第13話 幽霊部員
取り合えず形だけでもと、陸上の練習は真面目にやろうと思い、翌日から見違える様に走りまくった。その姿は、大会が近いという危機感を自覚しているにしても、どうも素振りがおかしく、周りに不信感を与えているだけにしか映っていなかった。
「あんなに狂った様に走って一体、何があったのかしら?」
それは大原が練習を中断して、そう呟いてしまう程、異常な走りっ振りだった。そこで、他の上級生達を引き連れて藍子に事情を聞いたが、これといった変わった様子は何も見ていないので、ここ最近の事は分かる訳が無い。
「とにかく少しでも、何か変わった様子を感じたら、私に報告するのよ。あなたは彼の保護者なんだからね!」
実に身に覚えの無い事で、大会目前のさ中、勝手な任務を課せられてしまった。部長の指示には逆らえず藍子は、真相を探るべく自ら行動を取らざるを得なくなり、練習を終えた直後、千秋と一緒に歩み寄った。
「今日も例の練習は行くの?」
「まぁね、それじゃあ。」
こちらには見向きもせず軽い一言返事で、足早に去って行こうとする言動に、やはり怪しさを感じていて、こう呼び止めた。
「最近、練習は真面目になった分、愛想は悪くなったんじゃない!?」
「別に、そんなんじゃないよ。」
振り返る事無く、背中を向けたまま答えた。
「へーんなのっ!問い詰めるだけ無駄だったわ。さぁ千秋、もう帰りましょっ!」
勝手に、保護者役に任命されているという理由だけで、こんな事に時間を費やさなければならないのは、本当に迷惑な話しだった。
「確かに、何かヘンね。」
同じく千秋も、何か有りそうな気がしてならないと思い始めた。最近の、長井の異様な迄の練習の溶け込み様は、やっぱりおかしい。他の部員達も、薄々と気付いている筈だった。
藍子の様に、先輩に詰め寄られでもしない限りは、それを探ろうと迄は思わない。そんな暇があったら、練習に打ち込んだ方がいいからだった。どうしても千秋は、この裏を探ってみたいという気持ちを、代わって強く抱く様になっていた。そこで、こっそりと夜、長井が練習している場所へと一人で向かった。
中学時代は、殆ど会話する機会が無かったので、本人に関する情報は全くと言っていい程、乏しかった。だが嘘や隠し事が、あまり上手ではないというのは最近、接している内に、何となくながら分かって来ていた。
「定時制は開始時間は遅いんだろうな…。」
時間を見計らって尾行する様に到着すると、グランドへと回った。そこには、長井と新山達が練習を始めているのが見えたが、新山が怒鳴っている様に聞こえ、何か様子がおかしかった。ここで彼女は、ちょっとだけ衝撃的な展開を、目撃する事になる…。
「おい何やってんだよ!最近、ボールを前に落としてばっかりだ。それに随分、走るのが遅くなったんじゃないか?!」
唯一、覚えているのは、ラグビーをやっていた事ぐらいだった。当時は練習風景なんて、じっくりと見た事は無かったものの、さすがに、こんなにヘタではなかった筈だった。
「試合迄、そんなに日は無いんだ。もし、バイトと練習が両立できないって言うのなら、いつでも外してやるよ。」
新山の姿勢からは、この間の気遣っていた態度が、すっかり消え失せていた。ここに来る直前迄、いつも陸上部で狂った様に走っている姿を、彼は知らなかった。言える訳が無い事情を抱え込んでいる限り、当然の様に起こるペースの乱れは、この先も続くのである。
「えっ?試合?」
陰から光景を見ていた千秋は、一瞬ハッとしたが、すぐに大体の粗筋が理解できた。長井は結局、同好会の試合を選び、それでも陸上の練習をしているのは周りの、ご機嫌を取る為の一つの手段に過ぎなかった。
カラ走りに見られたくはないので、誰からも文句の付け様がないぐらい、これでもかと『狂った様な走り』を毎日して見せた。全ては、単なるスタイルだったのである。
当然、疲れ切った後では同好会の場で、まともな練習などできる訳が無かった。メンバーに真実を打ち明けられない故の、最悪の現状だった。未だ陸上部の方には、大会出場を辞退する旨は伝えていないのだが、これにも実は、ある策略があった。
『練習のし過ぎでオーバーランしてしまい、大会は出れなくなりました。』
毎日、凄まじく走る姿を見せ付けている事を利用して、そんな口実を作ろうとしていた。
『どうして無茶苦茶に走っていたのか?』
そう責められる事が予想されるので、説得力を十分なものにする為には、直前の前日あたりに言わないと効果が無かった。土壇場で『出れないものは出れない』と言い張ってしまえば、それで済むと読んでいた。
大原達には『今は多くは口にせず』を頑なに通す他、無いと考えた。そういった、いい加減さ極まる身勝手な自己予測は、周りに誤解を振り撒く要因そのものだった。現実を言えば、ここにいるメンバー達には、ただダラダラやっている様にしか見られていなかった。
「そう…、そう言う事だったのね。」
その翌日、疲労の蓄積に限界を感じてしまった挙句、放課後は陸上部の練習を勝手に切り上げてしまった。この後の同好会でのペースの温存を考えて、早目の帰宅を図ろうとしたのだが、千秋が見過ごさなかった。
「やっばり、どうも最近おかしいわ!あなたに何かがあると、藍子が先輩達から睨まれるのよ。だから悪いけれど、このまま返す訳には行かない!」
自転車に乗った直後、後ろから呼び止められたが、急ぐので明日の朝、聞こうと思った。
「今じゃないと意味が無いのよ!あなた自身にとっても、かなり重要な話しなのよ。」
「…!?」
「その急いでいる理由も私には、よーっく分かっているのよ。すぐに終わるから…、あなたの使っている部室がいいわ。」
まさか、自分の『あれ』を知られているのではないだろうかと焦ったが、部室に着いた頃には予想は的中しつつあった。
「昨日の夜、練習しているのを見ていたのよ。大事な、話しの内容もね。」
「そう…。」
今から何を言おうとしているのかは大体、分かって来た。こちらから話さなくても、いずれは漏れる事かも知れないが、彼女が直接、探りに来ていたというのは予想外だった。
「昨日、試合がどうのって聞こえたんだけど、どういう事?趣味程度にやっているんじゃなかったの?」
「勿論、趣味だよ。それに、ただの練習試合だ。別に自分が設定したものじゃないんだから、どうしようもないじゃないか。」
「どうしようもないって、出るか出ないかは自分で決める事じゃないの?!人のせいにはしないで!でも陸上の大会に響かなければ、別に構わないんだけどね。」
それが、見事に同じ日に重なってしまったので、悩んでいた訳であり、具体的に話すと彼女は血相を変えた。最近、走り込んでいたのは『大会に出るフリだった』事を、この時、初めて白状した。仲間を裏切ったり嘘を吐くのが、決して上手ではないだけに、こうも手の込んだ方法に走ったのだった。
「その日って…、地区予選の日じゃない?!悩む迄もないでしょう?どうして陸上部の方を選ぼうとはしないのよ!みんな本番で、いい記録を残したいから、必死になって走り込んでいるのよ。それを、あえて本番に出れなくなる事を目標にして、体を痛める練習をするバカはいないじゃない!」
自分達の練習を何だと思っているのかという話しであり、言う迄も無いが、どんなに練習したって大会に出れない部員は存在する。そんな、予想も付かないバカを働いた長井は、まさに彼女の目の前にいた。
「いい加減にヤラレたら、こっちが迷惑なのよ!あなたは、もう出場選手で登録されているのよ。今頃になって『出ません』じゃ、通用しないんだから。どうして、もっと早く言わないのよ!」
返す言葉は無く『何て優柔不断な奴』と怒鳴りそうにもなったが、この件は元々、長井には自由な選択権が持てていなかった事が、引き起こしたものだった。周りから押されながら動かされていたに過ぎず、一旦は出した退部届けも、理由が不明確だと言われて受け取っては貰えなかった。
仮に本当に、同好会に打ち込む事を理由に辞めると言ったとしても、すんなりとは通らない筈だった。大原達が、弊害となり続ける現状が変わらない限り、この檻からは出られないのである。今回の大会にしても、入部した当時についても、それらは全部、本人の意思では無いものだった。
「でもね、結局は自分なのよ。相談に乗れなかった私が言える立場じゃないけれど、やっぱり意思をハッキリ見せないと、どうしようも無いのよ。今だって、同好会の人達には誤解を受けているままだと思うわ。」
それができていたなら、誰かに言われなくても、真っ先に自分が行動していた。今迄、何度も思って来つつ無理矢理、陸上部と同好会を両立させていた。その内、体が悲鳴を上げる様になり最近では、対抗戦に出るのも辞め様かと思い始めたぐらいだった。
全ては、同好会に参加させて貰っている、新山や、その仲間達の期待に応える為だった。でも実際は、自分の体にムチ打つだけにしかなっておらず、仲間が喜んでくれる結果に繋がるとは、決して言い切れなかった。もうポーカーフェイスを保ち続ける事自体、限界になっていたが、唐突に何かが込み上げて来る様な思いがした。
「どっちなの?試合をやりたいんでしょう?その為に、先輩達の反感を覚悟で陸上部を蹴ったんじゃない?違うの?」
「やりたい…、仲間達との約束を一緒に叶えたいんだ!」
「分かったわ。じゃあ先生には、私の方から言っておいて上げるから。」
ヤケになって、どちらも蹴ってはいけないと、あくまで長井の目線に立った千秋は促すのだった。ただ、その親友との約束を果たす為には、ある決断をしなければならなかった。
「けれど、陸上部を辞めるっていう事だけは、自分の口で言うのよ。」
始めから望んで入った訳では無いとは言え、陸上部にとって、決して許されない行為をしていた事だけは、否定できなかった。大会に出ないという意思表示は、退部を意味するものであり、理不尽な状況下にあったにしても、一応のケジメは付けなければならなかった。
しかし、そうは問屋が卸さないとばかりに、この一部始終は大原達に漏れてしまっていた。前回と同様に、背中合わせの部室に潜んでいた為、全て盗み聞きされていたのである。
「見事に裏切られたわ!随分とナメたマネしてくれるじゃない?どうするの?本人は辞めるって言っているけれど。」
拳を握り締めていた、西尾が言った。
「辞めるも何も、それ以前の問題よ。私に隠れてコソコソした真似をする一年生が、どうなるか思い知らせてやるわ!」
大原は、もはや怒り心頭で、これから起こすであろう彼女の行動は『それでも女か』と、思わせるものだった。
次の日、練習が始まる前の誰も来ていない部室の前に、長井は立っていた。そこへ、ある程度の事情を事前に聞かされた根本が、千秋と共にやって来た。千秋は同好会と、ついでに退部の件も話してしまっていた。
いきなり長井が何の前置きも無く、本題を話し出すと、きっと発狂でもして、絶対に引き止め様という行動に出かねなかった。そうなっては困るので今度こそ、本人の意思を尊重してやってほしいと説得させていた。
「あっ、先生…。」
「長井君…。」
お互い顔を会わせると、揃って呼び合ってしまった。
「こういう話しは、あなたからの方がいいんじゃない?」
「えぇっ?『こういう話し』って…!?」
「先生っ!余計な事は喋らないで!」
千秋は焦った。うっかり、おかしな事を口に出されては、せっかくの打ち合わせが無駄になる。そんな一定の気遣いを察した長井が、構わず話しを切り出そうとした。
「先生、実は陸上部を続けられ…。」
「ちょっと待って!」
その時、大原達が突然に横やりして来た。
「長井くん?ひょっとして辞めちゃうの?でも残念ねぇ、わざわざ退部届けとかは出さなくてもいいのよ。」
かなり皮肉の入った言い方は伝わって来るものの、遠回りな表現なので、よく意味が分からなかったが、大原の意見は続いた。
「退部届けを出さなくてもいいですって?」
「先生?部員名簿って、ちゃーんとチェックしているの?」
「えっ…?」
部の活動の際には欠かせない、普段は顧問である根本自身が、いつも持ち歩いているものだった。当然、記入する機会が多い自分が、ここの誰よりも内容には詳しかった。
「ここで、みんなに開いて見せてよ。」
川崎が、何かを勝ち誇った様に言った。一体、何のチェックをしろと言うのだろうかと、不気味な笑みを大原達から送られ続けている事に何か、とても嫌な予感がして来た。そこで慌てて名簿を開くと、みるみる根本の表情が『…!?』と豹変して行った。
「その名簿が一体どうしたっていうんだ?」
すると、一緒に覗き込んでいた千秋の口から、その長井の問いの回答が発せられた。
「長井君、あなたの名前が無いわ…。」
元々は、あくまで大会だけに出場するというのが、長井自身が出した条件だった。そこで根本は、本人の考えを尊重して、あえて部員という扱いにはしないまま、大会に出させていた。いざ入部させ様にも、その裏には常に、大原達が出す色々な条件が付きまとった。
入り込んだ状況下の中で、最終的に長井が、再び入部できる機会が持ち上がった。その時、興奮のあまり根本は、ただ単に『入部させた気』になっていて、実際は『助っ人部員』として大会に出させていただけだった。
入部届けさえ確実に書かせていれば、何も問題は無かったのだが、かなり展開が複雑になっていた事もあり、そこ迄は頭が回らなかった。それは目を疑いたくなる様な、現実を告げるものとなり、全ては勝手な思い込みと、ややこしい当時が引き起こした悲劇だった。
「長井!アンタはね、最初っから陸上部員じゃなかったのよ!幽霊部員よ幽霊部員!」
「違うわ。そんな言い方したら、幾等何でも可哀想じゃない?名簿に載っていないんですもの、帰宅部よ帰宅部!」
西尾と川崎が大声で言ったが、こうなってしまっては、もはや反論のしようが無かった。長井は今日迄、ただの臨時部員扱いで、練習や大会に出ていたとみなされる他なかった。
「じゃ、そういう事で。良かったじゃない?これからはコソコソしないで、ラグビーごっこが思いっきりできるんだし。」
「もし大会だけには出たいって言うのなら、また出させて上げてもいいわよ。私達は、これでも結構、優しい先輩だからね。でも部員でもない一年生を、勝手に選手として出させる顧問の先生の方が、もっと優しいんじゃない?本番の大会で、観衆の前で赤っ恥かくといいわ!」
再び西尾と川崎が言うと、超下品な笑い声を立てながら、大原達は部室に入って行った。元を辿れば、この上級生達に気を使うあまり、思い付いた通りの行動が取れなかった現状が、招いた悲劇でもあった。
大原は、いつかの勝負で完敗した時、長井の入部を認めるかの様な言動は取ったものの、ハッキリ何かを言った訳では無い。最終的に、部員として認めるか否かの印を押す決定権は、顧問にあった。それを根本が怠った事で、彼女は自らの手を汚す事無く、出る杭を打つという目的を果たした。
この今の爽快感といったら、あの発端となったタイマン勝負での、負けた時の口惜しさを、見事に吹っ飛ばすに値していた。今度はマラソンで勝負して、もはや負かす機会を伺うなどという野望は、どうでもよくなっていたぐらいだった。
これで、陸上部を離れられる事にはなったものの、かなり後味の悪いものがあった。上級生達は今迄、散々と面目を潰され続けて来た仕返しを、ここで見事に成功させた。弱き者に対しては心強い味方の筈の、根本によって自滅させられたのだから、まさにそれは、してやったりの同士討ちだった。
「先生ー、もう何やってんのよーっ!」
「どうしたの?えーっ、みんな随分と集まるのが早いわね。」
千秋は責め立てたが、どうにもならない現実だけが残った。そこへ何も知らない藍子と一年生達が、いつも通りの時間にやって来た。
「長井君…。」
千秋が、寂しそうに声を掛けると…。
「先生には今迄、迷惑を掛けっ放しだった。そして、千秋や藍子にも…。でも明日から俺は、俺は自由なんだーッ!」
「ちょっとーっ!長井くーん!」
突然、狂い出した様に意味不明な言葉を残して走り去った。事情が分からない藍子が呼び止めるが、全く聞こえていない様子だった。
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