第21話 名も無きチーム
勝浦は練習前に、とある対戦相手と、日程も決まった事を部員達に伝えた。肝心の新しい練習場の件は、未だ進捗の無いままながら、やれる範囲での練習を試合の日迄にやっておこうと皆、強く思うのだった。
気になる対戦相手というのは…、色々と当たってはみたものの、こちらが出した条件を呑んでくれる学校は、中々見つからなかった。話しがまとまり掛けた所が有るにはあったが、かなりの遠方で移動の術が無く、結局は水に流れてしまった。
もうすぐ、全国大会の予選が始まる時期に差し掛かっていて、十五人も揃っていない様な名も無い学校相手に、無駄な時間は使っていられない。それが断られた理由の大半を占めており、元々『聖ドレミ学園』などと言う名の学校自体、ラグビー部としての知名度が、無さ過ぎていた。
どうせ弱いチームに決まっているので、相手にした所で肩慣らしにもならないという印象が、付いて回っていた様だった。そして何より、自分達が敬遠される決定的な理由があり『今度どこの学校と練習試合が決まったのか?』と聞かれて『聖ドレミ学園』とは胸を張って答えられないらしい。
女子校でも相手にするのかと、周囲に誤解を振り撒きかねない事情から、最終的には殆どの学校から、一線置かれてしまった。特に強豪と言われる学校程、対戦相手の素性にはうるさかった為、自分達の学校名が結局、大きなネックになっていたのである。
下手な鉄砲でも数多く打てば必ず当たるなど、たまたま成功して生み出した言葉に過ぎず、実質『飛び込み営業』を強いられた勝浦は、現実を呪った。模索する中、ようやく受け入れ体制を示してくれた学校が、以外にも隣町から出て来た。しかも、かなりの強豪との好条件付きなのだが、実は一度は断わられていた所だった。
では、どうして今回の対戦相手に浮上して来たのか、疑問でならなかった部員達は、理解できない矛盾を感じずにはいられなかった。強豪校はプライドを気にするが故、弱小チームは視野に入れていないと今、聞いたばかりだった。一体どこの学校なのか、部員達の目は燃え盛る直前の一方、経験の浅い河野には焦りが募っていた。いきなりデビュー戦が強豪校だとは、あまり嬉しくはない話しだった。
「前置きは、もういいから。どこなんだ、相手チームっていうのは!」
何故に一度は断わった強豪校が、わざわざ対戦相手を引き受けてくれる気になったのか、佐野が代表して言うなり、部員達は勝浦に詰め寄った。その答えは明らかに自分達が、軽視された扱いを意味するものだった。
四苦八苦する勝浦を哀れに思った相手校は、とある提案を出して来て、それを呑む事を条件に、今回の対戦相手に名乗りを挙げると言って来た。規定の人数に達していない自分達を、受け入れてくれるのだから、何らかの妥協は当然と勝浦は思った。果たして相手校が出した、提案というより『逆条件』とは…?
強豪過ぎる故に三軍迄、設けている現状があったので、日頃から練習試合の機会が少ない下っ端なら一戦、交えてもいいという話しだった。敵の立場にしてみれば、歩兵同然の三軍チームから抜け出せるかも知れない、査定試合の様なものに相当するのだった。
「馬鹿にしやがって!どこなんだ、そのナメ切った相手っていうのは!」
「待たせたな、いよいよ発表だ!それは…、電々工業高等学校だ!」
三軍ではあるが、元来は強豪チームなので、きっと満足できる試合をさせてやれるに違いない。奮い立つ前田に答えると、よくぞ、あれだけの交渉ができたと今更ながらに思った。自分の成した結果を、まるで『大型契約が取れたよ!』と大手柄として自慢するかの様だった。実際は単に、相手の都合良く言いくるめられて来ただけだった…。
ひたすら対戦校探しに、疲労困憊していた立場にとっては、もはやプライドなどという概念は、存在しなくなっていた。本来なら、わざわざ自分達のレベルに合わせてくれるという、ふざけた気遣い自体に、不満を持つべき所だった。部員達の反応が思い描く期待とは、全くかけ離れたものである現状にも、まだ気が付いていなかったのである。
「どうしたんだ?三軍を宛がわれるのが、気に入らないって言うのは分かった。こちらのレベルに合わせた選手で、対戦してくれる何て言う親切な学校は、中々見つからないんだ。それとも遠方の一番、初めに受け入れてくれた学校に今から変更するか?」
但し、また例のショッキングなバスで移動になるが…。勝浦は、河野を除く部員達と、今回試合が決まった相手校との因果関係を、まだ知らなかった。だから、ここ迄の段取りに対して誰一人、喜ぼうとはしない事態に、大きな疑問を感じたままでいた。
一年生部員達は元々、かつては先輩後輩の関係にあった中崎が在籍する、その相手校に入る予定だった。一方の中崎は当初、反対に後輩達が入学を果たした、長井と同じ学校に入る予定だった。それが、とある身勝手極まる理由から、親友を置き去り同然にしたまま、いきなり寝返って行ったのである。
元を辿ると後輩達と中崎は本来、立てていた未来予定図には無かった、全く正反対の道を進んだ事になる。中学卒業後、長井という一人の仲間を軸にせざるを得なくなり、それぞれ自分が立てた進路には背を向けて、お互い擦れ違ったのだった。
友情よりも自分の進路を優先させた中崎に対して、後輩達は自らの進路よりも、かつての先輩に救いの手を差し伸べる手段を選んだ。双方の、異なる考えから来る行動は、全く違う答えを導き出したのだった。それから一年が経った今、もう二度と接点は無いと思われていた、昔の仲間との再会が現実に起ころうとしていた。
交わる筈の無い互いの平行線は、知らない間に徐々に幅を近付けていたので、いずれは『かつての仲間』とは、過去の清算をする運命にあったのかも知れない。今回の件は本当に思い掛けない、きっかけから始まったので、白黒ハッキリさせる、いい機会だった。それを、こうも早い段階で取り決めてくれたのは、何の事情も知らない一人の顧問だった。
『何か自分は、とんでもない事をやらかしたのでは…。もっと慎重に対戦相手を考えるべきだったのでは?』
勝浦は未だ理由が分からないまま、部員達の機嫌を損ねてしまったらしいと感じていた。
「先生が顧問で本当に良かった!」
重苦しい空気は及川から出た一言で、すっかり晴れる事となり、他の部員達も賛同するかの様に、うなずくのだった。
「あぁいやぁ、なぁに…。」
やはり状況が呑み込めないままだが、偶然にも長井達が忘れ掛けていた、奥深い過去の溝を『嬉しい誤算』で掘り起こしてしまっていた。かつての仲間である中崎とのわだかまりは、これまた相当に深いので、練習試合で組んだつもりが、因縁対決になりつつあった。
『我が身の可愛さの為に、トンズラした方が悪いのか、それとも単に、話しに乗せられて騙された方が悪いのか?』
とは言え中崎が、普段から当日のメンバーである、三軍に身を置いているとは限らなかった。かと言って一軍レギュラーの、ポジションで安定させているとも到底、思えない。今の時点では、間を取って二軍という読みが高そうだが、とにかく彼が三軍でない限りは、とんだ肩透かしで終わってしまうのである。
練習用のグランドは確保できないまま、試合の日を迎える事となり、各自が練習で着ていた普段のジャージが、ユニフォーム代わりだった。会場は相手校のグランドで、そこには、そびえ立つゴールポストがあった。見渡しのいいグランドに立った部員達は、憧れを抱いたが、中学校の時でさえも、ゴールポストがあるグランドなど有り得なかった。
『一度でいいから、こんな環境で練習をしてみたい…。』
まともに練習ができていなかった事もあって、河野にはリザーブに回って貰った。スクラム陣が二人欠いた形で、十三人での出場になったが、これは決して外すという事ではなく、いざという時には出て貰うつもりだった。もし誰かが、戦線離脱する様な事態になれば、その時は力を頼る事になる。
すると相手チームも、ご丁寧にメンバーをわざわざ二人外し『自分達のレベルに合わせる』は口約通りだった。頭数迄も合わせて来たので、これを親切と受け取るべきか単に、バカにされていると取るべきか判断に迷った。
『中崎は…?』とグランドを見回した長井は、やがて隅に立っていた彼の姿を発見したが、試合用のユニフォームは着ておらず制服姿でいた為、どうやら三軍ではない事が分かった。その他にも、試合には出ない相手校の部員の面々が、辺りに何人か散らばっていた。見学なのか、ただの冷やかしなのかは不明だが中崎も、その内の一人に過ぎなかった。
本当に肩透かしのまま、決戦を迎える事となったとは言えない程、長井達は劣勢を強いられた。試合が始まって早々に、普段からの練習量の違いが、誰の目からも分かる様にハッキリと出ていた。向こうは三年生は一人だけで、二年生が二人、残り十人は一年生という編成だった。
試合展開は常に自分達の陣地内で、センターラインを越えての反撃が、中々切り出せず、何とか攻撃をしのごうとするだけで精一杯だった。粘ってはいたものの五分が経過した頃には、それぞれトライとゴールキックを決められてしまった。唯一の対抗策だった防御は、それをきっかけに崩れてしまい、後は次々と追加点を上げられて行った。
前半が残り少なくなって来た頃、相手チームは駄目押しのトライを入れ様と、唯一の三年生が、長井めがけて突進して来た。迎え撃つべく、とっさに構えたものの、果たして止められるだろうかという、不安が周囲に伝わった。背丈は自分と、それ程は変わりないが、体格差に歴然とした違いがあったからだった。
これは所謂『キャプテン対決』ながら、グランドにいる殆どの誰もが、長井が豪快に吹っ飛ばされるシーンを予想した。しかし渾身の思いを振り絞った迎撃が、周りの予想を覆す結果をもたらし、真正面から放ったタックルで、相手の方が思いっきり吹っ飛んだ。
かなり強く後頭部を打ち付けた様で、自力で立ち上がるのは、ほぼ不可能な状態だった。体格差があったので、止められるかどうかには不安があったが、この結果をもってすれば、何も全力を注ぐ必要は無かったかも知れない。
『あの先輩、ホント使えない。だから、いつ迄経っても三軍なんだよ…。』
遠くで見ていた相手チームの二年生以下の部員達は、揃って呟くしかなく、確かに三年生の割には、あまりにも手応えが無さ過ぎた。抜けてくれたメンバーは二人共、二年生という『ご親切さ』からだが、この三年生が抜けなかったのは、また更なる『配慮』だった。
ただでさえ、三軍対名も無きチームという、誰も喜んで観ない様な、地味にも程がある対戦カードだった。日頃から、試合というスポットライトが浴びれない当事者達の、自己満足を充たすものでしかない。だから観させられている側というのは、どうしようもない程、つまらないのである。そんな中で、唯一の注目と期待を浴びた『キャプテン対決』は、呆気ないぐらい一瞬で終ってしまった。
やがて前半は終了し、長井は『ボク何も知らないよ』と澄ました顔をしながら、悠々とグランドを降りて行った。この試合に次のサビは、果たしてあるのだろうか?
おちゃらけている内に、ハーフタイムも終了したが、何故か後半は中々始まらなかった。さっきタックルを喰らった、相手チームの自称『キャプテン』が脳震盪を起こしていたからで、その選手が続行不能になったと告げて来た。しかし後半は、リザーブは出さずに、残った十二人で続けるとも言って来たので…。
「十三人制っていうルールを、そっちは呑んだんじゃなかったのか?あんまり余裕ぶっこいていると痛い目に遭うだけだし、俺達相手に後半を『キャプテン』抜きで続行するのは、厳しいんじゃないか?」
何なら事前に外れてくれた二人を、新たな『キャプテン』にしたっていいと、長井は相当な皮肉を込めて言い放った。目をつぶってでも勝てる、とでも言いたい様な態度が、たまらなく許せなかったからだった。
「何、余計な事を言うんだよ?向こうが、それでいいって言っているんだから、黙って従えばいいじゃないか。」
現実を言えば、そういう独断を見過ごす訳には行かず、真っ先に及川が言った。明らかに馬鹿にされた扱いを受けてはいても、不利な試合運びを受けている以上は、ある意味、従っても構わない状況だった。敵が一人減るのだから断然、こちらが有利に立てる現実は言う迄もなく、そんな自分達を、誰も笑ったりはしない筈とさえ思った。
先程の、たった一撃のタックルで負傷退場して行ったメンバーが、キャプテンを務めるチームなど、何の問題にはならないと考えていた。勿論、あれで三軍のトップだとは更々思ってはいなかったので、長井は、まるっきり勝算が無い訳ではないとの主張を出した。
大方、一応キャリアは積んでいるので、レギュラーにはなれなくとも、お情けで三軍の主将を『させて貰っているだけ』に違いない。『築き上げた努力』を一撃で吹っ飛ばしてしまったのだから、本当に気の毒な事をしたと、笑いが止まらなかった。
それでも前半、大差を付けられたのは決して、相手が強いのではなく自分達が、試合慣れをしていないだけと捉えるべきだった。この差は、前半で酷使させた体を用いれば、きっと後半で挽回できると読んでいた。
実は、頑なに十三人制の維持にこだわらなければならない、ある裏があった。どうしても、もう一人補充して貰わないと困る理由が、存在していた。すっかり部員達が忘れていた、今回の試合が始まる前に誓い合った肝心な事で、中崎を試合に引っ張り出す目的だった。
今迄、劣勢な試合展開の対処法を考えるあまり、自分達が有利に立つ事ばかりを、優先させてしまっていた。よくよく考えれば、仮に相手が一人減ったとしても、決して有利になるかといえば、そうは言い切れなかった。
既に勝てないと分かっている実力差は嫌という程、思い知らされていた。勝算は皆無に等しく、後半で引っ繰り返せる様な得点差では、なくなっていた。やはり酷使した分、試合慣れの体が甦るというのは強引な理論なので尚更、本来の目的を優先させた方が手っ取り早いので、もう勝負は度外視だった。
そんな策略を外させるかの様に、相手チームは一向に、メンバーを補充する素振りを見せて来なかった。痺れを切らした長井は、遠くで観戦している当の本人に向かって、挑戦する様に叫んだ。
「分かっているんだろうなっ!お前だよ!」
今日は三軍の試合なので、わざわざ二軍のメンバーが出る必要は無いと、すぐ彼の周りにいた上級生達が、あしらうかの様に止めるのだった。三軍相手に大苦戦する長井達と、かつては実力は変わらない中崎でも二軍クラスとの、そこには厳しい現実があった。
後輩達が、長井と行動を共にする道を選んだ事で、いつか、こんな日を迎える予感はしていた。こうして今日、名も無いチームとなって目の前に現れ、仲間を裏切った、先輩らしくない先輩と思われているに違いない。
中学時代の、勝ち負けにこだわらずに和やかに活動していた頃には、もう戻れない。正確に言えば彼自身が、その頃に戻れない状況を、作ってしまった張本人だった。
長井達が今回、自分と一戦を交えるだけの為に、三軍との試合を呑んだ事に気が付いた。形的には練習試合でも、向こうの本当の目的は、自分に果たし状を叩き付けに来た筈だった。今、応えなければ絶対に納得しないだろうし、大人しく引くとも思えなかった。自分が目的である事が分かった以上、黙って見学など続ける訳には行かなくなった。でないと、この試合自体、ボイコットされかねなかった。
「帰るのか中崎?そうだろうな、こんな地味な試合、最後迄は観戦できないだろうな…。って、おい!帰る方向が違うぞ!」
制服姿のまま、どこに行くのかと思ったら、ラインをまたいで来たので『そっはグランドだ』と、長井は驚愕した。中崎は迷っていたものが吹っ切れて、覚悟を決めて上級生の制止を振り切って、戦線の中へと向かって行く事を決めた。飛んで火に入る夏の虫とばかりに、してやったりの長井は目の前迄、やって来た彼を挑発し出した。
「久し振りだな。でも来てくれたのはいいけれど、制服じゃ試合にならないよ。何なら、ウチのジャージを貸してやってもいい。そっちはユニフォームが一人だけ違ったって、仲間の区別ぐらいは付く筈だから。」
ついでに敵全体迄をも挑発する言葉になっていたが、こうなると相手も呑まずにはいられなくなる為、それを見越しての言動だった。
やがて長井達が勝手に守備位置に就くと、その場で中崎は制服を脱ぎ出し、中からは練習用ながら、試合可能のジャージが現れた。
誹謗中傷を覚悟で、グランドへと走って来たというよりは、あらかじめ進捗を予想していた様だった…。相手チームの面々も、渋々ながら守備に就き始めたので、この時点で、こちらの要望は締結された事になった。遂に、賽は投げられた…。
まさに今から、過去の清算とも言うべき一戦が、火蓋を切ろうとしていた。目的は果たせたものの、それ以上に気掛かりな事があり、今の中崎の実力が果たして、どれ程のものだろうかという大きな疑問だった。長井とは、技能面では大した変わりはなかったが、同じ釜の飯を食っていた当時の話しだった。
ただでさえ向こうは、元々の選手枠競争が激しい、強豪校に身を置いていた。後半戦に入って、やっと計画通りの状況になったのも束の間、相手の実力が見えないだけに、緊張感は漂ったままだった。
この一年で実力の差に、大きな開きが出ていない筈がないが、開始からしばらくは、何とか無失点に抑えられてはいた。早々に失点を受けた前半と比べると、明らかに大きな違いが有り、まさに全身が勘を取り戻している、という表現に値するかに思えた。
『ひょっとして艱難辛苦を浴び続けた事が功を奏したのでは…?』と、一年生部員達が僅かな望みを抱いた展開は、そう長くは続かなかった。所詮は、失点を食い止めているだけに過ぎず、形勢が逆転した訳ではないので、次第に追加点が加算されて行った。
『誰だ?艱難辛苦を浴び続けさえすれば、かつての勘を取り戻せるなんて、無責任な発言をしたのは?』
次第に部員達は口々に、そう漏らし始めるのだった。結局は、しばらく実戦から遠ざかっていたというハンディからは、逃れられない現実があった。幾等、体を酷使したとはいっても、たかだか三十分にも満たない実戦程度では、簡単には勘は取り戻せないのである。
このまま、辛うじて攻撃を防いでいるだけでは、時間が経つだけで肝心の得点は上げられない。せめて反則を誘って、ペナルティーキックでも狙える機会を得る方向に、作戦を持って行く必要があった。何よりは本来の目的である、中崎と接触が計れない限りは、この試合自体の意味がなかった。
彼のポジションが、フルバックという最後尾の為、どんなに反撃を試みても、そこに行く迄に阻止されるのだった。技量不足が否めない限りは、得点も上げられなければ、肝心の勝負にすら至れなかった。そんな中、意表を突いて林が実に、まぐれっぽいドロップゴールを決めた。ボールを地面にワンバウンドさせて、ゴールポスト目掛けて蹴り上げるという、相当な技術がいるプレーだった。
上手くゴールポストを通れば三点、但し外すと『ドロップアウト』という反則が科せられる、いささか博打的な要素を含んでいる為、あまり用いる機会が無いものだった。それだけに初めての得点が入った、その瞬間は、近くにいた仲間と乱れ合う様に抱き合った。
すっかり調子付いた長井は、とにかくチャンスがあれば、下手にトライなんかを狙わずに、このドロップゴールを狙いまくれとの指示を出した。どうせ勝負は度外視なので、入れられるものは入れてしまった方がいいという、実に投げやりな作戦に走った。
その内、長井からの何の指示が無くても、各々が自己判断で打ちまくる様になった。ゴールラインを目指すが故、タックルで阻止されるぐらいなら、その直前で蹴って得点を上げてしまった方がいい。あらぬ考えを持ち始めた、部員達の好き勝手極まるプレーに、長井は感動さえ覚えた。
『実に自分は、いい弟子達を持った。この喜びを、どう表現すればいいのか…。』
天に向って呟くのだが、その光景は現実的なラグビー精神とは、程遠いものがあった。
『真面目に試合をやれ!』
やがてグランドの外からは、そんな罵声が飛び交ったが、お揃いのユニフォームすら無い弱体チームだからこそ、許される現実だと開き直った。相手の強豪チームが同じ事をやり出したら、ただのヒンシュクにしかならないが『弱者優先の世の中だから何をやっても許される』と、強引な理屈にこじつけた。
その後もドロップキックの乱れ打ちは続き、不成功もカウントすると本数は十回を超えて、このプレーが一試合中に立て続けに出るのは、あまり有り得ない事だった。
遥か古代ならトライ数と肩を並べる程、茶飯事なプレーだったが、次第に滅多には使われなくなって行った。ましてやワントライが、四点から五点に改正された以降は尚更、手っ取り早い得点戦法とは、認識されなくなった。
特に部員達は日頃から、ドロップゴールの練習はしていなかったので、日頃の練習環境が経験の乏しさを物語っていた。中学時代から通しても、今日が初めてゴールポスト付きのグランドで、試合をしたという程度だった。
下手な鉄砲でも、数多く打てば何かと当たるもので、ここ迄で四割の成功率を収めた。野球で言えば驚異の打率であり、まさに部員達は『やってくれた』と、卑怯な作戦ながら勝浦は、歓心を抱いた。
『なんだか彼が入ったら余計に弱くなったんじゃ?』と周囲で試合を眺めていた面々は、そう口に出す様になった。確かに中崎が入った後半は、勢いのあった前半と比べて、点差が縮められる一方にあった。これは本当に、彼一人の責任なのだろうか?
濡れ衣を着せられているかの様に思われる原因は、彼の就いている最後尾の守備位置に問題があった。フルバックとは本来、攻撃側からしてみれば最後の砦みたいなもので、常に頻繁に動く訳ではない。
殆どのボールは長井達が、ドロップゴールの乱発に作戦を切り替えた事で、砦である彼の頭上を飛び越してしまっていた。見せ場を作る前に、長井達の誰かが目の前で蹴ってしまうので、試合に入ってからは、まだ一回もボールを触る機会を得られていなかった。
もし本来の目的である彼との接触に、こだわりをまだ持ち続けているのなら、こんな手段には出ない筈だった。トライは狙いたいが、タックルで切り返されるかも知れないという、緊張感が現実になってこそ中崎との勝負は成立する。その本来の目的を忘れてしまったかの様に、不可思議な攻撃態勢に路線を変えた。
実は全員、勝敗だけではなく彼との勝負すら、もはや度外視していた。ゴールポストの存在と、まぐれで入ったドロップゴールの感触に、感激していたからで、まさに日頃の練習環境の乏しさの現れだった。
既に終了時間に差し掛かっていて、この時点で三〇点以上は離されている為、勝ちは当然、拾えない状況にあった。やはり追い上げには限界が有り、前半で突き放された痛手は挽回できそうにはなかった。実力の差や勝負の結果などは、後半戦に入る前から答えが出ていたが到底、勝利が確信できなくなった時だからこそ出せる、ある秘密兵器があった。
得点を上げるという目標は果たしたので、残り少ない時間内に長井は、次の作戦を立て様と思った。上手く行けば中崎と一戦、交えるという本来の目的を果たせる、絶好のチャンスであり最後の作戦でもあった。
「『X作戦』だーっ!」
思わず焦った中崎は、仲間達に注意を促そうとはしたが、当然ながら意味が伝わらなかった。その怖さを知っているだけに『長井をマークしなければ』と声を張り上げたものの、仲間に告げ様とした頃には、長井達はパスで連携を取りながら猛突進して来た。
所詮、勝負が決まった終了際の、単なる悪あがき的なプレーだと、中崎の仲間達は平然と構えていた。対照的に、底知れぬ作戦の脅威を一番よく知る中崎は、今から何が起こるかを、仲間に伝えなければならなかった。
この時の中崎のチームの結束力は、油断という柵に包囲されていたあまり、愕然と落ちていた。隙を上手く、かい潜って遂にボールは長井の手に回り、中崎の立つ守備位置迄へと潜入に成功した。攻撃に踏み切れる仲間は他にいなかったので、同時に自分達がトライを上げられる、唯一の機会なのかも知れない。
油断した仲間が、その突破を許してしまった以上、止められるのは中崎だけという状況になった。かつては彼が『サポートしていた側』だが、時の経過と共に今度は、食い止める側に回る事となった。
どう対処したらいいのかが正直、分からなかったが、最後の最後で、本当に悪あがきのトライを許す訳にも行かなかった。ここで自分迄、突破されてトライを許す様な事があれば、試合には勝っても勝負には負けた事になり、どうしてもそれだけは避けたかった。
回避する為には弱点を探さなければならないが、元々は百パーセントの成功を狙って、生み出した訳ではないだけに、見つけ様がなかった。だが機転を働かせた彼は存在自体が、もろいガラス細工の『欠陥だらけの作戦』だからこその欠点策を、とっさにひらめいた…。
二人は真正面に向き合う形となり、これが恐らく、最初で最後の勝負の場面となりそうだった。『三軍対名も無きチーム』という、実に華の咲かない地味な対決は、ここで『かつてのメンバー同士の対決』という、再度のサビを迎える事となった。
ここを通り抜けられさえすれば全てが終わるが、長井の前に立ちはだかる残った最後の砦は、何故か笑った表情に見えた。
『一体、何がおかしいのか?』
実は、この時の長井には致命的な欠点があり、砦と化した中崎には、それが見通されていた。この作戦は、敵も味方も体力を消耗し切っている、終盤に使ってこそ効果があるものだった。勿論、中には自分も含まれているので、単に出せない筈の力を振り絞って、全力疾走しているだけなのである。
だから自分が、特に人より体力があるという訳ではない為、後半からしか出ていない中崎に限っては、全く通用しない作戦だった。ましてや、ドロップゴールを多様に使われていたせいで、タックルや走り込みに行く機会も殆ど無なかった。途中から入った選手の上、殆ど動いていなかった為、どう考えても彼の方が、体力が有り余っていた。
キャプテンとして、仲間に指示した無謀なプレーの多用さが、自らを窮地に陥れてしまった。やがて断然スピードの付いた、向こうのタックルによって、ゴールラインの侵入は簡単に阻止されてしまった。転倒させられた拍子に手から離れたボールは、即座に立ち上がった中崎に拾われて、大きく蹴り出された。
同時に終了を告げる笛が鳴り響き、やっと終了間際に掴んだ唯一のチャンスは、こうして呆気無く崩されてしまった。後々の事をよく考えずに、その場しのぎの作戦を遂行し続けていた結果だった。もし中崎を加入させていなければ、最後の砦は存在しなかったので、あのままトライは入れられたかも知れない。
それは、あくまで結果論であり、ただの負け惜しみにしかならなかった。第一『それ』をしていなかったら今日の試合自体、何の意味をも成さなくなる。この口惜しい結果こそ、自分達は満足の行く試合をこなしたという、目的を果たせた事になるのだった。
「アンタねぇ、カッコ付け過ぎなのよ。腐れ縁の、昔の仲間との勝負だか何だか知らないけれど、そのせいで結局、最後は止められちゃったんじゃないの。」
佳織は言ったが、負けたのは練習量の違いがあっただけであり、これから勝負する機会は幾等でも取れるので、誰も気にはしなかった。こっが黙っていても多分、向こうの方から再戦を望んで来る筈なので、むしろ満足できずに後味が悪い思いをしているのは、中崎達の方に違いなかった。
またしても今日の様子を箕田が終始、ひっそりと陰から観戦していた。やがて誰にも気付かれない内に前回同様、その場から黙って立ち去って行ったが、この一連の行動は果たして、かつての部員仲間を見守る為のものなのか…。もしかしたら自ら、入部を望んでいるからとも考えられるが、答えは本人しか知り得ない事だった。
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