第22話 最後のポジション

もうすぐ夏休みに入る頃、自分達がグランドを使える時間が増えるに違いないと皆、期待していた。そうは上手く行かないのが現状で、グランドの利用スケジュールは既に決まっていて、他の部でギッシリ埋まってしまっている為、とても入る余地はなかった。

そこで目を付けたのが早朝で、まだ閉まっている校門を飛び越えて、グランドに雪崩れ込もうという策略を、部員の誰かが言い出した。一学期が終わった次の日から早速、遂行されて朝の四時を目安に、来た者順に門を飛び越えて行った。メチャメチャ早いメンバーの中には、マネージャー三人と、勝浦迄もが入っていた。

ちなみに一斉にやると目立ってしまうので、こうしてパラパラと入って行った方がいいと、提案したのは勝浦だった。まだ施錠の解けていない校門を飛び越えるなど、不法侵入に相当する行為なのだが、顧問自ら『やってはいけない策略』に拍車を掛けていた。

部員達は、これ以上はないというぐらいの開放感の元で、思いっきり練習に浸っていた。ゴールポストは無いが、ボールが蹴り放題の、この広いグランドには一切の邪魔が入らない。

これも勝浦の提案であったが、本式のスパイクで走り回ると、グランドに跡が残り、無断使用しているのがバレてしまうのだった。やむなく極、普通の運動靴でやらざるを得なかった為、若干の物足りなさがあった。これも専用の練習場が見つかる迄の我慢だと、全員は割り切り、誰も見ていないからといって、何をやっても許されるという訳ではなかった。

そんな極秘練習中、マネージャー達には、各々に振り分けられた大切な役割があった。佳織は、別に誰も頼んでもいない、コーチ代わりの練習の統括を率先して行っていたが、未だにルールを把握していなかった。単に、無作為に叫び続けているだけで…。

「頼むから少し黙っててくれないか?これじゃ、気が散って練習にならないよ。」

長井は何度も言ってはいたが、聞き入れられた試しが無く、まともに彼女に太刀打ちできるのは、他にいなかった。一年生達にとっては、一応は後輩にあたる立場上、容易には言い返せないという状況だった。

藍子と千秋なら、こんな窮地を何とか救ってくれるのだが、いつも練習の場からは一線、置いた所にいるので無理だった。一体、何をしているのかと言うと…。

いつ、どの部が登校して来るか分からない中で、グランドを無断使用している為、必然的に監視役が必要だった。朝一番でやって来る部を発見次第、みんなに知らせ、即グランドから撤退させるという役割だった。

使いっ走りの様な任務をこなしている彼女達には、陸上部在籍時の頃の栄光は、見る影も無かった。何のメリットも無い、ハイリスクを背負うだけの、自己評価を落とす行為だった。部員の誰もが、佳織の方こそ監視役に回り、彼女達からのコーチを望んだが、裏方的な作業を佳織は異常に毛嫌いした。

「言い方は悪いけれど、マネージャー自体が、既に裏方作業じゃないか。それが嫌なら、どうしてやりたい何て言ったんだ!」

「じゃあ、部員の誰かがやったらいいわ!」

長井は激怒したが、あっさり言い捨てられた為、返す言葉が無くなってしまった。限られた貴重な時間を、練習以外の事に費やすなど、誰もやりたがらないからだった。争いを好まない二人が自ら『見張り番』となる事で全てが収まるならと、結局プライドを捨てた。

「みんなー!撤収よーッ!」

どこかの部が登校して来た事を告げる、二人の合図の叫び声が聞こえた時点で、長井達の『桃源郷』は、終わりを迎えるのだった。実に落ち着き無いながらも、練習時間の多さの甲斐もあって、チームとしての連携を取り戻しつつあった。

今日の練習が始まって、どのぐらい経ったかの感覚も無いまま、逃げる様に部室に戻ると、勝浦が次の試合の話しを持ち掛けて来た。

『イェーイ!』と、みんな浮かれ気分になったが、ただ一人、賛同しない部員がいた。今の自分達は、やっと練習する環境が整ったというだけで、このまま夏休みが終ってしまえば、また練習環境は元に戻ってしまうのだった。勝浦が以前、話しに出した練習場の確保にしても結局、まだ見つかってはいない。

今の早朝練習など、その場しのぎに過ぎず、連携が取れて来たという程度では、試合をするチームとしては十分ではなかった。最近、まとまった練習を早朝にする様になったからといって、それで自分達のレベルが急に上がったとは到底、言い切れない。

もし、そんな自覚がどこかにあるとしたら、とんでもない過剰意識だった。現実に気が付いて欲しいと訴えたのは、仲里だったが、他の部員達は、素直に呑み込む事はできなかった。どんなに理屈を並べても、所詮は綺麗事で有り、実戦無くして上達は有り得ない。

練習試合の実現を望むあまり、誰もが、考えが固過ぎると呟いた。『練習試合』自体、あくまでも練習の範囲なので別に、勝ち負けにこだわる必要は無いと考えればいい。意見がまとまり掛け、仲里の単独意思は、大多数相手に覆される事となった。

この中で一番リーダーに向いているのは、長井よりも仲里なのかも知れないと、勝浦は思った。あまり普段は目立たないが、常に、かなり慎重な言動を取っている様に感じられた。ここで彼の意見を尊重すると、肝心の練習試合が見送られる事になり、せっかくまとまり掛けた話しだけに、勿体無いと思う矛盾にもかられた。

「仲里の言う通りだ。でも今回の対戦相手というのは、この間、遠方だという理由で外してしまった所なんだ。ハッキリ言ってレベル的には強くは無さそうだから、河野も出せるんじゃないかと先生は思った。でも後は、みんなが決めればいい…。」

「先生は現状を考えて、対戦校を交渉してくれたんだ。だから今回は、素直に受け入れ様じゃないか。」

さり気なく促すと、長井が場を仕切ってしまったが、これは決して肩を持って言っている訳ではなかった。とにかく、やれるものはやってしまおうという、安易な考えから来ているもので、この辺の慎重さの無さが仲里とは大きく違う所だった。

長井が、キャプテンとして認知されている大きな理由は、単に学年が一つ上だという、年功序列的なルールによるものではなかった。仲間を率いるだけの、強いリーダーシップを、一番に持ち合わせているという事だった。仲里は慎重過ぎるあまり、どうしても控え目になりがちなので、それが欠けていた。

別に今、こういったグループ内の構図を、勝浦が気に掛ける必要は無かった。長井がキャプテンとして機能する事で、チームがまとまるのであれば、何ら改善すべき問題は無い。だから無理に、仲里をキャプテンに仕立て様とする構想など、描かなくても良かった。

この部が今、長井の一人大将で維持されている現状に、大きな不安を感じずにはいられなかった。サブリーダーがいない状況下で、全員が一斉に一人に頼り過ぎていると、何かの問題に遭った時に対処し切れなくなる。

勝浦は、運動部に所属した経験が一度も無い為、心配を募らせていた。もし釣り合いの無い、この二人が、揃ってチームを引っ張って行く様な形を取れれば、かえっていい連携が保てるに違いないとさえ思った。

最終的に決めるのは部員達自身だが、仲里一人の意見を大多数で押し潰すのは、妥当な正論ではないという空気が漂っていた。慎重さを重視して今回の話しは流すか、それとも経験値を得るべく練習試合という欲に走るか、すっかり意見は二つに割れていた。

全員が、お互いを気にしてばかりで、中々答えを導けないでいた。仲里の出した意見から元々、話しはよじれていたが冒頭に、自分なりの意見をハッキリと言い放っただけで、それ以上は推し進める素振りは無かった。

自分の言い分が受け入れて貰えないという、空気を察した途端、それで主張を終わらせてしまうのは、本人の控え目な性格からだった。反対意見を述べたキャプテンに、逆らわないという意味ではなく、あえて自己主張をしないだけなのである。

決して間違った意見を、通している訳では無いにも関わらず、誰も控え目な彼の代弁すらしようとはしなかった。それこそがキャプテンとして認知されている長井と、そうではない立場の、決定的な違いなのかも知れない。

「元を辿れば、先生が勝手に進めた話しだ。強いチームではないのは間違いない…。」

静まり返った場を何とかしようと、ありのままを勝浦は話した。こちらから見れば、申し訳無いが『噛ませ犬』も同然であり多分、間違いなく勝てる相手だと思っていい。

「所で何て言う学校?」

「『日ノ出山高校』って言うんだ。誰か聞いた事はないか?」

「日ノ出山高校…、知らねぇなぁ。」

林が聞いたが、自分で尋ねておいて『分からない』と表現した程、対戦校の名前は誰も知らなかった。それぐらい決して強くはないチームに違いないが、だからという訳ではないが、今回の話しは受け入れる事となった。

「練習試合が決まったお祝いに、これから、かき氷でも食いに行かないか!」

帰りに長井は、みんなを誘うと、全員が何のためらいも無く賛同したが、目の前には私服姿の箕田が立っていた。どこの部にも彼は所属してはおらず、補習授業があった訳でもなかったので、夏休み中に学校に来る用事は、何も無い筈だった。

「どうしたんだ、こんな所で?」

河野が聞いたが、野球部を作ろうとしていたものの、さっぱり人数が揃わないと言った。夏休みといっても、やる事がないので、ただブラブラしていたらしいが…。

『こんな朝早くからブラブラっ!?』

そう突っ込むしかなく、自分達は日の出と共に練習を始めているので、校外へ出ようとしている今の時間は、まだ朝の八時にも差し掛かってはいなかった。どう考えても何かの目的があって、わざわざ現れたとしか考えられなかったが、こうして時間を持て余しているのは、自分の好き勝手な行動からだと河野は責任を感じた。

「ゴメン全部、俺のせいだ。」

「何言ってんだ。俺は俺、お前はお前の、やらなきゃいけない事があるじゃないか。」

さり気ない箕田の言動は、長井達の前で初めて見せた潔さだった。もう彼に警戒する必要は無くなったと思ったのか、木下が言った。

「暇な時は、いつでも見学に来たらいい。もう今日の練習は終わったけれど、良かったら今度は一緒に体を動かそう。別に、入部の勧誘じゃないから。」

「ありがとう、みんな。」

『そんな返答をした素直さにこそ警戒すべきなのでは?』と思わせたぐらいの態度だが、その謙虚さからは、以前迄の血走った性格の印象を、少しも感じさせる事はなかった。

実は彼は、夏休みに入ってからというもの、やる事が本当に無かったので、毎日の様に見学に来ていた。かつての仲間が、どんな練習をしているのかも気に掛かり、そっと陰から眺めていた。元々、彼に警戒心など持たない長井が、威勢良く誘った。

「良かったら今から一緒に、かき氷パーティーに行かないか?たった今、練習試合が決まったから、お祝いをするんだ。」

「いや…、もう今日は帰るから。」

真夏とはいえ朝っぱらから、そんなものが喉を通る訳がなく、かき氷なんかでのお祝いパーティーに迄、付き合っていられなかった。

次の日からは、陰に隠れる必要は無くなった為、少し距離を縮めて見学する様になった。それが何日か続いたが、練習が終わる頃には決まって、いつの間にか姿を消していた。ある日の練習が始まる時間、いつもなら私服姿で来ていたのが突然、制服で部室へと現れるや、片手にはスポーツバックを抱えていた。

「どうしたんだい、今日は?」

いつもなら顔を会わせない様に、離れた所にばかり座り込んでいたじゃないかと、江原が指摘すると、信じ難い言葉を口に出した。

「色々、考えたんだけれど…。」

部員という扱いはして貰わなくて構わないので、雑用係りでもいいから仲間に加えてほしいと、頭を下げ出したのだった。土下座の体勢迄、後数センチに迫るものであり、初めて出会った時の威圧感が漂っていた印象とは、あまりにも程遠い姿だった。

「どうしたんだ急に?!入りたいなら素直に、そう言えばいいじゃないか。」

全員が呆気に取られる中、一番そばにいた橘が慌てて起こすと、この場を何とかしてほしいと皆、長井に視線を集中して浴びせた。

『どうしたらいいのかって?何か起きると必ず、自分が解決してくれると思って…。』

そんなに頭が回らない事は、皆が知っているじゃないかと心の中では思ったが、部の中で起こった全ての問題は、キャプテンが片付けるという答えに行き着くのだった。

「冗談ではなく本当に入りたいって?今なら決定済みの、練習試合のレギュラー特典付きだから、こっちとしては大歓迎だよ。」

強い警戒心を芽生えさせていた村田には、クラスメートだけに、何か裏が有りそうな気がしてならなかった。教室内では毎日、嫌でも顔を合わせても、まともに口を開いた事は無い間柄だった。

「話しがおかしいぞ!ここに河野が入ったのが、あれだけ面白くないと言っていた張本人じゃないか。どうして急に気が変わったと言って、頭なんか下げたりするんだ!」

自分達の弱みや欠点を探り当てて、よからぬ考えを起こすといった、もしかしたら偵察などの目的で、入部を果たそうとしているのかも知れない。若しくは、いずれは河野を引き抜こうとしているのでは…。

「こっちに探られる様な弱みなんか、ある訳が無いだろう。そう言う、お前自体が怪しいんだよ!」

考え過ぎだと早坂が言った。河野には元々、野球ができる状態に戻す迄の、限定的な入部という前提があった。いつかは、そういう日が来るかも知れないので、引き抜きを心配するのは、ただの取り越し苦労なのである。

箕田は、疑われても仕方ないと、今の正直な気持ちを話し始めた。河野が去った後、自分も野球を離れる事となり、かなりの日数が経ってしまった。今でも、あの頃を取り戻したい気持ちは変わらないが、本人が別の部に移行してしまった事で、難しい現実となった。

河野を迎え入れる土台となる、新たな野球部を立ち上げ様とはしたが、一向に事は進まない。賛同してくれる仲間が、全く見つからない現実が立ち塞がり、計画が底を尽いた。

もはや残された手段は、追随してくれる、かつての後輩の手を借りる他、無い事に気が付いた。それには後、一年待たなければならず、その間、何をして過ごせばいいのだろうかという疑問にぶつかった。そこで今回の行動に走った訳だが、一見、空虚な学校生活から逃れたい一心の、暇潰し的手段にも受け取られなくはなかった。

「どう受け取られても構わない。とにかく何でもいいから、河野と一緒に同じ道を歩きたい。それだけの理由だから…。」

『余計、信じられない…。』

部員達は段々、村田の意見に肯定し出した。去年、ただ一人の男子であった長井には、仲間がいなかったという事情が、高い壁となって圧し掛かっていた。部として成り立つには、それ相当の部員数の確保が、絶対条件だった。今でこそ成り立ってはいるが、その過程には、やはり今の後輩達が入学して来てくれる迄、待たなければならなかった。

「それなら来年、新入生が来たら、また河野と野球を始めればいい。その時迄、ここで一緒に頑張ってほしい。」

そう言った長井は、野球部が正規に機能する迄の、踏み台にして貰って構わないとさえ思っていた。入部済みの河野と、これから加わろうしている箕田に、無理に卒業迄、続けさせるつもりはなかった。箕田は早速、みんなが練習の間に、部室の掃除をやると言い出したが、途端に急に制服を脱がされ始めた。

「ちょっと、えっ?!」

その隙に河野が、彼が持参して来たバックをこじ開けると、中からはジャージが出て来た。用意してあった所を見ると始めから、練習に参加するつもりでいたと見て間違いはないが、実際は雑用をする際に、動き易い様にと用意して来たものだった。

「まさか制服じゃ、雑用係りは務まらないからね…。」

千秋が言うと、強引に着替えさせられた。

「悪いけれど、このジャージは練習用に使って貰う。試合迄、一ヶ月しかないんだ。絶対に出て貰うから、せっかく入った仲間を、掃除係りなんかには使われたくない。」

長井にとっては、やっと十五人揃い掛けているのだから、フルメンバーで試合に出れるチャンスを、絶対に逃したくはなかった。

「本気で言っているの?」

藍子が言ったが、ただでさえ練習試合が決まった直後という、切羽詰った時期だった。河野でさえ、経験が浅いので危なっかしいというのに、今から新入部員を試合に出す目的で育成など、間に合うものなのか微妙だった。

「強い相手じゃないと先生が言っていたから、心配は無い。それに雑用は、マネージャーがやるって決まっている。特に佳織さんは、面倒見がいいから何でもやってくれる。」

そう長井が調子に乗ると、佳織は近くにあったラグビーボールを、思いっきり投げ付けた。ちょうど尖った先が顔面に直撃したので、その場に倒れ込んでしまったが、スピードと狙い目は、実戦のラインアウトで十分に通用する威力があった。

「さぁ、さっさと練習に入らないと他の部が来てしまうわ!」

失神したままの長井を放置して、みんなをグランドに追い出した。中々のコントロールであり、いっその事、彼女をキャプテンにしてしまった方が、もっとチームに磨きが掛かる。勝浦は、その光景を見て思わず呟いた。

すっかり立場が無くなった長井は、練習後、部員が一人増えた今日の記念にと『聖ドレミ学園ラグビー部の設立に至る迄の経緯』についての説明会を開こうとしたが、それはマネージャー達によって阻まれるのであった。

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