第36話 待ち伏せしていたアンチヒロイン
何人かはケガが完治しないまま大会の日を迎え『何人か』の中には勿論、長井も含まれていた。やれるだけの練習は、やって来たつもりなので、どんな結果になったとしても後悔はしないと決めていた。間違っても試合後に『このケガさえ無かったら』とは言わないつもりでいたし、仮に無傷で挑んだとしても、この一回戦さえ勝ち進めるかが非常に怪しい。
今日を迎える迄、ある揉め事が起きていて、事前の組み合わせ抽選会に、仲里が一人で行った事が原因だった。前回の県予選時の様に、大人数で抽選会に出向く必要が無いと考えた長井は、あえて今回は行かなかった。そこで、マネージャー達も入れてジャンケンをさせて、最後に勝ち残った部員に行って貰う事にした。
「どうして私達も入らないといけないの?」
千秋が言ったが一番、運がいい部員を行かせる為の手段なので、決める参加人数は少しでも多い方が良かった。最終的に頂点に立った仲里に決まったが、揉めたのは試合日程で、それだけの事がみんなの反感を買っていた。
初戦は土曜日に組まれていたので、もし勝ったとすると二回戦は翌日の日曜日になり、これが平日であったなら公認で、授業が休めた筈なのに見事に打ち砕かれてしまった。
「下らない事で責めるのは辞めなさいよ!」
「何か言ってやって!キャプテンでしょ?」
千秋が割って入ったが中々、収拾が付かなかったので、藍子が迫る様に頼んだものの、隠居に近い立場になっているので強くは言えなかった。リーダーとしての要素を持ち合わせ、まとめ役にも適任している筈なのに、自分の狙いが外れたと思った。
『それにしても何故?どうして本当に?』
そんな疑問だけがよぎるばかりで、全員の中では仮にも彼は、一番を勝ち抜いて行った筈だった。ジャンケンで頂点を極める事こそ、最強運の持ち主の証明と思われたが、肝心な時の運だけは、あまり良くは無い様だった。
決して、たった一声で全体をまとめられる程の説得力を、始めから持ち合わせている訳ではない。サポートに徹し過ぎていた余り、チームを引っ張る立場には、向いていないのかも知れないが一体、何が悪いのだろうか…。
実は長井も、公認が週末になった事実に不快感を覚え、単に仲里への正常な評価ができなくなっていた。部員達の収まりが付かないのは、他に大きな理由があって、ただでさえ普段はケガを押して練習している事もあり、土日は一切の予定を入れていなかった。
今迄なら時間を有効に使える土日を、練習に費やして来たのが当たり前だったが、登校するのも一苦労なので、授業のついでという形で平日限定に切り替えていた。あの試合以来、強制的に緩和された練習内容が元に戻る事はなかったせいか、週末に休める楽しさを最近になって知った部員達は、怒りの矛先を仲里一人に向けたのだった…。
「何を騒いでいるんだ!週末に組まれたから、どうのこうのって何の為に無理を押して迄、出場するのか忘れているんじゃないか?」
そこへ勝浦が入って来て、今回はキャプテンの送別会みたいなものの筈だと諭した。部の解散を覚悟で出場を決めた時は、みんな心から最後に十五人揃って大会に出たいと、思っていた筈だった。それが『どうして平日に試合が入らなかったのか?』の考えに変わってしまい、かなりキャプテンは傷付いているに違いなく、好き勝手な言動を繰り返していた自分達が、情けないと思った。
実際は、長井も平日公認が得られなかった事に、相当な不満を抱いていたが、もう口には出せなくなった。とにかく場が落ち着いた所で、勝浦は続けて言うと、その言葉の意味は対戦校を確認した途端、すぐに理解できた。
「二回戦は日曜日とは言ったって、一回戦を勝ってからの話しだろう?そっちの心配している前に、目先を考えた方がいい。」
『文句があるならまずは勝ってから言え!』
言う迄もない事であり勝浦は、仲里の持っていたトーナメント表を広げた。週末日程が組まれたのは運が無かったかも知れないが、かなり組み合わせ自体は良かった筈だった。
「豊丸水産!?なんか聞いた事が…。」
佐野が言ったが、それは前回の予選時の初戦と同じ顔合わせで、キャプテンが開始時間に遅れる事態はあったものの、難なく勝つ事ができた試合だった。更に二回戦以降も自分達が知る限りでは、それ程に強そうなチームとはぶつからないので、負けるにしても棄権する迄には到らず、軽症で済むかも知れない。
そんな大方の予想を立てていたと言うより、実に自分達にとって都合の良過ぎる解釈だった。常に、いい方向にしか進まない強引な妄想だけで、何もかもを済ませ様としていた。単に現実逃避しているだけに過ぎず、これから始まる艱難辛苦に立ち向かって行けるのだろうかという、心配からする必要があるが、気付く者は残念ながらいなかった。
『ろくに確認もしないで勝手な事ばかり言って!そんなに週末に試合をやるのが嫌なら、さっさと辞めてしまえ!』
ただ一番の被害者は仲里であり、きっと、こう叫びたかったに違いない。せっかく、いい抽選結果という収穫があったにも関わらず、よく話しを聞かない仲間達のせいで、謂れ無き罵声を浴びせられた。おかげで貴重な練習時間が減らされたと、さっさと一人で部室を出て行った。全ては、ホンの冗談だった…。
「待ってくれよ、機嫌直してくれよ!」
代表して早坂が、そう言いながら追い駆けては行ったが、返って彼には白々しい態度に取れてならなかった。
『トーナメント表の結果の素晴らしさに、最初に気付いたのは自分だった…。』
そう思った佐野も部室を出たものの、彼の足は相当に素早く中々追い着けなかったが、やがては全員が練習場に向かって行った。小柄さを活かした俊足、部員全員を引き寄せるカリスマ性は、全てにおいて文句の付け様が無かったと、ふと長井は思った。やはり、次期キャプテンとして見込んだだけの事はあり、その目に狂いは無かった。
部員達が慌てて仲里に付いて行ったのは、誤解を招いた事態の撤回が目的であり、リーダーシップに引き寄せられた訳ではない。決して現時点で、先頭に立っている意味合いでも無いのだが、完全に長井は現状を美化しまくっていた。単に理解しようとはしないのか、それとも未だに彼のクジ運の良否が、頭から離れていないだけなのか?
「何、ボーッとしているのよ?!」
佳織に背中を押され、一番最後に部室を出たが、何でも自己に都合良く捉えてしまう部員達の習性や傾向は、ここから浸透してしまったのかも知れない。そんな出来事があったおかげか以来、練習の殆どは仲里が取り仕切る様になり、みんな何故か彼には逆らえなくなっていた。長井にとっては自分には到底、持ち合わせてはいないリーダーらしさを感じ、期待していた通りの練習体制になった。
いつの間にか大会を迎え、やがては試合開始の直前となり、彼をキャプテンとして見立てた練習期間は、あまりにも短かった。本当に自分達には時間が無かったと思った中、長井には今日迄、抱いていた決意があった。
まとめるのは新キャプテンである彼であり、その為の練習を少ない時間ながら、やって来た筈なので試合中、どうこう指示は出さないつもりだった。ぶっつけ本番で果たして、通用するかには大きな疑問があり、昨日迄の準備期間は決して十分なものではなかった。あの日を境に待望の形とは言い難く、不安と緊張からか、またトイレに行きたくなって来た。
『嫌な予感がするから行かない方が…。』
何だか落ち着かない素振りを察した千秋が、心で訴えたが結局は『大丈夫』とでも言う様に、忠告を聞き入れる事は無く場を離れて行った。大原が今、会場に来ていないとは言い切れないので、下手に動いたりするのは危険、極まりなかった。前回と酷似した薄暗い通路を進んで良くと、やはりと言うべきか、またしても出会ってしまった。大原センパイが…。
今迄なら恐怖感でも与えるべく、暗闇から囁かれていたが今回は、目の前に仁王立ちしていた堂々とした姿が、ある意味で返って脅威的だった。開始前に自分が来る事を見越して、まるで待ち伏せしていたかの様で、始めは何を言ったらいいのか分からず、互いに顔を見合わせていた。向こうから来てくれたのなら、ちょうどいい機会だと思い彼女には、どうしても話しておきたい事があった。
「どうして試合に出るんだって、それをわざわざ言いに来たんだろう?新人戦迄は付き合うって後輩達と約束したから、今日は自分の引退試合なんだ。」
自分の力が及ばなかった事に気付かされ、今が引き際とさえ言って来た結果、退部と言う名の責任を取って、二度とボールすら握らないつもりだった。後悔も、やり残した事も無いとは思っていたが例え、どう言われ様と、あと少しだけ時間が欲しかった。今の決意を、身を削る思いで表したのとは対照的に、彼女の反応は意外なものがあった。
「何を言い出すのかと思ったら…。じゃあ今日勝ったら、どうするつもりでいたの?ここに明日は来ないの?」
『後一試合』ではなく、この大会の終了をもって退部するのが自身に対する誓約なので、その時は勿論、出なければならない。何よりは自分を未だに、キャプテンとして慕ってくれる後輩達がいる以上、応えなければという思いがあった。第一、ちょうど十五人しかいないので、一人でも欠けると大変な事になる。
『辞める去る』と言いながら、いつ迄も居座り、未練がましく部に噛り付く行為だと思われても、それは仕方がなかった。単に大将気取りの時間を、無駄に長引かせているだけなのかも知れないが、部にとって絶対的な存在だとかは更々、言うつもりはなかった。
陰から支えにでも成れれば本望だし、そう徹するのが、後が無い自分が取るべき最善策だとさえ思った。伝えるべき内容は全て言い尽くしたので、これ以上は言葉が出なかったが何よりは、もう時間も無かった。
「いつ迄、意地を張っているの?約束なんて、どうでもいい事なのよ。後輩達にはあなたが必要って何度も言っているじゃない?」
こういった、しつこいアピールは過去、幾度と有り嫌でも理解せざるを得なかった。すっかり彼女が気持ちを入れ替えたのは、かなり前から察してはいたが、どうしても『過去の終わった話し』では済ませられなかった。
あの理不尽な約束は、返って自分を見つめ直す絶好の素材となり、それからの分岐点を大きく左右させられた。最も、勝手に一方的な要求を突き付けておきながら、後になって『別にどうでも良かった約束』などと言う事自体、理不尽極まりない。大切な後輩達と部の存続の危機を、まだ二年生ながらにして、打ち明ける仲間もおらず思い悩む事となった。
「あの条件は、もう関係ないんだ。これは自分で決めた事だから。」
後輩達は自分なんかを頼りにしなくても、十分やって行ける事に最近、気付いた。それは遅過ぎたかも知れないし、頼りにならないキャプテンと言うのも、事実に違いないので、どんな説得を受け様と考えは変わらなかった。
入学してから一年にも満たない活動期間ながら、言葉では表せないぐらいの実績は残したと、これだけは自信を持って言える。後輩達には部の解散とかにならずに卒業迄、続けて貰う事さえ叶えば、後はどうでも良かった。とても大きなものを残したとは思っているが、それは全部、大原が嫌がった事ばかりだった。
「続けたらいいじゃない?終わりにするなんて言わないで!」
長井は突如として現れた、校内に旋風を巻き起こす存在であり、そんな投げ掛けは、ただ辛いだけにしか聞こえなかった。今迄には無かったタイプであり、当然ながら彼女には、目障りにしか映らなかった。部の新設といった行動が改革、果ては新たな伝統を刻む一因となり、ますます快く思わなくなって行った。
彼女にとっては、やって欲しくはない事ばかりが、ほぼ毎日続いていた。単に自分の目的を果たそうとしていただけであり、悪意など微塵も無かったというよりは、そういう魂胆の限りを尽くす能力が元々、貧しかった。
結果的には、無神経な行動だと周囲の反感を買いまくったが、それが十分な収穫だった。校内、どこに居ても立っても四面楚歌なら、新しい歴史でも切り刻んで嫌がられれば、その事が立派に報復になった。何かをやり返したつもりは無いが、それなりの傷跡は残してやった様なので、自分の気も晴れていた。
当時は藍子や千秋と共に『いじめからの脱出』に精一杯で、そういうヒンシュク回避の為、部の新設に急ぐ活動を止める事はできなかった。手を休めていたら、今から始まる大会への参加が存在しない事になる。
「もう行かないと…、前みたいに試合に遅れる訳には行かないんだ。」
話しに夢中になってしまっていたが、早くグランドに戻らないといけないので、振り切る様に、その場を離れ通路の出口に向った。
「頑張ってね!最後迄、観ているから試合が終わったら、またここで待ってる!」
振り返りはしなかったものの、後ろから確かに聞こえていた大きな声は、間違いなく声援だった。さすがに今回は妨害行為が目的ではない為か、それ以上、無駄に引き止められる事はなかった。『だったら最初から出て来るな!』という話しであり、ほっといてくれと言った方が早いのかも知れない。
過去の経緯から見れば、これが精一杯の、彼女なりの優しさに受け取れなくもなかった。とにかく今回は、無事に開始前からグランドに入る事ができたが、これも当然と言えば当然の話しであり、今迄が異常過ぎていた。
「大原先輩と会って来たの?」
千秋が聞いて来たが、首を横に振った。今は正常な試合に臨むだけであり、下手に事実を打ち明けるのは支障をきたすので、避けるべきだと思った。余計な話題でチーム内を不安や不信感で、あおりたくはないし、自身の失速で全体の弱体化という事態も、回避しなければならなかった。
始まった途端に勢い良く大差を付けて行き、みんな万全な体ではないにしろ、勝てない相手ではないと思って挑んだ試合だった。最終的には五〇点近くを取り、無失点で終わって、これで自分が部に残る時間が少しだけ延びた事になる。勝利の喜びも束の間、長井は胸騒ぎがして、さっきの大原と会った場所に向かおうと何気に走り出した。
「どこに行くの?」
唯一、グランドから姿を消した事に気付いた、千秋が呼び止めたが聞こえていなかった。
辺りを見回したものの姿は無く、もう帰ったにしても、あれだけ自ら念を押しておきながら、今日は引き揚げたなど疑問でならなかった。大会場所は変わらない為、明日も来る事にはなっているが、それを見越して立ち去ったのかも知れない。
「長井君!やっぱり先輩に会っていたの?」
突然、後ろから声を掛けられて振り返ると、心配して様子を見に来た、千秋がいた。
「いや、ここのトイレには思い入れがあって、この素晴らしい輝きのドアノブや便座を、再確認しに来たくなって…。」
「つまらない言い訳してんじゃないわよ!」
現場は目撃していなくとも何があったのかは、すっかりバレてしまっていた。仮にも大原からは、特に慕われていた後輩なのだから尚更、行動は読めていたが、この件を千秋は誰にも話さなかった。
きっと大原は顔を出し掛けた瞬間、千秋の気配を感じて、姿を現せなくなったに違いない。今となっては先輩の絶対的権威は崩壊している為、合わせる顔も無い筈で、むしろコソコソと身を潜める方が無難とさえ言えた。
「千秋には色々、悪い事をして来たのかも知れないわね。でもいつか、いつか…。」
陰から囁かれる意味深な言い分は勿論、長井達に聞こえはしなかった。
翌日の日曜の朝、部員達は学校に集合していて、もう出発しなければいけないというのに、バスには鍵が掛かったままだった。勝浦が職員室に行って来ると言ったきり、まだ戻って来なかったので全員、未だ乗り込めずに、かなりイラ立っていた。
長井だけは他の事を考えていて、会場には遅刻さえしなければいいのだから、みんなには今、そっちの心配をしてほしかった。昨日と同じ様な試合が、二度も続くとは思えないが、別に大差を付けると迄は行かなくても、できるなら今日も勝ちたい…。
やっと勝浦が校舎から出て来たので一体、何をやっていたんだと口を揃えて愚痴をこぼしたが、手には何かを抱えていた。
「先生、それは?」
橘が言うと、実は部宛に荷物が届いていた為、持って来るのに時間が掛かっていたと言い、差出人には『大原優子』と書いてある…。
「品名は『清涼飲料』って?」
村田は恐る恐る指で辿ったが、よく見覚えのある名前だけに、ほんの一瞬ヒヤッとした。品名に惑わされてはいけないので実際、何が入っているのかを心配しなければならなかった。いい物でも入っていなければ、これだけ待たされた意味が無く、イラ立ちを紛らわすかの様に、林が率先して手を掛けた。
「せっかくだから開けてみようか!」
「本当に何が入っているのか分からないんだ。せめて、もっと慎重に開けろよ!」
それが合図となったか、みんなが一斉に箱を破り始め、長井の助言は誰の耳にも入っていなかった。一体、その中身とは…。
「えっ!?」
真っ先に手にした前田が言った途端、全員の腰が抜けた様になり、そこには粉末タイプのスポーツドリンクが、約百袋は入っていた。『自分達で作って飲め』と、彼女は言いたかったと捉える他ないが、確かに品名に偽りは無かった…。まともに百袋も作っていると、手間と時間が掛かり過ぎて試合どころではなくなるが、それが狙いだとは思えなかった。
また遅らせ様などという魂胆にしては、まさかの程度の低い策略だが、こういった一線ずれた所が、あの先輩らしさなのかも知れない。どうであれ、運動の前後には欠かせない物であり全員に十分、行き渡る量でもあった。これは空からの恵みか、それとも女神の贈り物だったのかは不明だが、どちらにしても、いい思い出として残したい。
やがて会場に到着し、グランドに整列すると、後は試合開始を待つだけとなった。これから対戦する相手は優勝候補でも、シード校でもなかったが言う迄もなく、自分達よりは強いかも知れない。負けた時点で、キャプテンは去って行ってしまう為、せめて、もう一試合だけでも付き合って貰いたかった。
いつもキャプテンさえ近くにいてくれたら、他に何も要らないというのが、後輩部員達の切実な願いだった。ただ、大した実力も持ち合わせていないのに、始まりもしない内から相手の戦力を量るなど、身の程知らずでは許されない。『強いかも知れない』どころの話しではなく、あたかも接戦にでもなるといった勝手な予測を、初めから立てていた。
『そういう寝言は勝ってから言え!』
部員達の送り迎えに、必死で苦労を背負い込んでいただけに、勝浦は呟いたが始まってみれば、心配を吹き飛ばす様に意外にも接戦を演じていた。目立ったリードこそないものの、ほぼ互角の試合展開のまま時間が過ぎて行き、前半は互いに無得点で終わった。
あえて楽になった点を挙げるなら、今回は新人戦という事で、多数の三年生を相手にしなくても良くなった程度だった。ここ迄、彼等を奮い立たせる原動力とは果たして何か?キャプテンを失いたくはない嘘偽り無い気持ちが、そうさせているのだろうか?
前回の大会での負傷箇所にしても、完治していない部員達が未だに存在していて、いっそ強引に引き分けで終らせ、抽選に持ち込むといった策略も浮かばなくはなかった。延長戦は存在しない為、最後はクジ運がものを言う…。例え負けたとしても、キャプテン以外は一年生しかいないチームという事で、温かい目で見られるかも知れない。
勝ったという結果でしか自分達は、満足できない答えに辿り着いていたので、激励も受けるだろうが同情の声援など要らなかった。癒えない痛みは、そんな気持ちにかき消されて尚更、少しでも多く試合数をこなす為には、この先も絶対に勝たなければいけない。
前回の棄権してしまった試合は、自分達が一回り大きくなる、いい機会だった。殆ど一年生で構成されるチーム状況は当然、今でも変わっていないが舞台が新人戦に移った分、試合が緩く感じられていたのは確かだった。血気が上がって、あまり無理はしないでほしいとの、勝浦の言い分は変わらなかったものの、意味を成さない指示だと思った。
勝てるかどうかは別問題として、せっかく取り戻した団結力の拍車に、無理に歯止めを掛けてもしょうがなかった。何かが起こった際に取らされる責任の量は、計り知れないが、以前迄の部員達とは違う様なので、黙って見届けるしかないと思った。
以降もゼロ対ゼロの展開が続き、ようやく後半の半ばあたりで、もう少しでラインを割る寸前の所にトライを入れた。これが初めての得点になったが、あまりにもタッチラインギリギリで、その後のコンバージョンキックは決まらなかった。今日に至る迄の練習期間とは相当に厳しいものがあり、とにかく狙いを定めるとか間合いを置くといった、落ち着いたプレーをこなす余裕がなかった。
それでも点差を付けた事には変わりなく、勝てる望みが少しだけ増えた後は、お互いに点は奪えなかったので、長井達が逃げ切った形になった。やはり棄権した試合の教訓があったからこそ、何かを培ったに違いないし、そうでもなければ続けて勝てる訳がなかった。
しつこい表現だが殆どが、一年生を占めるチームが二回戦を勝ち抜いたので、単にクジ運が良かっただけだろうとか、周囲から勝手な事は言われたくなかった。
「ハイハイ分かったわ。あなた達は強かったから、何も同じ事を繰り返して言わなくていいのよ。」
せっかく部員達が、連勝で活気を取り戻したばかりだというのに、余計な水を注す佳織だった。全員グランドを降りると長井だけは、その場から離れ様としたので、またしても、いち早く察した千秋から呼び止められた。
「どこに行くつもりなの?まさか…。」
「何回ヒドイ目に遭わされたら気が済むの?いちいち相手にする必要は無いのよ?」
それでも、また会いに行こうなどと、本当に懲りていないとしか言い様がなく、今度こそ行かせまいとする藍子も加担して来た。いつも、薄暗い陰から待ち伏せされている所へ、わざわざヤラレに行っている様なものだった。
まだキャプテンとしての立場は終わってなく、みんなの為にも安易な行動は慎んでほしかったので、何とか救って上げたいとも思った。目的を果たす為なら、平気で周囲を混乱させる卒業生など、もう先輩だとは思っていなかった。かつての部を共にしていた頃の信頼感は、すっかり消え失せていた。
長井と再会の約束でもしたのかも知れないが、それ以前に来るかどうかも定かでないし、そんな事に大切な存在を使われたくなかった。そうこうしている内に観客席から、こちらに向って来る姿があり、呆気に取られていたが大原だった。目の前にいる部員達は全員が敵になるので、こうして堂々と現れるのは絶対、有り得ない筈だった。
「よく顔を出せたな先輩。殴られる覚悟でもあって来たのか?」
そう箕田が威圧したが、彼女は笑顔を絶やさなかった。藍子も、そして千秋ですら、かつての可愛い後輩達ではなくなっていた。前回の仁王立ちでの出現といい、こういう意味不明な堂々さが、本当に返って不気味だった。
「待つのが面倒になって、こっちから来たのよ。それに、か弱い私に何もできない事も、よく知っているわ。ここで、おかしな真似でもされたら次の三回戦、出れなくなっちゃうでしょう?」
こういう言い逃れが思い付くのは、在学中、大会出場を果たしていた経験が、ものを言っているに違いない。選手という立場上、不祥事から来る部の存続や、大会への出場が断たれる事態は常に紙一重だった。何か多少なりでも問題を引き起こせば、どんなに練習で培った物があったとしても全てが水の泡となる。
さすがは一つの部の長を率先して務めていただけの事はあり、そういった実績を尽くしたからこそ、とっさに、こういう悪知恵が働くのも事実だった。河野と箕田以外の一年生部員は今日、初めて顔を合わせる事になる。キャプテンに無理難題な条件を突き付けたという、話しでしか存在を知らなかったが、聞いたのは最近になってからの事だった。
「差し入れ有難う。先輩だったんだろう?今迄、色々誤解してた。」
せっかく来てくれた事には変わりなく、歓迎の意味も込めて長井は機転を働かせた。場を和ませる為でもあったが今日迄、後輩達は下の名前を知らなかった。『大原先輩』という悪名しか響いていなかったせいか皆、名前など、まるで関心が無かった。
「ねぇ先輩、これ以上、私達に付きまとわないで貰える?この大会で最後にするって言うのは本人の口からも聞いているから、もう十分でしょう?」
キャプテンの進退の話しなら、とっくに済んでいる筈だと相当に強気な口調で、藍子は言った。素直な後輩ではなくなっており、完全に四面楚歌で、長井の入学当時の境遇と今の彼女は、すっかり立場が入れ替わっていた。
「長井君には何も言わないで。ただ、観客として来てくれるのなら構わないから…。」
便乗してか千秋も強気な姿勢に打って出て、もう先輩として慕うには限度があった。こうも後輩達に盾突かれ続けると、逆上する気にもなれず自分の居場所は、既に無くなっていたと改めて気付かされた。昔の誰もが自分に服従していた、持てはやされた時期が忘れられず、それを察するのが遅かった気がした。
「私、まだ何も言っていないわよ。それに大会が終わったら、辞めるとかいう約束は知らないわ。そう最初は言ったかも知れないけれど、覚えてやしない。これからも、みんなのそばに付いて上げて欲しいって、こっちがお願いして来たぐらいなのよ。」
「よくもとぼけやがって、このダメ女!」
余りの白々しさに、箕田が怒りを露にした。明らかに嘘を吐いていると分かるが、以前の良くない思いに変化が表れた事と、発言に悪意が無いのは、よく伝わった。しかし無理な条件を叩き付けられたら、色々と迷いも出始めるに決まっているし、訳の分からない行動に走ってしまった結果、キャプテンの奇行振りには目を覆うものがあった。
今は改心したとは言っても、過去を目撃していない一年生部員達には、うさん臭い姉さんにしか映らなかった。やはり一連の原因は、大原という卒業生にあるとしか思えなかった。
「どうしても、一言だけ先輩に言いたい事があるの。部の偵察を私に断られたからって、何も千秋に頼まなくてもよかったじゃない。それが本当に許せないのよ!」
かなり藍子は怒り心頭で、絶対服従するしかなかった当時が、馬鹿らしいとさえ思った。
「随分、大きな口を叩くのね。私がいた時は、大人しい後輩だと思っていたのに…。」
何かあれば、きっと周りが助けてくれるという、確信でもあるに違いない。そうでもなければ、こんな事は言わない筈だった。問題は今であり、以前の人間関係など所詮は昔話でしかなく、そういった過去は、いい思い出のまま閉まっておくべきだった。
自分に関わる事で、いがみ合いを続けられたくはなかった長井は、この場を何とかしたいと思っていた。またも機転を働かせ様と、これ迄の経緯を語り始めた。さっきの差し入れを忘れてはならないし、使っている今の部室には、ある伝説が隠されている事を感謝しないといけない…。
『何が伝説か?』と一同、声を揃えて注目し目を見開くと、不敵な笑みを浮かべ得意がった様に語り出した。その伝説とは藍子と千秋ですら知り得ない内容で、みんなの視線を反らし、大原を救って上げられると確信した。
「そこには、誰も知らない大原センパイの血と汗が流れ…。」
「アンタ、余計な事を喋り過ぎなのよ!」
要は、かつての柔道部の部室を直接ではないが、譲り受けた形になっていると訴えたが、とんだ的外れで終わった。余計なお世話だとばかりに突然、態度を急変させると冷めた様に立ち去って行き、それは単なる、おせっかいでしかなかった。藍子は彼女を、よく知る立場だからこそ言えるが、救いの手を差し伸べられるのを誰よりも嫌った。
「長井君…、あの先輩の事を、まだまだ知らなさ過ぎるのよ。」
その後に迎えた三回戦は失点こそあったものの、ペナルティゴールだけで応戦し最終的には、ノートライにも関わらず相手の得点を上回った。巡って来たチャンスを一つも外さずに、確実に活かし切った事が勝利に繋がったが、いつから大それた試合結果を、語れる身分になったのかが不思議だった。
今の実力から言えば、トライなど何本も奪われて当然で、それを『失点』などと、身の程わきまえない自覚から来る認識だった。試合中も終了後も大原の姿を見掛ける事はなく、もしかしたら、見えない所で観戦していたのかも知れないが、以降も目の前には現れなくなった。彼女の存在を気にする必要は無くなっていて、負けたらどうなるとかいう条件は、すっかり打ち砕かれていたのが分かった。
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