第24話
「何だと?」
「さて、小僧。お仕事の時間だぞ」
『待ちくたびれたよ。いつ始めるのかと思った』
「お待たせしたな」
すらりと碧い短剣を鞘から抜くと、コー・リンは素早くダイナが眠っているベッドの上に飛び乗った。そして彼女の体に繋がっている管をまとめて引き抜く。ぴくりとダイナの体が動いたが、目を覚ます気配はない。管から流れ出るどろどろとした液体が絨毯の上を這い回りながら汚していく。
「貴様、よくも!」
「動くなよ、トーイ」
警告を発しつつ、すっと剣をダイナの胸元に当てる。
「小僧、来い!」
『承知』
声と共に剣から碧い炎がゆらりと立ち上り、少年が姿を現した。トーイとエリナがぐっと息を呑む。
『こんばんは。剣に憑りついている幽霊だよ。って、今更、驚かないで欲しいけどさ』
「小僧、減らず口を叩くな。……さて、お二人にお願いしておこう。今から行う私の作業は繊細だ。邪魔立てすると大切なもうひとりのダイヤモンド・エルが死んでしまうことになる。お静かに願う」
「何を抜けたことを! ダイナから離れろ! さもなくば」
「悪いが、その脅しを聞くわけにはいかないんだ」
言うや、コー・リンは優雅な仕草で剣を一閃、ダイナの胸元は真っ直ぐに切り裂かれた。
「ダイナ!」
悲痛な声を上げて駆け寄ろうとするエリナを、トーイが片手で止めた。
「待て。何かが変だ」
「何?」
「体を斬ったのに傷口から血が出ていない。どうもこいつらはまともじゃないようだ。何の術を使うか判らない。今は迂闊に近寄らない方がいい」
「しかし……。コー・リン! お前、ダイナを殺したのか!」
激怒するエリナに、コー・リンは首を横に振る。
「私は花盗です。花の蜜を盗む者。その仕事をまっとうしようというだけ。人は殺しません」
「だが、ダイナの胸を裂いた……」
「裂いただけ。殺してはいません。ただし、私の仕事の邪魔をするなら保障はできかねる。彼女を殺したくないなら、邪魔はなさらぬように」
まだ何か言いたげだったが、仕方なくエリナは黙り込んだ。
それを確認すると、コー・リンはダイナの切り裂いたその胸にそっと指を差し入れ、横に開く。そしてその奥の闇を覗き込んだ。じっと目を凝らしていると、次第に浮かび上がってくるそのシルエットは……。
「ほう、百合か」
大輪の白い百合は美しかったが、しかしその花びらには赤黒い染みがこびりついていた。鼻を近づけると、あのガラス瓶と同じ獣臭がした。
「……腐り始めている」
『リン、どうするんだ? そんな花の蜜なんて』
「さて、どうしたものかな」
「おい、お前たち、何の話をしている?」
じれったそうにトーイが口を挟んだ。それを無視して、コー・リンはエリナを見て言った。
「……ダイヤモンド・エル……いや、エリナ。あなたのお姉さんを救うためにして欲しいことがある」
え? と驚いたのは、エリナだけではなかった。碧い剣の少年も同時に驚いて声を上げる。
『何を言ってるんだよ、リン?』
「まあ、見ていろ。……エリナ、こちらに、お姉さんの隣に来ていただけないか」
「何だと? どういうつもりだ? エリナまでも傷つけようと言うのか?」
「まあ、そうだ」
「貴様!」
激昂するトーイに、リンは冷静に応じる。
「姉妹、しかも双子なら、エリナの蜜をダイナに分けることで救えるかもしれない。少なくともこのまま、この状態で放置しておくよりはずっといいと思うが?」
「この状態とは……何だ?」
「彼女の身の内に咲く花はそのうち、腐って朽ち落ちてしまうということだ」
「お前が何を言っているのか判らんが、その、つまり、それはダイナが死ぬ、ということか?」
「人として死ぬだけならまだいいが、人外の者となって生きることはダイナの望むところではないだろう? 怪しげな薬液は、彼女の体の深部にまで染み込んでいる」
「人外の者だと? 馬鹿な……」
「可能性の話しだ。彼女の心臓の疾患までは治せないが、解毒ならまだ間に合う。どうする?」
「判った」
すっと前に出ると、エリナが言った。
「お前を信じよう」
「エリナ姉さん!」
「トーイ、もし、私とダイナが死ぬようなことがあれば後は任せる」
「……もしそんなことになったら、この花盗とやらを真っ先になぶり殺してやる」
「だそうだ、コー・リン。うちの弟は怖いぞ」
笑いながらそう言うと、エリナは姉・ダイナの隣に横たわった。後は好きにしろ、そんなふうに目を閉じる。
コー・リンは、ちらりとトーイに目を向ける。強い眼差しで睨み返しては来るものの、その奥には怯えて震える光があった。
「トーイ、大丈夫だ。約束しよう。彼女たちを死なせはしない」
安心させるように、にこりと微笑みかけた後、コー・リンはふたりの女に向き直り、その体に集中した。
素早く剣を構え、今度はエリナの胸を斬り裂く。音もなく裂かれた胸元は真っ直ぐに闇の筋が入った。それに指を掛けてゆっくりと横に開く。
やがて底なしの闇から現れたのは、ダイナと同じ、大輪の白い百合だった。だがこちらの花弁は白く艶やかで穢れがない。
「凛として気高い。エリナそのものだ」
『おい、リン』
「小僧、蜜を採取する。瓶と匙の用意を」
『あんたは花盗だろ。医者の真似事なんか』
「小僧!」
『……判ったよ』
渋々と少年は手の平を広げる。と一本の長い柄の匙がふわりと出現した。それを少年は慣れた様子でコー・リンに渡す。
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