サクライロ

怜 一

サクライロ


 遠くまで吹き抜ける春風になびく、漆のように黒く美しいロングヘアー。

 映る世界がキラキラと輝いて見えているかのような、純粋な瞳。

 触れたら、そのまま沈んでしまいそうに柔らかい桜色の唇。


 教師である私は、自分が受け持つクラスの女子生徒―――天川 織に一目惚れをした。


         ×


 天川さんに女子生徒に一目惚れをしてから、二度目の春がきた。

 今年も天川さんがいるクラスを受け持つことになり、また一緒になれる喜びと天川さんから離れられない自分に対する自己嫌悪で、すでに疲労困憊だった。


 「はぁ…。どうすればいいんだろう、私」


 昼休みの時間は、殆どの生徒は食堂へ行ったり教室で昼食を取っているので、廊下にはあまり人がいなかった。

 その、人気のなさに油断してしまい、誰にも言えない愚痴を少しだけ溢してしまった。


 「先生、なにか困りごとでもあるのですか?相談にのりますよ?」

 「そうなのよ。実はさ、恋愛のことで困りごとが…って、えぇ!?」

 「キャッ!」


 いつのまにか、私の横に並んで歩いていたのは、その困りごとの原因である天川さんだった。天川さんは、私の大声に驚き、壁にもたれ掛かったまましゃがみこんでしまった。

 私も慌てて屈んで、天川さんに手を差し伸べた。


 「いきなり大きい声出してごめんね!大丈夫?」


 天川さんは、照れくさそうに笑い、私の手を借りて立ち上がる。


 「いえ。私こそ、急に声を掛けてしまいましたから。先生を驚かせてしまったみたいですね。すみません」


 気品さえ感じさせられるほど、丁寧なお辞儀で謝られてしまった。


 「全然っ!謝らないでいいからっ!大丈夫だからね?」

 「そうですか。先生のご迷惑になっていないのなら良かったです」


 天川さんはニコリと微笑む。

 天川さんは、そのあまりに綺麗な笑顔を見せてくれたのだから、むしろこちらが感謝したいくらいだ。

 

 「それでは、私は失礼します」


 そう言って、会釈をして去ろうとする天川さんの指に紅い輝きが見えた。


 「ちょっ!」


 私は、慌てて天川さんの左手を掴み、少し強引に引っ張った。

 左手をよく見てみると、薬指の第二関節より下の部分が少しだけ切れていた。


 「大変!保健室で絆創膏貼ってもらわなきゃ!」


 私が、天川さんの白くキメ細かい肌を傷つけてしまった。私があんなに驚かなければ、天川さんは指を切ることなんてなかった。そもそも、学校で愚痴を溢すなんてことをしなければよかった。いくらなんでも自分の間抜けさに腹がたつ。できることなら、今すぐに自分の指も切ってやりたい衝動にかられる。しかし、それよりも今は天川さんの傷を治さなければ。


 急いでいた私は、天川さんの手を握ったまま引きずるように保健室まで連れてきた。


 「すみません。生徒が一人怪我を…って、誰もいないじゃない」


 仕方ない。私が手当てをするしかない。


 「天川さん。傷を水で洗ったら、そこのソファに座っていてくれる」

 「ぁい…」


 天川さんは、少し元気がなさそうに俯いていた。

 そんなに傷が痛かったのか、と心配になり、と同時に自分のやってしまったことに対しての罪悪感に胸が痛くなる。

 

 「消毒液と絆創膏は…あった。それじゃあ指を見せて」


 天川さんの前にかしずく。そこに、おそるおそる差し出された天川さんの左手は、細かく震えていた。

 それを見た瞬間、私の両手は、その震えていた左手を包み込んだ。


 「ごめんなさい。天川さんのこんな綺麗な指を傷つけてしまって。私、なんて謝ればっ…?」


 見上げると、そこにはのぼせたように顔を赤らめた天川さんの顔があった。


 「ぁ…ほ、ホントに。大丈夫ですから。あや、謝らないでくださ……ぃ」


 天川さんの視線は、縦横無尽に動き回っており、明らかに様子がおかしかった。

 私は、いったいどういう状況かは分からなかったが、ひとまず応急措置をすることにした。


 「はい。これで大丈夫かな。どう?痛くない?」

 「はぃ…」


 天川さんの消え入りそうな返事が、空しく消える。

 しばらくの間、二人とも口を開けなかった。

 天川さんは、ずっと俯いたまま、両手を組んで人差し指同士がぶつからないようにグルグルと回転させている。視線は定まらずキョロキョロと保健室を見ているだけで、私に視線を合わせない。


 数十秒後。

 天川さんは、私と一緒にいるのが気まずいのではないか、という考えにたどり着いた。

 ずっと同じクラスだったとはいえ、天川さんとお喋りできる機会は少なく、遠目で眺めていることのほうが多かった。

 そんな打ち解けてない先生と保健室で二人っきりなのは、確かに気まずいはずだ。ここは名残惜しいが、もう別れるのが天川さんのためだろう。


 「えっと、それじゃ私は」

 「せ、せんせぇ」


 喉から必死に絞り上げたか細い声が、私の言葉を掻き消した。


 「さっき仰ってた、困りごとの事なんですけど…」

 「え?あ、あぁ。聞こえちゃってたんだ」


 一番聞かれたくない相手に聞かれてしまった。


 「あの…。先生は、好意を寄せている方がいらっしゃるんですか?」


 私の心拍数が一気に上がった。

 まさか、私が好きな人からその質問が飛んできてしまうとは夢にも思っていなかった。

 心臓の音が鼓膜を支配する。呼吸が荒くなる。作った笑顔が苦しくなってくる。

 私の頭の中は、すでに真っ白になっていた。


 「い、いる、よ」

 「その方は、一体どういった方なのですか?」


 貴女ですよ、なんて口が裂けてもいえない。しかし、いるといってしまった以上、後には引けなかった。

 私は、少し呼吸を整えた。


 「えっとね、その人には一目惚れだったの。去年の春に初めて会ったんだけど、とってもスタイルが良くて、綺麗な顔立ちで、あぁお人形さんみたいだなって思って。それで、その人とは少しだけ会話できるようになったんだけど、でも、遠くから眺めてることが多くてね」


 私は、天川さんの横に座り直す。


 「でね、ある日、たまたまその人が花壇のお花に水を上げているところを見たの。それから毎日その花壇を見ていたんだけど、その人は一日も欠かさないで、お花のお世話をしていたの。そういったところとか、普段の様子を見ていても、きっとこの人は優しいんだろうな。あったかい人なのかなって思って、ますます好きになっていったの」

 「告白をしようとは思っていないのですか?」

 「できることなら告白したい…。でも、残念ながら色々問題があってできないの」

 「問題、ですか?それは一体なんですか?」


 天川さんが、少しだけ身をのりだし近づいてきた。

 天川さんが学校の花壇で育てているラベンダーの心地よい香りと天川さんの甘い香りが混ざり、私の脳髄を掻き乱す。

 思いっきり抱き締めて深呼吸したい衝動を必死に押さえつけ、話を続ける。


 「んー。それは内緒」

 「何故ですか?」

 「教師は、あまり生徒にこういう話をしちゃいけないの。さぁ、はやく戻らないと休み時間が終わってしまうわ」


 話を強引に切り上げ、席を立とうとした瞬間、右の袖が強く引っ張られる感触がした。


 「待ってください」


 天川さんが、今まで見せたことのないほどの真剣な目付きで見つめてきた。そのあまりの剣幕に私は驚きを隠せず、息を飲んだ。


 「ど、どうしたの?なんでそんなに聞きたいの?」

 「…」

 「別に理由はなんだっていいのよ?それとも、なにか言いたくない理由なの?」

 「本当に…。本当に、なんでもいいんですか?」


 すがるように見上げてくる天川さんは、まるで許しを乞う仔犬のようだった。


 「えぇ。本当になんでもいいわよ」

 「それが―――」


 天川さんは、私の右手をその小さく柔らかい両手で力強く握りしめた。


 「それが、私が先生のことが好きだからという理由でもですか?」


 この言葉を聞いた時の私は、一体どういった表情をしていたのだろうか。きっと、さまざまな感情が渦巻いて醜い顔になっていたに違いない。

 私も天川さんが好きだと伝えてしまいたいが、しかし、その本能に対して理性が邪魔をする。


 「それは嬉しいけど、私は教師で天川さんは生徒よ。それに同性だし」

 「そんなこと、私には関係ありません」


 天川さんは、不安を振り切るかのように必死に答える。


 「大体、なんで私なんかのことを好きになったの?」

 「私も一目惚れでした。先生は覚えていないかも知れませんが、この学校に入った頃、慣れない道に迷っていた私に声を掛けてくれたのが先生でした。その時の先生がとても格好良くて。それから先生のことが頭から離れなくなって…」


 道を案内したのは、正直下心もあったし、相手に惚れた理由が私も似たような状況なので一切彼女を否定することができなかったし、する気もなかった。

 天川さんの肩が小刻みに震えはじめた。


 「た、確かに周りの人からはあまり良い反応はされないと思います。ヒッグ。先生には、教師という立場があって倫理や規則に従わなければいけないというのは、グスッ。理解しています。でも…。エグッ。ヒック。どうしても!どうしても、この気持ちを伝えたくって!」


 天川さんは、想いの丈を吐き出すように叫んだ。

 天川さんだってなにも分からない人間ではない。むしろ、冷静に賢明な判断を下せる人間だ。その彼女が、立場や性別を越えて、こんなにも必死に伝えてきてくれたのだ。その姿を見て、どれだけ天川さんが思い悩んだかを察することのできない私でもなかった。


 ここで、教師の立場を利用して逃れることは容易だろう。だが、辛く苦しい想いを伝えてきてくれた彼女に対して、本当にそれでいいのか。本当に、自分を偽ってしまっていいのか。

 私だって。私だって―――。


 「天川さん、顔を上げて」

 「は、は―――」


 私は、泣きじゃくってボロボロの天川さんの額にキスをした。すると、なにが起こったか理解できないのか、天川さんの顔がピタリと止まった。


 「こういうのって年上から伝えたほうがいいと思ってたんだけど…。先、越されちゃった」

 「えっ?えっ?」

 「私の好きな人は、天川さん。貴女よ」

 「あれ?それって、もしかして…」

 「えぇ。そういうことになるわね」

 「ということは、えっと、あの、つまり」


 挙動不審な動作で慌てふためきだした。

 小動物のようなところも、また愛おしい。

 捕まえてしまいたいと思った私の本能を邪魔する理性という鎖は、もうすでに取り払われていた。

 私は、天川さんの背中に両腕を回し、ゆっくりと抱き寄せる。


 「ふふっ。捕まえた」

 「あれ?あれ?あれ?」

 「スゥ―――。貴女とラベンダーのいい香り。ずっとこうして、思いっきり嗅いでみたかったのよね」

 「す、少し、恥ずかしい…」


 香りは鼻腔を突き抜け、頭蓋の中に満ちていき、脳が甘くしびれる。

 私には、もうなにも怖いものはなかった。

 天川さんのうなじから顔を離し、天川さんの潤んだ瞳と視線を合わせる。


 「天川さんが好きだって伝えてくれたの、すごく嬉しかった。泣いちゃうくらい一生懸命になってくれて。だから、私からも伝えたい」


 きっと、この先にどんな将来が待ち受けていようとも後戻りはできないだろう。でも、そんなことはもう関係ない。私は、天川さんと歩む将来が欲しいと願ったのだから。


 「私は、天川さんのことが好きです。どうか私と―――」


          ×


 あれから一年が経った。

 私達は、昼休みに生徒の眼を盗んでは誰もいない保健室に入って、二人だけの時間を過ごしている。

 今日は、心地よい日差しで微睡むために、二人でベットで潜り込んでいた。すると、私の腕を抱き込んでいる織が寂しげに呟いた。


 「私、もう来年で卒業なんですね。先生と学校でこうやってしていられるのも、あともう少し…」

 「そうねぇ。受験勉強もあるし、こういう機会は減ってくるかもね」


 織、私の腕を更に強く抱き締めた。


 「イヤです…。もっと、ずっとこうしてたいです」


 最近は、こんな調子で寂しそうに甘えてくる。あぁ。こんな可愛い織の顔が見られると、あの日、告白できて良かったと心底思う。

 私は、空いている腕で織の頭を撫でた。


 「大丈夫。卒業したって私はずっと織と一緒よ」

 「はい…。せんせい」


 私は、眼を瞑った織に顔を近付け、桜色の唇にキスをした。










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サクライロ 怜 一 @Kz01

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