第26話 曰く付きの特待生

先日の試合以来、部員達からは笑顔が消え、これで果たして練習成果は上がるのだろうか、とさえ思えた。いつもなら合間に、ふざけたり冗談をやっていた長井も、それをしなくなった。真面目にこなす事だけが、絶対的な向上に繋がるとは言い切れないが、この練習風景では、以前の様なチームプレイを保っているとは言い難い。

普段はジョギングが練習時間の大半を占め、満足な練習環境が整っていない現実を、改めて全員が実感してしまった事が、大きく圧し掛かった。グランド使用に至っては、定刻の部活動の時間が終わって初めて、他の部が去った後、数十分ばかり独占できる程度だった。

やっとの思いで残り物に、すがり付いたのも束の間『スパイク禁止』という、逆らう事のできない厳しい壁もあった。こういった練習状況は、グランドを使用する様になってから、未だに変わっていない。これでも初期と比べれば状況は改善された方だが、部員達の不満は尽きる事が無く、露にはできなかった。

ジョギングに、数分程度のグランド使用がオマケで付いただけの事が『何が改善だ?』となるが、不満を述べればグランド自体、締め出されてしまうのだった。言う迄もなく設立から一番、日が浅い部程、立場が弱い現状は否めない暗黙のルールだった。

但し長井達が、どこからもマークされる程の強豪校だと言うなら、校内での扱いも違うので話しが変わって来るが、現時点では有り得ない事だった。全国大会も始まるので時間の余裕も無く、勝浦は顧問として、早目に何かの手を打たなければとは感じていた。

焦りと心配の最中、事態は実に、いい方向に傾き掛けていた。今は『それ』だけに頼るしかないと勝浦は胸に抱き、ある日みんなを部室に集めたが果たして、いい方向に傾き掛けている『それ』とは…。

全員承知の通り、もうすぐ県予選が始まる時期なので、出場するかの確認を取ったが反応はイマイチだった。長井ですら、沈黙を保ったままでいた為、勝浦は自分迄もが、やる気が失せてしまいそうになった。全員が硬直してしまった理由は、やはり前回の試合直後に出た、仲里の一言にあった。

練習環境の乏しさ、リザーブ無しの部員の少なさといった現状は、今迄なら気にも留めていなかった。自分達がスタートを切って間もない故、戦力の無さは否めない新米チームだと、ある程度は割り切れていたからだった。

この間の中崎との一戦で、普段の練習環境の違いを実感されられた事で、事態は急変した。部員達の不満は最高潮となり、今迄は抑えられていたものも、安易には抑えられなくなっていた。一部の部員達は他の学校の偵察を行っていて、覗いてみるとタックルマシーンなどといった、大掛かりな練習器具を用いているのを度々、見掛けていた。

今の自分達の部費からでは到底、絶対に賄える物ではないと言う前に、専用のグランドが存在しない以上、置き場所自体が無かった。目に飛び込んで来たのは一八〇度、異なる練習風景で、もし実現するならば実績を積んで、学校側からの理解を得なければならない。

整った環境が強さに比例するとは言い切れないが、それなりの条件が必要になって来るので、ある程度の成績無くしては、周囲からは認めて貰えない。所で勝浦が言う『それ』とは、まさか県予選にでも出場して、冷め切った妄想を振り払って、弾みを付ける事を指していたのでは…。

「自分達は贅沢を言うつもりはないし、ただスパイクで、自由にグランドを走り回りたいだけなんだ…。」

突然、及川が語り出したが決して、許されない我がままを言っているのではなく、全員の本音を代弁しているだけに過ぎなかった。大掛かりな練習用具が無くても、強くなって見せる自身があるし、ボールが一つあれば、それが立派な練習道具だとも思っていた。

例えるなら目の前に御馳走があれば、大概「おいしそうだぁ!」とでも言って喜んで食らい付くに違いないが「今日は白い御飯だぁ!」と発する機会など、まず有り得ない。食生活が豊かである以上、米粒の有り難さなど今更、誰も感じないからだった。

練習する場が事前にあるからこそ、野球部やサッカー部が存在するのであり、ジョギング一筋で甲子園に行ったなどという話しは、まず無いと言っていい。本番で使用するボールやグランドに普段から触れずして、どうして全国大会など目指せるだろうかという話しで、今の長井達には、そんな日常的な『当たり前』が存在しなかった。

先日の試合が終わった後に仲里が吐露した不安とは、この事だったが校内で『部』として認められている以上、申請さえすれば大会には出場できる。どうせ予選なんか出た所で間違っても、決勝など行ける訳がないのが現状なので、経験値と割り切って、出るだけ出てみるのもいいかも知れない。

ただ満足な練習が行き届かなかった事が祟って、惨敗する様であれば、リスクが高過ぎる冒険で終わってしまう。無駄に嘲笑の対象で終わる事が一体、何のステータスになるのかという、疑問が残るのが目に見えていた。

元々、中崎の『調整チーム』に連敗した事で、全国大会の予選出場に大きな不安を抱く様になった。練習環境が粗悪な上、所詮はキャプテン以外は一年生のチームなので、出場選手の大半を占める三年生には、どうやっても渉り合えないのである。

「さっきから先の事を考え過ぎなのよ!最初から強いチームなんて、いやしないんだから。負けたっていいじゃない?試合が終わって立ち上がれないぐらい、フラフラになっていたら私達が肩を貸して上げるわ。」

その藍子の、濃厚な内容のリアルな意見は、みんなに感動を振り撒き、まるで天使の囁きの様にも聞こえた…。

『結果なんて、どうだっていい。みんなが倒れた時は、一緒にグランドを下りましょう。それを見て誰も笑ったりはしないから。』

「『私達』って?賛同した覚え無いわよ?」

佳織が水を差す様に漏らしたが、とにかく少しずつ強くなる為の、ステップだと考えれば話しはまとまるのだった。出場イコール、実戦に繋がるという答えは確かで、もしかしたら今から何年後かの後輩達が、全国大会に出場する程になっているかも知れない。

勿論、部が存続していればの話しであり、とても気の遠くなるスケールのデカイ想定だった。仮に続いていたとしても、その頃には、今の代は伝説化扱いされている事が予想される。新入生が入部する度、心得として毎年の様に講義が行われるのだろうか?

『その昔、長井という少年が、たった一人で殴り込み同然に入学して来た事から、全てが始まって…。』

そんなバカバカしい妄想は、先程迄の湿った雰囲気を見事に吹き飛ばし、タイミングを見計らったかの様に勝浦が、ある提案を切り出した。ようやく部員達に活気が戻り、いよいよ『それ』を話す時だと思った所で、全員の視線は勝浦の表情に集中していた。

学校から少しばかり離れた所に、小学校の移転先の予定地があり、諸事情で着工迄に、かなりの期間が空くらしい。そこで工事が始まる迄の間、空き地同然になっている予定地を、借りられる事になったとの話しだった。

「本当に好きに使ってもいい場所?ボールは蹴れる?スパイク履いても構わないの?」

千秋が念を押す様に聞いたが、ただの取り越し苦労で、スパイクで好きなだけ走り回れるのは言う迄もなく、好きな時間での使用も可能だった。さすがにゴールポストは立っていないので、我慢してほしいとの補足があったが、そんな物が有るとか無いとか言う話しは、どうでも良かった。

加えて結構な広さがあり、ボールを空き地の外に蹴り出すのが、むしろ大変な程なのだと言った。唯一の難点が、学校からは少し離れている為、いちいち移動しないといけなかった。部員達は感激に浸っていたので、そういった表現や難点こそが全て『特典』であり、ますます期待の神経をくすぐった。

「それも練習の内だから、どれくらい広いのか本当に蹴って試してやろうゼ!」

前田が言うと再び感激が支配し出し『スパイクを履く』『ボールを蹴る』といった当然とも言うべき事ができずに、どれだけ涙を呑んで来たのかは計り知れなかった。特に、校内でスパイクを履いた回数といったら、指折りで数えられる程度だった。

他にも練習用具の購入費が部費として、少しだけ追加される事になったらしく『大事なお知らせ』は、これだけでは終わらなかった。中古ながらタックルマシーンの導入を試みたが、少しばかり予算をオーバーしてしまったものの、根本からの温厚があり、陸上部の部費も分けて貰ったのだという。

有難い『善意を使って』というか、具体的に言うと『贈与』にあたるのだが、こんな事をして大丈夫なのだろうと、部員達に不安がよぎった。あくまでも勝浦は『厚意』により進行したものだと言い切って、既にタックルマシーンは発注済みであり、到着を待つだけという段階迄、話しも進んでいるらしかった。

「絶対に口外禁止だから別に、陸上部員と擦れ違っても礼を言う必要は無いそうだ。」

ここにいる全員は今件に関して、もし探ろうとしたら全てが台無しになってしまうので、詳しい事情を知る必要は無い。そう念を押すと、明後日には学校に届くとだけ最後に付け加え、全員は飛び跳ねて帰って行った。

何だか意味深な忠告ながら感激のあまりか、部員達の中で、事態を不審に思う者は一人もいなかった。部室に一人、残った勝浦は急に浮かない顔になり、座り込んで溜息を吐いた。部員達が去ったのを見計らったかの様に、そこへ根本が入って来たが、何故か二人の対話のやりとりには異様な、ぎこちなさがあった。

「もう全員、帰ったかしら?」

「いや、すいません。先生を勝手に使ってしまって…。」

「えっ、何々?」

唯一、何かが引っ掛かると感じていた千秋は、この会話を外で聞いていた。実は勝浦の言った『いい知らせ』には大きな裏があって、二人の会話は、こうだった。真実なのはグランドが借りられた事だけで、部費の件からの話しは全て、嘘で塗り固められたものだった。

学校から臨時で支給されたとか、足りない分は陸上部から厚意を受けたとかいう事実は無く、全ては勝浦が仕組んだ自作自演だった。元々、長井に嫌悪感を示す陸上部員達が、何等かの協力を示す筈は無いのである。

根本には、唯一の理解者であるという理由から、事前に自分の計画を打ち明けていたに過ぎなかった。部員達に追求された際、つじつまを合わせられる様にとの、単なる非常策を取る為のものだった。そういった、根底からして有り得ない話しの流れに、部員達の誰もが疑問を抱く事は無かった。

「そ、そんな…。」

余りにもビックなサプライズに、気を取られ過ぎていたからに他ならないのは、言う迄もなかった。二人の会話から事実を知った千秋は、泣き出しそうな声を押し殺して、更に聞く耳を立てた。

「生徒を思う気持ちは立派だけれど、コソコソと自腹を切るっていうのは、やっぱりおかしいわよ。私も一緒に理事長の所に行くから、もう一度交渉しましょう?」

「じ、自腹…?」

学校からの部費の追加や、陸上部の協力があったなどという話しは、全て嘘だとは判明したが、明後日には間違い無く『例の物』が届く事にはなっている。ますます千秋は声が震えて行ったが、果たして出費の出所とは…。

単に勝浦は『部員達の喜ぶ顔が見たい』という一心から、とんでもない無茶をヤラかしていた。とてもではないが今の活動予算内では、ボールを一個買う余裕すら無いのが現状で、あの試合の後、仲里の漏らした一言が全ての始まりだった。

ましてや大掛かりな練習器具の確保となると、雲を掴むのに等しいので試合の翌日、部費の来年分の予算の前借りを、学校に交渉する行動に出た。多少は期待をしていたのだが、返答が来るのに、そう時間は掛からなかった。理由は言う迄もなく『部の実績の無さ』で、まだ公式の大会にすら、一度も出場経験が無い事実を指摘されてしまった。

『昨年は惜しくも決勝で敗れ、全国大会行きを逃しました…。』

そんな上等な言い訳があれば、学校からの返答は、少しはマシであったかも知れない。実は、もう一つ断わられる大きな理由があり、キャプテンである長井が学校からしてみれば、非常に手間の掛かる特待生だと言う事だった。

昨年の共学制度の導入による、男子としては第一号の入学生ながら当時、本人は『あまりの不名誉な待遇』だと言ってキャンセルし掛けた。その後の周囲の説得により、何とか入校を果たした際、三年間の学費は全て、学校側が負担する取り決めが締結されていた。

いわば本人が退学しない限りは、否応無く『長井』という一つの部の様なものを、三年間も維持しなくてはならない事になる。成績が優秀であった過去も無ければ、中体連で名を馳せた訳でもない、言ってみれば『曰く付きの特待生』なのである。

私立である故に額は相当なもので、来年も維持できているかどうかも分からない部では、話しにならなかった。特別待遇の生徒が始めた一つの運動部には、援助など一切できないと、勝浦はハッキリ言われてしまった。そこで学校が当てにならないならと、自分が救いの手を差し伸べる手段を思い立ち、今回の自作自演に走ったのだった。

「本当に、これで良かったのかしら?何だか私には、ただ生徒を騙している様にしか思えないんだけれど…。」

『騙している様にしかって?本当に騙したんじゃないの!?』

千秋は小声ながらも怒りを露にすると、せめて自分だけには、真実を打ち明けて欲しかったとさえ思った。

「子供っていうのは、オモチャさえ買い与えれば、ご機嫌は幾等でも取れるものなのよ。あなたもそうなの?さっき部員達が活気を取り戻して帰って行ったのは、自分の手柄みたいに思ったかも知れない。生徒は喜んだとしても、やっている事は得点稼ぎに過ぎないわ。もう一度、よく考えて…。」

忠告が言い終わらない内に、今迄の平穏な振舞いからは考えられない形相へと変わった。

「今更もう無理だ!このまま塗り固めた嘘を、嘘で突き通すしかない!」

金銭が絡む話しは受け入れられない現状が、嫌と言う程に思い知らされたせいか時折、何度も机を両手で思いっきり叩き付けていた。実績の無さも否めない上、顧問を任されている部のキャプテンは、本当に曰く付きだった。

先日の敗北以来、部員達は、まるで生気が感じられなくなった。仮にも球技を名乗って活動している一つの部が、ボールを扱えない環境で、まともに練習がこなせる訳が無い。こんな状態を続けていたら、チームワークなど永遠に取れずに、近い内には廃部になるのが目に見えていた。

やがて事態は、もはや頼るべきは自分しかいないという所に迄、追い込まれて行く事となり、いささか真っ当な練習環境を得られた。

「こう言っては何だけれど…。練習環境を整えた事で一番、困るのは自分なんじゃないの?部員達と一緒に、用意したっていうグランドを走れるの?今のあなたに、そんな体力があるとは到底、思えないわ。」

指摘通り長井達と出会う迄、運動部と関わった経験は一切無かったので、国語や化学は教えられても、体育ばかりは専門外だった。当然、部員達の目の前でボールを蹴って指導するなど、大それた事もできなかった。

万全な体制を今後も、進捗させて行こうとすればする程、自分は何をしたらいいのか戸惑うだけだった。結果的には自らが作った矛盾に、はまり込むという事態が生じるのだが、色々と工面に走ったのは現場を任された以上、何等かの責任は取らなければとの誠心誠意からだった。

顧問とは、練習中に事故が起こらない様に、じっと監視でもしていれば、それで済むかも知れない。ただ、部が衰退して行くのをこれ以上、黙って見続ける事だけは決してできなかった。今後、部は間違い無く立て直せるので今回の一部始終は、勝浦自身の熱意を物語っていたのは確かだった。

「みんなが笑ってくれるなら校庭の真ん中に立って、裸踊りだって何だってしたい!」

実際、そんな事をして喜ぶのは、一部の女子生徒ぐらいなものなのだが…。とにかく一連の単独行動が無かったら、全ては絶対に有り得なかったと思うと、状況を悟った千秋は、何だか急に涙が止まらなくなった。横からハンカチを差し出されると、すぐさま手に取り、ビショビショになる迄に拭った。

「えっ、一体誰…!?」

ここには自分一人しか居ない筈なのだが、差し出された方を振り向くと同じく、涙で顔を覆っている藍子が立っていた。しかも、それだけに留まらず周囲には、いつの間にか長井と佳織を除く部員達が揃っていた。

「ちょっとォ!なんでアンタ達がここにいるのよ!帰ったんじゃなかったの?」

小声ながら叫んだが既に全員、感動に浸るあまり泣き出していた後で、かなり前から彼女を取り囲む様に群がっていた。どんなに声を押し殺したとしても、大多数の気配とは、一枚の壁など簡単に透かし通してしまい…。

「誰かいるのかしら?」

案の定、根本が何かの物音に気付いたが、勝浦は大して気にも止めなかった。すると追い討ちを掛ける様に林が、顔を真っ赤にしながら更に声を上げた。

「先生はみんなの事を…。」

「そんな話しは後から幾等でも聞いて上げるわよ!とにかく、みんな逃げましょう!」

さすがにドア越しの騒がしさに気付いた根本が、部室のノブに手を掛けたが、空けた頃には素早く校門迄、走り去っていた後だった。

「ヘンね、ネズミでもいたのかしら?」

「まさか、この時代に…。」

千秋達は脱出に成功はしたが、もしかしたら事の真相を知ってしまった一件が、勝浦と根本にバレているかも知れない。仮に、そうであったとしても、あくまで何も知らないフリで通さなければならなかった。部員の大多数が知ってしまった事実である故、今後、どういった経緯で外部に漏れるかは分からない。

「今聞いた事は絶対、誰にも言ってはダメよ。ここに居ない、長井君と佳織にもよ。」

千秋は息を切らしながら念を押すしかなく、事情を把握した人数は、例え同じ部員であっても増やす訳には行かなかった。

佳織はイマイチ、口約束をするには信用できないし、長井に至ってはヘンに正義感が強いので『どうして先生一人で苦労を抱え込むのか?』と下手に騒ぎを起こしかねなかった。

そういった心掛けがベストな行動であると、みんなに伝えたのだが、やっていたのは単なる『盗み聞き』以外、何物でもない。先陣を切っていたのが、今更になって正義感を強調している千秋だが、まさか何気に立ち聞きしていた自分に、みんながつられるという事迄は予測できなかった。

最終的に自分が最初に取った行動が、元凶だと指摘されれば否定できないが、誰が悪いかなど関係は無い。そうこうしている内に部室前にタックルマシーンは到着し、中古とはいっても、あまりの豪華さは予想以上だった。

「これ凄いな、みんなも触ってみようよ。この代金の一部が、陸上部からの援助だなんて…。根本先生に会ったら、礼を言ったぐらいじゃ済まないんじゃないか?」

去年は散々な目に遭わされ続けた陸上部だが、この大掛かりな器具を見た瞬間、過去のわだかまりは一瞬にして消え失せた。今となっては何かで恩を返したいという、一心に駆られたが、単に真の事情を知らないだけで…。当然の如く陸上部員は全く関与していない為、長井が礼などを言いに行った所で、相手側は『…!?』となるだけだった。

むしろ、それだけで事が終わるとは考えにくく、陸上部との確執が、再び呼び起こされるのが目に見えていた。長井の言動に一年生部員達は、動揺を隠せなくなった一方で、みんなが慌てふためく理由が分からず、不思議に思うばかりだった。

「嫌ねぇ、かえって大っぴらに言われると陸上部が迷惑するだけだって、先生が言ってたじゃない?黙っていた方がいいのよ。」

「あぁ、そうだった…。」

藍子が、何とか場を取りつくろうべく機転を働かせたので、すんなりと収まった事態に苦笑いを浮かべながら、何とか難を逃れたと感じた部員達だった。そんな振る舞いが勝浦には、とても不審に思えてならなかったので、ひょっとして、事の真相を察しられているのだろうかとさえ思った。

「なぁ、みんな…。」

そう声を掛けてはみたものの、誰も反応を示さなかった為、ますます不安が募ったが、話題を反らすかの様に慌てて佐野が言った。

「そうだ先生、必要になって来る物は自分達で毎月、貯金して買うっていうのは?」

「えっ?」

「いいアイディアね!その案、頂きよ!」

とっさに千秋が話しを合わせ、白々しい茶番劇に見えなくもなかったが、こう言う事だった。例えば毎月、一人百円でも貯金すれば、部員が十八人なので、一ヶ月で一八〇〇円になる。以降、毎月その金額ずつ増えて行く事になる為、積もり積れば莫大になるのだった。

消耗が激しい、ある程度の数を確保しなければならないボールは、これから追加分を買い揃える段階だった。新設間もない部にとって、学校側からの部費の支給額など極、限られていた。グランドと高価なタックルマシーンが揃っても、それだけでは十分ではないとの意見は、決して贅沢ではない様な気がした。

今の案を採れば、いちいちボールや備品の、追加の心配をする必要が無くなる。ボールなどの損傷を気にしていたら、普段から百パーセントの力は、出せない練習になってしまう。

「ねぇ、どうして私も『十八人』に入っちゃうの?マネージャーが、ボールを蹴る機会なんか無いんだから。」

あくまで『毎月百円貯金』の案には賛同できない、佳織が愚痴を溢したが、まるで無視するかの様に木下が叫んだ。

「今迄、周りを当てにし過ぎて来たのかも知れない。でも今はボールを蹴れるグランドがあるし、土台は整ったから、これからは自分の事は自分でやるんだ!」

「よぉし今から、そのグランドを下見がてらにジョギングとでも行こうゼ!」

まさに一石二鳥とは、この事だとばかりに及川が続けて言うと、全員で感極まって校庭を飛び出して行った。

「ちょっと!この機械をいつ迄も、ここには置いておけないわよ!第一、どうやってグランド迄、運ぶのよ!」

早く移動させないと、他の部から抗議が来るのが目に見えていたので、せめて『そのグランド』を配達先に指定して欲しかったと、佳織は思った。結局は強引に、彼女も『いい案』の参加者に数えられていたのだった…。

今件の千秋と一年生部員達のやりとりが、事前の打ち合わせ無しの、唐突の口裏合わせであったのは言う迄もなく、やはり真相がバレてしまっている事に勝浦は気付いた。言動から察するに長井と佳織だけは、真相を知らないままでいる様だが、漏れてはならない事実迄、殆どの部員達は知ってしまった。

結果的には自ら起こした一連の行動は、まさに隙間だらけで目の前には、それを必死で補うべく、尚も騙され続けている振りをしている部員達がいた。もう、いつ迄も隠し通せる嘘ではないと思った。

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