第4話 愛のエプロン劇場
『聖ドレミ学園』という学校名を、遂に目の当たりにする日がやって来た。ここは、その名前が示す通り絵に描いた様な、お嬢様校に違いない。校門の前迄来た時、これから先に進むのには、ためらいさえあった。
見渡す生徒は当然、女子だらけなので落ち着こうにも落ち着けない入学式で、それもやっと終わった。自分の教室に向かう途中、何気に通り過ぎた職員室の中でさえ、女性教員ばかりだった。『やーれやれ』と溜息を吐いて、ようやく席に着いた。
これから担任の学校説明の様なものを、一時間ばかり受けて今日は終わりになる予定らしかったが、始まる迄は、ただ腰掛けてボーッと窓の景色を眺めていた。
「中崎…、上手く逃げやがって。」
そんな実に、つまらない考えばかりが浮かんだ。やがて、このクラスの担任になる、根本和子という教師が入って来た。
「えーっ、それでは…。唐突ですが一発目に、自己紹介でもして貰おうかしら?では出席番号一番の、長井満和君から…。」
『…!?』と、この時に初めて気が付いた。男子が一人しかいないという、それだけの理由から自分が自動的に、一組の一番にされていた。本当に唐突にも程があり一体、何を言ったらいいのかが分からなかったが根本は、こんな質問をして来た。
「この学校、どうして選んだの?」
『友達の悪ふざけに乗って受験したら、ホントに受かってしまいました。』
ふと頭をよぎったが、まさか『それ』は、どうしても言えなかった。ましてや、その相方には裏切られたので結局、一人で入学する事になりましたなどとは答えられる訳が無い。もし言ったら、この三年間は笑い者で終わってしまうのが目に見えていた。その質問の答えはクラスの女子生徒、そして全校生徒が、聞いてみたいと思っているに違いない。
『よく男子一人で、この学校に入って来れたわね…。』
そう思われている筈だが、そんな好奇心の対象になる事は勿論、望んではいなかった。色々な考えが先走って、一向に口を開かないでいると、根本は質問を変えて来た。
「何か運動はやっていたの?」
「ラ、ラグビーを…。」
「そう。でも中学校にラグビー部があるなんて、あまり聞かないわね。もし良かったら、陸上部にいらっしゃい。私が顧問をしているから。じゃっ、次の人は…。」
やっと自分の番が終わると、再び溜息を吐いた。これから先、こんな緊張感に度々襲われるのかと思うと、気が気でなかった。下校時間になったが、親しい友人がいる訳でもなく、一人で帰り道を自転車をひいて歩いていると、後ろから笑顔を連想させる声が響いた。
「なーがーいー君っ!」
振り返ると、二人の女子生徒がやって来た。
『あぁ…。』と顔を見るなりハッと思い出し、この学校には自分と同じ中学からの入学者が、何人かいたのだった。彼女達は、その母校出身の天野千秋と藤村佳織といって、ギリギリの募集で入学を果たしていた。どうして土壇場になったのかというと、千秋の方は、県内で一位を争う学力レベルの高校を、一発受験していた事にある。
受かる事を前提にしていた為、万が一の第二志望を選択しておくという次の手段を、取っていなかった。受験に失敗してしまった事で、大きな難関が立ちはだかり、新たな志望校を絞るのに時間が掛かって、この学校に辿り着いたのだった。佳織はというと、入校理由が中崎と近いものがあった。
「どうしよう、どの学校にしようかしら?そうだわ!『あそこ』なら勉強なんかしなくても入れるかも知れない…。」
そういった何も考えない、いい加減な理由が彼女を、この学校に導いた。同じ母校の出身者同士とは言っても、本当かと疑問に思うぐらいに長井と、この二人は在学中は殆ど接点が無い間柄だった。クラスも一緒になった事は無く、会話をした記憶さえ殆ど無かった。
「どう?誰か友達できた?」
佳織が言った。彼女は誰とでも良く喋り、まさに日頃から、会話が尽きない止まらない性分だった。千秋とは小さい頃からの親友で、運良く三組同士になっていた。たった一人で、一組に放り込まれた長井にとっては、そんな二人がうらやましかった。学校自体、馴染めるかどうかに不安を感じているので、友達ができるかどうかなど、それ以前の問題だった。
『ちょっと、気に障る質問をしたかも知れない。少し、怒っているみたいね…。』
そう察した千秋が、話題を変えた。ちなみに彼女は、中体連ではトラック競技の常連選手だった。
「ねぇ私、陸上部に入ろうと思っているのよ。良かったら一緒にやってみない?」
「あぁ…、ウチの担任にも同じ事を言われた。陸上って孤独なスポーツだから、そんな部に入ったら返って孤独になっちゃうよ。」
まるで自分の世界に浸るかの様に答えたが、どうしても、素直には受け入れたくない事情があった。陸上なら一人でもできるから、没頭すれば寂しい気持ち何て消え失せると、同情されている気がしてならなかったのである。
「運動しか取り柄がないんでしょ!だったら、せっかくの誘いを断わるべきじゃないわ。一緒に、入っちゃいなさいよ。」
「運動しか取り柄がない!?俺が!?」
佳織は、また余計な事を聞いた。せっかく千秋が話題を反らしたというのに、長井はラグビーに没頭していた、数ヶ月前の自分を思い出してしまった。やはり、かけがえのないものを置きっ放しにして来た未練が、未だに引きずっていたのだった。
「あれっ、長井君?佳織っ!アンタが余計な事を言うからよ!」
しばらく瞬きができない程、動けなくなり、それだけ佳織の一言は心打つ衝撃的なものだった。千秋に言われながら、思いっきり両肩を揺さ振られると、やっと醒める事ができた。
「しっかりして!いーい?あんな薄情な友達の事なんか思い出しちゃいけないのよ!」
「あぁ陸上部ね…、考えてはおくよ。」
「そう、それなら良かったわ。お互い頑張ろうね!」
千秋は、そう励ましてくれた。いつ迄も、仲間に裏切られた過去とかを、引きずる訳には行かなかった。これからは、これからの事を考えないといけない。自転車にまたがって、少し進むと急に立ち止まり二人に振り返った。
「なぁ、俺達は…。友達なのかな?」
「何言ってるの?そうじゃなかったら、こうして話し掛けたりしないわよ。」
「クラスは違うけれど、陸上部で一緒になれたら、もっと楽しく過ごせると思うわ。」
佳織に続いて千秋も答えると、安心感からか少しだけ笑みが零れた。
『カワイイなぁ…。』
そう呟きながら、二人の前から走り去った。出会いや再会の確率なんて、そう高いものではないので、数少ない話しのできる貴重な存在の彼女達を、大切にしようと思った。そんな、ほのぼのした光景に佳織は…。
「ヨロシクやってろよ全く!ねぇ千秋っ!」
「えっ?」
「あの長井ってさ…。」
途端に質問するトーンが下がり、まるで怪しい関係でも探るかの様だった。
「えっ、何?別に私、長井君とは何でもないわよ。第一、話しをしたのは今日が初めてじゃない?」
「そうじゃなくって!彼、これからもずっと、自転車で通うつもりかしら。」
「さぁ…。」
ちなみに彼女達が、この学校を受験しに行った当日は、たまたま別の試験会場行きのバスが同じ方向だった為、運良く乗って行く事ができた。通学している現在は二人共、自宅から、自転車ではなく路線バスを使っていた。
高校生活の初日から、もしかしたら楽しくやって行けるかも知れないと、ルンルン気分で自転車を走らせる長井だった。とは言え今から二十キロ近い道のりを、受験日と合格発表の日と同様に、ペダルを回して行かなければならない。すると必然的に中崎の事を思い出すのだが、そういえば千秋は、その彼の事を口にしていた。やはり、あの薄情な行為の一件は、かなり口コミで広がっていた。
やがて授業らしい授業が始まると、日を追う毎に困った事が幾つも出て来て、代表的なものが体育の際の着替える場所の確保だった。女子は当たり前の様に教室で着替え始めるので、仕方なくトイレや、体育館の倉庫に行かなければならなかった。どうしても圧倒的な人数には勝てず、たった一人の自分は、肩身の狭い思いをしてしまうのだった。
「ここ、自由に使っていいから。」
見かねた根本に、ある日、廃部になって使われていないという部室を宛がわれた。そう言われて入った途端、視界はホコリで塞がれ、お世辞でも『とても綺麗な部屋で使うのが勿体無い』とは表現できなかった。ハッキリ言って汚いを通り越して、自由に使い様が無い。
「これは…、掃除しても無駄だな。」
取り合えず何も無いよりはマシなので、今日の放課後あたりから、少しずつ片付けて行こうと思った。ちなみにトイレは、職員室の隣りの来客用を使わされていた。
「一人しかいないと思ってバカにしやがって、生徒用の男子トイレぐらい作れっていうんだよ。もし男子が沢山、入っていたら一体どうするつもりだったんだ?」
用を足す度にブツブツ呟いては、入る直前、数人の女子生徒から冷やかされた事もあった。
『ここは共学じゃない、女子校だ!』
トイレの中で何度、虚しく叫んだかは図り知れない。本当に女子校以外の何物でもなく、自分が入学した意味が無い様にさえ思えたが、下手すると淘汰されかねなかった。家庭科の授業も始まり、料理は元々こなせる方なので、クラスメートからは珍しがられていた。しかし裁縫となると、まるでダメでエプロン作りは、ただの雑巾になってしまうのだった。
ちなみに共学がスタートした今年から本来『技術家庭』となる筈が、男子が一人しかいない現状から『家庭科』一本のままとなった。あえなく『技術』の科目は導入されなくなり、ここでも授業を、女子と統合されたのだった。
「あぁーあ。二週間もかけて、こんな物しか作れないなんて…。」
ちょうど、家庭科の授業が終わるチャイムが鳴った。みんなはピンクの生地を渡されていたが、自分は男子という事で、一人だけブルーの生地だった。
「うわぁ、こんなに糸が解れちゃってる。これじゃ、雑巾にもならないや。」
提出期限は今日なので、非常に焦っていた。クラス中が続々と『ピンクのエプロン』を提出する中、自分は『青い雑巾』を提出するのかと思うと…、その時だった。
「ハイ!良かったら、これ使って。」
「えっ?」
「私、とっくに終わっていたから。余った切れ端で、ついでに一つ作っていたのよ。」
綺麗に出来上がったエプロンを、とあるクラスメートから差し出された。受け取ってもいいのだろうかと、ためらったが遠慮する方が悪いと思い、結局は受け取る事にした。
「でも、こんなのすぐにバレちゃうよ。」
「大丈夫よ。切れ端を繋げて作ってあるから。ホラ、あちこち継ぎはぎだらけでしょ?これなら、あなたが作ったって言ってもバレはしないわ。」
確かに、これなら自分より評価が悪くなるクラスメートは、いないに違いない。他人に作って貰ったものが、誰かのものより、いい評価を得てしまう事だけは避けたかった。
「ありがとう、宮本さん…。」
『宮本藍子』と書かれている名札を見て、そう言った。
「名前で呼んでいいわよ。何か困った事があったら、いつでも言ってね。じゃあ次、体育だから急いで行かないと。」
そう言って彼女は、小走りで出て行った。こうして優しさを感じる度に、少しずつ、この学校の楽しさを知って行くのだった。
「藍子さんか…、可愛いなぁ。」
千秋の時に続いて、またも同じ感情が込み上げた。『余った生地で作った』何て言っていたものの、どう考えても、これは最初から自分の為に、わざわざ作ったとしか考えられなかった。丁寧にたたんで教壇の机に置くと、自分も着替えに部室に向かった。一件落着と思いきや、この後、重大な問題が起こってしまう事を、二人は気付いていなかった。
『女子に作って貰ったものなんか、絶対バレるに決まっている。』
そう言う以前に、歴然としてバレてしまう要因を、実は藍子自身が作ってしまっていた。長井が提出するエプロンは、絶対にブルーでなければならない。どうしても一枚だけ、その色が交じっていないと、おかしいという事になるのだが、このクラスで提出されたものは全部ピンク色だった。
彼女が『余った自分の生地で作った』のだから、当然の結果だった。結局は、ごまかし切れなくなり後日、色違いのものを提出した長井は勿論、それを手伝った犯人もバレて…。
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