6話-⑤



「イーヴァ、終わったのか?」


 長い問答の末、穴の空いた翼を広げ空へと飛び去っていった【御使い】の姿を眺めながら、俺はワイヤレスイヤフォンを介し、イーヴァへと確認を取る。


「ああ、終わったぞナツヲ」

「分かった。すぐに行く」


 イーヴァからの返答を待たず、俺は一方的に繋いでいた通話を切り、隠れていたビル内部の階段を駆け下りる。


 俺たちは、無事窮地を脱せた! これで心置きなくイーヴァと共に外出できる! そんな晴れ晴れとした気持ちを抱きながらビルを出て、空き地で佇むイーヴァの元へと駆け寄る。


「ッ、はぁ……失敗しなくて、よかった」


 嗚呼、イーヴァはちゃんと此処に居る。首を切り落とされてもいない。


 目の前でしっかりと存在しているイーヴァを見て、安堵した俺。そんな俺に向かってイーヴァは自身の白い手を伸ばすと、ぽんぽん、と頭を撫でてきた。


「うむ。ナツヲのおかげで、生き残れたぞ」


 「助かった」と、俺の頭を撫で続けながら礼を言ってくるイーヴァ。だが突如として、そんなイーヴァの身体がシューッと小気味よい音を立てて縮みはじめた。


「お、おい、イーヴァ! いったい何が……!」

「なに、エネルギー切れだ。【御使い】との戦闘用に幾分か溜めてはいたのだが、尽きたらしい」


 風船から空気が抜けるようにして徐々に縮み、最早見慣れてしまった『幼体』姿となったイーヴァ。そんな幼くなったイーヴァの様脇に手を入れ、俺はその身体を抱き上げる。


「む……、ナツヲよ。私は別に幼子ではないのだから抱く必要はないのだが」

「不満なのか?」

「否。むしろナツヲとの接触面積が広いのは、ひどく心地よいから不満ではないぞ」

「お、おう……」


 否定されることは無いと分かってはいたが、逆に真正面から肯定されるとなるとそれはそれで恥かしい気持ちになってしまう。


「私としては四六時中お前と一緒に居たいのだがなぁ?」

「あー……」


 このままこの事を話題にし続けると、イーヴァと出会った当初のように、また四六時中まとわりつかれてしまうことになりかねない。


 そんなことには二度となりたくない俺は、話題を変えるため「ってかイーヴァ。どうしてお前、【御使い】なンかにSNSとかゲームを勧めたりしたンだ?」と、イーヴァに質問をした。


「ふむ、日中ナツヲがいない時、アレはたまに私の様子を見に家の近くまで来ていたからな。暇なのだと判断し、勧めてみた次第だ。アレにならいくらでも迷惑かけても良いだろう? それにアレは、何らかの方法でストレスを解消すべきだからな」

「ストレスを解消?」


 まあ、あの【御使い】は始終苛々しているようだったから、何かしらため込んでいるのだろうとは判断が付く。だがどうしてそんなストレスを【御使い】は抱えていたのだろうか。


「アレは……部下の育成スキルが著しく高いようでな。【御使い】に鍛えられ、伸びた元部下たちが自身を追い越してゆくのが、どうにも気に入らないらしい。しかも【御使い】は自身の育成能力が高いことも、自身がその部下たちに慕われていることも知らないのだ」

「でも【御使い】の言葉から察するに、仕事を奪うって、言ってなかったか?」

「……アレは働き過ぎなのだ。そうでもしなければ正気を保てなかったのだろうが、ソレを理解できないあの【御使い】の部下たちは、過労死寸前のアレから仕事を取り上げた」

「あー……、なンていうか、思いやりの空回り、ってやつか」


 その人の為にやったことなのだが、その結果恨まれることになり、挙句の果てには勝手に「嫌われているのだ」と思い込まれ余計に躍起になられてしまう。そんな悪循環が容易に目に浮かぶ。


「それに……」


 俺に抱きかかえられているイーヴァが言葉を区切り、真っ直ぐ俺を見つめてくる。


「アレは……リソースとして有用だからな」

「はぁ……?」


 イーヴァが今言った言葉の真意は分からない。だがそれでも、イーヴァにとってあの【御使い】は何らかのメリットがある存在らしい。まあ、イーヴァに人殺し、ならぬ『御使い殺し』などはさせたくない俺としては、イーヴァがアイツを殺さなくて良かったと思う。


「ああ、そう言えば俺、他にもイーヴァに訊いておきたいことがあンだけど」

「ふむ、なんだ? ナツヲ」


 イーヴァに訊きたいこと。ソレは、【御使い】がイーヴァに自らを殺すよう嘆願した時に放った、【御使い】の言葉の意味だ。


「【御使い】が、間接的にだけどイーヴァの信者たちを殺して、故郷を奪ったのか? それに、アイツ、俺に危害を加えたって……」


 「少なくとも貴方は私が疎ましいはずです! 貴方の信者共は、我らが主上たる神を崇める信者に殺されたのですよ! それに貴方が住みついているあの家の子供にも私は危害を加えました! 貴方には、私を殺すだけの理由があるはずです!」そう、ワイヤレスイヤフォンから聴こえてきた【御使い】の言葉。ソレは、俺に疑問を抱かせるには十分すぎる代物だ。


「……アレは自らの【神】と敵対する【神】……アレに言わせれば『邪神』を殺す任務を与えられた【御使い】だ」

「【神】と敵対する【神】を殺す、【御使い】……」

「『神殺し』の方法は多岐にわたるが、アレらが使う方法としては『邪神』を崇める信者を惑わし、【神】の神格を著しく落とし弱らせ、殺すのが定石だろう」


 信者を惑わし、神格を落とし弱らせる。だからイーヴァは間接的であれど、あの【御使い】に信者たちを殺され、そして故郷さえ奪われたのか。


 だが、俺にはあの【御使い】に危害を加えられた覚えもなければ、惑わされた記憶もない。


「先日、お前は自らの不注意により『魔』に魅入られただろう? アレはあの【御使い】の一部だ」

「でもアレは、俺を襲っただけで、アンタには何も被害はなかったはずじゃ」


 それこそあの時の出来事は、今でも俺の記憶にしっかりとこびりつき、鮮明に思い出せる。


 自販機下の影、身体を苛む熱、イーヴァへの苛立ち。そして、俺に対してだけは何処か優しかった印象のあるイーヴァからの痛いほど教え込まされた『折檻』にも似た教訓。


 そしてそれらを思い出すのと同時に、俺はあの時俺が抱いた、俺ではない誰かの感情も思い出す。


 ――嗚呼、その金の目で、私を見るな!


 ――まるでこの世すべてを見透かしそうな、そんな目で、私見つめるな!


 俺に魅入った『魔』があの【御使い】の一部だと知った今ならば、あの時に抱いた感情の昂りこそあの【御使い】が抱く、イーヴァへの心情そのものだったのだと頷ける。


 だが、所詮はそこまでだ。ソコからどうやって俺に入り込んだ『魔』がイーヴァに危害を加えたというのだ?


「ナツヲ。お前はあの時、私を噛んだだろう?」


 その言葉だけで俺が分かるとでも思っているのだろうか。それともあるいは、その噛んだという事象そのものこそが、危害だとでも言うのだろうか?


「いや、それだけじゃ分かンねぇよ」

「むぅ……、ならば補足するが、お前の左目に寄生せしめんとしていた『魔』は眼内および顔内の血管を経由。そしてお前の唾液に混じり、噛みつくことで開いた私の体内に侵入した。その作用の一部として、お前は歯痒さを感じていただろう?」


 そう、俺はあの時言い知れぬほどの激しい歯痒さを感じて、イーヴァの首に歯を立てたのだ。


 けどその衝動に負けてしまったが故に、イーヴァの神格を落とすことになったのだとしたら――俺はとんでもないことをしでかしてしまったのではないだろうか?


「ナツヲ。お前が気に病む必要はない。あの行為を許さねば、『魔』は根深くお前の眼内に潜み続けていたことだろう」


 「無論。ナツヲが私を噛まずとも、お前が疲弊し寝入った頃を見計らって眼球ごと根深く潜んだ『魔』を引き抜くのもやぶさかではなかったのだがな」と恐ろしいことを、さも当然のことのように言ってのけるイーヴァ。しかもその幼い手が、まるで名残惜しげに俺の左瞼に触れてくる。


「それに何より、私は既に落ちているからな。『魔』に侵食されたところで、もはや意味は無い」


 イーヴァは既に落ちている?


 その言葉の真意は、イーヴァの過去について微塵も知らない俺には理解できない。だがそのことを深く訊いてもいいのか分からない俺は、それ以上は触れず、沈黙し続ける。


 ……少なくとも俺は、イーヴァとはそれなりに仲良くなっているとは思っている。だが、イーヴァの方はどうだ? 数百年どころか千年は生きていてもおかしくないコイツにとっては、俺との生活など、瞬間的な物でしかないのではないだろうか?


「そう、お前と私は瞬間的な……あるいは刹那的な関係でしかない」

「ッ!」


 そんなことは、分かりきっていることだ。イーヴァに指摘されなくても、俺はきちんと理解している。


「だがな、それで構わない。いや、以前まで間違え続けていた以上、今は刹那的でなくてはならない。そうでなくては、もはやナツヲはナツヲでなくなってしまうからな」


 左瞼を撫でていたイーヴァの冷えた幼い手が、俺の頬を滑り、やわやわと揉みしだく。


「例え私にとってお前との関係が刹那的であろうとも、お前は私にとっての永遠だ」

「ッ、アンタは一体何処でそんな殺し文句みたいな言葉を覚えてくンだよ!」

「ころしもんく?」


 どうやらイーヴァには自分で言った言葉が、恋人相手に囁きかけるような代物だという自覚が無いらしい。不思議そうに小首を傾げながら、金の双眸で俺をまっすぐ見つめてくる。


 そんなイーヴァの顔から、その殺し文句が本当に無意識で、無自覚ながらに発された代物なのだと理解した俺は「いや、気にすンな……」と自身の発言を訂正する。


 ……イーヴァにとって、俺は永遠の存在。もしそれが本当であるならば、今このタイミングでイーヴァにイーヴァ自身の過去を訊ねたら――コイツは答えてくれるのではないだろうか。


 イーヴァが生まれたのは『いつ』で、故郷は『何処』で、俺と出会うまではいったい何処で『何をしていた』のか。そんなささやかな事を、俺は知ることが出来るのではないだろうか。


「ッ、なあイーヴァ」


 今のイーヴァだけでなく、昔のイーヴァの事をもっと知りたい。そう思った俺が声を発した瞬間、俺とイーヴァのスマートフォンが同時に鳴り、振動した。


「あ……」

「ふむ、もうメンテが開けたのか。だが……これは早々にアップデートをしなくては……、ずっと通話をしていたせいか充電が心もとないな……、ナツヲ! ナツヲ! 早く家に帰るぞ!」

「……あー、わかったよ」


 俺としてはイーヴァの事を知るため、いくつかの質問をしてみたかったのだったのだが……それは今でなくても良いだろう。それに、今のイーヴァはアプリの更新項目の確認に熱中しているようだから、例え質問したところで碌な回答が返ってくることは期待できない。


 イーヴァの過去について訊ねるのは、また次の機会にしよう。そう決意を新たにした俺は「早く家に帰るぞ!」と俺を急かす幼いイーヴァをかかえ直す。


「よッ、と。じゃあしっかり捕まってろよ」

「うむ」


 抱きかかえていたイーヴァの小さな手が俺の服を掴んだのを確認し、俺はビルとビルの間の薄暗い路地を走り抜ける。そして大通りへと出れば、そこはいつも通りの日常だった。


 平穏な日常。穏やかな生活。平和の体現。それこそ俺がイーヴァに望み、求めていた世間一般的な、普通の生活にほど近い『今』。


 先程まで【御使い】と【神】が死闘を繰り広げていたことを知らない平穏な世界。


 平穏、平凡、凡常、普通。そんな言葉が良く似合う、刺激のない場所。されど、歩く人々の上で浮遊する魔なるモノや、腕の中に納まる自称【神】を名乗るモノも存在している場所。


「ナツヲ、お前は今お前の居る場所を代償に、普通の人間が送るような……魔なるモノの視えない生活を、送りたいのだろう? まあ、こんな姿のままでは叶えてやることは出来ないが、しばらくエネルギーを貯めれば叶えてやれるぞ」


 俺の考えていることに反応したのだろう。腕の中に居るイーヴァがそう声をかけてくる。


「そうだ……俺は、普通の生活が送りたい」


 そうすれば俺は、誰にも倦厭されることのない、普通の、マトモな人間になることが出来るはずだから。……だが、それで本当に良いのだろうか? もし本当に、イーヴァが俺のその望みを叶えたとしたら。魔なるモノの視えなくなった俺の傍に、イーヴァは居るのだろうか?


「居はする。だが、お前が私を認識することは二度とあるまい」

「ッ……」


 ならば、俺は以前まで望んでいた普通な人間が送る普通の生活を。その日常を、望めない。


 何故なら、その俺の行いがイーヴァを『犠牲』にしているように思えてしまうから。それに、もはや俺にとってイーヴァがあまりにも大きな存在になりすぎたから。


 朝目覚めてリビングに行けば「おはよう」と声をかけ、家に帰ればイーヴァが居て、「おかえり」と俺を出迎えてくれる。勿論、ときどきイーヴァの感性に着いて行けず、苛立ってしまうこともあるが、それでも……。それでも俺は、もう、イーヴァの居ない生活を、手放せない。


 ただでさえ以前【御使い】に襲われ、イーヴァの首が飛んだ時に、ひどい喪失感に襲われたのだ。イーヴァが視えなくなっただけで、イーヴァが俺の傍に居続けてくれるとしても――、俺はきっとソレに耐えられない。


 だから、俺は――イーヴァではなく、その願いそのものを捨てる。


 『普通の人間が送る、普通の生活』ではなく、イーヴァというかけがえのない存在に、俺は手を伸ばすのだ。


 そんなことを考えながら、人にぶつかりはしないように俺は大通りを駆け抜ける。そうしていれば俺に抱きかかえられているイーヴァがもぞもぞと動き、俺の方を見つめてきた。


「ナツヲ。思いは、巡るのだ。喜びも、哀しみも、恨みも、優しさも。伝播し、巡り、いつか身に還ってくる。だから、私はお前のその心の移り変わりも、望みの変化も否定しない。それに……」

「……それに?」


 走っていた足を一旦止め、俺はイーヴァの顔を改めて見据える。


「それに、私はお前に『優しく』されると『嬉しい』からな。お前のその変化は、私にとって『喜ばしい』ものだ」

「……そう、か」


 【神】と名乗る存在であっても、誰かに好かれ、配慮されればそれなりに嬉しいらしい。


「誰か、にではないぞ。私は、ナツヲにそうされるからこそ『嬉しい』のだ」


 そう言いながらイーヴァは口角を僅かに上げ、目を細めて『笑み』の表情を浮かべる。


「イーヴァ」

「なんだ? ナツヲ」

「俺たちの家に、帰るぞ」

「……お前がそう、望むなら」


 笑みを浮かべながらイーヴァはこっくりとうなずき、再びもぞもぞと動くと俺の腕の中に納まり直す。


 今まで両親でさえ抱きしめることのなかった俺の手が、誰かを抱きしめている。その事実と、僅かに伝わるイーヴァ特有の冷たさに安堵しながら、俺は再び帰路を駆けた。







☆1巻部分相当までご拝読ありがとうございました!

 次話の更新はもろもろの作業もありかなり後になると思われますが、もしよろしければ感想などいただけると幸いです。(本音:活力になるので感想とても欲しいです)

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最近同居しはじめた自称【神】が×××な件について! 威剣朔也 @iturugi398

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