6話-④




 土煙の中、イーヴァ・ニーヴァが放った鉱石めいた物体が身体に突き刺さるのを感じながらも、剣の中腹が邪神の身体を縦に切り裂いた感触を確かに得ていた私は笑っていました。


「は、はは、は! やっと、あの邪神を切ってやりました! 次は、死ぬまで、否、死にたいと希うまで貫き、刻み、燃やし、散りとしてさえ存在できないようにしてあげるだけです! ええ、私は不要なんかじゃありません! 貴方を殺して、我らが主上たる神に私の実力を再び認めていただくのです! 元部下たちから仕事を奪われず、前線へ復帰するためにも!」


 前線。そこが私の行くべき場所。佇むべき場所。私が我らが主上たる神の言葉を代弁し、導いた『彼女』の惨い最期を目にしてしまった場所。


 そこに私は帰らなければならないのです。


 だというのに何故でしょう。


 私の身体が、とてつもない痛みに襲われているのは。それもまるで肩口から腰にかけて、両断されているかのように。


「う、あ……?」


 恐る恐る自身の痛む肩口――左肩を見てみれば、肩から先の部位が赤く染まり――否、切り取られ、失われていました。


「な……?」


 それだけではありません。その肩口を起点とし、右の腰部分に掛けて一直線に――まるで大振りの剣で切られたかのようにして、私の身体が切り落とされていました。


「う、うあああああああああ!」


 ふくよかな肉が揺れる乳房と背の翼は辛うじて無事であり、浮かび飛ぶことは出来ています。ですが身体の大半を失っているせいか、その飛び方は不安定。しかも、その浮かぶ足元部分には、邪神イーヴァ・ニーヴァと思しきモノの下半身と、赤い血液を零す私の下半身や剣を持ったままの腕が転がっている。


「私の腕! 私の身体ァアア!」


 どういうことなのです! どうして私が傷ついているのです! 確かに私は邪神イーヴァ・ニーヴァの攻撃を受けてはいました。ですがあの脆弱な攻撃は私の身体を貫いただけで、こんな、切り落とす程の物ではなかったはずです!


 顔に冷や汗が伝い、咥内が渇く。嗚呼、ああ! 何たる失態! 我らが主上たる神より賜った私の身体がこんなにも傷つけられ、失われてしまっているだなんて!


 現実味のない事実。ソレを理解したくはありませんでしたが、せめて我らが主上たる神より賜った私の身体を取り戻すべく、不安定な羽ばたきをする翼を動かして地上に降りるほかないでしょう。


 半ば不本意ではありましたが、地上へと降りようとすればそんな私の視界に、白いナニカが揺らめきました。


 そんな、まさか。そう思いながら地上へ降りようとする身体を止めれば、私の眼前に姿を現したのは邪神、イーヴァ・ニーヴァでした。


 それも私と同じように左肩口から右腰にかけてバッサリと身体を切られ、その下から全てを失った状態で。しかも血肉で作られた私とは構造が違うらしく、傷口からのぞく身体の内部はあの鉱石めいた物体と同じ色の煌めき。


「嗚呼、案ずることは無いぞナツヲ。私は無事だ。……なに? もうそんな時間なのか。ならば、早々に片を着けるとしよう」


 戦っている最中にも幾度かみられた邪神の独り言。まるで、此処には居ない誰かと喋りでもしているかのような不快感をもよおすソレ。


「早々に…片を着ける? 聞き捨てなりません、聞き捨てなりませんよ、邪神!」


 得体の知れない独り言を言う邪神を見下ろし、私は叫ぶ。


 嗚呼、ああ! 例え下半身を失っていようとも! 例え片腕だけであろうとも! 私は貴方を殺します! 殺さなければ、私は誰にも認められず、死んでいるのと変わらないのですから!


 そのためにも、まずは地上に落ちてしまった自身の武器を取り戻さなくては!


 私は地上に落ちる自身の剣を取り戻すべく、地上に向かって急降下する。だがそんな私の耳元で「私はお前と違って、武器を構える必要が無いからな」という、私より幾分か低い邪神の声が、囁かれた。そしていつの間に、と思う間もなく、私の身体に再びいくつもの鉱石めいた物体が突き刺さる。


「ああああああっ!」


 無事であった私の胸部に、背の翼に、深々と鉱石めいた物体が突き刺さり、微々たる速度でじゅわじゅわと音を立てて融けていく。


「っ、貴方……いったい私に何をしたのです……!」


 こんなこと、――こんな、まるで負けでもしているかのような事態。イーヴァ・ニーヴァとの戦いでは勿論、今まで戦ったあらゆる【神】やその【御使い】との相対の中でさえも一度もなかったというのに! 何故今私は、認知度はおろか信仰心さえ我らが主上たる神の足元にさえ及ばない脆弱な邪神に、負けているのです!


 羽ばたく力さえ失った身体が、ドスンと、音を立てて下半身と腕が転がる地上へ落下する。


「無論、種も仕掛けもありはする。だがお前には教えるようなことではない。そうさな、教えるべき事柄と言えば、私とお前が『繋がっている』ことだけだな」


 『繋がっている』? それも、私と邪神が? 意味の分からない邪神の言葉に、私は「っ、どういう意味ですか!」と言葉を投げ返す。


「そのままの意味だ。お前が私に攻撃する直前、お前は私の杭を受けた」


 ――杭、おそらくそれはイーヴァが放ち、そして私の身体を貫いたあのクリスタル状の煌めきの事でしょう。ですがあの脆弱な攻撃に、何の意味があるというのでしょうか?


「私の杭をその身に受けたことにより、私は私の身体に起きるすべてをお前と共有する縁を繋いだ。故に、私が傷を負えばお前もまた私と同じ部位に傷を負う。しかし、その逆は起きない」


 にわかには信じがたい邪神の言葉。だが、今私の身に起きている事を振り返れば、ソレが事実であるということは容易に頷けました。


「クソッ!」


 嗚呼、あの時! 邪神の攻撃を回避していれば! いいえ、そもそもいきなり距離を詰めてきた邪神を不信に思った瞬間、ソレを好機と捉えて近付かず、離れればよかったのです!


 ですが、今更そのことを悔いたところで、現状は変わりません。


 いつだって、私は自身がしてしまった事柄を『後悔』するばかり。『彼女』が殺された時も、今も、私はいつだって『後悔』してばかり。


 そんな私では誰も、見返せない。私が不要であるということを覆せない!


 私は、覆さなくてはならないのです。


 私を見放しているであろう、我らが主上たる神を!


 私を見下し任務を奪う、元部下たちを!


 自分自身を不要であると断じてしまう、私自身を!


「そう、お前は覆したい。だが、それは本当にお前がするべき事柄か?」


 邪神の杭とやらに貫かれた私の翼は今もなお微弱な速度で融けており、空へ羽ばたくことは出来ない。それどころか上半身を起き上がらせる力さえ無く、地面に転がることしか出来ない。そんな私を見下す邪神の白い身体が、目に入る。


「私は――、私が不要でないことを示さねば、ならないのです」


 私が導いたせいで、死んでしまった『彼女』の為に。私は――自分自身が不要ではないと、正しいということを示さねばならないのです。それが私のするべき事柄で、しなければならない贖罪。


 なのに、誰も彼も、私を認めない。


 我らが主上たる神は悩む私を消しもせず放置し、元部下も私からすべてを奪ってしまう。嗚呼、嗚呼! 私は、私は、私は私は私は!


「そう、か」


 まるで、憐れんでいるかのように私を見下ろす邪神。嗚呼、ああ! 敵対すべき者、倒すべき相手にこんな憐みの視線を向けられるなど! こんな辱めを受けるなど! 最早、私は不要どころではなく、それ以下の存在なのではないでしょうか!


 ああ、ああ! いっそ、いっそ私を殺せ!


 自分自身はおろか、何者にも認められず、邪神ごときに憐れまれる無様な私を、殺せ!


「殺しなど、しない」


 私の心中を、心を覗く邪神が放つ残酷な言葉。そんな言葉の真意を知るべく「何故ですか!」と私は激昂します。


 しかし、目の前の邪神はその問いに答えない。


 我らが主上たる神によって身体を創られ、与えられた私たち【御使い】に、自死は許されません。だからこそ、自分以外の誰かに殺してもらわなければ、私は死ぬことが出来ない。なのに、この目の前の邪神は、そのちっぽけな願いを叶えてさえくれない。


「少なくとも貴方は私が疎ましいはずです! 貴方の信者共は、我らが主上たる神を崇める信者に殺されたのですよ! それに貴方が住みついているあの家の子供にも私は危害を加えました! 貴方には、私を殺すだけの理由があるはずです!」


 そう――私は、イーヴァ・ニーヴァが住みつくあの家の子供に危害を加えた。


 我らが主上たる神が創った規律が在るため、私自らが直接手を出したわけではありません。ですが、私から切り離され『魔』となった私の一部がその子供を襲い、邪神さえ視えるその眼に住みつこうと子供の身体を蝕み、苦しませさえしたのです。しかも子供の体内に住みつこうとしたその『魔』は、どういうわけか翌日にはその子供の身体から取り払われ、邪神の体内へと取り込まれていました。


 ――であるならば、そんな私をこの邪神はきっと許しはしないでしょう。


 一時的ではありますが神格を落としても構わないと判断し、子供の身体から自らの身体に『魔』を移させ、子供を庇護しさえするイーヴァ・ニーヴァが、私を許すわけがないのです。


「嗚呼。ナツヲに手を出したことはいただけないな。そう、いただけない。許せるべき事柄ではない。だが、許せないからと言って私はお前を殺さない」


 私の言葉通り、邪神を許す気は無いらしい。しかし、それと同時に私を殺す気もこの邪神は無いようでした。


「私が殺すのは、たった一人だけでいいのだから」


 まるで、私のことなど眼中にないとでも言っているかのような。そして、私の胸をざわつかせる言葉を零した邪神。この邪神、イーヴァ・ニーヴァが殺すのは、あるいは殺したたった一人とは、いったい誰なのでしょう?


 だがそんな私のちっぽけな疑問にさえ答えるつもりはないようで、邪神は下半身を失ったその身体を浮遊させながら言葉を続けます。


「むしろ私はお前に『感謝』をしている。お前たちが私をあの地から追い立ててくれたからこそ、私はこの列島に降り立ち、ナツヲと出会えたのだから。そして再びお前がこの列島の山中で眠っていた私の元へ来てくれたからこそ、私は再びナツヲと出会えたのだから」


 ナツヲという名はおそらくイーヴァ・ニーヴァが住んでいるあの家の子供であり、私が『魔』に襲わせた子供のことでしょう。しかし、どうにも不可解です。


 私が部下たちを率い邪神イーヴァ・ニーヴァを、生誕したその土地から追い立てたのは千年以上も前の話です。勿論、その直後にこの列島でそのナツヲと呼ばれる人間に出会ったわけではないでしょうし、その当時の子供が今此処に生きているわけもありません。もしそうであれば、その子供は最早ヒトではないでしょう。


 最も順当な案としては、私たちに故郷を追われこの列島の山中で眠り続けていた邪神の元へ、今より幼いナツヲという子供が訪れ、少し年月を経た後に再びその子供に会った。というものですが――どうにもそうではないように聞こえてしまうのは、どうしてでしょうか。


「それに、お前を殺してしまったら、お前の元部下共が私に復讐しに来かねないからな」

「は?」


 まるで私の思考をわざと逸らすためのようにさえ放たれた意味不明な言葉に、私は素っ頓狂な声を上げてしまう。


 私の仕事を奪い、邪魔ばかりしてくるあの元部下たちが復讐しに来る? そんなわけ、あるはずがありません! あったとしてもそれは、自身の地位を上げるために他ならない!


「ふむ、お前は自分に付き従った者たちの事をずいぶん信用していないのだな。だがまあ、お前たちの神でもない私が、これ以上お前たちの事に口を出すべきではあるまい。ただ、もしなにか相談がしたいことがあるのであれば……」


 そこまで言ったところでぴたり、と口を閉ざしてしまう邪神。


「ナツヲ。一旦私との接続を切れ……いや、もう戦闘には移行しまい……ああ、それで構わない」


 再び独り言――ではなく、「ナツヲ」と、あの子供の名を呼び、その者と会話をしているような喋り方をする邪神。電話という物体により遠方に居る相手と会話が出来る機械があることぐらいは知識として私も知ってはいますが、目の前の邪神は耳元にその電話と呼ばれる物体を近付けていません。いいえ、むしろそれどころかその手の中には何もありはしないのです。


 どのような手段でそうしているのかは分かりませんが、遠方に居るのでしょう子供と会話をし終えたのでしょう。私の剣によって切り落とされた自身の腕の元へと移動した邪神は「杭よ、繋げ」と言葉を発し、杭の召喚と指図を行いました。


 そうすれば邪神の背後から小ぶりな鉱石めいた物体ならぬ、杭が現れ、地面に落ちる邪神の白く細い腕を貫きます。するとその杭が突き刺さった邪神の細腕は「じゅわり」と音を立て融け消え、どういう原理か切断された邪神の腕に生え戻ったのです。


「あ、貴方!」


 「卑怯ですよ!」と、そう言いかけましたが、私の身体が邪神イーヴァ・ニーヴァの肉体と同調しているせいでしょう。私の腕に自分自身の腕が生え戻っていました。


 得体の知れぬ気味悪さ――否、我らが主上たる神ではない何者かにこの身体を侵食されているという、気味の悪さ。


 嗚呼、これ以上この邪神の好き勝手にさせてはなりません!


 本能的にそう感じ、この場から一刻も早く立ち去ろうと、私は杭で貫かれ融けている翼を無理やり羽ばたかせます。ですがそんな私を逃す気はないようで、邪神は「帯よ、【御使い】を捕らえよ」と自身の周囲から赤と黒の帯を出現させ、私の身体を巻き取り、再び地面の上に転がらせてしまいました。


「どういうつもりですかイーヴァ・ニーヴァ!」


 地面に無理やり転がされた私は、叫びます。ですがそんな私の目の前に邪神は腕を伸ばし、小さな板のようなものを見せつけてきました。


「もしなにか相談したいことが在るのならば、このSNSにいる『因幡双羽』というモノに相談してみろ。解決の手立てになるかもしれないぞ」


 ヒト共の暮らしぶりを見て回る中で頻繁に人間たちが触れていた板状の物体。その表面には、この列島で主に使われている文字が大量に映されている。


「誰が、そんな得体の知れない者などに、相談するものですか!」


 失われた片腕は生え戻ったものの、下半身は未だ元に戻っていない私は戒められている帯の中で歪に身を捩り、吠えます。ですがそんな私の発言にも耳を貸すつもりもない様子の邪神は「あと……まあ、お前の望みを叶えることは私には出来ないが――そうさな。自分に劣等感を抱いているのであれば、このゲームも勧めておこう」と勝手に言葉を続け、私に向けていた板状の物体を手元に向け、指を滑らせはじめます。


「貴方は私の話を聞きなさい!」


 何でしょうこの邪神は、私の話を聞かないにも程があります!


「コレを見ろ【御使い】」


 しかもその私の言葉でさえ、届いていないのでしょう。ずい、と再び私の目の前に板状の物体を見せつけてきた邪神。今度は文字だけではなく、幻想竜や騎士と思しき者たちの姿が描かれています。


「これは世紀末となった世界に蔓延るモンスターを倒して素材を集めたり、むしろ仲間にしたり、釣りをしたり、好きな恰好をしたりできるオンラインアクションRPGだ。スマートフォンのアプリゲームとしてはいささか評価がイマイチだが、テレビゲームやパソコンでのゲームであれば好評価のゲームでな……、む、私が今言っているゲームとはいわば現代の娯楽であり、遊戯のことだ。覚えておけ」


 口早にその画面が示しているのでしょう『ゲーム』なるものの説明をした邪神。しかも、その途中に「この邪神、本当に何を言っているんでしょう?」と思った私に対しての配慮か、ゲームとやらの説明まで律儀にしてくる始末。


 私が疑問に思ったことはゲームなるものの事も勿論ではありますが、それだけではありません。むしろ、それ以前に邪神が語った『えすえぬえす』や『いなばわにわ』という単語から既に理解が追いついていのです。


 しかもソレを語る邪神の顔がいつもの何の感情も見せない『無』の表情ではなく、口角を上げ、笑ってさえいるように見えてしまうので、余計に私の理解が追いつかなくさせているのです。


 イーヴァ・ニーヴァは邪神である。ですが、それでも【神】と付く程の高次の存在。にもかかわらず、人間の遊戯や文化に浸り被れてしまっているというのは、一体どういうことなのでしょう?


 【神】の風上にも置けないどころか、【神】の名を侮辱しているようなものではありませんか!


「【御使い】よ、お前もそろそろアップデートをしなくては、人間に置いていかれることになるぞ。この列島のこの時代、剣を持って戦う者など映画やゲーム、アニメの中ぐらいでしか目にしないぞ」


 あっぷ、でーと? えいが? あにめ? 単語としての知識はそれなりにありはします。ですが、この邪神の口からそれらの単語が出ると、どれも聞きなじみのない単語に聴こえてしまうのです。いいえ、『彼女』の身に起きた一見以来、ヒト共とは距離を置いていましたから、その単語を直接耳にするのが初めてではあるのですけれども。


「アップデート、あるいは時代や環境に合わせて自身を新たに成長させる、という言葉が相応しいだろう。我々も人々に望まれ続けるためには、成長し、適応するしかあるまい。昔と同じようでは時代錯誤も甚だしい。無論、お前たちのように原点が存在するならばそれでも良いのかもしれないが、そうであろうとも変わりゆく人間社会の中にお前たちの教えを根付かせ続けるには、原点を元に細かな解釈を入れ現代仕様に改めた方が効率的だぞ。現に私も、人間たちの波に乗ったおかげで故郷と呼べる地に居た頃よりもはるかに多くの者に認知されている」

「……だが、私だけが変わるわけにはいかないでしょう」


 邪神の言う通り、現世のヒト共に信仰を染み渡らせるにはそれなりの手法が必要でしょう。ですが、それを私一人が行ったところで何の意味があるのというのです? 我らが主上たる神によって創られた【御使い】は五万といて、私はその中の一つにすぎないのですよ? それどころか、『彼女』の死を思い悩む私を神は救わず、見放したのですよ?


「お前たちの神について、私自身理解は無い。だがそれでもお前の【神】がお前を見放したと、私は判断しない」

「っ、貴方に我らが主上たる神の何が分るというのです!」


 私の事はいくらでも知ったように語るのは構いません。少なくとも私は貴方に敵わなかったのですから。


 ですが、我らが主上たる神を知ったように語るのは、絶対に許しはしません! 貴方ごときと、我らが主上たる神の格は比べるまでもないほどに差が開いているのですから!


「でなければ、何故お前に『感情』という機能を神は備え付けたのだ? もっとも効率的にお前たち【御使い】を動かすならば、『感情』や『思考』はおろか自我を持つ機能など不要だろう」

「そ、それは……」


 そう。邪神の言う通り、私たち【御使い】を効率的に動かすのならば、私たちには激情だけでなく『感情』や『思考』は不要です。


「無論、人間の元へ遣わすために人間と類似する『感情』を持った個体は必要かもしれない。だがそのためだけに『感情』が在るのならば、その『彼女』とやらの死に『悩み』苦しんでいたお前から、何故お前の神は『感情』という機能を剥奪しなかった? 何故お前をそのまま『悩み』苦しませ続けた? 何故お前から『彼女』の死という記憶を消さなかった?」

「それは……、私が、不要だから。不要だから我らが主上たる神は私を見放し、おざなりにした……」


 確証はありません。ですが、ソレが最も近い事実でしょう。


「何故、分かろうとしないのだろうな、お前は」


 下半身のない邪神は、私の前に上半身を降ろし、白い両腕を伸ばして私の頬を冷ややかな掌で挟んでくる。


「【神】にとってお前は不要な存在か? 元部下たちにとってお前は蹴落とすべき存在か? 死んだ『彼女』にとって、自らを死へと導いたお前は悪しき存在か?」


 疑問形のかたちをとりながら、私の心を追い詰めてくる邪神。嗚呼、ああ! いったいこの邪神は、私に何をしようというのでしょう!


「……お前が、認めないのであれば、私が認めよう」

「は……?」

「お前が、不要な存在などではないと。お前の存在は、価値ある物であると。お前がその事実を受け入れるまで、私はお前を知る者としてお前を認めよう」

「貴方、何をふざけたことを!」


 私の頬を掌で挟み続ける邪神に、真っ向からそう言う。ですがその邪神は顔色一つ変えず「私がお前を認めよう」と言葉を繰り返す。


「貴方に……貴方などに認められずとも! 私は……!」


 何かしらの言葉を放ち、啖呵を切ってやりたくもありました。ですが私の頭の中に、何一つとして言い返せるような単語は浮びませんでした。むしろ、それを考えれば考えるほど、頭の中がおかしくなってくるのが分かります。


 私は認められていない。だから私は目の前のこの邪神を殺そうと、躍起になった。


 ですがソレは失敗した。しかも今私は、私を倒した邪神に憐れみさえかけられている。


 嗚呼、ああ! なんて、屈辱的なことでしょう。ですが、実際私はこの邪神に負けたのですし、屈辱的な気持ちを味わわされることをされて仕方ないことを、私は今までこの邪神にしてきました。ですから今の状態は、納得すべき因果応報の事柄でしょう。


「思う存分『悩み』『考え』『苦しみ』『あがけ』。さすればお前はいつか、お前の信ずる【神】に救われるだろう」


 するり、と私の頬を挟んでいた掌を離した邪神は、赤と黒の帯に囚われ身動きの取れないでいる私の傍にあった邪神自身の白い下半身に掌を伸ばします。


「杭よ、私を繋げ」


 腕を生え戻した時と同じように背後から杭を召喚し、自身の下半身に打ち込んだ邪神。そうすれば邪神の下半身を融け、それと同時に邪神の下半身が生え戻ります。赤と黒の帯にくるまれているせいで確認することは出来ていませんが、おそらく私の下半身も、先程の腕同様私自身の身体に生え戻っていることでしょう。


「貴方……、再び私が貴方に襲い掛かることを、考えていないのですか!」


 切り離されてしまった部位は元に戻りはしたものの、体力自体は回復していないし、邪神の私物であろう帯から逃れも出来てはいません。ですが、やろうと思えば私は邪神の細首一つ程度、自身の手で簡単に引きちぎることも可能なのです。


 今までは前回までの事もあり、首を切り離したら別の場所で再生されると考え、極力首は狙いませんでしたが、やろうと思えば私は容易にそうすることが出来るのです。


「そう。好戦的なお前は、私の首など容易に切り離せるだろう。だが既に時は遅い。お前は私と繋がり、私の首を刎ねればお前の首も飛ぶ。……規律により自死出来ないお前は、この事実を知ってなお――そうするか?」


 しゅるり、と私を拘束していた邪神の帯が解け、その邪神の背後に移動する。


「っ、貴方は……卑怯です!」


 私と邪神は繋がっている。だからこそ私の切り離されていた左腕も、下半身も生え戻った。


 そしてそれ故に、私は目の前にいるこの憎らしい邪神の首を切り落とせない。


 我々の主上たる神が創った規律により自死することを禁じられている私たちは、自死行為を行えない。それはすなわち、イーヴァ・ニーヴァの傷を自身の身体に負うと知ってしまった私は――イーヴァ・ニーヴァの首を落とすことが出来なくなるのと、同意義。何しろ私はこの邪神と違い、首を刎ねられれば死んでしまうのですから。


 嗚呼、繋がっていることを再度知らしめさせられなければ、勢いで殺せてしまったのに! この邪神は一体何処まで性根が腐っているのでしょうか!


「それだけではないぞ。お前は、自らを殺さないようにするために、私を守りもしなくてはならないのだ。そう、それこそ私を見捨てることは即ち、お前は自分の生を見捨てるのと同意義だ」


 「それも立派な、自殺よな」と、口角を僅かに上げて笑みを浮かべさえしてくる邪神。


 嗚呼! 全くこの邪神は、本当に腹立たしい!


「それでも私はいつか貴方を殺します。貴方との繋がりを断ち切って、必ず貴方を殺してあげます! ですから、貴方は他のモノに殺されないよう、精々自衛しておきなさい!」


 半ばやけくそになりながらそんな捨て台詞を吐き、穴の空いてしまった翼で不安定ながらも空に飛び立ちます。一瞬再び帯で拘束されるのでは? と思いましたが、邪神は私に対して再び帯を差し向けることはありませんでした。


「ああ、なんて忌々しいんでしょう!」


 邪神の姿が見えなくなるほどまで高度を上げて、私はヒト共が住まう街を一望します。


 邪神の言葉は私の感情を逆撫で、そして思考すら停止させる代物でした。しかしそれでも、その言葉自体は決して悪いものではなかった――と、今更ながらに思ってしまうのです。


 『彼女』の死を『後悔』していた私に対し、その『後悔』を永劫背負えと言ったり。自分自身に対しての存在意義を見失っている私に対し、皮肉った物言いをあえて行い、逆上させることでこうやって改めて思考する機会を与えたり。過程こそ憎々しさを抱かせる代物ではありましたが、それでも改めて考えれば悪いものではないことが理解できるのです。


 態度にこそ難はありますが、発言内容だけは親身であった邪神。おそらくその【神】らしからぬ親身さは、【御使い】を介すことなくヒトと密接していることが大きく起因しているに違いありません。


 それに、あの邪神には他者の思考を読み取る力もあるようですから、それもその親身さに拍車をかけているのでしょう。


 それらを鑑みた上で、邪神イーヴァ・ニーヴァが言った言葉は全て邪神本人も考えた事柄なのではないでしょうか。


 そう考え至った自らの発想を元に、私はゆっくりと邪神の言葉を思い出します。


 ――「でなければ、何故お前に『感情』という機能を神は備え付けたのだ? もっとも効率的にお前たち【御使い】を動かすならば、『感情』や『思考』など、我を持つ機能など不要だろう」


 そう、本来であれば不要でしょう。『感情』などあるから、私は『彼女』の死を思い悩み、苦しんだのです。そしてそれは、あの邪神も同じだったのではないでしょうか?


 効率的に【神】としての存在を全うするのであれば、『感情』は愚か『感情』を知る必要も、無いはずなのですから。


 ――「無論、人間の元へ遣わすために人間と類似する『感情』を持った個体は必要かもしれない。だがそのためだけに『感情』が在るのならば、その『彼女』とやらの死に『悩み』苦しんでいたお前から、何故お前の【神】は『感情』という機能を剥奪しなかった? 何故お前をそのまま『悩み』苦しませ続けた? 何故お前から『彼女』の死という記憶を消さなかった?」


 ええ、そうです。ヒトと接するためには、それなりに『感情』を持ち合わせていた方が介入しやすいでしょう。ですが、既に人々に望まれ、そこに存在している状態の【神】がその機能を有する必要はあるのでしょうか? 既に、人々の心はあの邪神に向けられているのですよ? であるならば、既にヒトに介入する必要性はないはずです。


 しかもあの邪神は『感情』の有用性や、ヒト共との『記憶』さえの存在さえも私に問うて来ていました――。であるならば、おそらくその『感情』も『記憶』も、あの邪神にとって何かしらの有用性がある、あるいは尊ぶべき代物なのでしょう。だからこそ、ソレを認められなかった私に、言葉をかけていたに違いありません。


 ――「【神】にとってお前は不要な存在か? 元部下たちにとってお前は蹴落とすべき存在か? 死んだ『彼女』にとって、自らを死へと導いたお前は悪しき存在か?」


 存在の証明。それは私たちのせいで信者を殺され、信仰心を失い、神格を著しく落とした邪神自身が考えた事柄であるのでしょう。


 信者さえ失った【神】ではあるが、その存在は本当に不要か? 自身が育てたと言っても過言でもない信者たちに蹴落とされた自分は、本当に不要か? 死んだ信者にとって、のうのうと今を生きる自分は復讐すべき相手か?


 私にはあの邪神の心情など分かりませんから、憶測でしかありません。ですがきっとあの邪神はそう考え、そしてその答えを見つけたのでしょう。


 だからこそ、あの邪神はその『理由』を見つけるために、私に問いかけを行い、それどころか「お前が、不要な存在などではないと。お前の存在は、価値ある物であると。お前がその事実を受け入れるまで、私はお前を知る者としてお前を認めよう」とまで言って、私に考える時間を与えた――。


 嗚呼、なんて気味の悪い【神】でしょうか。


 我らが主上たる神と敵対する存在として、私はイーヴァ・ニーヴァを『邪神』と呼びはしています。ですが、それさえも凌駕するような【神】らしからぬ、気味悪さ。


 しかしそんなこと、私が思考を裂くべき事柄ではありませんね。


 邪神イーヴァ・ニーヴァがいくら気味の悪い【神】であろうとも。それは些細な事柄でしかありません。何故なら、そう、何故なら私が――!


「いつか、殺すからです。繋がりを断ち切って、私がイーヴァ・ニーヴァを殺すからです。故に、あの邪神がいくら気味悪かろうとも、些細な事柄でしかありません。邪神は私に殺される運命なのですから」


 自分を鼓舞するべくそう叫び、気持ちを新たにした私は、いささか動きの悪い翼で身を包みます。勿論、羽ばたきを止めたことにより私の身体は落下しはしますが、しばしの辛抱でしょう。


 翼で身を包んだことにより、私の目の前に現れたのは無残に空けられた翼の穴。


 私の身体は邪神と繋がり、邪神の傷が癒えれば私の傷も癒えます。ですがその邪神に翼はありません。だからこそ私の翼の傷は癒えない。そのため私はこの翼の傷を自力で癒さねばならないのです。


 我らが主上たる神により賜った私の身体は、雌雄同体のされど胸部が他の【御使い】に比べて幾らかふくよか。そんな身体の膝を抱え、私は自身の身体を縮小させます。要は私に首を刎ねられたあの邪神がした事と同じように、身体の大きさを小さくさせることにで、その分の力を傷の修復に充てるのです。


 そうやって徐々に身体を縮めれば、自ずと翼の傷が癒えてゆく。


 落下しゆく中でその事を確認した私は癒えた翼を広げ、小さな肉体……それこそ『幼体』とも呼べる姿でヒト共が住まう街の上を大きく旋回します。


 好都合なことに今生のこの列島には地脈の力が濃く満ちているため、翼の修復に充てた分の力はしばらくもすれば十分に補充されることでしょう。そして再び身体を本来あるべき状態に戻せば、すべては元通り。


「ですが、あのじゃしんとのつながりをたち、そしてころすには、もとどおりだけではたりませんね。もっと、もっとおおくのちからを、えなければ」


 身体を小さくしたせいか、元の身体であった時よりも僅かに高くなった声。そのことに違和感を抱きはするもの、不思議なほどに不快感はありません。


「……えすえぬえす、いなばにわ、げーむ、とやらでしたね」


 邪神が言っていた謎の単語を、私は一人ごちる。


 邪神イーヴァ・ニーヴァを殺すため。そして私自身が存在する理由を見つけるために、一度ぐらいは【御使い】の力を隠し、ヒト共の中へ混じるのも良いかもしれません。


 身体を本来あるべき状態に戻すまで、それなりの期間を要するというのもあります。それに、元部下たちに仕事を取られ、碌な任務も与えられていない私には、腐るほどの余暇が在りもするのです。ヒト共に紛れ、自分の存在理由をみつける程度の時間は、十分すぎるほどあるでしょう。


「それに、『彼女』のことも、いくぶんかはせいりすべき……ですね」


 忌々しいことではありましたが、あの邪神の言葉通り私が『彼女』の死について『後悔』し続けていたとしても『彼女』は喜びなどしないでしょう。それどころか、『後悔』する私を叱咤しさえするに違いありません。


 現に『彼女』は死を宣告された時、私に救いを求めなかったのですから。


 自身の身体を燃やされゆく時、『彼女』は私に救いを求めなかったのですから。


 だから、きっと『彼女』は私の後悔を喜ばない。


 されど、死んでしまった『彼女』が本当にそうであるかなど、いいえ、あったのかなど。私には分かりません。もしかしたら口に出して救いを求めなかっただけで、心の中ではずっと救われたいと願っていたのかもしれません。死を宣告された時、身体を燃やされる時。『彼女』は私を恨んだのかもしれません。ですが私にはそれが事実であるのか分からない。


 ならば、あの邪神が言った通り、私は自身の意思で抱いた『後悔』を永劫背負っていくべきなのでしょう。


「ああ、こんなにもそらをきもちよくかんじるのは、いつぶりでしょう」


 心の中には未だ邪神に対する苛立ちや、整理のつかないモノは多々あります。ですがそれでも『彼女』の死から、そして元部下たちの対応から、逃避しようと躍起になっていた以前までとは、どこかが違う。


 まるで肩の荷が一つ降りたような、そんな感覚を抱きながら私はヒトが多く歩く街の中に、自身の幼い身体を着地させます。


「さあ、わたしをみることのできるヒトは、このまちにいるでしょうか?」



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