第34話 カッコいい先生

「明日、揃って退院できるみたいだ。」

「本当に!?」

「さっき担当の先生が言っていたのを、チラッと聞いたから。」

ここは、あの試合で負傷退場した部員達が搬送された四人収容の病棟で、前田が佐野に話しを持ち掛けていた。隣りの空いているベットを恨めしそうに見ながら、早坂が言った。

「大したケガじゃなかったのに大袈裟なんだ。どうして、もっと早く退院にならな…。」

そこに横たわっていたのが山元であり、既に退院を済ませていた。他に負傷退場したのは長井と河野だが、入院迄には至らず結局、この三人だけが一週間近くもベットに縛られていた。一方、学校では…。

「明日、前田達が退院して来るって!」

どこから仕入れて来たのか及川が、情報を部室で流した途端、喜ばずにはいられなくなった部員達は、途端にドンチャン騒ぎを起こし始めた。ここ最近は『練習』内容のマンネリ化もあって、集まりが極めて悪くなっていたが、名ばかりの活動なのだから仕方が無い。

そんな時だからこそと思ってか、長井が異様な迄に奮闘する様になり、決して走れる体ではないが『練習』に加わる、スタイルだけでも意義があると思った。部室へ現れる一年生部員が日替わりと化す中、せめて自分だけはと毎日、顔を出していた。

そうやって、昨日迄は欠かさず出ていたにも関わらず、こういった劇的変化が訪れた日に限って、珍しく来ていなかった。きっと無理が祟ったに違いないと、予測した一年生部員達は皮肉にも今日、全員が揃っていた。

「退院したからって、すぐ練習に参加できる訳じゃないだろう?」

橘は言ったが、この件については林と星と共に、事前に勝浦から事情を聞かされていた為、冷静な判断を取る必要があった。復帰した、その日から何かを始められる訳でもない。

明日は金曜日なので、彼等の登校は早くても月曜日になり、確かでない憶測で騒ぎ立てる事などできなかった。更に体調面での回復も待たねばならず、やはり早期の練習再開には至れそうにはない。キャプテンの完全復帰も考慮すると、フルメンバーでの活動は、最短でも半月の猶予を考慮するのが妥当だった。

「なぁ、良かったら今からお見舞いにでも行かないか?」

村田が何気に言うと、みんな騒ぎ出すと迄は行かなかったが、やがて何かの思惑が一致したのか、うなずいて揃って部室を出て行こうとした。藍子と、千秋も加勢して慌てて止め様とはしたが、全く聞こえていなかった。

「ちょっとみんな、まさか本当に、病院に向おうとしているんじゃないでしょうね?一体、何を考えているの!?」

「好きな様にヤラセて上げたら?きっと色々と考える事があったのかも知れないし、もう止めたって無駄よ。」

二人とは正反対に、あっさりと言い捨てた佳織は、部員達について行ってしまった。どうせ練習らしい練習は無く『それはいい案』と誰もが、村田の意見に異議を唱える事もせず、すんなりと賛成したのは言う迄もない。せっかく久し振りに全員が揃ったのだから、悔いの無い行動を起こしたかった。

「せめて長井君が来るのを待ちましょう?」

無言で去る部員達の背中に向けて、千秋が訴えると、藍子も続けて叫んだ。

「そうよ、まだ来ていないキャプテンをまさか差し置いて、自分達だけで勝手な行動は取れないでしょう?」

いつも出現するかしないかは本人の気まぐれに過ぎず、退院日も近い事から、そこ迄は付き合っていられなかった。来たり来なかったりを繰り返していたのは、キャプテン自身であり毎日、顔を出す様になったのは、ここ最近になってからの話しだった。

「そうよねぇ、それで毎日『自分はチームの中心だ柱だ』なぁんて言うのは、ちょっと虫が良過ぎるわよねぇ。」

かなりの皮肉を込めて佳織は、一年生部員達の方を称えていた。薄情な切り捨てや複雑化する仲間関係と言ったものを、普段から受け慣れていなければ到底、勝ち残る事はできないのがスポーツ界である。むしろ周囲から、酷だと思われる事を平気でやる様でなければ、チーム自体の向上が有り得なかった。

彼女自身、大きな口を叩ける程、人間交差を渡り歩いて来た経験など、ある訳が無かった。そういう修羅場を藍子も千秋も、かつては経験して来た筈なのだが、仲間同士で競り合う機会から遠ざかった期間は、あまりにも長過ぎていた。次第に無意識の内に、情に走り易くなってしまったのかも知れない。

何より長井には、試合を混乱に陥れた『前科』があったが勿論、単なる誤解ながら事情を知る一部の部員を除いては、まだ完全には解けてはいなかった。いずれは他の部員達の耳にも入る事にはなるが、それには長い経緯の説明や、ある程度の時間経過が必要だった。

「どうしても行きたいって言うのなら、無理には止めないけれど何か大袈裟よね?高々、お見舞に行く理由の前置きにしては…。」

そう言った藍子と、そして千秋も結局は部員達と行動を共にする事となり、別に頼んでもいない佳織も加わった。部室は綺麗さっぱりと無人と化し、長井をいたわる気持ちなど誰も抱かなくなり、キャプテンを気遣うどころか、存在が完全に葬られてしまった。

「何だ!?明日の退院に揃いも揃って!」

「だから来たんだよ!」

総出で病棟に詰め掛けて来た仲間達に、早坂は驚きを隠せなかったが、林はキッパリと言った。『だからってどういう意味だ』と受け取るしかなく、どうせ週明けには嫌でも学校で顔を合わせるのだから、よりによって何も、前日に来なくたっていいだろうと思った。

「多分みんな、よっぽど暇なんだろう?見舞いとか何とか言って、やる事が無いから来たんじゃないのか?」

佐野が指摘すると、最初は笑顔を振り撒いていた見舞い組の表情は、途端に渋くなり確かに今日、集まったのは何かが寂しかったからだった。指導してくれる先生はおらず、先陣を切るキャプテンもいなかった。

「まともな練習なんて、できていないんだ。その日に集まった仲間だけで、どうやって時間を潰したらいいかって考えてる…。」

毎日は中身の無い活動の繰り返しで、いつもパッとしない放課後を迎えていたと、木下が実情を生々しく語った。あれだけの激戦を演じたのだから、ほんの数日程度であれば、休息期間として割り切れる。一時期は荷が軽くなった様にさえ感じられたが、さすがに無期限に続くのは、耐え難いものがあった。

「わざわざ来たのには、それなりの理由があったから、どうしても校内では大っぴらには言えなくて…。」

次期キャプテンとして不動の地位を保つ、仲里の沈黙を破る発言に、全員の視線が集中した。ただ『そんな打ち合わせが事前にあったのだろうか?』と一瞬、見舞い組の面々は受け取らざるを得なかった…。

彼の意見とは、みんなが完治したら次に迫る、新人戦に向けた練習を始め様というものだった。これから、自分達が出場できる筈もなかった全国大会が始まり、それが終わる年明け早々には開催される為、なるべく早い段階で行動に移さなければならない。

顧問は毎日、逃げ惑う様に不在の状態の上、キャプテンは蒸発同然であり現状は最悪だった。今の自分達に受け入れるだけの余裕や空き時間は、無い様に思えてならないし、県予選の終了後、こうしてチームの壊滅直前という致命的な結果に陥った。あれは校内で大問題に至った、異常な空気の流れる試合だった。

それでも尚、大した日数も空けずに次の大会を目指すなど、過信にも程があるのかも知れない。『完治したら出てみようなど本当に懲りない連中』と、良くない評価を受けるのが目に見えており、動き出すには余りにもタイミングが悪過ぎだった。

レッテルを貼られるのを何より機敏に恐れたのが、仲里で安易に部室なんかで、この話しを切り出したりしたら、誰に聞かれてしまうかは分からない。長井には持ち合わせていない慎重さが、彼には大きく光っていた。

「それを言うだけの為に、わざわざ?」

前田は、涙ながらに問い掛けた。

「も、勿論。こんな話し学校で、できないじゃないか…。」

何故だか知らないが江原が代表して、見舞い組に確認を取る事となった。言う迄もなく全員、強引なつじつま合わせに苦笑いを浮かべながらも、うなずくしかなかった。普段の練習こそが部員達の求める安泰な場所であり、それ無くしては学校生活は送れないのである。

「水を注す様で悪いんだけれど、本当に体は大丈夫なの?それ程の期間は無いわよ?」

藍子が訴えた通り到底、すぐに何かを始められる状態ではなく、大会迄にチームを立て直せる確信さえ、誰も持ち合わせてはいなかった。今は『出れるものなら出てみたい』と言う本音を露にしているだけに過ぎず、意思表示をするのは簡単だが、行動に移すとなると話しは大きく異なる。

大概のチームは、本来の出場枠に入り切れない部員を、二軍もしくは予備軍といった形で常時、振り分けているものだった。先日の県予選が、三年生が過半数を占める大会である以上、新人戦との日程が詰まっていても何等、支障が出る事はない。それを想定して、組まれていると言ってもいいぐらいなので、必然的な流れでもあった。

全国大会と、その後に始まる新人戦ではメンバーは、ガラリと変わるもので力量も比べ物にはならない。希に飛び抜けた実力を兼ね備えた下級生が、全国大会出場を果たした後、そのまま新人戦にも参戦する事も、そう聞かなくはない話しだった。自分達の場合、キャプテン自体が『新人』の領域だった…。

つまりは新人戦の延長程度の感覚で、安易な出場を果たしてしまった為、ほぼ休部に追い込まれた現状は、当然の報いとしか言い様がない。新人戦で培い学んだものを全国大会に活かすのが、どこの学校にでもある手順ではあったが、部を立ち上げた当時の性質上、どうしても普通と思われる事ができなかった。

自分達には栄光や教えを伝承する先輩など、元からおらず予備軍などを構成できる程の、部員数も確保できていない事は、設立当初から変わっていない。色々と問題はあるものの、絶対に出れないという訳ではないが、あまりにも自分達は非力であり、まだまだ行動に移すには足りないものが多過ぎた。

「やっぱり、まずは先生にでも相談した方が、いいんじゃないか?」

自分達だけで勝手な行動は取れないとばかりに、橘は言ったが当人は、声を掛けたにも関わらず、未だに練習には出てくれていない。キャプテンも、ここ最近の行動は推測困難で、不可解さばかりが目立つ様になった。

退部をほのめかす言動を、取り続けている様にしか受け取れず、実に微妙な立場にいた。このまま辞めてしまうのだろうかという前兆もあり、互いの顔を不思議そうに見合わせるしかなかった。解決できていない問題が山積みなので、出場できる要素はまるで無く、弱気な発言にはなるが実現する為には、周囲の理解と協力が必要だった。

ひょっとして自分達が何も知らないだけで、ますます事態は深刻化しているのかも知れず、毎日が不安定で仕方なかった。そんな状態で大会に出ようなど無謀な冒険でしかなく、それで生み出される結果は、自らを『廃部と壊滅』に近付けるだけだった。

やがて週明けとなり、退院組は予定通り登校して来たと同時に、ようやく勝浦も部に戻れる様になった。辛い毎日を送る事を強いられはしたが、ある程度の日数の経過が解決を導き、顧問としての立場を取り戻したのだった。校内からの冷たい目線に晒されるのを余儀無くされたが、もう過去の話しであり、何も気にする必要が無くなった。

ましてや名前しか聞いた事がない、運動部の顧問を受け持っていたのだから、毎日が無事に過ごせる筈もなかった。よくよく考えれば教員になったばかりなので、分からない事が多過ぎたが『何も知りませんでした』では、これからは通らない。また判断に迷う様な事態になったら、同じ三年生を受け持っている、根本に頼ろうと思い『先輩』『姉御』等、学年主任でもあり称える言葉は尽きなかった。

単に自身の、今迄の無知さから引き起こされた騒動を、美化している様に受け取れなくもないが…。『みんな来ているだろうか?』と思いながら、約半月振りに部室のドアを開いたが、休部状態とは言っても毎日、何人かが入れ替わりながら来ている筈だった。

「何だ、まだ誰も来ていないのか…。」

立ち入ったタイミングが悪かったのか、今日に限っては怖いぐらいに静まり返っていた。しばらくすると後ろから騒ぎ声が聞こえ始め、退院した部員達を囲む様に、ガヤガヤと揃ってやって来たが、長井の姿だけがなかった。

「みんな!先生が来ている!」

最初に目が合った星が叫んだ途端、今度は自分が部員達から取り囲まれたが、ここに居ない者への心配よりも、これからの事を話し合わなければならなかった。

「先生が学校側から言われた事は大体、分かっていると思うから絶対、無理はしないでほしい。もしもケガを隠して練習を続けたり、その体で大会に出よう何てする部員が一人でもいたら…。」

どうなってしまうかは、この場にいる全員が把握できている筈であり、取り返しの付かない事態になってからでは遅かった。絶対に起きないと信じてはいるが近日中、誰かが入院にでも至る事態になったら、顧問を降ろされるとか生易しい処分では済まされなくなり、きっと教師生命を断たれるのである。

この先も顧問を続けるには、こういった約束を守って貰わないといけないので、決して脅しや冗談で言っている訳ではなかった。焦りと深刻さが入り交じった表情で全員、話しを聞かされ続けていたが『例の事』が、ますます言い出し辛くなってしまった。

新人戦の開催迄は、ほんの数ヶ月であり、その助言というよりは警告を受け入れるなら、出場は絶望的だった。よくない表現ではあるが別に勝浦が、自分達にとって絶対、必要な存在という訳ではなかった。

自称『理化学系』と語る通り、体よりは頭を使って機敏に動く方なのだが、どんなタイプにしろ顧問である事に変わりはない。お世辞で言っても運動神経は芳しくなく、練習で教えて貰う事も何一無いが、その監視下で、指示と采配無しでは活動できないのである。

部が出来て間もない当初、勝浦が顧問になる事を一番に嫌がったのは、設立に端を発した長井だった。それを必死で説得したのが、この部員達であり、理想を追い求めるキャプテンとは違って、今後を考えて現実を取った。これから身勝手な行動を起こして、もし何かの事態にでも発展したら、勝浦がいなくなってしまうのは間違いなかった。

代わりの顧問が宛がわれるかと言えば、そうではない以前に、これ以上の大問題を引き起こす様な部の存続など、認められる訳が無かった。その時こそ『廃部』若しくは『強制解散』を意味する事を、ここにいる部員達自身がよく知っていた。

「そう言えば長井は、どうしたんだ?今日は来ていないのか、もう帰ったのか?」

「あれーっ?何か外から物音が聞こえる。」

そろそろ顔を出しに来たのだろうかと、林が白々しく言ったが勿論、気配は無かった。

「ちょっと外を見に行ってみよう…。」

続けて山元が話しを合わせ始めたが、それは作戦を練り直す為の、実に強引な非難策だった。二人に続けとばかりに揃って一旦、外へ出たが、ここから激しい討論会が始まった。

「一体どうするんだ?話しが上手く進まないじゃないか!」

及川が、半ばヤケになって訴えた。

「最初に言い出した奴が黙ってばかりいるから、こうなるんだよ!」

今度は村田が同様に怒りをぶちまけたが、それは明らかに今回の件について端を発した、仲里に向けられた不満だった。

「思い通りに行かないから一人を責め立てるなんて、勘違いにも程がある!それだけ自分達に力が無い事ぐらい自覚しろよ!」

木下は言ったが、こうも部室の外と中では全員の振舞いが異なり、チームワークや一致団結どころではなくなっていた。

「いや、だから俺達は別に、そればかりを言っているんじゃなくて!」

再び及川は、同調した村田に頼る様に熱弁を振るおうとしたが…。

「そろそろ戻った方がいいんじゃないか?騒ぎを続けたら、さすがにマズイだろう。」

橘が場をなだめる様に言うと、火花が着いた論争は途端に鎮火し、冷静さを取り戻した部員達は、大人しく部室へと舞い戻った。

「何か凄く騒がしかったのは、まさかケンカでもしていたんじゃないだろう?辞めてくれよ、これ以上の騒動を起こすのは…。」

冷や汗を拭いながら全員、揃って首を横に振り続けたのを不審には思った。さっきから喋っているのは自分だけで、部員達は殆ど黙ったままでいる事にも気付いたが、言うべき事が言い出せない状況になっていた為、その理由が当然ながら分かる筈はなかった。

「今日は何だか疲れた…。もし練習するなら、付いてやる事はできないから、気を付けてやってほしい。」

前日迄、色々と考え込んでいたせいか、今になって急に疲労が表れ始めて来た。顧問に戻れたという安心が、逆に脱力感を生み出したのかも知れない。一向に何も反応が無い部員達ではあったが、同じく疲れているからだろうという程度に受け止めただけで、さっさと部室を後にして行った。

「じゃあ俺達も帰ろうか?」

ためらいながらも星が言うと、残された部員達には溜息ばかりが出たが、一斉にカバンを手にした。部員の殆どが完治していない今、日程に余裕の無い大会に出たいなど、言うべきではないのかも知れない。

言う迄もなく大会は年に一度しかない為、これを逃すと来年を待たねばならないのは勿論、在学中に出れるのは一回切りという事になる。願望や旺盛な好奇心だけでは、どうにもならない現実という壁があり、これからは新人戦の件は口に出さない事を、この場にいる全員が一致の思いの上で誓った。

勝浦が、どれだけ自分達を心配していたかも分かったので、気持ちを遮って迄『どうしても出場したい』とは言えなかった。ただ悪い事ばかりではなく、こうして顧問の復権が決まり、いずれはキャプテンも戻って来てくれる筈だった。長い目で見るなら今回は、控えた方がいいとの結論に達しただけの事で、後は明日から頑張ればいい。

別に部が無くなった訳ではないので、プラス思考で受け取るべきであり、全ては丸く収まり勝浦も、それを信じて陽気に帰って行ったに違いない。ただ一人、妥協する事が決して無難な方法ではないと考えていた、千秋だけは違った。何かの策略を思い付いてか、部員達と共に帰宅しようとする、藍子と佳織を強引に呼び寄せた。

否応無く二人の手を引っ張ると、ろくに詳しい理由も話さずに、勝浦の後を追い駆けた。このままでは終われない、できる限りの事を尽くしたいと、部を裏切りかけた前科もあってか、そういった決意でも抱いたに違いない。

いち早く部室を出て行った彼女達に気付いた箕田も、そばにいた河野を突然、引っ張って後に続いて行った。この五人は、他の部員達とは行動を別にする事となり、やがて千秋達は勝浦のアパートに辿り着き、激しくドアをノックした。『予告も無くこんな所に迄やって来て!』と当然と言えば当然の反応であり、ただ困惑するしかなかった。

「とにかく上がらせて貰うわよ、とっても大切な話しがあるの。余り時間も無いわ。」

平然と語る千秋を先頭に無理矢理、連れて来られた二人も渋々、同じ行動を取らざるを得なかった。若い教員が白昼堂々と教え子を、しかも三人も自宅のアパートに引き入れるなど、中々のスクープだった。『どう思う?』と現場を、少し離れた場所から目撃した箕田は河野に尋ねた。

「何バカ言ってんだ!そんな事をスッパ抜く為に、ここに来たんじゃないだろう。機会があったら俺達も乗り込むからな!」

勝浦宅内では、長井の件について一番に事情を知っている千秋が、これ迄の経緯を話し始めた。あるとんでもない約束を去年の卒業生に強いられ、果たす為に退部を余儀無くされて、その企てに自らも加担した事実をも赤裸々に語った。卒業生は心変わりしたものの、当の本人は馬鹿みたいに正義感が強かった為、既に受け入れる事ができなくなっていた。

『冗談の度が過ぎただけなので約束なんてどうでもいい』と後になったが、約束を果たせなかった以前に自分のせいで、チームワークがバラバラになってしまった事実は、否めないので要求を覆す道は選ばなかった。

やがては部をまとめられないという力の無さや限界を感じ、自らの退任で責任を取る他、手段は無いと考えたに違いない。勝浦は去年の陸上部内で起きた出来事を、根本から、会話の延長程度ながら多少は知らされていた。いつも当時の上級生達からは振り回されてばかりで、普段から衝突が絶えず、相当の確執があったとは聞いていた。

その卒業生に足止めを食らってしまった結果、開始時間に遅れてやって来た時点で、かなりの集中力を欠いていた筈だった。まともな試合を当然ながらこなせる訳も無く、飛んで来たボールにすら気が付かず負傷に陥る事態となり、キャプテンらしくない、普段なら絶対に有り得ない展開だった。

かつての複雑化した人間模様の話しなど、当然ながら知る由もなかったが、予選大会で取った不可解な行動の事情が、ようやく繋がった事で理解はできた。決してキャプテン一人が、招いた失態ではないのが明らかである以上、誤解は解かなければならない。知らされていない部員がいるのであれば、すぐにでも事実を打ち明けるべきと強く思った。

「みんなは…、知っているのか?」

「実は、俺達も知っているんだ。」

そう言いながら箕田が河野を引き連れて、堂々と勝手に上がり込んで来たが、極秘の会談がある度に二人は何故か、いつもタイミング良く現れるのだった。『ビックリするからノックぐらいしてから入れ!』となり、別に入るなとは言わないが次から次へと、やって来る何の予告も無い訪問者の面々に、またしても困惑するだけだった。

みんなに事情を説明すべきというのが先決と思われるが、そうも行かず何よりは本人が、その手段を望んでいるのかどうかが分からない為、安易な行動は取れなかった。良かれと思う行為は必ずしも、いい結果に繋がる訳でもなく場合によっては、裏目に出る要素も十分に持ち合わせていた。

様々な憶測から何も行動は起こせない状況であり、ここにいる五人以外は、まだ誰も真実を知らないままになっていた。そうは言っても今の部員達は、部の建て直しに精一杯で他人の失敗を、どうこう指摘している場合ではなくなっていた。敗戦要因がキャプテンの遅刻だけではない事は、とっくに各個人が自覚できていた筈で、有り得なかった奇行など大した問題では無くなっており、全ては自分達の無力さが招いた結果だった。

「これからの私達の行動が、いい方向に進むのかは、やってみないと分からないわ。でも、それが本人を傷付けるだけなら、取り返しの付かない事になる…。」

千秋は、長井が去って行ってしまう事態を一番、恐れていた。もしも意思に反していたなら、単に辞める時期を早めるだけになってしまうが、その前に叶えたい事があった。もう一度みんな揃って試合に出たいと、ちょうど計画を立てていた所だという要望を、ここで吐露した。

『勝手な進捗状況を伝えられても困る…。』

そろそろ、そんな話しが出るとは当然ながら思っていたが、それ以前に彼女の話しの持って行き方が非常に上手かった。ここぞというタイミングを見計らって、目的である要点を挙げ、言い終わると目を潤ませながら、キラキラと切ない光線を浴びせて来るのである。

これで、首を横に振る訳には行かないと決意し掛けたが、やはり現状を見る限り、出場は厳しいと言わざるを得なかった。千秋は、更に目を潤ませながら訴えたが、勝浦の返答は実に現実的だった。

「今の長井君は、完全に目標を失っているわ。何かがあれば戻って来てくれるのよ!」

「新人戦を復帰のきっかけにしようだなんて、そんな考え自体が間違っているんだ。第一、それはキャプテン自身が言うべき事だから、本人の直接の要望なら先生は考える。」

厳しいながらも、かすかな希望の光が差し込むもので、完全に気持ちを切り替えた姿に、何か心を打たれた気がしてならなかった。目の前にいるのはスパイ行為などを企てない、ただ部の存続と活性化だけを願う、一人の女子生徒だった。

「先生、実は俺達も出たいと…。」

『いや今更、お前が言うな。男が情に訴えたって、面白くも何ともない。』

今度は河野が細々とした声で言い掛けたが、口には出さずとも冷たい反応を示したものの、全員の要望として解釈はしていたので、いちいち一人一人から言われるのは面倒だった。

これからの弾みを付ける目的で出場するのが新人戦だが、場合によっては、キャプテンの引退試合となるかも知れない。また一歩踏み外せば『顧問解任』『廃部をもって自責』等、度が過ぎた罰ゲーム的な要素が有り、そう迄して何故、わざわざ出場する必要があるのだろうかと言いたかった。

あくまで新人戦とは始発点であって、決して『終着駅』になってはいけないという、意義が疑われかねない状況で挑む事になりそうだった。みんなが出場したいと言うのなら、何も止めたりはしないが、その為には、やはりキャプテンの存在が必要だった。

リーダー無くして部員達をまとめるのは、まず不可能であり試合事態が成り立たなくなると、しばらく考え込んだ末に結論を出した。河野や箕田には来年があっても、二年生から部を始めた長井には後が無く、よくよく考えれば育成してくれる先輩など始めからおらず、いつも周りからは頼られてばかりだった。

まだ幼い、たった一人の二年生が背負い続けた、余りにも大き過ぎるリスクだった。どうせなら自由に、やらせて上げたい考えさえ浮かんでいて、大した運動経験がある訳ではないが、このぐらいの実情は分かっているつもりだった。後は本人次第なので、やる気が無ければ話しは終わってしまうのである。

「絶対に辞めさせないし、新人戦を引退試合にさせるつもりもない。その大会が終わった後も卒業する迄、続けて貰いたい。」

「本当に大丈夫なの?また無理して問題でも起きたら、先生の立場が…。」

佳織が水を指す様に指摘して来たが、それを言ってしまうと非常にキリが無かった。無理はしなくてもケガは必然的にするものであり、怖がるのなら運動部自体が成り立たなくなるので、運動部が大会を目指して活動して何が悪いという話しだった。

「それもそうよね、絵画部だってコンクールを目指してやっているんだから、何かを怖がるのはおかしいわよね。」

果たして理解できているのかどうなのか、実に微妙な返答で絵画部員が全員、コンクールを目指して死に物狂いで、活動しているとは限らない…。

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