茹でガエルのこころ④


 次の日の朝。昨日少し早く寝たのもあって、すっきりと目覚めることができた。


 相変わらず、心のもやは晴れずすっきりとはしないのだが、眠る直前よりは多少はマシな気もする。


 服を着替え、尻尾を二つ作り、朝ごはんを摂ったら、今日も一日が始まる。


 何か考えているような考えていないような、そんな感じで歩く。そうしていると、すぐに学校に着く。その少し思考はぼんやりとしたまま教室の自分の席まで向かった。


 考え事をしていると、時間が早く進む。席に着いてからも少しの間、いろいろと考えていた。その思考に意味は特にないのはわかってはいるのだけど、時間の流れが速ければ、もやもやの溜まる量も少しは少なくなる気がするから、考えている時間は楽であった。


 そうしていると、朝のSHRショートホームルームの時間がやってくる。宿題の提出。昨夜のそのそと終わらせたそれを提出する。うちの中学校だし仕方がないと言ったら仕方ないのだが、提出率は半分くらい。受験前になったらもう少しは提出率が上がるのだろうか。そんなことを思いながら、教室の風景をぼんやりと眺めていた。


 そんな風にぼんやりしていたら、今日も学校が終わる。


 いろんなことをしたといえばしたのだろうし、考えたといえば考えたのだけれども、終わってから振り返ると別に大したことはしていなかったりする。終わってみれば一瞬というやつである。たぶん。


 そして、帰りのSHRショートホームルームも終え、わたしはえーちゃんとともに学校を出た。


 少しばかし、ともに歩いて、周りからほかの生徒も結構いなくなった後、わたしは、えーちゃんに向かって手を出した。


「えーちゃん、えっと、その……手、つないでもいい……かな?」


「うん、いいよ、陽菜」


 えーちゃんは手を差し出して、手を握ってくれた。


 そうして、手をつないだまましばらく歩いて、わたしは一つの決心を決めた。


「えーちゃん」


 えーちゃんのほうに顔を向け、そう声をかける。


「なに? 陽菜」


 えーちゃんもこちらの方を向いて、わたしたちは目と目が合う。


「その、相談、してもいいかな?」


「何を? 勉強のこと?」


 わたしが相談したいのは、わからない。何かもやもやしたもの。このもやもやのこと。だが、なんて言ったらいいのかわからない。


「その……なんていうか、わたしのことかな? えっとなんて言ったらいいんだろう」


「分からない?」


「うん、なんて言ったらいいのか……その、わたしの中でもやもやっとしたものがあるっていうかなんていうか……」


 自分でも何を言っているかわからない。これじゃあ、相談も何もない気がする。おとなしく取り下げようとした。


「うん、いいよ」


 でも、えーちゃんはそう答えた。


「私でいいならヒナの相談に乗りたい。私を頼ってくれるなら、私は嬉しいよ、ヒナ」


「ありがとう、えーちゃん」


「ううん、いいよ、私もヒナに相談されるならうれしいから」


 えーちゃんはそう言って、微笑みかけてくれた。


「それで、ヒナ自身もよくわかっていないってことは、多分長くなりそうなんだよね」


「う、うん。分からないけど。たぶん」


「それじゃあ、私の家に来るといいよ」


 そういうと、えーちゃんは少し足を速めた。


 いつもより歩き。だけれども、新鮮な時間は長く感じるものであって、いつもよりも長く歩いている気がした。ゴールがえーちゃんの家だから距離だってずっと短いはずで、早歩きな今日は歩いている時間だってずっと短いはず。なのに……今までで一番長い中学からの帰路に感じた。


「着いたよ、ヒナ」


 そう言って入口の門をくぐり、わたしを敷地内へ引っ張るえーちゃん。


 えーちゃんはいつも通りなのかもしれないが、わたしは慣れない。こんな大きなお屋敷なんて入るだけで少し緊張する。そういえば小さなころは何度かえーちゃんの家で遊んだような記憶もあるが、最近はめっきり訪れることがなくなったような気がする。程度、理解力や常識が身に着けば、えーちゃんの家ほど位が高い家は少々入りにくくなるのだ、それが庶民であれば庶民であるほど。


 玄関の扉を開け、わたしを中に招き入れる。手をつないでいるので、それに従って入っていくしかない。わたしはえーちゃんに連れられて、待合室らしき場所、ではなく、実際に待合室として使われている部屋に連れていかれた。


「少し家の人と話をしてくるから、陽菜はここで待っていて」


 そういって、えーちゃんは部屋の外へ出ていった。ここまでつないでいた手はここで離される。


 これほど大きな家というのもあって、一人で待たされると少し不安になってくる。なんというか場違いな気がするのだ。えーちゃんがいても少しは感じざるを得ないレベルなのだ、一人で待たされたのなら、とうぜんそれを強く感じてしまう。とりあえず落ち着こうと椅子に座るも、あまり気が休まるわけでもなかった。


 悪い意味で時間を長く感じる。早くえーちゃんが戻ってこないかとそわそわしていると、この部屋の入口の扉が開かれる。


「お茶をお持ちしました」


 部屋に入ってきたのは、執事服を身に着けた見覚えのある初老の男性。いつも車を運転してくれているおじさんだ。


 目の前にお茶が差し出される。


「あ、ありがとうございます」


「いえ、こちらこそ」


 そう言って、運転手さんはこちらに顔を向けた。


「いつもお嬢様がお世話になっております」


 にっこりとした笑顔を見せ、優しい口調でそういった。


「え、いや、そんな……むしろわたしがいつもお世話になってばかりで」


「いえいえ、そんなことはありませんよ」


 彼はそういうと、扉の方に向かって歩いていく。


「これからも、お嬢様のことをよろしくお願いしますね」


 運転手さんはそう言って、扉を開け部屋から出ていった。


「これからもよろしく……か……」


 えーちゃんとこれからもずっと一緒にいられるのなら、ずっと一緒にいたいとは思う。けれど、お世話になってるのはわたしだ。わたしと一緒にいることで迷惑が掛かっているんじゃないかって、たまに思ってしまうことがある。


 えーちゃんが望むならずっと一緒にいられるし、それならわたしもうれしいけど……


 わたしとえーちゃんとの未来。それがどうなるかなんてわからないけれども、可能な限りは隣にいたい。


 程よく熱いお茶に口を付けながら、えーちゃんのことを考えていたら、再び部屋の扉が開いた。


「ヒナ、ごめん、待たせた。さ、私の部屋に行こう」


 そう言って入ってきたのはえーちゃん。


「えーちゃんの部屋?」


「うん、そうだよ」


 えーちゃんはそういうと、わたしの手を取って、歩き始めた。


 手を握られているのもあるが、えーちゃんの部屋の位置も知らないので、ついていくしかない。わたしはえーちゃんに先導されて、歩くことにした。


 お屋敷の中を歩きながら見て回るが、やはりとても広い。何度かえーちゃんの家で遊びに来たことはあるが、たいていは大きな庭にいて、中に入った回数は数えるほどもない。洋風なのもあって、まるでお城にでも来たかのような気分にさせられる。


 高そうなシャンデリアに、上品そうなカーペット、壁に飾られている額縁に入った大きな絵。どれもここが海外のお城と錯覚させる原因となっている。


「ヒナ、着いたよ」


 ファンタジー世界のようなお屋敷の中をしばらく歩いていると、えーちゃんが足を止める。


「じゃあ、入って」


 そう言って、部屋の扉を開けるえーちゃん。その中に広がる光景は、まるでお姫様の部屋のようであった。


 わたしの家の今より広い部屋には高そうな絨毯が敷いてあり、ここに来る途中で見たような高そうな絵も飾ってある。それに何より天蓋付きベッドだ。天蓋だけでもものすごく高そうに感じるレベル。天蓋付きのベッドなど現実で見たのは初めてだ。実在していることにちょっとした感動を覚える。それに、サイズもすごく大きい。うわさに聞くキングサイズというものなのだろうか。たぶんこのサイズ感がきっと天蓋付きベッドをファンタジーへと昇華させている。


「陽菜? どうしたの? 私の部屋、もしかして、何か変?」


 なんて、一人でファンタジーの世界にいると、えーちゃんに現実に戻される。


「ううん、そういうわけじゃないけど、なんか……すごいね」


「そうかな? 私はずっとここに住んでるからいつも通りに感じてるのだろうけど。陽菜がそういうのなら、多分そうなのかも」


 そう言いながらもえーちゃんはわたしの手を引く。高そうな絨毯の上を土足で歩くのはすごく申し訳ない気はするのだが、多分気にしていたら精神が持たなそう。とりあえず、値段だけは聞かないでおこう。


「少し、ここで座って待ってて」


 わたしをソファーに座らせて、えーちゃんは部屋にある冷蔵庫から瓶に入った水を取り出した。水とはいえ、多分わたしの知っている水とは違うんだろう。おそらくわたしが普段飲んでいるジュースよりも高いはず。


 冷蔵庫の上にあるコップを一つと、先ほど冷蔵庫から取り出した水を手にえーちゃんが戻ってくる。


「ごめんね、水しか出せないけど」


 えーちゃんはジュースとかそういうものを多分飲まない人だから、おいていないんだと思う。それに、その水だった、水しか出せないとかそういう言葉を付けなくてもいいくらいの物であると思う。


「気にしないでえーちゃん。こっちは相談してもらう立場だし」


 コップに水を注いでから、わたしの隣に座るえーちゃん。


「そう、それ、相談もいいんだけど、ねぇ、ヒナ」


「な、なに?」


 なんか今日のえーちゃんはいつになく積極的に感じる。


「今日は泊まっていかない?」


「え? えーちゃんの家に?」


「うん……私の親からはさっき許可をとったから、ヒナさえよければだけれども……」


 さっきえーちゃんがどこか行っていたのはそういう理由だったのだろう。


 それはそれとして、えーちゃんの家に泊まれるのは割とレアなことだと思う。えーちゃんの家はあまりにもわたしの家と違いすぎて、少し落ち着かないところはあるけど、でも、えーちゃんの好意だし泊まれるなら泊まってみたい。


「ちょっと、親に確かめてみるね」


 わたしは、こっそり学校に持って行っていたスマホを取り出して、電話帳からお母さんに電話を掛ける。『美代子ちゃんの家に泊まる』と伝えると、大した反対はなくあっさりと許可をもらえた。


「うん、大丈夫だったよ」


「じゃあ……」


「今日はお邪魔になります!」


「うん、わかった」


 すこし強張っていた口元を緩めながら、えーちゃんがそういう。わたしも多分口元が少し、いや、だいぶ緩んでいるかもしれない。


 それも当然、今日はえーちゃんとずっと一緒にいられるのだ。二人で。


「じゃあ、陽菜の相談は、晩御飯でも食べ終わった後にゆっくりと話せばいいよ。一晩もあれば、きっと話しきれるでしょ?」


 わたしのために、そこまで考えてくれていることがうれしい。うれしくてたまらなかった。


「そうさせてもらうね。えっと、ありがとう、えーちゃん」


「ううん、こっちこそ、ありがとうね、ヒナ……」


 えーちゃんがわたしにお礼を返してくれる。えーちゃんにお礼を言われるようなことをしてなんかないと思うけど……


「うれしいよ、私は。陽菜が私に相談してくれたってだけで、十分うれしい」


 わたしの心を読んでか、えーちゃんがそういう。


「だから、迷惑かけてるとかそういったことは思わなくてもいいよ、ヒナ。私は、ヒナのためなら何でもできるから」


「なんか……面と向かって言われると、ちょっと恥ずかしい……かも。」


 すごいうれしいのは嬉しいんだけど、それ以上に、なんか恥ずかしい。むむむ。


「照れてるヒナも、可愛いよ」


 そう言いながらえーちゃんはくすりと笑う。やっぱ、恥ずかしい。


「晩御飯までもそれなりに時間はあるし、先に宿題でも済まそう」


「う、うん……」


 おそらく顔が真っ赤で、非常に恥ずかしいのでうつむき気味に首を縦に振った。

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