第25話

『こんな余計なことばかりして、仕事にならないじゃないか』

「まあ、そう言うな。仕事も忘れていないよ」

『どうだか』

 ふてくされたように言う少年に少し笑いかけてから、コー・リンは深呼吸して息を整えた。そして、エリナの白い百合の花弁に長い匙を慎重に差し入れる。やがて、匙に掬われて現れたのはたっぷりとした黄金色の蜜。濁りのない極上品だ。

「美しい蜜だ。透明度も高い」

『うん。確かに。先ずは採取だよ、リン』

 少年も素直に同意すると、採取するためのガラス瓶を差し出した。受け取ったリンはそれに半分ほど蜜を満たす。

『……どうかした?』

 瓶をみつめ、じっと何かを考えているらしいコー・リンに少年は言った。

『何を考えているの?』

「この蜜をダイナに使いたい。いいか?」

『……それは構わないけど、でも仕事が優先だ。その瓶の蜜はカシスに渡す分にしよう。ダイナにどうしても使うというなら、その分をまた新たにエリナから採取すればいい』

「いや、だめだ。そんなにたくさんの蜜は採取できない。エリナの体に障る」

『それじゃあ、どうするんだよ? その瓶の蜜をダイナに使ってしまったら、依頼人に渡す分は? 手ぶらで帰る気? この仕事を持ってきたカシスの顔を潰すことになるよ』

「それについては私に考えがある」

 にっと笑って、コー・リンは少年に耳打ちをする。それを聞いた途端、少年は唖然としてコー・リンの顔を見返した。

『ひどい。詐欺だ。ばれたらどうするんだよ? 依頼人の素性は明かされなかったけど、明かさないってことはそれなりの身分の人だっていう証拠だろ? いいの? そんなことして』

「だからこそ、だ。どうせ、その依頼人は手に入れたダイヤモンド・エルの蜜をろくなことに使いはしないさ。それより、こうして使う方がよほど有益だ」

 コー・リンは少年の返事を待たずに、蜜の入った小瓶をダイナの胸の暗闇へと傾けた。

 蜜は、一筋の金の糸となって白い花弁にとろりと落ちる。

 それは病んだ花に優しい光を与え、花弁に取りついていた赤黒い染みを消し去っていったが、すべての染みが完全に消えることなかった。

「どうやらこれが浄化の限界のようだな。ここに百花蜜があれば……」

『リン、滅多なことを言うもんじゃないよ』

 珍しく少年に真剣なトーンでたしなめられて、リンは苦笑いする。

「そうだな。仕方ない。これでよしとしよう」

 コー・リンは剣を翳すとダイナとエリナの胸元にその冷たい刃をそれぞれ当てた。すると開いていた傷口はたちまち閉じて、傷一つない元の胸に戻った。

「エリナの蜜を分けたことでダイナの花の腐敗は、とりあえずは止まった。……おい、トーイ」

 呼ばれて、はっとトーイが顔を上げた。コー・リンの魔法のような手際に圧倒されていたようだ。

「お、お前たち、一体、何者なんだ。どうしてそんなことが出来る?」

「さあな」

 コー・リンは肩をすくめると、ベッドを降りてトーイの前に立った。

「とにかくこれだけは言っておく。あのいかがわしい薬液の投与はやめておけ。心臓の疾患はまっとうな医者にかかることだ。折角、美しく咲いている花を枯らせることはない」

「あ、ああ、判った。それで、姉たちは」

「勿論、無事だ」

 言って、ベッドに横たわるふたりを振り返ろうとしたその時、背後から衝撃を感じた。かんっと硬質な音が背中から耳に伝わる。

 ……何だ?

 コー・リンが驚いて振り返ると、そこにはベッドの上で剣を構え、こちらをみつめるダイヤモンド・エルの姿があった。

「ほう、面白い。お前、防御術を背中に掛けているのか。私の剣をこうも簡単に跳ね返すとは」

 防御術?

 何のことかと思ったが、不意にサリの姿が脳裏に浮かんだ。彼はいたずらっぽく笑って『おまけだよ』と言っている。

 サリの奴、いつの間に……やるじゃないか。

 額に薄っすらとかいた汗を指で拭うと、コー・リンは後ずさって、彼女の剣が届かない距離に移動した。

「お目覚めですか、マダム。お元気そうでなにより。ところであなたは……ダイナの方か」

「私の名前を知っているとは」

 ぴくりと眉を上げて、彼女は弟に目をやる。

「これはどういうことだ? エリナは何故か私の隣で寝ているし、奇妙な格好をした男と奇妙な碧い子供がこの部屋にいる。こいつらは何者だ?」

「その男は花盗とかいう者らしい。人の身に咲く花の蜜を盗むとか。碧い子供は……剣に憑りついている幽霊なんだそうだ」

「蜜だの幽霊だのと、何だかよく判らんな。面倒だ。やはり殺しておくか」

 ベッドから下りると、ダイナは改めて剣を構え、コー・リンに近づいてくる。

「気を付けろ、姉さん。こいつら、おかしな術を使う」

「そのようだな。この男の背中に掛かっていた防御術は高度なものだった。……おい、花盗とやら。何しにここに来た? エリナに何かしたんじゃないだろうな?」

「悪いことは何もしておりません。むしろ、お助けしたのですが」

「助けた? ふうん」

 絶対零度の冷たい眼差しでダイナはコー・リンを見返した。

「それでは礼をしようか、この剣で」

「ちょっとお待ちを」

 慌てて、コー・リンは言った。

「あなたが眠っている間に、私とあなたの妹さんとの間で約束をしました。私を逃がしてくれると」

「エリナがそんな約束を?」

 彼女は半信半疑でトーイに目を向ける。と、彼は渋々、頷く。

「ほう、そうか。だが、その約束はお前とエリナとで交わしたことだろう? 私には関係ないな」

「ああ、さすが姉弟きょうだい。同じ理屈を押し通してきますか」

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