第38話 都合のいい観客達
観客席には新山の姿があって、できるものなら毎日、一緒に練習を手伝ってやりたいとさえ思っていた。今日迄、長井達の活躍は是非、観戦したいと思ってはいたものの、仕事という壁にさえぎられて来た。客席に座る彼の目に終始、映っているのはユニフォーム姿の十四人の一年生と、制服姿の長井だった。
『キャプテンなのに着替えもしないで?』
不思議に見えてならなかったが、事情を知らないので仕方がない。どうしたんだという程度にしか見えていなかったが、次第に右手を包帯で吊り下げている事に気付いた。
「ひょっとしてケガでもして、まさか一年生だけに戦わせ様っていうんじゃ?!」
ひょっとしても何も状態を見ておきながら、出れるかどうか判別できてもいい筈で、掲示板のメンバー表を見ると、そこに長井の名前は入っていなかった。最初から、リザーブ無しの十四人としていたものを、よく見ていなかった。今から対戦するのは『育勢高校』という、とてつもない強豪だった。
以前、途中棄権に追い込まれたチームと、ほぼ互角といって間違いないので『無謀な準決勝』と言える。新山の異常な焦りは、それを知っていたからであり、正常な判断ができなくなっていた。とにかく、じっと座って観戦などしていられなくなり、客席を飛び出して長井のいるグランドに走って行った。
「こうなったのは全部、自分のせいだ。でも、ここ迄来れたのはみんなの力だから信じてほしい。きっと試合は乗り切れるから。」
後数分足らずで一年生達だけで、グランドに整列しなければならなくなる直前に、せめてもと長井は語り掛けた。クジ運が良かった対戦相手や勝利など、存在しないが一体、何を信じればいいのかが正直な気持ちだった。
むしろツキが回ったと言って喜んでいたのは、自分達との対戦が決まった相手校で、実力の開きが大きく何の慰みにもならなかった。言う迄もないが、胸を借りるどころの話しではなく、言った直後に後悔していた。
「なぁ、長井…。」
突然、明らかに部員達とは違う声を掛けられたが、この緊急事態に応じる気にはなれなかった。それにしても実力で準決勝迄、這い上がって来たとは言っても、本当に自分達が準決勝レベルで通用する訳ではなかった。
「だから力んで考え込むと頭に血が上る。」
またも聞き慣れない声の呼び掛けに、かえって頭に血が上りそうになったが、さっきから『余計なお世話』を発している主とは、グランドに雪崩れ込んで来たばかりの新山だった。出場する部員達は既にグランドに整列し、表情が硬直し切っている長井には、すぐ後ろに来ている親友が目に入らなかった。
目線が回ったのは別の方角で、観客席を振り返ると、自分達に期待を寄せる全校生徒の視線が突き刺さった。グランドに立つ部員達には、勝利を託す様な試合を期待するしかなく『勝負はスタイルで構わない』とする、さっきの大原の言葉に甘んじるべきだったのかも知れない。ただでさえ何人かは、負傷箇所を引きずったままでいるにも関わらず、それを断った今、後戻りはできなくなっていた。
「周りの目なんか気にするなって!本当に、無理に頑張らなくたっていいんだから。」
またも介入して来る声の主に、長井は振り返る事なく手で追い払った。試合に出られる体ではないにしても、万が一の事を考えて、せめてリザーブには入っておきたかったが、勝浦に却下されていた。始めから十五人ちょうどでありながら一人だけが、控え選手覧に記されていると不可解なメンバー表となり、周囲から怪しまれるからだった。
そして何より『出場するにあたって問題がある奴』若しくは『問題を起こしそうな奴』は残念ながら選手資格を失い、まさに長井は見事『それ』に該当するので、その条件を全員が呑んだからこそ今日の試合が認められた。
本番前日に申し出たのは長井にしては評価に値するが、出れないと分かっている部員を、例え補欠であっても登録してもしょうがない。
『万が一』の事が起きた時点で否応無く棄権させる為、後にも先にも、長井が誰かと代わってグランドに入るなど、戦力構想に描いてはいなかった。次の場面は考えなくてもいい様に、端から出番を無くす目的で、リザーブにすら登録はしないのが勝浦の判断だった。
「直前になって、おかしな事ヤラないでよ。黙って登録しておけばいいじゃない!」
「補欠扱いにすらしないなんて酷い…。」
千秋が必死で叫んだ後、後方で新山も続けて言い放ったが、誰の耳にも届かなかった。仮にも孤立奮闘して来たキャプテンを、ケガをしたからお払い箱という結末で終わらせるのは、勝手な判断に過ぎないとも思ったが、悲痛な訴えも時既に遅かった。
そう言うのなら、どう責任が取れるかとなり学校から警告を受け、今日の結果次第では、先生を辞めなければならない覚悟でやっている。最終的な責任は顧問に降り掛かって来る事になるが、何も立場を理解してくれと迄は言わない。これが強豪校であれば不甲斐ない成績に対し、名監督は退任をもってけじめを付けるかも知れないが、自分達の立場は違う。
何人が戦線離脱となるか救急車を何回、呼ぶかで責任が問われるという次元の話しで、これは冗談ではなく綺麗事を語るのは結構だが、その前に現実を考えて欲しいと訴え返した。もし誰かが致命傷を負ったら、マネージャーとして機能しなかった責任を取って、学校を辞められるかという話しになる。
藍子と千秋は、うなずけない筈で責任を科せられている立場と、そうでない者との認識の違いだった。今の長井を出すぐらいなら、佳織にでも代わった方がいいとさえ考えた。
「カッコいいわ、センセー。そうなのよ、それが現実なのよ。あなた達、よーく思い知りなさい!アンタも、そう思うわよね?」
「あー、まぁねぇ…。」
今頃になって佳織は虎の威勢を借りるかの様に、誇らしげに諭して来た挙句、近くにいた新山にも同意を求める暴挙に出た。互いに、あまり面識が無いからこそできた事だった。
「そろそろ、始まる時間だ。」
長井は選手として登録されておらず、加担する事が許されていなかったので、そう言うと肩を落とす様にベンチに引き下がった。全ては後輩達に任せるしかないが、走馬灯の様に蘇る最初の頃を思い出すと、我が校の名誉の為に戦わせる気は更々無かった。
グランドを使おうとした時、スパイクを毛嫌いされ、邪魔だとばかりに足を踏み入れる事さえ許されなかった。そして『予算』とは名ばかりの殆どゼロに近い活動費の為に、ボールなどの練習用具は、まともに買い揃える事ができなかった。準決勝に進んだ情報を聞きつけた途端、人が変わった様にノコノコと応援しに来たのは、向こうの勝手だった。
それでキャプテンが欠場しているとか、十四人しかおらず規定の選手数に達していないとか、言われる筋合いがなかった。期待に応える必要などこれっぽっちも無く、嫌がらせ手段として、故意的に学校の質を落とす試合をしてやっても良かった。どう考えても道理から外れており、相手チームに対して失礼になるので、さすがにやらないが…。
『酷い仕打ちを受けた頃をよく考えてみよう。まともに用意できたのは自腹のタックルマシーンっていうのは、どういう訳か?』
引っ込んだ筈がグランドの後輩達に向って、妄想めいた様に叫び続ける姿は、何とも切ないものがあった。やがて開始の笛が鳴ったが、以降はグランドに目を向ける事ができなかった。これは意地だとかプライドとかを、得様なんて考える試合とは言えないし、今日は学校の大感謝祭などではない。
「はいはい分かったわ、あなたの気持ち。」
「一人や二人、退場者が出たからって本当に試合を止めたりはしない。全員が無事に、この試合を終えられる事を信じている。」
仕方なくなだめる佳織の横で勝浦は言ったが『その通り』と声の主というより、そう賛同してハッキリと姿を現した事で、見慣れぬ顔に戸惑った。『えっ?何だね君は?』となり一見、長井とは同い年に見えるからこそ、こんな所をウロ付いていたら駄目だと、下手すれぱ補導されかねないと注意した。
「お前いつの間に!どうしてこんな所に?」
座り込んでいた長井は『仮にも他校生が来るべきじゃない』と思わず叫んだが本来、新山が心配すべき肝心の彼の学校の出番は、この後の第二試合に組まれていた。
グランドに降りて来るタイミングを多分、間違ったのだろうと思い、かつての仲間や後輩達の試合を観に来ただけの、純粋な目的にすら気付けないでいた。実際は自分の学校の事など、どうでもいいと言う以前に、定時制なので無関係だった。せっかく来てやったのにワザと、気付かない振りをし続けていたのかと彼は言いたかった。
『なんだって一年生だけで出る事になったのか?ケガは一体どうしたんだ?』
第一の疑問だが、包帯でグルグル巻きに固定された右手を見れば、それが答えだった。自分が出れなければ残った部員達に任せるしかなく『見れば分かる事だろう?』とは思ったが、今日迄の経緯を知りたい様なので、全て話さなければならなかった。
一回戦参加チームのつもりで出た筈が、勝ち進んでしまい無理を通して、出場し続けた事が積もり積もって今日に到った。こんな自分達に敗れ去った相手校の無念さは、計り知れず勝ち上った末の負傷欠場など、当然の結果だった。この大会が終わったら辞める事にしていたが、とっくに出番が無くなっていた。
「えぇっ…!?」
そうこうしている内に、グランドからはホイッスルが立て続けに鳴り響いていて、のん気に『何だろう?』状態の二人が周囲を見渡すと、見かねた佳織が必死に叫んだ。
「アンタ達!大事な後輩達の応援に来たんじゃなかったの?さっきから点を取られているのに、どうして見守って上げないの!」
何度と響いていた笛の音とは、見事な迄に得点を上げられ続けている、悪い流れの進展を示すもので、とっくに試合は始まっていた。慌てて得点表を眺めると開始一〇分しか経っていないのに、既に二十点近く差を付けられていて、そっちのけで再会に浸っていたせいか、奮闘する後輩達に気付いてやれなかった。
「どうなの同窓会、楽しかった?でも何の笛の音か区別が付かないなんて、鉄砲耳なんじゃないかしら?ハッハッハ!」
仮にも二人共、熱血のラガーマンであるにも関わらず、素人に指摘されたのだから言い訳のしようがない。再び佳織の皮肉交じりの通告と、余計な笑い声迄が付加されてしまい、どうせ来るなら早く来てほしかった。
「冗談じゃない!とっくにグランドに迄、降りて来ていたのに散々話し掛けても気付かなかったのは、そっちの方だろう!」
新山は、あらぬ誤解を払拭すべく熱弁を振るったが『こうなったのは全て自分のせい』とか、よく言えるものだと思った。みんなの前では格好付けて、すぐに反省していないと分かる行動に出るのは、果たして状況が理解できているのか、それとも単にふざけているのかは不明だった。
考える方向を試合に戻さなくてはならず、一人二人の退場者如きで止めないとはなったが、始めから補充できる控えはいなかった。その状況に陥れば続行は不可能で『負傷者用退場口』という出口はあっても、入り口から加勢しにやって来る新たな仲間もいなかった。
『まさか自分が出る事ができたならとか、思っているんじゃ?』
上の空でいた事もあって警告する様に、新山は聞いたが良からぬ妄想に走るのは茶飯事であり、それを見越して勝浦は、開始直前になって言い出したのかも知れない。今は何の指示も出してやれないとか、自分には全体をまとめる力が無かったとかいう、考えを起こしても始まらない。形勢が悪い今、後は部員達に委ねるしかないが、グランドに見えるのは悪戦苦闘するだけの仲間の姿だった。
過去の出来事が色々と有り過ぎて、何を話したらいいのかも分からなくなって、出れない以上は自身の活動も実質、終了している。みんなの今年の新人戦も試合終了と共に、もうすぐ終わりを迎え、まるで負ける事を願っているかの様な、キャプテンらしくない弱気な妄想だった。
『それでいいのか?では何の為に後輩達は今、グランドを走り回っている?』
新山は強く詰め寄ったが、あえて答えるなら、もう目的は果たしたという事だった。とてもではないが次の決勝戦を考えて、闘う余裕は無く後一試合を残して、これが出した答えだと言いたい。既に限界を超えていたが、残したつもりなどは無いし『どうやって逆転できるか見れば分かるじゃないか』と端から言う迄もなかった。
またしても追加点を入れられた笛が鳴って、もうすぐ前半は終わろうとしていた時点で、五十点近く付けられていた大差が、長井の答えを物語っていた。相手チームが油断でもしてくれない限りは、どう考えても自力で、引っ繰り返すのは不可能な得点差だった。
ハーフタイムになると新山は、真っ先に部員達の元に向かったので突然、現れたかつての先輩に驚きを隠せなかった。『ここに駆けつけて来てくれた事が嬉しいに違いない』とは言ったものの、みんなが驚いていたのは他の理由からだった。
「先輩、こんな所にいて大丈夫なのか?同じ学校の人達から恨まれるだろう?」
「先輩の学校、次の第二試合じゃないか?」
橘の後、村田も続けて言ったが『バカ言ってんじゃないよ?どうして誰かから恨まれる?』となり、約半年振りの再会の後輩達の反応は、決して温かいものではなかった。これが警告だという事にすら気付かず、さっきの長井と全く同じ疑問を、結局は突かれていた。
すぐ近くでは彼と同じ学び舎に通う部員達が、試合前の軽い練習をしていて、目に火花を散らしながら、出番を待ち続けている様にも見えた。こちら側のやりとりが、その眼中に入っても、おかしくはない距離だった。
別に自分の学校を応援する為に、ここに来た訳ではないので、学び舎が一緒の仲間だなんて思われたくはなかった。通っているのは定時制であり全日制とは全然、関係が無いと言って、あまり良くはない風当たりを吹き飛ばすのだった。前半戦の疲れを取るとは言い難いが、的確な指示と反省点を踏まえ、後半に備えるのがハーフタイムの筈だった。
先輩風を吹き回してノコノコと現れた誰かのせいで、ろくに体を休められず、無駄口を叩かれて終わった。これではハーフタイムを取った意味がなく、アドバイスらしいものは何も受けないまま、後輩達は後半戦に入った。
前半で消耗した体力は大きく、とても反撃できる様に見えない事は、誰の目から見ても明らかだった。『そう思うだろう?』と両方の拳を強く握り締め再び、熱弁を振るう新山だが長井には応え様がなかった。
それ以前に可愛い後輩達が、大した休憩を取れなかった事を反省してほしいし『実況している場合じゃない!』と言いたい。あえて言うなら彼等の反撃する体力を奪った要因は、そこにあるが何よりは実力の差が激し過ぎた。
前半と変わりないペースで追加点が奪われて行き、点差は開く一方とは言っても、こちらは一向にゼロのままだった。応援しに来ている筈の同校のシート席からは、溜息だけがこぼれて早くも、帰り支度を始めた生徒が続出していた。どんなアドバイスをしようとも、もう手の打ち様が無かった。
「ちょっと一体、何しに授業を打ち切って迄、ここに来たと思っているの。こういう時だからこそ応援するんじゃない!違うの?」
本当に決めゼリフを吐き捨てたと、絶対的な確信を抱き瞑想にふける大原がいた。
『この場は私に任せて、さぁ安心して一年生に、このまま試合を続けさせて上げて!』
ここからは自分の出番だとばかりに、必死になって叫んではみたが、誰も聞いてはいなかった。むしろ、溢れる様に席を離れる『早退者』に歯止めが掛からなかった。
「あら?おかしいわね、私の言う事は絶対な筈なのに…。何故?」
そう呟いたが既に遅く、この場では『決まった』と思われた彼女の言葉には効力が無かった。卒業して去った一年足らずで、その存在は全くと言っていいぐらいに、語られなくなったというより未だに恐れているのは、当時の後輩の陸上部員ぐらいなものだった。元から在学中の知名度は欠けており、本人が認識する程、大きいものではなかった。
『早退者』が出始めたのは、長井達とは大きく異なる観点を持って、この会場に足を運んでいた事にあった。駆けつけた全校生徒の殆どが、純粋に応援しに来ていた訳ではなく、どこから聞き付けたのか、ラグビー部の絶対勝利に期待を寄せていたのだった。
余裕で決勝に勝ち進める試合だと、誰もが本気で信じ込んでいた為『裏切られた』『話しが違う』と呟いては席を立ち、静止しようとする教員達の姿すら無かった。どうせ応援しに来るのなら、それなりの心構えを持っていて当然であり、できないなら授業を打ち切って迄、最初から観に来て貰いたくなかった。
「そんな話しを誰が吹き込んだんだ?また先輩なのか?さっきから白々しい芝居して、つまらない作戦でも企んでいるんじゃ?」
「やっぱりそうなんじゃない?そんな事に時間を掛ける人なんて他にいないでしょ?」
長井と佳織は共謀し、この元凶は大原だと責め立てたが勿論、濡れ衣だった。普段から怪しい言動ばかり続いているので、そう疑われても仕方なかった。勝つか負けるか分からないから『勝負』と言うので今から、薄情な連中に分からせてやると勝浦は突然、観客席に向かって急ぎ足で歩いて行った。
『さすがは国語の先生、凄い正論を語る。』
そう長井と佳織は関心を示したが、新山が慌てて割って入り、やはり勝負とは勝たなければ意味が無いが、漢字が示す通り半分の確率で負けるものである。ようやく悲しい現状に、気付いた自分に対して情けないと思ったのは、スポーツマン精神を自覚していないからこその考えであり、冒涜にさえ受け取れた。
「あの先生が、何の説教をしに行くと思っているんだ?『勝負』という字は、勝ちと負けが重なり合ってぇ、なんて語り出したら余計、笑われるに決まっているだろう!」
言われてみれば『確かにそうですね』と、その通りだと理解はできたが止めに入ろうと、揉みくちゃになっている間に大原が行動を起こした。勝浦との異色コンビで、ただの建前だろうとコキ下ろした学校法人を相手に、この場外乱闘戦を静止できるのかは分からない。
「ゴメンね今迄、大きな口を叩いては来たけれど私には、どうしようもないのよ。」
都合のいい彼女は、そう言って勝浦の後ろを外れ歩く足を止めると、在学中は理事長さんを始め色々、お世話になったからと有りもしない思い出話しに浸り始めた。その間にもグランドでは、一方的に攻め込まれている展開が続いていて、必死にボールを奪おうとはしても、ことごとく弾き返されていた。
決して勝負は捨てていない姿勢が周りに、伝わってはいたが勝ち目が無い事は本人達が一番、分かり切っている筈だった。それを目の前にして、ただ見届ける事しかできないのが、とてもやり切れなかった。
素直には受け入れられなかったが結局、何もしてやれないので、何かをしてやらないといけないとか考えては駄目だった。じっとしてはいられなくなり、勝浦を追い抜いて応援席へと向かって走り出すと、ある行動に出た。
「みんな待ってくれ、帰らないでくれ!」
ただちょっとだけ自分達の実力が、この準決勝では通用しなかったという事で、なんて頼り無いチームだと思われているに違いない。確かに弱いだけかも知れないし、キャプテンだけがケガで出られなくなった事が、その証拠だとさえ思った。頭を下げたからといって、周りの理解が得られる訳ではない。
ここ迄、勝ち進んで来れたのは決して運などではなく、そういう言葉で表したくもなかった。これが単に言い訳にしかならない事も分かっていたが、この時点で七十点以上も離された得点差は、もはや『ちょっと』どころではなくなっていた。
口ばかりで頼りにならない大原は当てにならず、何を言い出すか分からない勝浦を抑え、何とか面目は保ったが、その反応は冷たいものがあった。これで良かったのかは疑問で、もう土下座でもするしかないと思った。
「何も、そこ迄しなくていいでしょう?」
大原が言ったが自分の発言には、絶対的な効力や説得力があると言いながら、全く機能していないのでは何の慰めにもなっていない。
「勝てる訳がないのを始めから分かっていて、みんな戦っているんだよ。終わったら温かく迎え入れて欲しいなんて言わないから、せめて最後迄、観てやってほしい。その為に今日は授業を打ち切って迄、ここに来たんじゃないのか?」
その声が応援席に届く事はなく、騙されて連れて来られたという一人一人の感情は、相当に揺るぎないものだった。
「みんな聞こえないの!このキャプテンはグランドの後輩達に、何か声援を送ってくれなんて言っているんじゃないのよ!どうして分からないの?ボロ負けしている選手達が情けないって思っているかも知れないけれど、よっぽどアンタ達の方が情けないわよ!ここに何しに来たのよ!」
意外にも真っ先に訴えたのは、いつの間にか応援席に移動していた大原で、勝ち試合を見せる為に全校生徒をたぶらかして、集めたのは自分ではない証明をする目的でもあった。
「よっく言うわよ、あのバカ大原っ!」
散々邪魔しに来ていたのは誰なんだと、佳織は到底、信用できないと冷たくあしらった。現に応援席の一同は一瞬、彼女の発言に立ち止まったものの、それ以上の反応はなかった。部長だか番長だったかは知らないが、とっくに時代は終わっていると言うより『最初っからアンタの時代なんて無かった』と思うと、意味不明に笑い出すのだった。
確かに今日、唐突にやって来た大原の態度は、あまりにも今迄の印象とは変貌し過ぎていた。幻に終わったとはいえ『一人男子陸上部』を誰よりも嫌い、自身の卒業後も側近の在校生に、長井に関わった人物でさえ標的にする様、手回ししていた。それで今更、何を考えているのかと側近に疑われるだろうし、長井に加担するリスクも大きい様に思えた。
『では何故、自ら姿を現したのか?』
彼女自身が言う通り謝罪目的だとすれば、接している内に気持ちを入れ替えたと考えるしかなく、どう見ても一連の行動が、芝居でやっている様には思えなかった。長井にとっては最初で最後の新人戦が、予定より早く終わってしまい、大会中は満足できる結果には至らなかった。要因を考える時間も無く、悩まされ続けた肩の負傷は癒える事はなかった。
今思い返せば陸上部の門を叩いた時から、全てが始まっていて最初に会った時から、既に彼女には目の仇にされており、去った後に立ち上げた部も襲撃の対象になった。そんな嫌悪感は次第に『理解』に変わって行ったが、あまりにも気付くのに時間が掛かり過ぎ、こうして試合を外れている現状が、もはや手遅れと表現するしかなかった。
グランドでは相変わらず後輩達が、奪える訳がないボールを必死に追い掛けていて、すっかり出る幕が無くなった新山は、展開を一人でベンチに残って眺めていた。試合は熱いが自分は、ベンチを暖めておいてやると思った時、相手チームの監督が何気に近付いて来て、彼に会釈しニッコリ微笑むのだった。
「俺、ヨソの学校なんだけど…。」
多分『勝負は貰った』とでも言いたかったに違いないが、監督やマネージャーですら不在の中、部外者にも関わらず、キャプテンか何かに間違えられてしまった。残り時間は遂に一分を切って、もう何をやっても勝負には影響しない所に迄、来ていた。長井達は、いつになったら戻って来るのだろうか?
「みんな頑張ったさ…。」
のん気に余韻に浸るも、肝心の試合を見守るべき同校の連中は、そっちの気で現場を離れており、どうしようもないのだから仕方がなかった。ケガ人が一人も出なかった事を、良かったとでも思わなければならないぐらいで、惨敗ではあるものの、これは学年の差という必然的なものだからしょうがない。
今日は部外者の自分も含め、色々な面々が応援に駆け付けている、随分と賑やかな試合だと思った。これだけ点差が開いても、何て消極さが無い流れだろうかと言いたいし、誰か負傷しやしないかなどという心配は、とんだ取り越し苦労で終わった。
よくよく考えれば本来は、こういう事は監督や直接の先輩が、この場で言うべき内容の筈だった。それより今は、グランド外で起きている事態を心配した方が、よっぽど先決で、未だ応援席の方では混乱騒ぎが続いていた。
「あーっ!長井っ、グランド!」
半分、呆れ顔になった新山が再びグランドに視線を置くと、信じられない光景が目に飛び込んで来た。その叫び声は観客席に十分、届いていて勝浦や藍子達も慌てて、グランドに目をやると驚かずにはいられなくなり、反応が冷たかった応援席でさえ総立ちになった。
「ほらっ見なさいよ、アンタの後輩達が!」
『ふへぇ?!』と一番、反応が鈍かった長井は大原に促されると、やっと周りと同じ視線に振り返った。好きでグランドに背を向けていたのではなく、まさに土下座をする直前で、混乱する中で至近距離で見ていたものは、誰も振り返る事がない地面だった…。
何が起きているのかというと、敵陣の五メートルラインに迄、入り込んでいた。こういったチャンスは最初で最後であり、残り時間からいっても絶対に二度は起こらない。トライは目前だが、ここで例え点を上げたとしても、まず勝利には結び付かないものだった。
既にロスタイムに入っているので時間も無いが、ボールを支配し相手陣地に攻め込んでいる為、こちらに特に反則がない限りは、ノーサイドの笛は鳴らない。その後、全て相手チームの反則で何度か笛が鳴った都度、試合は組み直された。かなり敵も焦りを見せ始めていると見え、何故か勝ち誇った様な表情で、新山はたたずんでいた。
勝敗確定にも関わらず、しぶとい粘りのせいで試合終了を告げるホイッスルが、中々鳴らない事への苛立ちにも取れた。やがて江原と木下が先頭になって隙を突いて、最終的には江原がトライを入れると、ゴールキックも決まった所で、ようやく試合が終わった。
『どう表せば良いのか、この悦びを…。』
土壇場で掴み取った、たった七点は相手に奪われた八十点近い得点よりも、何だか大きい様に感じられた。零戦は免れたが、飛び上がったり走り回ったりして、その気持ちを表す程の体力は、みんな残っていなかった。
無くて正解であり、結局は約十倍もの得点差で惨敗したのだから、喜ぶ資格などない。とてもではないが高々、終盤のワントライと相手が積み重ねた大量得点を、対等に考えるなど勘違いにも程があった。応援席では残っていた生徒達でさえ、無責任な言葉を口々にしながら足早に帰って行った。、
「ちょっとアンタ達!何、勝手に帰り始めてんのよ!拍手ぐらいして上げないの?」
負けた事に変わりはなく、初得点を入れた瞬間の興奮は、すぐに冷めてしまっていた。捨て台詞を吐いて行った観戦者達が、どうしても許せなかったので、引き止めるべく追い駆け様としたが、それを長井が止めた。
「今日は有難う。先輩が応援に来てくれたから、最後に得点が入れられたんだ。」
「どこ迄、お人好しなのかしら?こんなに、かばって上げているのに…。せっかくの試合に水を注されて口惜しくないの?」
その問い掛けに直接、返答はしなかった。
「悪いけれど、そういう事を散々やって来たのは先輩じゃないか?みんな『それ』を守っているだけの話しだよ。」
ラグビー部の活動が、一度足りとも歓迎された事はなかった。それだけ嫌われているという事であり、すっかり非難されるのにも慣れていた。所詮は先輩の教えに従って来た後輩達であり、自分達に対する冷たい反応にも、意外性は感じなかった。
『じゃあ勝手にすれば!』と言うと彼女は、その場から立ち去って行った。次に目の前に現れるのは、いつになるだろうか?
正直言えば別に負けた事など、どうでも良かったが、この結果で満足できているという事は、それだけ『弱い』と自ら認めている様なものだった。自分達に危機感があったなら『大きな課題が残った』どころでは済まされない筈だが、もう自分はキャプテンではないので、そんな心配をする必要は無くなった。
やり残した事があるとか、悔やみ切れないという気持ちは例えあっても、ずっと閉まっておかなければならない。再び仲間と共にグランドを降りて行く機会も無く、この部を明日から動かすのは後輩達で、大会が終わった瞬間、自分の全ては終わった。
「それだけ喋ったら、ホントに気ィ済んだ?辞めるのは前々から聞いているからしつこいのよ!さっさと片付けたら行くわよ!」
めげずに妄想にふける間も無く、帰り支度を急かす佳織だった。
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