曲事へのファーストペンギン⑥
確か近くでそこしか空いてないという理由で私はそこそこ良い幼稚園にいた。そこでの生活もあと一年といった年長の頃の春にえーちゃんはやって来た。
えーちゃんのお爺ちゃんが資産家で凄いお金持ちでその時の組の子供たちとは立ち振る舞いなど違うとこをが多くあって、お母さんがアメリカの人なので見た目からも少し日本人とは違った雰囲気が感じられた。当時はそこまで詳しくは分からなかったのだけれども、親の話や雰囲気でお金持ちで外人のお母さんがいるって事くらいは分かっていた。
でも、組で何よりも目立ったのはえーちゃんの名前。日本人らしい名前の中に、明らかに日本人らしくない部分が混ざっていた。
『雨夜 Alexandra 美代子』
それがえーちゃんの名前だった。当時から凄かったえーちゃんは漢字とアルファベットを使い、自分で名前をホワイトボードに書いた。だが、当然ながら読める児童はいなかった。
それじゃあみんな読めないよ、と先生に言われて、『あまよ
入って来た最初の数日はみんなえーちゃんに質問したり遊びに誘ったりしていた。だけれども、えーちゃんは当時も今と大きく変わらず、クールなところがあって、どこか大人びていた。でも、みんな仲良く賑やかな組であったその態度は受け入れられなかった。1週間もすればみんなえーちゃんへの興味は薄れ、2週間もしたら組での異物感が大きくなっていた。
えーちゃんは冷たいだとか、一緒に遊んでも楽しくないとかは言われていたが、整った見た目と組の誰よりも良い頭を持っているえーちゃんに馬鹿に出来る場所はなかった……ただ一点を除いて。
組の皆はえーちゃんの名前を馬鹿にし始めたのだ。
ある程度大きくなれば、それは馬鹿にするものでない事くらい誰でも分かるだろうけど、園児であればそうもいかない。普通じゃない部分は凄いと褒められるか馬鹿にされるかのどちらかだ。
たぶん、英語の話をした時にローマ字について、先生がちょっと話したのがきっかけだったんだろう。アルファベットのAをローマ字読みで『あ』と読むことを聞いたその日のお昼の時に誰かが言った。アホ美代子って。
正面から言う子はいなかったけど、裏ではみんな、アホと呼んでいた。その頃にはもうえーちゃんに話しかける子も少なくなっていて、わたしをふくめて二人か三人くらいしかいなかった。だけれども、そのうち他の子はどんどん話しかけるのをやめて行って、ひと月もする頃には私一人だけになっていた。
自分で言うのもなんだけど、あの時の私はそれなりに組では人気者だった。だから、えーちゃんがみんなに嫌われないように、「仲良くしよう」と呼びかけていたが、一緒に遊んでいて面白くないという理由から、結局はみんなえーちゃんから離れて行き、途中からは一緒にいたらアホになるとか、菌が移るとか、そう言う子どもならではの理由で離れて行った。
そして、ある日事件が起きる。組の子の大切にしていたキーホルダーが無くなったのだ。多分紐が外れどこかに落としただけだったと思うが、この時点でえーちゃんは組の皆からあまりにも嫌われ過ぎていたのだ。だからだろうか、また誰かが言った。「アホが盗んだ」って言ったのだ。
それを皮切りに、みんなえーちゃんに対して、泥棒だの、アホだの、犯罪者だの、と酷い言葉を浴びせかけはじめた。先生が異変に気づき止めに入った頃にはもう大分遅かった。大人びているとはいえ、まだ幼いえーちゃんはついに泣き出してしまった。声も殺しているし、俯いて周りに見せないようにはしていた泣いていた。ぽたりぽたりとしずくが落ち、隠せないほど泣いていたえーちゃんを見ていられなくなって、皆に事情を聴きだしている先生や、それにちして色々言っていたみんなの目を盗んでわたしはえーちゃんを連れ出して外に出たのだ。
「そうだったね。わたしが、えーちゃんを連れ出して、皆の目から逃げるように外にある土管の中まで連れて行ったときの話だよね」
「うん、あの時からだよ。ずっと陽菜の事が好きだった。その後の男の子からの告白なんて全部薄っぺらく感じるくらいに嬉しかった」
「そう言われると少し照れくさい、かな」
「陽菜が私の事『えーちゃん』って、呼んでくれたあの時から、ずっと一緒にいてくれるって言ってくれたあの日から、私はずっとあなたと一緒にいるって決めたの」
えーちゃんの事をあの日まではずっと『みよこちゃん』と呼んでいた。でも、アホって呼ばれた切っ掛けがローマ字なのを知っていたから、じゃあ、逆英語読みしてやればいい、そんでもってそこを強調させてやればいいって思って、土管の中で言ったんだ。『えーちゃん』って。
こんな名前嫌だって、言ったえーちゃん。もう名前を変えたいって言ったえーちゃんに、『じゃあ、わたしが新しい名前を付ける』っていって、付けたのがそんな安直な名前だったんだよね。それでも、えーちゃんが、どうせ離れ離れになったらそんなの無駄だー、みたいなこというから「それなら、わたしあ、みよこちゃん、ううん……えーちゃんとずっと一緒にいる」って言った。その時は深く考えていなかったけど、まさかその言葉が原因で、えーちゃんが自分の親に頼んでまで、私立じゃなくて私と同じ市立の小・中学校に来るとは思わなかった。
「この辺でいいかな」
えーちゃんの足が止まる。
昔の事を思い出しているうちに、いつの間にか人気のないガード下まで来ていたようだ。
「はは……いつの間にかこんなところ」
「あの時は、私もそんな感じだった。陽菜に連れられて、いつの間にか土管の中にいた」
「こんな感覚だったんだ」
「うん」
来るときはえーちゃんばかり見ていた所為か、昔を思い出していた所為か、どこを歩いてきたのかも全く覚えていない。
「せっかくここまで来たけど、もう涙止まっちゃった」
ここまで連れてきてくれたえーちゃんには悪いけど、ちょっと無駄足かも。昔を思い出したり、こうやってえーちゃんが手を引いて歩いてくれたと考えれば全然意味はあるけども。
「ちょっと、無駄足だったね。ごめんね、せっかく人が少なさそうなところまで連れてきてくれたのに」
「ううん、大丈夫。本当の理由は違うから」
そう言ったえーちゃんは私の手を強く引っ張った。
不意な力に抵抗は出来ずそのままえーちゃんの方に倒れるように引き寄せられる。そのまま、えーちゃんに受け止められて、抱きしめられた。その次の瞬間、えーちゃんの顔がすぐ目の前にあり……唇が柔らかいものに触れていた。
何をしているかなんて考える間もなく分かる。
えーちゃんは私を抱きしめたまま、少しだけ顔を離した。
「人がいるとこう言った事が出来なから。私は陽菜を連れ出したのはこれが理由」
「あ、う……」
体温の上昇を感じるのは、抱き締められいるからじゃないのは確実だ。
「やっぱり照れている陽菜も可愛い」
「え、え……えっと、は、恥ずかしい」
視線をどこに向けたらいいか分からないままキョロキョロしていると、えーちゃんのホールドから解放された。
「あと少ししたら迎えに来るころだし、げーむせんたーの近くまで戻って、晩ご飯でも済ませよう、陽菜」
「うん」
そこからは何をしているかも分からなかったが、次に意識がはっきりした頃にはマグロと共に自分の家の玄関にいた。晩御飯に結構いいものを食べたような気もするけど、味も思い出せなければ、見た目も思い出せなかった。えーちゃんとの会話の返答も「うん」「ううん」くらいしかしてない気がする。
これは、本当に夢じゃないのだろうか。本当に現実なのだろうか。
まだまだ一日目。これから……どんな日々が続くのだろう。
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