第18話 宿命論

「本当に自分の意思で?」

「えっ!?」

部室で、みんなの前で退部の意思を伝えた河野に、そう長井は聞いた。

「いや本当は続けたいんじゃないのか?もし、誰かの目線が気掛かりだから辞めたいって言うのなら、こっちは相談に乗るよ。」

何を言い返せばいいのか戸惑っているだけだったが、すると江原は言った。

「さすがだよキャプテン!きっと、そう言ってくれるんじゃないかって思っていた。」

「いやぁ、それ程でもないよ。後輩を心配するのは、当たり前じゃないか…。」

そう言っておどけて見せたが、実は自分が去年、陸上部で同じ様な目に遭っていたので、よく彼の立場が理解できていた。周りの目線を気にしながらのクラブ活動というのは、中々やりづらいものだった。

「あの箕田っていう友達だろう?色々揉めているっていうのは、よく分かった。それなら一緒に誘って、入部させればいい。」

いつかの山元達も、そんな事を言っていた。

「勝手な話しを進めるな!」

そこへ突然、いきなり箕田がやって来たので、とっさに及川が言い返した。

「そっちこそ、部員でもないのに勝手に入って来るな!しかも、コソコソ立ち聞きなんかしやがって!」

「立ち聞きなんかしてない!人聞き悪い事を言うなって!」

だが、どう考えても立ち聞きしていなかったら、この場の進展は読めていない筈だった。

「なんだっていいだろう!とにかく辞めたいって言っているんだから、さっさと退部を認めてやれよ。」

「どんな事情かは知らないけれど、河野が、自分の意思で辞めたいと言っていない限り、絶対に認めない。」

どう見たって『辞めろ』と威圧しているだけに過ぎないので、長井は引かなかった。むしろ、何をそんなに焦っているのかといったぐらいにしか、取れていなかった。

「そうだ、河野は仲間から逃げる為に、この学校に入って来たって言うじゃないか。」

山元も加勢したが正直言うと、世話係りから解放されたいが為に、河野が辞めてくれる事を願っていた。肩入れをするつもりはなかったが、この箕田の威張り腐った態度だけには、どうも黙っていられなかった。すると箕田は、河野に歩み寄った。

「喋ったのか全部?まぁいいや…。ただ、ボールが怖くて野球を辞めた捕手が、なんで今更、ラグビーをやろうなんて思い付くんだよ!どうせ逃げる為の、言い訳にしたかったからなんだろう?悪い事は言わないから、さっさと辞めろよ。」

彼にしてみれば『畑違いもいいトコだ!』と言う前に、まさか本当に全ての過去を話されるとは、思ってもみなかった。河野が先日、江原や山元に語った思い出話しとは所謂、彼の暴露公開に匹敵するものだった。

「この河野クンは、ウチの大事な部員なんだ。そう簡単に辞められる訳には行かない。」

過去をバラされたのが気に入らないらしいが、私情は関係無いとばかりに言い返したのは、箕田のクラスメートでもある村田だった。まともに会話らしいものを交わした事は無く、これが、お互い最初の接点だった。どう言われようと、彼は微動だにしなかった。散々、辞める辞めないという曖昧な姿勢を繰り返す河野を、こうやって手放そうとはしない部員達の本心を、知っていたからだった。

「大事な部員?河野を入れたって、規定の人数には足りないからだろう?どんな素人が来たって今なら漏れなく、レギュラーの座が必ず付いて来るっていう、それだけの話しじゃないか。」

それが、河野が『大事な部員』と扱われる大きな理由で、ラグビーとは無縁の野球部出身の彼にさえ、大方の見当は付いていた。

『よくも言ってはいけない事を、軽々しく…。もう一度、言ってみよう!』

空気を読まない部外者が安易に言い放ったので、気に障った部員達にしてみれば、そう言う心境だった。更に軽はずみな彼の暴言は、留まる事がなかった。

「河野がいなくたって、どんな大会も一回戦出場の権利ぐらいは、与えられるんじゃないか?」

仮に部員が、試合ができる規定の人数に達した所で、それで終わりではなかった。レギュラーの座を賭けて、仲間同士で潰し合いをしなければならないので、その為には最低でも、規定の人数の倍の部員が必要になる。野球で言うなら、ちょうど九人しか部員がいないチームが、全国大会に行ったなどと、あまり聞かない話しだった。

部員数が足りず、近隣の複数校で合同チームを作ったり、彼の言った通り、本当に十五人未満で出場する高校も無くはない。野球の様に地区予選は無く、それでも県予選には直接、出場は可能だった。決して『暗黙のルール』ではないし、そういう学校事情を指摘する表現は、禁句に近いものがあった。

「何、知った様な話しを得意になって喋っているんだ!言われなくても分かってる!」

前田が言うなり、部員総出で一斉に箕田に掴み掛かると、河野や藍子達は仲裁にと割って入ったが、かえって大乱闘に火を点ける事となった。唯一、乱闘に加わっていない長井には、大体の経緯が分かって来た。

「そうだ!野球を捨てた河野なんかに、何ができるって言うんだ!」

とんでもない事を言い出したのだが、その一言で乱闘はピタリと止まった。『何を一体?』と後輩達は揃って言った。

「どうして河野が、野球のボールが怖くなってしまったのかは分からないけれど、ラグビーボールだって一緒じゃないか。ここを野球を捨てる為の言い訳に使おうだなんて、どう考えたって卑怯だ。そんな奴の受け皿の為に、この部を作ったんじゃない。」

『先輩、中々いい事を言うじゃないか…。』

その時の箕田の顔は、笑顔と自信で満ち溢れていて、長井に好感さえ持てた。比べて河野にとって今、言われた事は、いい迷惑だった。確かに、その通りだと気付いたからこそ、このままではいけないと自覚する様になった。そこで今日、こうして退部を申し出に来たので、こんな事を後から言うぐらいなら、最初から下手な留意発言はしないでほしかった。

元々の入部理由が、いい加減だった事もあり、散々振り回したという意味での説教は、受けるつもりでいた。部員達は、その感情を代弁するかの様に今度は、乱闘の矛先を長井一人に向け様としていたが、既に箕田が河野を部室から連れ出そうとしていた。

「せっかくキャプテンが言ってくれているんだから、さっさと辞めちゃえよ。」

そう言って肩に手をやったが、河野は振り払った。言われなくたって始めから、その気でいたからこそ、こうして挨拶に来たつもりだった。こうも話しがよじれたのは、全て長井のせいだと、部員達は思い始めていた。

辞めるかどうかで悩んでいるなら、相談に乗るだとか言っておいて、最終的には裏切る行動を取った。ただ何をし出すか分からない本人の性格もあって、ひょっとして、いい案があってのカムフラージュなのかも知れない。河野の退部を思い留まらせて、更に箕田を説得させる事が、きっとキャプテンにはできる筈だと、かすかな期待を部員達は寄せた。

「なぁ、キャプテン…。」

もう、出て行こうとしていた二人の後姿を見ながら、江原は長井に促したが…。

「だってさぁ、ラグビーボールの先だって、当たれば結局は痛いじゃないか?河野はボール恐怖症なんだろう?それなら無理に決まっているし、使えないよ本当に。そっとしておくのが、本人の為なんだ。」

逃した魚は大きいが、無理に深追いせずに潔さも必要だと、あっさり言い捨てるのだった。残念ながら、この場の長井には部員達からの期待感は、感じ取る事ができていなかった。自分としては決めゼリフのつもりが、全体には大きな不信感を抱かせる結果となり、その直後、再び江原は言った。

「何かを期待した、俺達がバカだった!」

さっきの箕田の振る舞いに、すっかり納得させられてしまって、河野は必要な部員ではないと本心で言っていた。マネージャー達からも、鋭い視線を浴びせられている事に気付くと、その場には居づらくなって来た。部員達からは、すっかり見切りを付けられてしまい、解決を迫られていたのである。

「分かった、引き止めればいいんだろう?」

箕田の悪態に相当アタマに来ていた部員達だが、キャプテンらしからぬ、いい加減な態度の方が、上回る反感を買っていた。仕方無くといった感じで、長井は声を張り上げた。

「おーい待てよ二人とも!って、もういないから聞こえなかったみたいだ。しょうがないな、ハハッ…。」

ごまかしは効かず、全員からの更に鋭い視線を背後から感じた事で、結局は自分の足で出て行った二人を、呼び戻しに向かわなければならなくなった。全ては、自分が勝手に話しを混乱させてしまい、部員達から不信感を抱かれた所から始まった。

「どうしてキャプテンなのに、こんな事をしなくちゃならないんだ?練習は、どうするんだ全く。」

みんなが納得行く結果を持ち帰らないと、部室には二度と足を踏み入れられない。元々、自分が主だったというのに締め出されてしまったが、やっと二人を発見した。

「何だ先輩?話しなら、さっき終わったんじゃなかったのか?」

箕田が言ったが、構わず説得を始めたが折り合いが付かず、何とか無理矢理、部室に連れ戻した。これで部員達に面目だけは保たれたが、問題はここからで、河野の退部の意思が本当なのかどうかを、今から部員達に応える為に探らないといけない。期待を集める視線を感じた長井は、オドオドしながらも、何とか上手い説得方法を考えた。

「河野…、やるって言ったり辞めるって言ったり、ハッキリしないよな?」

かつての仲間を想うあまりの、決して本意ではない行為である事を願った。

『いや、だから…。もう辞めるって、さっき言ったばかりじゃないか。』

本当に、しつこい連中ばかり揃っている部だという印象しか、もはや河野には無かったが、長井の理解不能に近い留意は続けられた。

「本当に、友達思い過ぎるんじゃないのか?辞めろって言われて、ここを本当に辞めるなら『また野球やろう』って言われれば、すぐにでもやるって事じゃないか。だからさっき、自分の意思はどうなんだって聞いたんだよ。」

とても強引な、こじ付けをされている気がした河野は、ハッキリと言い返した。

「野球は二度とやらない…、絶対に。」

「じゃあ、どうしてウチの部を辞めろって言われた事には、素直に従うんだ?」

「それは…、さっき先輩が言ったんじゃないか?その事に気付いたから、辞め様と思って今日は来たんだ。誰かに言われたからじゃない、自分の意思なんだ。」

『部を駆け込み寺みたいには使うな』と言ったのは長井自身であり一瞬、返す言葉を失った。改めて退部を申し出て来た河野の立場を、自分の一言でブチ壊してしまっていたからだった。ようやく気付いた頃には、もはや彼の退部は確定的になっていた。

このまま取り逃がしてしまっては、ますます部員達に顔が立たなくなるので、ここで何か、機転を働かせた事を言わなければという焦りが募った。『あれはワザとキツイ事を言ったので全て嘘』とでも言うしかないが、それこそ嘘丸出しだった。キツく行った所で一体、何に繋がったかと言えば、ただ悪戯に事態が混乱しただけだった。

『よくもまぁ、言いたい放題…。』

部員達は呟いたが取り合えずは、このままキャプテンに、場を任せておこうと思った。元を辿れば、キャプテン自らが蒔いた種なのだから、自分で刈り取らせるのが筋だった。

部員達が知りたい事は、河野の本心という一つだけで、不純な理由での入部を、取り消したい考えがある事迄は分かった。肝心なのは、その続きで、箕田に後ろめたさを感じている事が、辞めなければならない理由であるなら放っておけなかった。どんな理由があっても、わざわざ現れた仲間を、みすみす取り逃がしたくはなかった。

長井も、河野に辞めてほしくないと思っていたのは本当で、急に気が変わってしまったのは、駆け込み寺に使うつもりでいた考えを知ったからだった。今となっては目先を考えない言動により、自分の方が許されない立場に回ってしまい…。

「なんか偉そうな事を言っているけれど、要は人が足りないんだろう?別に河野じゃなくても、適当な新入生を捕まえればいいんじゃないか?」

箕田が、また軽はずみに心無い発言を口にした為、事態は再び大乱闘になり掛けたが、ある発言を長井がした事で場は静まり返った。

「確かに、この部は試合をするにしたって、まだまだ部員が足りないんだ。正直言えば、箕田にだって入ってほしいとさえ思っている。だから、なるべくなら辞めて貰いたくはない。ただ…、ハッキリしない奴は、お断りだよ。」

「ハッキリしない奴だって?じゃあ河野は、ピッタリ当てはまるって事だ。」

箕田は白々しく言って、再び河野と出て行こうとしたが、江原が呼び止めた。

「いつ迄、仲間を縛り付けるつもりだ!元はと言えば…。」

サインを無視して、無理な豪速球を奏でたピッチャーこそが、河野から野球を奪った張本人だった。箕田は、自分が野球を離れる原因を作ったのは『勝手に姿をくらました河野の行動によるもの』だと未だに出張し続けてはいるが、とんでもない筋違いな考えだった。

江原は、その続きを口に出す事はできなかった。特に、口止めされていた訳ではないが、今ここで話す事は、河野自身が望んではいないと思ったからだった。河野と箕田の、かつての確執を知る部員は極、僅かだった。

事情を知らない大半の部員達は、江原が言い掛けた、その話しの続きが気になっていた。まだ静まり返っている中、更に長井は言った。

「じゃあ、責任を持って鍛えてやるから、しばらく河野を貸して欲しい。そうすれば来年にでも、また野球ができる様になるかも知れない。それでも駄目だって言うのなら、これ以上は何も言わないから、このまま河野を連れて帰ったらいい。他の部員達には、黙らせる様にキチンと説得しておく。」

これはキャプテンとしての、部員達から信頼を失う事を、覚悟しての決断だった。もし嫌だと言われれば、二人には今後、部員達が付きまとえない様にするという提示を出した。

かつては彼も自分も、チームを引っ張る絶対的なピッチャーであり、きっと分かってくれる筈だと賭けに出たのだった。自分と同じくエースとしての振る舞いを、まだ彼が持っているのなら、この問い掛けに首を横に振るとは思えなかった。

長井自身、今が本当に満足しているかといえば、決してそうではなかった。どうしてもマウンドに立っていた頃が、忘れられない自分がいるのだが、壊れてしまって通用しなくなった肩は、どうする事もできない。

仮に自分に肩の故障が無かったとして、今から野球の練習を再開しても、いい結果には繋がらない事は分っていた。既に高校二年生という時期では、下から追い抜かれて行く一方だというのが、明らかだった。例えるなら、成人間近になってピッチャーに目覚めても、どんなに必死で練習した所で、成果はある所で止まってしまうのである。

それは『宿命論』だったが、ラグビーには当てはまらないと信じていた。特に器用な技術は必要無く、あまり足が速くないなら、スクラムに回ればいい。ボールを奪いたかったら、サッカーの様な細かいボール裁きなどしなくとも、タックルで相手を倒せばいい。根気さえあれば、何も難しい器量は要らないというレールを今、自分は走っていると思った。

ラグビー選手が野球に転向したというのは、あまり聞かない話しだが、その逆は珍しくはないので、かすかな可能性が河野にはあった。

箕田にも是非、レールに乗って貰いたかったが、それ以前に『果たして河野を差し出してくれるだろうか?』の心配が重要だった。やはり二人揃って、背中を向けて去って行ってしまうかも知れない。仮にそうなったとしても、どうか部員達には二人の後を追い駆けたり、異議を唱えたりはしないでほしかった。

しばらく考え込んでいた箕田は、やがて河野を残して、一人で部室を出て行ったが、これが彼なりの答えだった。きっと、江原が言っても構わなかった過去を、あえて口に出さなかった事に、何かを感じたのかも知れない。

「おいっ!どこ行くんだよ!」

河野は追い駆け様としたが、山元が止めた。

「放っておけばいい。それより、もうちょっと俺達に付き合ってほしいんだ。今日だけじゃなく明日からも、ずーっと。」

すると河野は黙ってうなずき、みんなが認めてくれた事に、自分は応えなければならないと思った。これで長井の肩から、ようやく圧し掛かっていた荷が下りた。

「よし決まりだ!本当に嫌になったら、いつでも辞めていいんだから。強制はしないから、気軽にやればいい。」

そう締め括ると部員達から、キャプテンとしての信頼も取り戻せたのだった。

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