終幕までのコンコルド②
帰りの新幹線はこっちに来た時とは違い停車駅が少なく、圧倒的に早く戻ることが出来た。
来る時とは違い会話もまばら。わたしからは昨日の事が妙に気恥ずかしく話しかけにくく、えーちゃんはいつも以上に真面目な雰囲気で何かを考えているようで話しかけてこなかった。
そうして、私達のすんでいる場所の最寄駅に着き次第、えーちゃんとわたしはタクシーに乗って、えーちゃんの家の付近までそれで移動した。
「ヒナが来る事を伝えてないし、どうなるかは分からないから、裏口から入ろう」
そう言ったえーちゃんは私を裏口に案内し、わたし達は裏口から入った。
えーちゃんはわたしを自室に連れて行き、待機しているように言った。どうやらこれから親を説得しに行くらしい。
えーちゃんを待っている間、何をしたらいいか分からなくなった。
スマホを持っていないので、何かをして待つということはなく、誰もいないので話をして待つということもない。
ただ壁にかけられた時計を見ていた。
一番長く細い針が何週もして、次に長い針が一周した頃、えーちゃんの声が聞こえた。
「ヒナ」
「えーちゃん?」
部屋の外からだった。
「話は終わったの?」
「うん、でももう少しそこにいて、私はもう少しやる事があるから」
「分かった」
「戻って来たら、大切な話があるから」
そう言って、えーちゃんはこの部屋から離れて行ったようだ。
そして、またやることはなく、時計をじっと見ている。
二番目に長い針が半周したあたりで、えーちゃんは戻ってきた。
「待たせてごめんね」
帰って来た時とは別の服に身を包んでいる。
「あれ? えーちゃん着替えた?」
「うん、少しね」
よく見ると、えーちゃんお髪の毛が少し湿ってる気がする。
「お風呂に入って来たの?」
「よく分かったね」
「うん、髪の毛濡れてるみたいだし」
「少し乾かしきれなかったみたいだね」
軽く手串をしながらえーちゃんがそう言う。
「髪の毛は大切にしないとだよ、えーちゃん」
そうは言ってみるものの、内容としてはそれなりにブラックジョークな気がしないでもない。
そう言った事を気にするほど私たちは時間を多くは持っていないだろうから。
「それで、大切な話なんだけど」
「そうだったね。何の話をするの?」
えーちゃんが言っていた大切な話。なんとなくだがその話の内容は予想がつく。
「私たちが死ぬ日についてだよ」
「やっぱり、そういうことなんだ」
「うん」
死ぬ日について。
今まで、意図的に「死」という言葉を避けてはいた。それが凄く近くにあると知っているし、祖手がもうすぐ近くにあるんだと強く意識してしまうから。
「それでね、少し難しいことになってね。最近お金をいっぱい使ってることとか、学校を休んでいる事とか、私も説得しようとしたんだけど、やっぱりだめでね。陽菜の事も話せず仕舞いだったし、陽菜には悪いけど、ここに居ることは家の人には内緒だから、この部屋からなるべく出ないようにして」
「うん、分かった」
「それでね、ヒナ。良く聞いて。私たちは、昨日までのような楽しい生活は難しくなりそうだから。今日で最期だと思う」
言葉の意味は分かる。凄く簡単な話。
「それってつまり」
「うん、明日が一番いいと思う。私たちが死ぬには」
「……そっか」
「うん」
死。それが目前にある。でも、まだ避けられる距離だ。
「そのね、えーちゃん」
実のところ今に至ってまで少し迷ってはいる。
「わたしはどうしたいんだろうか分からなくなっちゃったんだ」
「死にたくなくなったって事?」
「それはちょっと違うかな」
死にたいという思いが全て消え去ったわけじゃない。多分、昨日までの楽しい煌びやかの日々が続く限りは死にたくはないだろうし、行きたいと思うだろうけど、それが普通じゃない日々なのは知っているし、それまでの日々に戻るということを考えると、きっと死にたいというのは間違いじゃない。
「じゃあ、迷ってるって事」
「うん」
でも、生きていれば、昨日までの四日間のような日を過ごせるときだって訪れるだろう。だとするならば、生き続けることも出来るんじゃないか。そう思ったから、迷ってしまったんだ。
「そっか……」
「うん」
しばらく沈黙が続く。
最初に悩みを打ち明けた時もこんな感じだった。始まりも沈黙があったが、この沈黙はその時以上の重さがあった。
「でも、駄目なんだよ、ヒナ」
「……そっか」
その言葉の意味だって知ってる。だってそう言うことだからこその楽しさだったんだから。
「じゃあ、やっぱり最初の通りって事だね」
「うん」
もう沈黙は破られることはなかった。
沈黙の中時は流れていく。
私たちはお互いに何をするわけでもなく、ただ、沈黙の中で生きていた。
その沈黙が破られたのは日が沈んだ後だった。
「ヒナ」
「なに」
「ありがとう」
「……」
そんなやり取りが、沈黙を破ったのだった。
「わたしの方だよ、お礼を言うのは」
「それでも、ありがとう。私もお礼を言いたいの」
「そう……じゃあ、どういたしまして」
「うん」
「それでね、ヒナ」
「うん」
「明日は、飛び降り自殺をしようと思うの」
「うん、どこから飛び降りる」
「地下鉄のホーム」
「そっか」
「うん」
「……」
「……」
「……」
「いろんな人に迷惑かけちゃうね」
「うん、そうだね。でも、私達はもう関係ない」
「うん」
「だから、最後にほとんどの人が経験できない、飛び降りでもしてみよう」
「うん、そうだね」
そこに大きな思考はなく、頭の中で思い浮かんだことを保留して整理することなく話すだけの会話。そんな会話だが、最後の夜にはちょうどいいように感じられた。
取り留めのない会話。それが続いた。
未来はどうなるか。将来の夢。この先どうやって生きて行くつもりだったのか。未来の話をした。存在しないその未来の話をいっぱいした。
「陽菜」
「なに、えーちゃん」
「ごめんね」
「うん? うん、別にいいよ」
「ありがとう、ヒナ」
「うん? うん、どういたしまして」
そんなやり取りを最後にそのまま私たちは眠りについてしまった。
結局最後の日となるその日の前日は、いつも以上にさっぱりとした終わりを迎えた。でも、そのさっぱりとした日を悪くないとも思っていた。
案外最後の日なんてものはこう言ったものなのかもしれない。もし親戚が降ってきて世界が滅ぶってなっても、こうやってえーちゃんと存在しない未来の話をして盛り上がる訳でもなく、沈むわけでもなく、なんでもなく話がすすんで、そのまま寝てしまいって、寝てるうちに世界が滅ぶんだろう。
あー、もっとえーちゃんと一緒に楽しく過ごしたかったな。
こんなことを思っていた。
私はなんで死のうなんて考えたんだろう。本当に馬鹿だな。楽しかった四日間だって、きっと人生長く生きていれば何回でも経験できただろうにな。
あーあ、本当に馬鹿だなぁ。
本当に引けなくなってからこそ、妙な後悔ははっきりとして来る。
引けない引けないといいながらも、今日ここに至るまでは、なんやかんやで、後悔は、そのれを塗りつぶす言い訳でぼやけて見えなくなってしまっていた。でも、えーちゃんと本当に取り留めもない話をして、そう言った言い訳がなぜか全部消えてしまったのだ。
本当に馬鹿だなぁ……。もう、終わる以外何もないって言うのに……
それに、分かっちゃったから。今更になって分かったことがある。
気づいてしまったから。それに。
珍しく、わたしより先に寝ているえーちゃんを見る。
そうなんだよね、えーちゃん。
思い返せば、いくらでも気づける場所があったはずだ。
気づかなかったのは、わたしがほんとはえーちゃんの事を見ていないかったからなのかもしれない。
わたしは馬鹿だなぁ……
自己嫌悪にはつながらない。
悪い事はしていない。
ただ、もう少し早く気付けていたらどう変わっていたのか気になるだけである。
何も変わらなったかもしれないし、もしかしたら、もっとずっと楽しく過ごせたかもしれない。それももっと長い時間の間を。
こうなったのはやっぱりわたしの所為なんだろう。後悔はしているが、何かを間違えてきた結果じゃないのはなんとなく分かる。ある種の納得もあるけど、そこには諦めもある。多分、後悔はその諦めに対する感情なのかもしれない。
このまま寝れないまま夜が明けてしまうのだろうか。
寝てしまったら、いつの間にかエンディング間際になっていそうで、それがいやで目を閉じることが出来合ない。瞬きにさえも恐怖を感じるほど。
何かを考える訳でもなく、かといって寝る訳でもなく。ただ、横になっている。何かをしてしまえば時が進んでしまいそうだから。
けれど、何もしていなくても時間は進んでいく。別に起きているからといって、周りの時が止まる訳ではない。そんな当たり前のことは分かっているが、それでも眠ってしまえば時が進んでしまいそうで、寝ることが出来ない。
そうした時間が進めば、何も頭に浮かべるつもりはなくても、勝手に頭は今までの色々を映し出してくる。
頭に何かが浮かんで何かを考えてしまえば、時が進んでしまう。努めて何も考えないように頭に浮かぶ色々を消しては浮かんで、消しては浮かんで。
こんなことが無意味と知っていても、それでも抵抗せずにはいられなかった。でも、繰り返すうちだんだんとそれも弱くなっていき、気付けば自然とそれを受け入れてしまっている。
出会いから今まで色々な事があった。本当に色々なことが、でも、それが終わってしまう。もう終わってしまう。
まるで子供の様だ。
楽しい時間に終りが来てもまだ帰りたくないと駄々をこねる子供そのもの。
終わるわたしの世界にさよならをしたくないと駄々をこねる子供そのもの。
当たり前の終わり方だろうし、それに至るには当然に道を歩んできた。だから終わってしまう世界にさよならをするのは当然で、世界が終わってしまうのも当然だ。
もうすぐ、わたしという小さな人間が見てきた小さな世界が終わる。隣で寝ているえーちゃんの世界もまた同じく閉じて終わる。
その行為が一般的にどれほど愚かであるかなんて知っているけれども、その方向を見てその目的地にたどり着くことを前提としてわたし達を乗せた乗り物は走り出していたんだ。だから、そこに辿り着くのはいたって普通で、おかしなことでは無い。他の誰かがどれほどにそれを間違いと思っていても、わたし達の中ではそれが一つの正解で、わたし達の世界ではそこが最終点として決まっていたんだ、だから、きっと高尚なはず。この世界では正しいはずなんだ。
そう決めて、ずっと動いていたはずなのに、なんで、なんでこんなにも……なんでこんなにも、わたしは、今、それを……拒んでいるのだろうか。
わたしは自分がしたことが間違いだと思っているのだろうか。
それでも、もう動きだしたそれは止まることなく終わりに向かっている。
それは誰にも留めることはなく。
そして、私もいつのまにか夢の世界に落ちる。
時は進む。
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