王女が王女を脱ぐ朝
「まぁそういうことなんですよ。ライザラールの西の端。ミョルナー地区ですね。あそこの草山羊亭って宿屋です。そこに一か月滞在予定って言ってましたよ」
会うとしたら、オワサワール皇国の王女としてではなく、ただのロワーナ=エンプロアとして面会すること。
その理由は理解出来た。
そして会うだけなら問題ない。
しかし、会って、それで終わりになるだろうか?
ロワーナは自問自答を繰り返す。
小さい頃から可愛いと言われ続けてきた。
自分を見て喜んでくれる者がいると普通にうれしいものである。
それを鼻にかけるわけでもなく、誰かを貶すわけでもなく、間違いを指摘されれば修正し、喜んでもらえたらその長所を伸ばす努力を続けてきた。
成長していくにつれ、目立ち始めた体のある特徴に気付く。
肘についた、王家の紋章のあざのような物。
曲げても伸ばしても捻っても、つまんでも擦っても隠しても
その紋章を象ったあざの形は崩れないし隠れない。
王家の者にしか出ないあざ。
それに気付いてからは、彼女に関心を持つ者が増え、その誰もが皆好意を持って接してくるようになった。
冒険者、魔術師、学者を育成する施設での修めるべき科目はすべて優秀な成績を残す。
その結果を得られる努力する姿は、本人には分からずそれを見る他人にしか分からない魅力も存在する。
多くの者から好かれるようになっていくロワーナ。
その人気をやっかむ者は一人もいないが、疎外感を持つ者は時々現れる。
自分に好意を持つ者達ばかりではなく、ロワーナはそんな者達へも優しく手を伸ばす。
しかし彼女は、そんなことは誰でもすることだろうと感じていた。
決して誰もが出来ないことを、ごく当たり前に出来ていた。
だから多くの人に親しまれる理由が見つけられない。
そのことを指摘されても納得は出来ない。
気が付けば周りにたくさんの人がいる。
誰もが親しみを持って接してくれる。
けれど自分の気付かないことにその原因はあるのだろうと無理やり納得するけれど、急に自分の周りからみんなが去ってしまったら自分はどうなるだろうという不安にも苛まれる。
「そんなことあるわけないじゃない」
「お前はお前らしくしていればいいんだよ」
周りはみんなそう言って、自分を安心させようとする。
その気持ちはうれしいけれど、周りに人がいなくなったらどうすればいいか、それは誰も教えてくれなかった。
王と王妃である両親から聞かされた。
直接交流する者に好意をもたらす力を持つその紋章のおかげで、一族は王に選ばれたこと。
そして王家の血縁が薄くなればなるほどその紋章も薄れ、その力も薄れていくことを。
もしもこの紋章がなかったらどうなっていただろう?
ロワーナはそんな不安を口にする。
紋章の力が及ばないこともある。
所有者の性格や体質などがそう。
だから紋章がなくても、彼女のような心根であれば、そこまで心配することもないのだが、紋章が宿るのは本人の意思によるものでなければ、神経が細やかであればそんな思いを持つのも仕方のないことだろう。
そんな不安や悩みを抱えながらも、養成所、訓練所を卒業し、王家の一人として成長し、それに見合った責任ある役職に就くことになる。
そんな日々の中、首都の治安を維持するために巡回する役目を請け負うことが多くなる。
国民との親睦を図る意味もあったのだろう。
あるいは、市井の生活がどういうものかを王族の一人として知るべきという王家の方針もあっただろうか。
時々街中で些細なトラブルと遭遇することがある。
穏便に解決するために自らその現場に向かい、体を張ることもあった。
紋章の力の影響か、さらにその場が荒れることはなかった。
しかし後にも先にもあのようなことはなかった。
街中で大勢の冒険者達が何者かを責めている。
混乱を治めるために毅然と割って入る。
いつものように円満に事を収められると思っていた。
いつまでもその諍いは燻り続けた。
いつもとは違うことの成り行きに内心焦るが、取り繕いながら部下に指示を出す。
そして幼い頃のことを思い出す。
童話か何かの読み聞かせで覚えていた『混族』。
空想上の存在と思っていた。思われていた。
まさか実際に目にすることになるとは思わなかった。
そしてその場から、誰からの介添えもなく、よろめきながら一人去る彼の後姿。
そこに、心の中にずっと残り続けている不安を解消してくれる答えがあるのではないか。
治安を守るという名目はいい隠れ蓑になった。
いや。
その不安は消えることはない。
そう諦めて胡麻化して、そしてそのまま放置してきた。
だから、その男の素性を調査させたのは無意識にその不安に立ち向かう行為だったのかもしれない。
その男を自分のそばにいる様にさせたのは、その不安に対して何かをするべきだったはずのことをその男に縋り、その不安から逃げようとしていただけだったのかもしれない。
ホワールからギュールスの消息を聞き、その日の夜は一晩中自分の心を見つめ直す。
ただ会いに行きたいという思いだけではなく、今後の自分の生きる道を定める意味でも、彼の生き様をこの目で焼き付けておきたい。
「……国を離れる?」
「はい。レンドレス共和国の再生が完了した今、腰を据えて魔族の討伐に力を入れるべき。それは世界共通の課題、いえ、国際問題です。そして魔族にとって、国境など何の意味も為しません」
ここ一年、魔族が現れた途端に絶命するのは、自然にそうなったのではない。それが当たり前なのではない。
エンプロア家が国民から慕われるのはこの紋章のおかげであり、当たり前ではないように。
誰かが紋章の役目を背負っている。しかし紋章との違いは、その何者かはその役目を果たせなくなる日が来るということ。
その働きを見定めその力を解明した暁には、必ずこのオワサワール皇国に戻り、その結果を皇国、そして世界に生かすことを、父親である皇帝と兄である元帥に誓った。
「……お前を今まで見てきたが、国内で何かをやってるよりそっちの方が性に合ってそうだもんな。……戻ってくるまで王家の脛を齧るようなことをしない限り、俺はお前の思う通りに動いていいと思うぜ?」
「……ワシらだけでなく、亡くなった母親の墓前にもその誓いを立ててから向かうがいい」
兄からは普段と変わらない軽い口調。
父からは口数少なく、見送りの言葉をかけられた。
王宮の中庭にある母親の墓の前で手を合わせ、そして竜車も馬車も使わずに徒歩でミョルナー地区に向かって出発する。
ここに戻ってくるまでは、国とも王家とも縁を切る身。そんな恩恵を受けられる立場ではなくなった。
王宮の門の外では、元第一部隊の七人の見送りを受ける。
王女の親衛隊は、王女がいなくなるのだから別の部署に配属される。
彼女達は王女の所属ではなく、国と王家の所属。
それにロワーナはこれからはただのロワーナであり、誰かを養えるほどの財力も権力もない。
戻ってくるまでの別れ。しかし彼女達には、本人ですらいつ戻ってくるか分からない。
ひょっとしたら戻ってこれるかどうかも分からない。
それでも彼女達は全員笑顔である。
ロワーナの希望する道を選び、そして戻ってくることを信じて疑わない。
ロワーナと七人の間には交わす言葉はない。その必要もない。
前を見て胸を張り、そのまま進むロワーナ。
何も言わずにその姿を目に焼き付けんばかりに見守る七人。
朝日の中、それぞれがそれぞれの道を進む。
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