第5話  たった一人で学園生活

長井が好きな教科は体育、というのは変わっていないが、周りが女子ばかりだと話しが違って来る。男子が一人しかいない為、家庭科と同様、いつも男女統一でやらされていた。

最近は、サッカーの授業が多くなったので、進んでキーパーばかりやっていた。一緒にプレーのしようがないし、それ以前に、サッカー自体が余り好きではなかった。これでは溶け込み様が無かったが、自分が付いたチームの方は、いつも必ずと言っていいぐらい失点が無かった。男という立場上、女子のシュートが止められない訳が無い。

そうやって毎回キーパーを続けている内に、この立場を上手く使って、自分のカリスマ性を高められないかと、よからぬ考えを出す様になった。『どうしてそんなにキーパーが上手いの?』と聞かれれば…。

「どこに飛ぶか分からないラグビーボールを、いつも追い駆けていたから。それに比べたら、サッカーボールを扱うなんてチョロイもんだね。」

そんな事を言っては、常に調子付いていた。サッカー程の知名度は無いにしても『中学校でラグビーをやっていた』という凄さは伝わるので、そういった過去を暴露して迄、自分の安全位置を作るのに必死だった。実際は、単にサッカーをよく知らないだけで、ただ過信しているだけだった。

「ちょっとーッ、女子相手だからって、いい気になってんじゃないわよ!そんなに自信があるなら後半は、こっちのキーパーに付いてよね。絶対に、0点で抑えるのよ!」

その内、相手チームからは、そう言われてしまい以来、授業は前後半をチーム交代での『キーパー屋』をやらされる事になった。生易しいキックばかりだと安易な考えでいたら、とんでもない倍返しが来てしまった。

昼休みに、屋上で一人で弁当を食べるのが、もはや日課になっていた。ここは唯一、誰の目も気にする必要が無い所で、景色を眺めながら食べ終わると、家から持参して来た自前のシートに横になった。

「ちょっと最近、調子に乗り過ぎちゃったかなぁ。新山は今、何をやっているのかな…。真面目に働いているかな?」

毎日が楽しい事と不安の繰り返しだが、どちらかと言えば不安感が募っていた。

「その後、学校に行くんだから大変だろうな。中崎…、あぁーっ!畜生ーっ!」

つい最近迄の事が懐かしいと感じたが、思い出してはいけない範囲迄、思い出してしまった。慌てる様に飛び起きた、まさにその時、突然、後ろから肩に手を掛けられた。びっくりして振り返ると、根本だった。

「ごめんなさいね、驚かせて。いつもここで、お昼を食べていたの?」

「えぇ、まぁ…。」

「良かったら食べない?」

差し出されたのは、今さっき売店で買って来たと思われる、カレーパンと牛乳だった。今、食べ足り無いという程ではなかったが…。

「あっ、ゴメンなさい。お昼、食べ終わっていたのね?」

「いや、まだデザートが…。」

せっかくだからと、遠慮なく受け取った。

「今日の体育、見てたわよ。ヤケに張り切っていたわね。」

「別に、どうせいつもキーパーしかやらされていないんだし。女相手に張り切ったって、しょうがないよ。」

「それは自分が、サッカーをよく知らないだけよ。この学校にはサッカー部があるけれど、その中で一緒にやったら、あなた絶対に通用しないわ。」

「それはどうも大変、失礼しましたね。ハイハイ。」

そう言って開き直ったが根本が、そういった説教をする為だけに、ここに来たのではないと思った。

「ねぇ、ラグビーをやっていたって言ってたけれど、レギュラーだったんでしょう?」

ただでさえ今、せっかく忘れ様としていた真っ最中なので正直、あまり触れられたくはない話しだった。もし、まだこの学校に馴染めていない自分を思っての、単なる話題作りなら尚更、答えたくはなかった。

「レギュラーも何も、部員は試合ができる、十五人ちょうどしかいなかったから。それに中学校では、対戦できるチームなんて中々いなかった。」

実質は、練習ばかりの毎日だった。対戦相手が殆ど存在しない現状もあり、レギュラーも補欠も、そう区別はなかったのである。

「あぁ…。」

根本は、ただうなずくだけだった。同時に、ラグビーが十五人でやるものだという事を今、初めて知った。今度は『高校に入ってからも続ける気は無かったのか』と聞いて来たので、本当は働くつもりだった、とだけ答えた。

その後も根本の質問は続いたが、自分の過去を話す事に抵抗があったので、聞かれた事しか答えなかった。しかも全て単調な返答で終わらせて、余計な事は一切、喋らなかった。次第に、どうして自分の前に、わざわざ現れたのかを何となく察して来た。

「ねぇ、先生。」

「えっ?」

「俺を陸上部に勧誘しに来たんだろう?」

きっと唐突に聞いたら断られると考えて、場を和ませる話しで、ワンクッション置こうとしたに違いない。根本は急に焦り出し、すっかり本心は丸見えだった。

「そ、そうじゃないのよ。ただ、あなたと話しがしたかったから…。」

この実に気まずい雰囲気を、何とか解消しなければと思って発した言葉は、かえって裏目に出た。

「先生、冗談キツイよ。本当にそうだとしたら随分、強引なナンパじゃないか?」

「ち、違うわよ。バカな事は言わないで!私は本当に…。」

「本当に話しをしに来ただけだって?いつも女子生徒ばかり相手にしているから、実は若い男に飢えているんですってでも言いたいのかよ!なら尚更、強引なナンパだ!」

「さっきから、おかしな事言わないで!他の先生に聞かれたら、どうするのよ!」

どうして言うべき事をハッキリ言わないのかと、疑問を投げ掛ける長井と、それを中々言い出せない根本の口論は続いた。

「先生が、嘘言っちゃいけない。どっちみち、勧誘にしたってナンパにしたって、今どきカレーパン一個で釣ろうだなんて…。こんな新手な手段あるかってんだ!」

『いや、ちゃんと牛乳も付けている』と言い返したかったが、さすがに言えなかった。

「この学校に、どうして一人で入ったのかって、みんなは面白がって、そればっかりを聞いて来る。下らない質問だよ。」

「あの時は、オリエンテーションの延長で…、ゴメンなさい。あなたにとって、気に障る質問だとは気付かなかったのよ。」

この学校に入って、真っ先に『その質問』をして来たのが根本だった。それをきっかけにするかの様に、擦れ違う殆どの女子生徒が、自分に同じ質問をして来る様になった。

「別に謝る事なんかない、もう慣れた事だし。それに先生が、こっちの事情を知っている訳がないんだから。」

長井は、この先生にだけは、自分の過去を話しても何も支障は無いと思い始めた。事情を知っている千秋が陸上部に入った様だし、どうせ、いずれは彼女を伝って、この先生の耳にも入ってしまうかも知れない。

「答えてやるよ。ある友達に、この学校の入試の話しを持ち掛けられて…。」

共に受験をして合格したものの、その言い出した張本人は、男子の入学者が他にいない事実を察すると、土壇場になってキャンセルしてしまった。仕方なく、自分も辞退しようとはしたが当時の担任や周りに無理矢理、引き止められ、それが今日に至った結果だった。

「それで良かったんじゃない?棒に振らずに、高校に入れたんだから。」

「何が良かったって言うんだ?元々、高校に入る気なんて無かったし、入れるぐらいの点数も取れなかった筈なんだ。」

それを周りがおだて上げて無理矢理、この学校に自分を入れた。もう学園生活が始まって一ヶ月が経とうとしていたので、その頃になればいい加減、実態が掴めて来る。自分が到底、合格ラインに達していない状態で、入学させられていた事ぐらいは気付いていた。

「そんな事はないわ!あなたは、やれば何でもできるのよ。勉強に自信がないのなら、クラブ活動で頑張ればいいじゃない?」

熱くなった根本は、この屋上にやって来た本当の目的を、うっかり漏らしてしまった。長井は、ただ担任相手という事から、話したくはない過去を話そうと思っただけで、陸上部に入るのとは無関係と割り切っていた。あくまで心を開いたのは、自分の今日に至る迄の経緯を話す事だけだった。

「先生やっぱり、陸上部の勧誘に来たんじゃないか?」

根本は息を呑んだが、しばらくすると、ようやくうなずいた。

「そうよ。どうしても、ウチの部に入って貰いたいの。」

「陸上なら一人でも熱中できるからって、そう言いたいんだろうけれど、そんなに自分は可哀想な人間じゃない。」

以前、千秋からの誘いを保留にしたのも、その理由からだった。ラグビーから遠ざかってしまうという未練も確かにあったが、だからこそ『違う事で気を紛らわせたら?』という誘いが、なんだか同情を掛けられている様で、とてつもなく嫌だったのである。

「そういうつもりで声を掛けているんじゃないのよ!陸上部の顧問としてハッキリ言いたいんだけれど、あなたの素質を、このまま腐らせてしまうのは勿体無いのよ!」

あまりいい言い方ではないにしても、やっと本心を掴んだが、その誘いを素直に受け入れる気にはなれなかった。自分に興味を持ってくれたり、それなりの評価もしてくれている事は、何となく嬉しかった。しかし大会とかの為に利用されるだけなら、お断りだった。

「勿体無いって、どのくらい走れるのかも分からないで…。」

すると否に落ち着いて、笑いながら答えた。

「伊達に陸上部の顧問はやっていないから、分かるのよ私には。第一、その答えは自分が一番、よく知っている筈じゃない?」

さすがに長井は、少しばかり卑屈になった。立場は逆転し、根本は『それ』を追い詰める様に、更に話し続けた。

「サッカーやラグビーをやっている人が、陸上部員より足が速いなんて話しは、別に珍しくないのよ。知ってるんでしょ?自分が、どれだけ走れるのかは自分の体が覚えている筈よ。それを私に見せて欲しいの。」

「結局、先生は分からないんじゃないか。」

脅しを掛ける為の、ただのハッタリを並べているだけだと思ったのも束の間、午後の授業開始のチャイムが鳴った。冷や汗を拭った長井にとって、それは救いの鐘だった。

「とにかく今日の放課後、部室の前で待っているわ。顔だけでも出して、ねっ!」

そう言いながら、念じる様に長井の手を両手で握ると、屋上から降りて行ったが、その後姿に大声で叫んだ。

「絶対に行かない!今日はバイトがあるから、さっさと帰るからなっ!」

すると今度は逆に、こう言い返された。

「練習は毎日やっているから、気が向いたらいつでも来てね。宮本さんもいるから!」

「こっちは嫌だって言っているのに、誰が行くかっていうんだ!」

根本が立ち去った後、そう愚痴を溢しながら教室に戻って行った。そんな光景の一部始終を、実は陸上部の三年生達に、陰から見られていたのだった。

「先生、一体どういうつもりかしらね。一年生なんかに頭下げて『どうか入部して下さい』何て。」

その上級生の内の一人である西尾が言うと、続けて部長をやっている、大原が言った。

「今のが、唯一の男子入学者の長井って生徒ね。もし彼が入部すれば『男子陸上部』ってのが作れるから、先生はソレを狙っているんでしょ。」

「あぁ、なーるほど。」

「感心している場合じゃないわよ!考えてご覧なさい?陸上部の今年の活動費は、もう決まっているのよ。タダでさえ少ない中で、部を維持しているっていうのに、余計な部を作られて、これ以上は減らされる訳には行かないのよ。」

安易な返事をした西尾に訴える様に言うと、もう一人の上級生部員の川崎が、うなずいた。

「あぁ、なるほどね。」

「アンタ達、よく分かっていないみたいね。いーい?もし『男子陸上部』何て作られたら、たった一人に、一気に部費の半分を持って行かれちゃうのよ。分かって返事しているの!」

「えぇっ!それは困るわ。」

今度は西尾が言った。根本の思惑が遂行されてしまうと、自分達の立場が脅かされるのは確実だった。

「別な部って事で、新しく予算が組まれないのかしら?」

川崎が言うと、こう大原は答えた。

「この学校の理事長が、そんな気前のいい訳ないじゃない。タダでさえウチの部は、弱い…。じゃなくって、大会とかに出ていないんだから。」

この陸上部には、他校からマークされる様な部員が一人もいない上、私立高校にも関わらず、推薦入学を一切していなかった。だから希望して入学して来た生徒だけで、何とか実績を残すしかない、というのが現状だった。

顧問の根本が、長井の勧誘に踏み切ったのは、その事態をどうにか切り抜けられる、いい機会だと考えたからだった。せめて県大会にでも出場できるレベルになれば、来年から、この学校で推薦入学が始まるかも知れない。そうなれば大原達が心配している部費の件も、見直されるに違いなかった。

生え抜き部員だけで、打開策を見い出すのが困難である以上、新たなスプリンターの存在が、どうしても必要になって来る。その白羽の矢が立ったのが長井であり、現実は大原達にとってみれば『突如舞い降りて来た救いの天使』みたいなものだった。

『どこの馬の骨とも分からない後輩なんかに、いい所だけを持って行かれたくはない。』

しかし、そういった程度にしか思われていないのが現状でもあり、彼女達は今回の根本の行為を快くは思っておらず、絶対に阻止しようとしか考えていなかった。

「とにかく、あの長井って一年生は、陸上の世界を完全にナメ切っているわ。ラグビーだかアメフトだかは知らないけれど、どんな経歴があろうと、絶対に彼の入部は認めないから…。」

大原は部長として、陸上部の男子部設立には断固、反対の姿勢だった。大会では未だ満足な結果は残せていないものの、顧問の根本には一応、信頼を寄せられて三年目を迎えた。

そんな積み重ねがあったからこそ、やっと部長になれたというのに入って間もない、一年生なんかに根本は頭を下げていた。付き合いが多い自分達より昨日今日、会ったばかりの新米に期待を寄せている姿勢が、どうしても許せなかったのだった。

「でも本人は、ヤル気が無いみたいよ。」

川崎が言った。大原は建前上は、なけなしの部費を半分持って行かれる事や、嫉妬心を棚に上げて長井の入部反対を訴えていたが、本心は違う所にあった。

もし本当に、男子部が設立されてしまうと、『陸上部』で続けて来た部の看板を『女子陸上部』と、変更しなければならなくなる。そうなった時には『陸上部』との名称だけでは、自分達を指すのか長井一人だけを指すのか、判別できなくなるのを恐れていた。そればかりか、設立以来『陸上部』で続いて来た歴史に、自分が部長を務めた代でピリオドを打つ事となり、先代に申し訳が立たなかった。

「大原よ…。永きに渡り栄えて来た陸上部としての名を、お前の代で朽ち果てさせてはならない。また、そんな事態を絶対に阻止しなければならない。『陸上部』は、あくまで『陸上部』として後代に残す事が、現部長の絶対使命だ…。」

燃え盛る責任感からか、そんな先代達の魂の叫びを、彼女は見上げた雲の隙間から、一斉に浴びる幻を見ていた。

『西尾にしても川崎にしても、こいつらはみんなアホだ。そうなってしまった時の現実が、まだ分かっていない。』

部室の入り口に張ってある、現在の表札を変える諸経費にしても、その予算は当然、半分持って行かれた残りから出す事になる。そういった事態が予想されるからこそ、たった一人の一年生なんかの為に、部の改革や再出発を迫られる事を彼女は何よりも恐れていた。

「今後は、どうなるかなんて分からないわよ。今は本人が、ただ『やらない』って言っているだけなんだし。とにかくね…。」

その言い掛けた時、屋上の入り口の方から、とっくに授業は始まっているのに、教室に戻らない彼女達を注意する大声が聞こえた。

「マズイッ!生徒指導部の先生だ!」

川崎が言うと全員、恐ろしいぐらいの速さで、素早く退散して行った。大原は、もし長井という一年生が、とてつもないスプリンターだとしたら…、との不安が離れなかった。顧問が頭を下げて迄、お願いしていたぐらいだから、油断はできなかった。入部を果たされた挙句、部長の自分が先を越されてしまう様な事があれば、本当に面目が立たなくなる。

『男子が相手では、勝ち目が無いからしょうがない。』

それでは済まされず、やはり注意を払わなければならないのは、部の名称変更から生じる、看板の張り替え費用などではなかった。見果てぬ『新入生』という、底力が計り知れないからこその脅威的な存在だった。

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