第2話  早朝サイクリング

いよいよ三学期を迎え、始業式が終わって教室に戻った時、みんなが帰ろうとする中、長井は中崎を呼び止めた。

「ねぇねぇ、ホントに受けるの?」

「えっ?」

「だからぁ、その聖なんとかっていう所。」

「あぁ勿論…。でも、それが一体なんだっていうんだ?別に関係無い事じゃないか。」

軽くあしらわれてしまったが、ある言葉を発すると、彼の態度が急変した。

「俺も、その学校を受けてみようと思うんだ。もし、まだ先生に願書とか貰ってないなら、一緒に職員室に行ってくれないか?」

「なぁんだ、そんな事か。別に構わないよ、それじゃあ一緒に…。って、えぇっ!?」

あまりにも突拍子なかったので、すぐには事態が理解できていない様子だった。そこへ『どうしたんだ?』と新山が入って来た。

「長井が俺と同じ志望校を受けたいと…。」

「えぇっ!?」

自分が高校受験をするという話しを、いちいち驚かれる事に、長井はウンザリ来ていた。

「『えぇっ!』って何々だ!俺が受験したら明日、台風でも来るっていうのかよ!」

その声で教室が一瞬、静まり返ってしまった。クラス中の視線が、自分に一斉に浴びせられている事に気付くと、キョロキョロと見渡しながら更に続けた。

「見せ物じゃないんだよ!ホラみんな早く帰って、勉強しなきゃいけないんだろう?」

すると、みんなはガヤガヤと彼等三人だけを残して、教室を出て行った。

「何だって、俺と同じ高校に入りたいって思ったんだ?」

「いや、ただ…。この間のコンパで、みんなと色々話している内に、高校って楽しい所なのかなって思い始めたから。」

どう感じたのかは勝手だが、それを言う前に、肝心の勉強はしていたのかと疑わざるを得なかった。

「それが全然…。だから、これからやろうと思って。」

『聞くんじゃなかった…。』

二人は、ただ呆れるばかりだった。

「散々俺の事バカにしたクセに…。今から勉強したって間に合う筈ないじゃないか?」

「だからさ、一緒に勉強しようと思って。」

何とか同情を買いたい一心で、そんな往生際の悪い事を言ってみたが、先日の二学期の終わりに新山が話したセリフそのままだった。

「前に俺が言った事じゃないか?一緒に勉強やろうって誘ったのを断っておいて今度は、そっちから頼んで来るなんて…。」

「誰も、お前に頼んでなんかないんだよ!俺は、この中崎君に言っているんだ。」

本当に長井は、無責任な言動を繰り返した。

「サイコーだ、サイコーに笑える皮肉だ!確かに俺なんかより遥かにアタマのいい、中崎クンと勉強した方が合格率は高いだろう。お前達二人で勝手に仲良くやってろよ!」

しかし中崎自身は、さっきから『君』付けされている事に、身震いを感じていた。

「勝手に話しを進められても困るんだけど…、とにかく俺は断るからな!第一、お前等なんかと勉強したら、はかどるものも、はかどらなくなるんだよ!」

そうキッパリ言い捨てると、新山が言い返して来た。

「『お前等』って一緒に勉強してくれなんて、頼んだ覚えはないんだ!それに、どうせ勉強なんかしないで受験するんだろう?余裕ぶっこいているぐらいなら、しない時間が勿体無いから、その空いた時間で勉強を教えてやったらいい。せっかく、この大バカ野郎がヤル気を出し掛けているんだから、友達のお願いぐらい聞いてやれよ。」

それは、長井以上に皮肉がこもったセリフだった。

「バカ言うな、ちゃんと勉強はやっているよ。だから自分に手一杯で、教えるヒマなんてないんだ。」

「って事は、別に公立とかも受けるんだ?」

「いや、そんな訳じゃないけど…。」

なんとなく、嘘を吐いているのではないかと察した新山は、尋問する様に追い詰めて行った。もし彼の言う様に私立一本だとしたら、その為の受験勉強などする訳がなかった。元々『勉強しなくても合格できる高校』を模索して、その私立を選んだので、本人の怠慢な性格からして、絶対に有り得ない事だった。

長井も、新山程の奥深い推測はしていなかったが、中崎の落ち着かない態度が、どことなく怪しく感じた。日頃から彼は思い付きで何でも口に出す、いい加減な性格だった。

よく知っていたからこそ、共学になるという高校を受験すると言っているのが、どこ迄、本気なのか分からなかった。とはいえ自分も、その高校の受験を考えたのは、あくまで自らの意思なので、それ以上の追求はしなかった。

「分かった、もう一緒に勉強しようなんて言わない。とにかく同じ学校を受けたいだけだから、試験当日迄、お互い頑張ろう。」

そんな言葉で締め括ったものの、この『気が付いたら互いに責任を擦り付け合う泥沼化した状況』を作り上げた張本人は、長井自身なのである。中崎は落ち着かない返事をすると、まるで難を逃れたかの様に、さっさと帰って行ってしまった。一体、何を慌てているんだろうと新山は、不信感を膨らませていた。

「何か怪しい…。男子が何人、入るか分からない高校を、一緒に受けてくれる仲間が増えたっていうのに、俺だったら泣いて喜ぶけどな。」

長井達が通う中学からは、その高校の志望者は女子も含めて、まだ一人もいなかった。この時の長井には新山に対して、ある疑問が浮かんでいた。とっさの判断で今の中崎を鋭く追求したり、普段の授業はノートをきっちり執っていながら、どうしてクラスの成績は、下から二番が限界なのかという事だった。

『そこ迄、考えられるアタマを持っていながら何故?』

そんな事を口に出したら、またいつぞやの乱闘になりかねないので、必死で口を抑えていた。まともに殴り合いのケンカなどしたら、絶対に勝てない相手だという事を、よく分かっていたので、何気に話しを戻そうとした。

「よっぽど、俺と勉強するのがイヤだったんじゃないかな。」

「いや、それはないと思うけれど…。そこ迄、薄情な奴じゃないし。あっ、高校入ろうと考え直したなら、俺と同じ定時制を受ければいい。あいつなんかについて行くよりは、俺の方が信用できるだろう?」

『一応考えておく』とだけ答えると後日、口約通り中崎と揃って願書を提出した。やがて自分達の中学の中では一番早い、試験日を迎えるのだった。

「このペースだと、遅刻してしまう…。」

ある朝、河原の道で自転車を走らせながら、長井は息を切らして呟いていた。受験日の当日、遅刻寸前という状況下に自らを立たせてしまっていたのだが、もう一人…。

「おーい、お前も遅刻だなぁーっ!」

後方から聞こえて来た声に振り返ると、自分と同じく、急いで自転車を走らせている中崎がいた。急に加速して来て、みるみる自分の真横に並んで来た。自分の中学校から受験先の高校迄は、約二十キロもあった為、本来なら試験会場へは送迎が出る筈だった。

「バカみたいに、のん気な事を言ってんじゃない!本当に遅刻なんかしたら、試験が受けられなくなるんだ!」

余裕を持って家は出たつもりで、さすがに長井も、そのぐらいの準備はわきまえていた。今日の受験者が、自分達二人しかいない理由が大きく響き、送り迎えしてくれる空いている車は、学校から出なかった。人数が多い行き先なら、大型バスでも用意されていたに違いないが、当然の様に各自行動を取らされた。

この日、元来は女子高にも関わらず、第一次の受験者が校内では、男子二人だけという現実を知る事となった。肝心の女子が一人もいないのは、どういう訳だとの不満や叫びは、見事にかき消されたのである。

「あーっ昨日、勉強し過ぎた!もっと早く寝ていれば良かった!」

睡眠不足の上に朝っぱらから、この想定できなかった長距離を自転車で移動するのは辛いと、そう聞かせるかの様に長井は言った。机に噛り付く度に眠くなってしまい、とても勉強どころではなくウトウト就寝に入ると、今度は緊張して眠れなくなるという悪循環に襲われていた。一応、努力らしい努力はしていた分、心構えは中崎よりはあった。

「せめて、電車で行けたら良かった…。」

まるで、睡眠不足を自慢し合うかの様に中崎は呟いたが、ちなみに駅に着いてから今度は、かなり歩かなくてはならなかった。有効な移動手段は、自転車しか残らないという事になり、そうこうしている内に長井は、かなり中崎を突き放して走っていた。

「先に行っているから後は会場で会おう!」

「おい、お前だけ先に行ったってしょうがないんだよ!俺が遅刻したら、そっちだって困る事になるんだぞ!」

「えーっ!?」

「だからーっ、俺の遅刻も、お前の評価に入るって事だよ。分かってんのかーッ!それに困っている仲間を助けるのが、ラグビーの鉄則だろう。」

「知らねぇなぁ、一緒に勉強してくれなかった奴の言う事なんて。」

「悪かった!俺が悪かったから、もうちょっとだけ、ゆっくり走ってほしいんだよ。」

意志が挫けたら、何事も終わってしまうと一方的に諭し、何とか五分前には試験会場に着く事ができた。二人の席は共に、とある教室の一番、後ろになっていたが窓側と通路側という、端っこ同士だった。

「おいっ、おーいっ。」

窓側の端に座っている長井が、通路側の中崎を呼んだが彼は、この期に及んで参考書とかを読みあさっていた。試験開始迄、後もう一分も無いというさ中だった。

「なんだよ、うるせーなーっ!」

「女ばっかりで男子は俺達だけみたいだ。」

「一次試験だからだろう。二次に入ったら、もっと増えるに決まっているから、とにかく話し掛けるな!」

参考書から目を離す事なく、長井に返答し続けた。確かに他の学校からも男子の受験者はいないが、最後の悪あがきにと今更、参考書にむさぼり付いている彼にとっては、どうでもいい事だった。

お互い小声で喋っているつもりでも、こうも席が離れていると、大きめで喋らなければ相手に届かず、声は教室いっぱいに響いていた。ふと二人が正面に目をやると、黒板にデカデカと『騒ぐ者は即退場』と、新たに書き足されていた。言う迄もなく自分達に対して書かれたもので、小数でも同校生が離れた席に設定されるのは、こういう対策の為だった。

同じ学校の生徒同士なら、席を隣りにしても良さそうなのだが、あえて二人の席の間は、途方もなく離されていた。その間には点々と、他校の女子が入り混じって座っていたが、辞退者が多いのか空席が目立ち、見渡すと受験者は女子でさえ少なかった。私立の一次試験とはいえ、大概な定員割れだった。

いよいよ試験開始となり、そこから二人は、教科の間の休憩時間さえ喋る事はなくなった。まるで人が変わったかの様に、眼つきが鋭くなっていたのだが、これも昼休憩になると…。

「さっきの計算、ちょっとミスったかも知れない。そっちはどうだった?」

「それよりも漢字が予想外の所ばかり出て、ホント焦った。」

前半を終え、弁当のゴハン粒を吐き散らしながら、無理に中崎に波長を合わせる様に答える長井だった。当然、予想内の漢字が出る程、範囲は狭くはない。中崎は見栄とかではなく、どうしても分からなかったり本当に間違った箇所を、理解はできていた。

長井に至っては、やっぱり分からない所は分からないままで、つい一時間前にどんな問題が出たのかさえ、全く覚えていないくらいだった。模擬試験に期末と中間テストと、何とか必死で勉強らしい事をして、ようやく全教科の合計点が、中崎の二教科分に追い着く程度だった。昨日迄の受験勉強にしても、何から手を付けたらいいのか分からず、緊張の余り睡眠不足で迎えていた。

そんな学力を知ってか知らないでか、中崎が計算問題をどうのと話し掛けるのは、非常に筋違いだった。『予想外の漢字問題』と、つじつまを合わせる様な事を言ってはいるが、実際は、全てが常に『予想外の問題』だった。

「そろそろ切り上げないと…。午後の一発目は英語?そっちにとっては、そんなに不得意な教科じゃなかったっけ。」

そう言うと中崎は、自分の席に戻った。長井にとっての英語とは、もう理解不能な世界だが、それでも苦手意識は無く『不得意ではない』のは事実だった。それは、誰もが認めざるを得なかったからなのだが一体、何故に周囲をうならせていたのかと言うと…。

もし社会や国語などの選択問題なら、分かる様な分からない様な曖昧さがアダとなって、結局はハズレを選んでしまう事がよくあった。他にも、どれを選ぶかで悩んでいる内に、タイムオーバーになってしまい、他の問題に移れなくなる時さえある。長井自身、そんな罠には、かなりハマり続けて来た経験があった。

ところが英語になると、ちょっと事情が変わって来る。元々、問題自体が何を言っているのか分からないので、何も考える事無く、スラスラとペンが走ってしまうのだった。

やたらと記号選択の問題だけが当たり、これで全体の約四割を稼ぎ、普段の平常点を保っていた。勿論、純粋なテストの点数だけでは赤点になってしまう為、新山には及ばないが、普段からノートはキチンと執っていた。

「今迄は、ただ単にツイていただけ。命運も、ここ迄だ。」

志望校を左右する試験の場で、まぐれ当たりが救ってくれる訳が無いと、表向きは労いを掛けて笑ってはいても、裏腹な思いを呟く中崎だった。『心掛け』あっての成績維持だが所詮は、いい加減なやり方が、ここでも通用するものではなかった。

仮にも昨夜迄は一応、机に向かっていたので、そう思われる程、運ばかりには頼っていなかった。『緊張して眠れなかった』で終わってしまったものの、取り組む姿勢があっただけ、前日のギリギリ迄、マンガばかり読んでいた誰だかとは違った。午後の二教科は終わり、もう長井にとっては多分、二度目は無いと思われる高校受験が無事に終了を迎えた。

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