもというだけの事だった。キャプテンとは呼ばれていたものの、後輩達とは実力は変わらないし、差など紙一重だった。
「そうは私には思えないわ。後輩達の誰かが、そんな考え持っている筈ないじゃない?」
彼女の目的とは在校中の長井の排斥と、その後に立ち上げた部でさえも叩き潰す事だった。卒業してからも残った後輩達に邪魔させる様に仕向けたり、千秋にスパイごっこ迄やらせた件を、どう説明するのかが疑問だった。
「だから何だっていうんだ?みんなより一年先輩なのは自分だけだから、やっていただけの話しだよ。それに今頃になって言って来るなんて、おかしいじゃないか。」
元を辿れば目の前にいる彼女こそ、今迄の一件の元凶だった。予期せぬ肩の負傷により、大会では思い描く様には勝ち進めなかった事は、決して忘れられる訳ではない。あれは不甲斐なさによる自業自得という、言葉では済まされないもので、やはり発端に対して溜まった、うっぷんは取り払わねばならなかった。
『あいつをギャフンと言わせるには、どうしたらいいか?』
信じ難いが、かつての大原の脳裏には、こういった非常に大人げ無いマニュアルが存在していた。特に在学中は、いい所ばかりを持って行かれた為、目には火花を散らしていた。
色々と策略を考えている内に、長井の幽霊部員発覚に安心し切ってか、卒業を迎えてしまった。その後は新設部の話しを聞き付け、まだヤリ足りなかった、お返しをする絶好の機会だと確信した。そこで可愛い在校生を差し金にしたものの、妨害作戦どころか、逆に大事な陸上部員が二人も出て行ってしまい、あえなく失敗に終わった。
今度は、その元後輩部員を偵察に使うという、卑劣な行動に出てはみたが、それも見事に折られてしまった。仲間は裏切れない純粋な気持ちが勝り、ことごとく練った策は撃ち砕かれて行った。もはや再び直接、手を下す他なく遂に自ら登場と思った矢先に、周囲を取り巻く環境の結束の強さに気付いた結果が『気持ちが変わった』だった。
「なんて言われたって仕方がないわ。そういう事を今迄、散々やって来たんだから。」
そうやって色々と汚い手段を使っても、どんなに仲間を使っても、たった一人には敵わなかったと言いたかった。今にも泣き出しそうにも見えたが、どうして、そんなに真剣になるのか理解できなかった。むしろ、あまりの態度の変貌振りに、いい加減ブチ切れる寸前に迄、来てしまった。
「何なのよ、あの女!冗談じゃないわよ、泣けばいいとでも思っているの!」
佳織が先にブチ切れていて『長井は一体、何をたぶらかされているのか?大原にこそ永遠の責め苦を!』と思った。数年にも渡り苦しめられて来たものを、一瞬の涙で流し去ろうなど、あまりにも都合が良過ぎる。
「もう一人じゃないし顧問の先生や、藍子や千秋がいたから今迄やって来れたんだ。」
自分が置かれた現状は四面楚歌の、あの頃とは大きく違っていて気が付いた時は、いつも後輩達が守ってくれていた。全員が本来の自分の進路を蹴って迄、こんな即興で共学になった学校に入って来た後も、彼女の仕向けたつまらない策略や、悪意ある後輩達にも屈する事はなかった。それで今日迄、別に背負わなくてもいいリスクを抱えて、みんな長井一人の為に、この部を続けて来た。
「藍子や千秋もそうよ。その大事な仲間を、今から見捨て様としているのよ?」
「どうして私の名前が出ないのかしらね?」
佳織が溜息交じりに言った。
「二人の行為を無駄にはしないで!あなたについて行ったのは私なんかよりも、ラグビー部に魅力を感じたからよ。非難されるのを覚悟で、陸上部を出て行ったんだわ。」
「だから、どうして私の名前は出て来ないのよ!こっちは帰宅部を蹴って迄、あのバカについて行ったのよ。藍子や千秋なんて後から真似して入って来ただけじゃない!」
二人の会話に全く名前が触れられていない事に、酷く激怒していたが、ここで姿を現す訳にも行かないので、やむなく小声で愚痴を溢すしかなかった。
支える者同士が寄り集まらないと、一つのチームは成り立たないので、自分には仲間がいたからこそ昨日迄の活動があった。確かに大原の言う通りではあるが、結局は言われたくない事ばかり続くのみで、全ては所詮、いい日の思い出話しでしかなかった。
「お世辞言ったって何も出ないよ。もう終わったんだよ全部。」
「お願いだから真面目に聞いて…。私の負けなのよって、さっきから言っているじゃない?みんなのそばにいて上げて。あなたは強いのよ!でもね…。」
せっかく築き上げた、かけがえのない部を、そう簡単に捨てられるものではないが、それを受け入れる事はできなかった。どんなに必死で訴えられたとしても『終わらせた』張本人こそ彼女自身であり、こういった説得は矛盾するので、どうしても自分の決意を変える事はできなかった。意地を張っている訳ではないが、引き止められる様な事を言われれば言われる程、辛くなるだけだった。
「自分で決めた事だから、先輩との約束が果たせなかったから辞めるんじゃない。どっちが負けたとかは言いたくないんだ。」
「多分、ノコノコと戻る事に罪悪感でもあるのかしら?よく考えてみなさいよ、それを喜ばない部員がいるっていうの?」
いる筈が無いにしても、さっきから彼女が言っている事は、過去の話しばかりだった。歓迎されるに決まっている、とでも言いたいのかも知れないが、そうなると、あの今迄の苦労は何だったのかという事になりかねない。今更、戻ったとしても混乱を招くだけだった。
「あの後輩達には、あなたみたいなキャプテンが必要なのよ。でも、それにも気付かないのなら、もう何を言っても無駄ね。」
期待していた反応も無く、これ以上は話しても埒が明かないと察したのか、遂に背中を向けたが言う迄もなく彼女は、こういう結論を下す立場にはない。とにかく『あぁやっと解放された』と、これで全てが済んだ事に変わりはなく、早々と公園を出て行こうとした。
「ねぇちょっと!このまま終わらせるの?」
しかし、すぐ呼び止められてしまった。
「だから何が!」
「きっと、こうしている間にも、みんなは待っていると思うわ。」
それは『何だいお姉さんよ?』と言った、ただの未練がましい最後の説得だと思った。自分の得にもならない事を、やり続ける姿勢が無気味であり、聞き入れたくはなかった。
「いい加減にしてくれよ!早く行かないと夕刊配達に遅れるんだ!それに、もう正規の部員じゃない。今からノコノコ行ったって、誰も歓迎なんかしないさ。」
「誰かが、そう言ったの?さっきから言っているじゃない?あなたが戻って来る事を歓迎しない部員なんて、いやしないわよ。」
実際に言われた訳ではないが、要因を作った張本人に心配を受ける覚えは無いし、とっくに辞めると言った事は、彼女自身が把握している筈だった。その言葉を聞いた途端、背筋にとてつもない悪寒が走り、視線さえも無数の針となり体中を貫かれ、身動き一つ取れなくなった。気が付くと明らかにウラがある誘惑に、すっかり取り囲まれてしまっていた。
『何を言い出すんだ、この女…。それにしても一体、お前は何者?!』
「何を迷っているの?みんなの所に戻るのよ、さぁ戻るのよ…。」
まるで呪文を唱えるかの様に、彼女から執拗に追い込まれて行った。僅かに働く正義心が、良心に訴えているからだろうか?
「自身に、ためらいや後悔を起こさせない為だとか言って周囲には、この大会限りで辞めると言いまくっていたんでょう?辛かったでしょうね。でも、もう我慢しなくていいのよ。行きましょう元いた場所へ…。」
『か、体が動かない…。何故だろう?』
既に放心状態となり、言われるがままに心は従おうとしていた。正直言えば、戻りたい気持ちは相当に根強いままだった。その時…。
「ちょっと待ちなさい、このストーカー女!やっと正体を現したわね!」
これ以上は黙って見ていられなくなった佳織が、とうとう木陰から飛び出した。『ついに出るのか?!』と次の瞬間、学生服のスカートもお構いなしに、ライダーキックの構えを見せると、見事に長井の脳天に食らわせた。
『えっ?!』と突然の姿に、大原は呆然となっていた中、数メートル吹き飛ばされたが、お陰で蘇生させる事に成功した。これをタックルに置き換えれば本番の試合なら、そう中々出ないナイスブロックになるかも知れない。
「悪いわ、コントロールがズレちゃって。まぁ、どっちか倒せば解決すると思ってはいたのよ。でも分かっているの?危うく、たぶらかされる所だったのよ!」
明らかに端から長井を狙っていたと受け取れる発言だが、それにしても緊迫した空気の中、見事なフォローであったのは間違いない。
「ウチのキャプテンに、何おかしな誘惑してんのよ!まだ引退してないんだからね!それにアンタが学校の連中に顔を会わせたら、また乱闘が起きるわ!」
『キックとタックルは別物だろう?!』
意識が薄れ行く長井は当然の如く激怒し、それに狙う相手を完全に間違えている。
「とにかく、センパイの手助けなんて要らないわ。長井の事は、私が責任を持って面倒見るから。何、ボーッと突っ立っているのよ!行くわよ、いつもの所に。」
同伴で部室などに上がり込まれでもしたら、起こる惨劇は目に見えていた。そう言うなり長井の手を強引に掴むと、公園から引っ張り出し向かった先は、いつもの練習場所のグランドで、こっそりと大原も後をついて行った。
『本当にキャプテンは来ないのだろうか?』
その頃、長井達が向かっている練習場では、心配をする後輩達が一向に練習を始められないでいた。だが中には別に呼んでもいない新山が、何故か紛れ込んでいて、まるで自分が部を取りまとめるとでも言いたい様だった。
「昨日…、試合が始まる直前に長井から全部、聞いてある。色々大変だったとは思うけど、もう心配は要らない。代わりに今日から、みんなのコーチになってやるから!」
かつての中学時代の先輩が月日を経て、再び愛の指導にやって来たのだから、きっと後輩達は嬉し涙で目を滲ませているに違いない。絶対的な確信を持ち、胸を張ってキッパリと言ったものの、実際の反応は期待に反するものだった。『いつから?』と及川が聞いた。
「だから今日からだよ。」
「先輩、ここに何しに来たんだ?」
今度は山元が、冷たい口調で言った。
『何を今更聞いて来る?悪い冗談だなぁ?』
そう思いながら改めて後輩達を見回すと、全員から、冷やかな視線を浴びせられている事に気付いた。さっき迄の自信が、音も立てずに崩れて行くのを感じたのか『今コーチしに来たんだって言ったばっかりじゃないか』と声が卑屈になって行った。
『ひょっとして歓迎されていないのでは?』
ようやく現実に気付き始めたのだが『ひょっとして』どころではなく、本当に歓迎されていなかった。何の予告もなくノコノコとやって来るから、こうなるのだが決して毛嫌いされているからではなく、まだキャプテンが去った現実を認めたくなかった。
結果的に新山の軽率な行動は、無神経だと受け取られてしまって、本人が突発的に言っているだけで、事前に誰かと相談していた訳ではない。新しいコーチの話しなど聞きたくはなく今、受け入れてしまったら、本当に戻って来てはくれなくなる気がした。
『長井がこの話しを聞いたらどう思うだろうか?』と勝浦は、ふと悪知恵を働かせ、名ばかりの監督の立場としては、新山という生徒を迎え入れてやりたい気持ちがあった。スポーツ系向きではない自分が、この先、残された部員達を引っ張って行く自信は無かった。
昨日の試合を教訓にするなら、もっとレベルを上げた練習をしなければならない矢先に、キャプテンが抜けるのは致命的だった。逃げ道の手段と言われても、新たな指導者が必要であり、無難な方法だと思った。せっかく、こうして志願してやって来たのだから、気持ちに応えない方が失礼というものだった。
仮に戻って来てくれれば『先輩が二人も揃っちゃっている状態』になるので、常に最高の練習体制が取れるに違いないとの、構想を頭の中で練り上げていた。実現させるには幾つかの問題に衝突してしまい、まず他校の生徒がコーチをやろうという自体、無理がある。
一番は長井が戻って来てさえくれればいいが、本人から退部の相談を真っ先に受けた自分が、復帰を強要できなかった。これから自分一人で部の全ての世話を、こなせるかというと現実的に無理な話しで、やはり前例も無い、勝手な予定図に過ぎないのかも知れない。
この後、卒業を迎えてしまう長井に対して、四年制で一年長い新山には、十分な需要があった。一年生達と卒業のタイミングは同じであり、学業と勤務の合間を見て参加して貰うだけでいい。困った時は、本人が自分の意思で戻って来るのを願うしかなかった。
「それ以外に方法って?」
『どう考えても他校の生徒にコーチをやらせる訳には行かない』とか言いたい連中には言わせておけばいいので、星が突っ込んで聞いたが動じなかった。その時、部員達が一点の方向を見ながら、急に騒ぎ出した。
手を佳織に無理矢理、引っ張られながら長井がやって来たが、嫌々な表情で歩いてはいたものの、そんな事はどうでもよかった。一斉に走り出して取り囲んだが、すぐそばには大原がいたので、藍子と千秋は距離を置いた。部員達も、それに気付くと急に警戒し出した。
「改めて自己紹介するわ。私が、アンタ達の大事な先輩を戦意喪失に追い込んだ大原優子よ。一時期は同じ部で彼の恩師だった事もあるから、大先輩って所かしらね。」
「何が恩師だ!散々イビってたっていう噂しか聞かないぞ!」
あまりにも堂々とし過ぎる皮肉に、早坂が言い返した。当時『男子陸上部』の存在を真っ向から否定しながら、同じ部員仲間である筈がない。果ては、ここにいる後輩達を孫弟子呼ばわりされたのが、酷く気に障った佳織は『要らぬ自己紹介ご苦労様』とでも言う様に続けて吐き捨てた。
「どうやらダブルパンチでも、お見舞いしないと分からないのかしら?名前なんて聞いてないし今更、先輩ヅラしないでよね!」
「そうだキャプテン、何か言ってやれよ!口惜しくないのか!」
そう佐野も同意を求めたが、やっと長井は実に元気の無い声で口を開いた。
「いつかは差し入れ貰ったじゃないか?」
「ふざけるなって!あの粉末ジュースの事を言っているのか?!水筒も無いのに、どうしろっていうんだよ!」
今度は村田が絶叫したが、普段から頼りにしていた存在だけに、残念な弁解に落胆もしていた。どうして大原とかいう先輩の前では、頭が上がらないのかが大きな疑問でもあったが、それに答えたのは意外にも佳織だった。
「昔はね色々あったのよ。まだ入学していなかったみんなには到底、理解できる事じゃないから、あまり責めないで欲しいの。」
とてもではないが言葉では言い表せないもので、曖昧な説明で終わった漠然としない答えの中に、自分達が知らない真実があると思うと、否応無く納得させられてしまった。
「ある訳無いじゃない!あの程度で一体、何の説明になっているって言うのよ!」
対岸の火事だと、当時は全く介入などしなかったにも関わらず、あたかも正論で対抗しようとする態度に、藍子は我慢ならなかった。珍しく取り乱したのを尻目に大原は、再び皮肉を口にしたが、矛先を佳織に向けた。
「随分、マシな事を言うんじゃない?本当は、あなたアタマがいいんじゃないの?」
「余計なお世話よ!藍子も千秋も、この後が怖くて何も喋れないでいるから、代弁して上げているだけじゃない。それに長井を今日、ここに連れ戻したのは私なんだからね!感謝しなさいよ!」
怯む事無く言い返したが、本当に心から感謝する部員は誰もいなかった。さっきから長井の心配ばかりして、みんなには彼女の言動は全く気にされてはなく、その事にも大きな不満があった。おかしい…、何故?
昔の因縁からか、大原に何も言えない長井は、誰かの救援を待っていたに違いない。何をしたらいいのか分からない一年生達、そして怖じ気付く藍子と千秋も、みんな使えない。そこで、せっかく役目を果たそうと、この悪の存在に立ち向かったというのに、まともな評価が得られなかった。それは主役でもないのに、自分が軸になっているみたいな言い方で、大勘違いしているという事だった。
大原は、さっき佳織に言ったのは、とんだ思い違いだと考え直した。先手を打たれた様に、いち早く志願して入部を果たした、マネージャー第一号だという事は、スパイ活動をさせていた千秋から最初に聞いていた。
ただ真っ先に、長井なんかについて行ったぐらいだから、やはりアタマの回転の悪さは、共に同レベルとみて間違いない。こうした仲間からの信頼の無さが、それを物語っていた。
「とにかくキャプテンには付きまとうなって言った筈だ!さっさと帰れってんだよ!」
昔の卒業生とキャプテンとの上下関係の話しなど、どうでもいい事だと箕田が急に怒鳴り出し、ここに何をしに来たのかは分からないが、その答えに興味も無かった。
先輩後輩と呼び合っていたのは過去の事だろうし、必要以上に知らない事情に付き合わされたくはない。いつ迄も部外者に、場を仕切られるのは面白くないという考えは、他の部員達も同じだった。鋭い視線を四方八方から浴びせられた大原には、何故か余裕の表情が浮かんでいる様に思えて、まるで気味の悪さは、自分の思惑通りとでも言いたげだった。
「聞いた?あなたの事、キャプテンって言っているわよ。自分を色々言っても、みんなは認めているわ。あえて認めていない事を挙げるとしたら、それは…。」
『それは?』と藍子と千秋には、この言葉の続きが胸の奥に深く突き刺さりそうだった。
「キャプテンである、あなたが退部するって事よ!どう図星でしょう?」
『…?!』と突然、話しを振られた長井は、よく意味が理解できなかった。そうは思わなかったのが一年生達で、退部を認めていないなど今更、指摘して来る意図が不明だった。
『冗談じゃない、カッコ付けて言う事じゃないだろう…。』
揃って呟いたが口には出さず、昨日の試合は正気の沙汰かと疑われるが、とにかく勝つ事が目的で戦っていた。到底、達成できそうもない目標を掲げていたのは、ある理由からでキャプテンを少しでも、部に留める時間を長引かせる為の延命処置だった。
長井は薄々とは気付いていたものの、そういう手段が有ろうが無かろうが、全力でプレーする目標は揺るぎないものだった。そんな試合をさせておいて次の日ノコノコと、退部を撤回して舞い戻る事なんかできないし、もし通ってしまったら彼等の努力は、何だったのかという状況になりかねなかった。
「もう帰るから、とっとと先輩も身を引いてほしい。いつ迄もダラダラここに居ると、後輩達の練習の邪魔になるんだ。」
これ以上は仲間に迷惑は掛けられないと思い、平常心を取り戻すと、あえて冷たい返答で締め括ろうとした。発端を作られた彼女自身に、偉そうな口調で言われたくもなかった。
「どうして、部員達の気持ちを分かってやろうとはしないんだ!それが答えなのか?」
態度が気に入らなかったのか、新山が歩み寄って訴えた。お天気屋の彼女を追い払うのは構わないが、その為に後輩達を避ける姿勢が、どうしても許せないと受け取られた。
「じゃあ何しにここに来たのよ!正義感が強いだか何だか知らないけれど、これで責任を取ろうとしているならバカげてるわ!」
何をされても、まともに応える気がしなかったし、綺麗事の同じ言葉は繰り返したくなかった。加勢する様に佳織が割って入ったが、またも返したのは冷たい答えで『ここに来たくて来たんじゃないし勝手に連れて来られただけ』だった。まるで人が変わったかの様な、あまりの豹変振りに皆が呆然としてしまった。
『どうか、このまま嫌がられて追い出されます様に…。』
実は頑なに通す言動には大きな裏があり、そう周囲の目を盗みながら必死で天に向って祈った。キャプテンとしての自覚や誇りなど、微塵も無い蛮行だが、とにかく考えは変わっていない事は何度も言って来た。
「ねぇ、みんなのキャプテンは照れ隠ししているだけなのよ。本当は気が変わって、これからも部を続けたいって、さっきね、ここに来る迄の公園で話していたわ。」
大原の目的はキャプテンの引き戻しであり、達成しないと来た意味が無い。いち早く汚い魂胆に気付いて余計な話しを始めると、やらなければならないという意地に、もはや支配されていた。公園でのやりとりを一部始終、盗み聞きしていた佳織も一瞬、正常な判断が困難になった。長井自身の口から、そういった言葉を聞いた記憶は確かではなかった。
『何を勝手な事を言っているんだい?ボクは一言も戻るなんて言った憶えは無い…。』
明らかに動揺が隠せなくなったが、これが大原の策略だと気付くと、とっさに口裏を合わせるしかなかった。
「そうなのよね…。今更、素直にはなれないからって、あんまり悪態を付き過ぎると、かえってバレちゃうわよ?」
大原みたいな女に加担などしたくなかったが、どうしても部に引き戻さないといけない、一心から生まれた見事な連係プレーだった。よく打ち合わせナシで、これだけのつじつま合わせができたものだと自分に関心していた。
『お前迄、何言ってるんだよ?!』
そう弁解すればする程、発言内容が周囲に伝わらなくなって行って『キャプテンは嘘を吐けない』というのが常時、周りから認識されている本人の評価だった。嘘を隠し通せる程、日頃からアタマの回転がよくなかったのは、中学時代から深い付き合いのある新山や後輩達なら尚更、分かり切っている事だった。
「なぁんだ、キャプテン。照れ臭いからって、こんな手の込んだ芝居していたのか?」
そう前田がけし掛けると、ますます弁解せずにはいられなくなった。締め出されるのが目的で、真剣に悪態を付いていたというのに、かえって猿芝居をやっていたと取られてしまった。ただ戻りたい気持ちの方が強かったのは確かであり、普段の性格を佳織と大原に、上手く利用されたのかは定かではない。
「あなたが仲間から嫌われたいだなんて、私が仲間から信頼を得様とするより難しいのよ。あんまり甘く考えないで欲しいわ!」
易々と『嫌われ者』の称号は渡さないと言わんばかりに、大原は口にしたが誰にも気付かれる事はなかった。やっぱり心にも無かった考えを押し通す為に、慣れない悪役をこなすのには限界があったが、この場では四面楚歌を演じるしかなかったのは、彼女にとっても『慣れない配役』だった。
新山達は総出で長井の手を引き練習場を去ろうとしていて、キャプテンの現場復帰という目的が果たせた以上、長居は無用だった。
「ちょっと練習は!?」
藍子が慌てて呼び止めたが、日も暮れて既に視界が悪く、それ所ではない。むしろ明日から、伸び伸びと行うのがいいという事になり、好き勝手にも受け取れるが当然と思える判断ではある。藍子は駆け出して後をついて行ったが、その光景をしばらく眺めていた千秋は、一人で背を向けて歩き出す大原の後姿に気付いた。
「先輩、今からどこへ…?」
「一緒に行ける訳ないじゃない?だから帰るのよ。今迄の事、許してほしいとは言わないわ。でもこれからは、あなた達の前に姿は現さないから…。」
千秋は何かを言い返したかったが、言葉に詰まった。泣くのをこらえるのに必死だったからで、すると彼女は立ち止まったまま、振り返る事なく続けて答えた。
「でもね、試合を観に来る事だけは許してほしいの。勿論、応援なんかはしないから。私が言うのもおかしいけれど、これからも彼のそばにいてあげてね。」
そう言い残すと、泣いている千秋を置いて本当に立ち去って行った。長井自身と、そして何よりは取り巻く仲間の結束は、どうやっても崩せなかった。何とか混乱させてやろうとは思っても、入り込む壁は予想以上に固く、在学中も卒業した後でさえ打ち勝つ事はできなかった。ようやく今になって、その答えに気が付かされたのかも知れない。
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