第31話 リーダーの条件

センターに就いていた、山元と前田がいなくなってしまった事もあって、長井は後半はスクラムから離れ、その守備位置に入った。攻撃専門の守備に移った為、前半よりボールを手にする機会が多くなったが、狙われる機会も増えた事になる。ボールを持ったまま走れば当然、タックルの標的にされ、逆にボールを持った相手に対しては、取り返しに行かなければならない。

やがて、無意識に右肩を使うのを避け続けている内、今度は逆側に筋肉痛を覚えて来る様になった。タックルは左肩から突進し、相手に倒される時も、無理にでも左側から地面に着く様にしていた。何が何でも右肩は使いたくないという、無理な体勢を繰り返していた事が、徐々に祟り始めて来た。

キャプテンだからと言って代役で、一人二役をこなせる程、容易なものではなかった。追加点を取られ続ける展開は前半と全く変わらず、既に相手チームの得点は、七〇点代に差し掛かっていた。長井達は未だにゼロのままという、途方も無い点差で、ボールを手にする機会も、そう何度も巡っては来なかった。

トライを入れられれば自動的に、取られた側のキックオフで再開にはなるが、それではボールを手にした事にはならない。手に触れる事はできても、ボールや、ましてや試合自体を支配している訳ではないからだった。

そんな中、たまたまスクラムからボールを出す事ができたが、早坂の手に渡った途端、彼は単独で突進して行った。パスをすれば良かった筈が、何故か仲間の声は聞こえていない様で『どうして勝手に走り続ける?』と周囲の部員達は皆、信用できないのかと思った。

きっと打開策が見つからない事から、焦りと不甲斐なさを感じて、自分で何とかしようとしているのかも知れない。彼はユニフォームを掴まれても、仲間に助けを求めもせず振り解く様に走り続けたが、無計画なスタンドプレイは長続きする事も無く、簡単に押し倒されてしまった。

長井達は急いで彼の手から、こぼれたボールに向かって走って行ったが、既に相手選手に拾われていた。すぐに反撃に切り返されてしまい、改めて人数の差を思い知らされたと同時に、彼は押し潰された際、首を捻ったらしく中々起き上がれないでいた。

担架で運ばれる事になり、彼も負傷により、結局は退場せざるを得なくなった。あってはならない『五人目の退場者』とは、負傷を抱えていた長井でも、経験の浅い箕田でもなく、誰も予想していなかったメンバーだった。

「きっとキャプテンに逆らってばっかりいたから、こんな事になったんだ…。」

担がれる間際、彼は長井に呟いたのだった。

「何言ってんだ、俺が…。俺が全部、悪かったんだ…。」

しかし言葉通り退場者は、河野を除いては、長井に背中を向けた部員達ばかりだった。

「もう…、ここ迄だ。」

勝浦は溜息交じりに言うと、棄権の意思を伝える為に、今頃になってグランドに駆け寄って来た。早坂が担架に運ばれている最中は正直、同情や気遣いをする気にはなれず、ただ傍観していた。次に誰かが、こうなる事は十分に予測していた為、散々部員達には警告は発していた。再三に渡る促しを聞き入れなかった、当然の結果というのが顧問としての見解だが、それを部員達は許さなかった。

「まだだ!まだ終わってはいないんだ!」

村田が叫んだのを合図に、他の残っている部員達迄もが加勢して来て…。

「何を言うんだ?一人でも退場者が出たら棄権するって約束で、後半戦に出したんじゃないか。往生際が悪過ぎる!」

『やはり、このままグランドは降りられない。例え次の自分達のお迎えが、担架や救急車ではなく、霊柩車であったとしても…。』

全員の意見ながら『まだ終わっていない』と言うのは試合時間を指しているだけであって、とっくに勝負なら着いていたので、それでも続けたいと思うのは意地以外、何物でもなかった。負傷の事情で去って行った仲間の立場を、無駄にしたくない気遣いから続けていたのが、いつの間にか、自己主張に変わって行ったのかも知れない。

元来は、十五人という大人数のチームプレイを見計らうのが、ラグビーだった。一見、収拾の付かないと察しられる人数で、上手くまとめられるかどうかで、勝敗も左右される。七人制ならともかく、たった十人しかいないのであれば、ルールや歴史そのものを、真っ向から否定する事にもなるのだった。

やがて勝浦は、これからどうするのかを、レフェリーに迫られる事となった。これ以上の試合の中断は許されない為、早急に決断しなければならなかったが、続行か棄権か、全ては顧問の権限で決まるのだった。

「勝手にしろ!この先、どうなったって知らないからな!」

憮然とした表情で言い捨てると、グランドを降りて行ったので、誓約破棄となり最終的には続行を決断してしまった。ベンチに腰掛けると、すぐそばで未だに横たわっている、河野の姿が視線に飛び込んで来た。他の負傷者は、医務室や病院に搬送されたりしているので、この場にはいなかった。

骨折や脳震盪などと違って、後頭部を打って倒れただけというのは、ホンの一時的なものに過ぎない。彼は退場者の中では一番、軽症で済んでいた為、医療処置を免れていた。

何よりは本人の自覚症状でしかなく、経験が浅い部員という理由で、用心の意味合いで外した迄だった。再び加わって貰えれば、幾等かの戦力補強にはなるだろうから、このまま暫く回復を待ちさえすればと、次第に勝浦は良からぬ考えを抱く様になって行った…。

かなりの人数が減ってしまっている今、遅れて来たケガ人の長井を無理矢理、強行出場させた様に、彼を復帰させる事はできないだろうかというものだった。考えがフッと脳裏に浮かんだのだが、できる訳がなく、部員達の安全を第一にしなければならない顧問が、つまらない憶測を立てている場合ではない。

とにかく残り時間は、これ以上の退場者を出さない様に、何とか乗り切って貰うしかないのが本当の願いだった。直ちに試合を、止めなければならない事は分かっていたが、どうしても本人達が続けたいと言うのだから仕方が無いと、諦め口調で呟いた。

「先生…、このまま続けて大丈夫なの?」

藍子が様子を伺う様に聞いて来たが『何かあったら』には十分、遭っていて既に『起きてはならない事態』は目の前で起こっており、その場面を彼女も幾度と目撃している筈だった。部員達が、躍起になって窮地に立ち向かい続けるあまり『通常』と『異常事態』の境が、無くなって来ている事も確かだった。

無責任と思われる姿勢ではあるが、それなりの覚悟があっての試合の続行で、場合によっては顧問としての管理責任を問われ、教員自体を降りなければならなくなるかも知れない。教え子達を何故に危険に晒し続けたのかと、責め立てられる自分の姿を予測さえしていたが、危険回避だけが、絶対的な選択ではないと思う様になって来ていた。

ここで強制的に試合から降ろしたら、部員達は卒業する迄、今日の事を後悔するに違いなかった。色々と考えている内、やはり最悪の事態は避けたいので、ほんの少しでも怪しい場面になったら棄権を考えていた。

試合は再開されたが全員の体力は限界に来ていて、目立った負傷こそ無くとも力量が違い過ぎる相手に、少ない人数で応戦し続けるのには無理があった。まだ後半の残り時間は半分以上もあり、大きな強がりは言ったものの現実の壁は恐ろしい程、高かったので最後迄、戦い切れそうにはないと思った。

それでもボールが回って来ると、反射的に体は動いてしまっていて、とにかく自分にボールを回す様にしてほしいと、長井は残った仲間達に訴えた。この試合では初めての、キャプテンの立場としての指示だった。

実際はスタンドプレイをやりたいだけの、魂胆ではないのかと何人かの部員は、不信感を抱いたままでいた。仲間を差し置いて単独行動に走り過ぎると、さっきの早坂の二の舞いになるが、確固たる目的があっての事だった。誰かがボールを持って突進して行く時は、その付近に常時、必ず着く様にした。

相手に捕まりそうになったら、すぐに自分にパスをすれば、タックルをされなくて済む為だった。但し、ボールが回って来る機会自体が滅多に無かったので、そういう展開が巡って来る回数も極、限られていた。

それなりの案を練った上での実に、後輩思いの人情味溢れる作戦にも受け取れたが、あまり長続きはしなかった。『タックルされる前にパス』とは言われても長井にパスする以前に、タックルで弾き飛ばされて、未遂に終わるのが殆どだった。

リーダーとして何か、責任を果たそうとしているに違いないので、何をしようとしているのかは部員達には伝わっていた。ただ相手は都合良く、長井だけを狙ってはくれないので、一人で全てを背負い込むという作戦が取れる程、今日の敵は甘くはなかった。どんなに一人で囮になろうとしても、他の仲間に掛かる負担とは、それ程は変わらなかった。

点差は更に八〇点を越えていて、基礎は持ち合わせてはいても、実戦で通用するだけのチームワークは不完全であり、まるで勝てる要素も無かった。あるのは中学の頃から培って来たプライドだけで、もし本当に自分達が弱小チームであったなら、この時点で百点以上を取られていても、おかしくなかった。

身の安全を優先して三桁台の得点差を許すよりは、多少は体を痛め付けてでも失点を抑えたいという、意地を支えにして戦っていた。自然と無理をしてしまい、多数の負傷退場者を出す結果を生んでしまっていても、どんな危険が降り掛かろうと、全力でぶつかってグランドに散れるのなら本望だった。

『無理のし過ぎ』とか『無謀な行為』という言葉で片付けられたくはないし、結果は出ているかも知れないが、ここで試合を止めたくはなかった。『多少』どころではない五人もメンバーを欠いていても、対等に立ち向かおうとする姿勢だけは、崩したくはなかった。

これが多分、本当に最後になるかも知れないというチャンスが訪れ、ラインアウトで捕獲したボールが、仲里の手に渡った。素早くパスを受けた長井は一目散に、とにかく走ったが前方は敵だらけで、当然の様に突進を阻んで来た。捕まるのは時間の問題で、周囲の仲間にパスを回すのが無難だが、誰も自分の後をついて来れないでいた。

振り返った目に映ったのは、かなり後方で息を切らしている仲間達の姿しかなく、体力の低下は予想以上で頼れる部員は、もう誰もいなくなった事に気付いた。副部長と見込んでいた仲里は、さっきパスを受けた場所からは一歩も動けず、うずくまったままだった。

チャンスが巡って来たとは言っても、攻撃が立て直せるとの表現には程遠いものがあり、一人になった今『チームワーク』や『作戦』といった概念が無いまま独走を続けた。

『みんなの分は自分が走る…。』

試合が終わった後は部員でも、キャプテンでもなくなる自分ができる事は、それだけだった。『どこ迄、進めるのか?』ではなく間違いなく言えるのは、絶対にゴールラインには辿り着けない事を、分かっていながらも承知の上で走るしかなかった。

何度かのタックルをかわしながら、縦横無尽にグランドを駆け回ったが、徐々に相手陣地に攻め込んで行ったと言うには乏しく、こんな場当たり的な行為自体が長くは続かなかった。タックルを回避する為に真横に進んでしまっては、永遠にゴールラインは見えない。

食らわずに済んだとしても何の意味も無い事で、自分の体を捕まれてでも、一歩でも相手陣地に足を踏み入れなければ、一向に有利な試合運びはできないのである。

今の長井には置かれた状況が大きく異なり、パスを出せる仲間が周辺にはいなかったので、一度でも捕まったら最後だった。やはり進むべきは前方で、パスは後方に出さなければならないが、どちらも採れないので残された道は一つで『ひたすら逃げ回る』しかなかった。

「ねぇ、あれってゴールライン目指して走っているの?それとも、ただの鬼ごっこ?」

何気に佳織が勝浦に尋ねたが、もう見ての通りなのだから正直、分かり切った事は聞かないでほしいと思った。こっちが辛く感じたが一番、辛いのは『鬼ごっこ』をひたすら、やり続けている当の本人に違いなかった。

『横に逃げる事無く、相手に捕まってでも前方に足を踏み入れるべき…。』

それは捕らえられた直後に味方に、パスをすれば組み立て直せるという前提での話しで、仲間が不在ならばボールを持った一人が、ひたすら頑張るしかない。やがて長井に体力の限界の兆しが訪れ、次第に走るスピードが遅くなり、それを狙ったかの様にユニフォームを掴まれてしまった。

しばらくは何とか踏ん張ってはいたものの、遂には振り回される様に倒されたが、うまく体勢を入れ直せなかった為、負傷箇所の右肩から強く地面に叩き付けられる格好になった。

あまりの激痛に絶叫したと同時に、ボールは当然の如く手からは離れて行ったが、転がった後、ラインの外へは出る事なく途中でピタリと止まった。本来なら誰かが拾い上げさえすれば、試合は続行となるのだが、グランドでは時間さえも止まっていた。

壮絶さがあってか誰一人として、最後の立ち位置から動く事はなく、さすがに相手チームも長井の目の前から、ボールを奪回する気にはなれなかった様だった。ボールがラインから、はみ出していない以上はレフェリーが、ホイッスルを鳴らす理由はなかった。

もはや動ける筈のない体で尚も、転がり落ちたボールに手を伸ばそうとする、長井がうずくまっていた。それが最後に示した、リーダーとしての条件なのかも知れないが、勝浦は次の瞬間、慌ててグランドに駆け出して行った。明確に中断とならなければ例え監督といえど、むやみにグランドに立ち入る事はできないが、ルールや綺麗事では、もう片付けられない事態になっていた。

「ちょっと先生、どこに行くの!ダメよ、勝手にグランドに入っては!」

藍子が、引き止める声さえ聞こえていなかった。審判が笛も鳴らさずに止めないのであれば、それは別に構わないが、試合なら自分が、この手で終わらせる決死の覚悟があった。

「もういいんだ、頑張らなくても…。今度こそ、ここで終わりにしよう。みんなも分かるだろう?これ以上、続ける事を認める訳には行かないんだ。」

引き際を考慮しない、キャプテンらしくない言動を取り続ける事にも限界があり、長井は、この時ばかりは忠告を聞き入れなければならなかった。遅れて駆け寄って来た藍子と千秋の手を借りて、ようやく立ち上がると、そのままグランドを降りた。

自分自身、決して強肩ではないし県大会を制覇する強豪校と、渡り合える実力も兼ね備えてはいなかった。ただ潔さというのも、リーダーとしての条件の内の、ルールの一つである事は確かだと思った。

『まだ下がりたくはない…。』

他の残った仲間達も抱く、率直な気持ちではあるが、願望だけでは続けられなかった。ようやく終了を把握すると全員、その場に倒れ込んだと同時に、試合時間を残したまま、長井達の大会は終わった。

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