第22話
「秘密の花園だと?」
一瞬の間の後、彼女は笑い出した。狂おしいほどの笑い声の中に、悲しみが漂うのをコー・リンは感じた。眉をひそめるコー・リンをどう見てか、ダイヤモンド・エルは笑いを収めると静かに言った。
「お前……コー・リンといったか。来るがいい」
トーイが止めるのも聞かず、彼女は真っ直ぐに本棚に歩み寄ると、茜色の本の背表紙を片手でぐっと押した。すると本棚は音もなく内側に動いた。
「入れ」
ダイヤモンド・エルに促されてコー・リンは、トーイが睨む中、隠し部屋の中に入ったが、すぐにぎくりとして足を止めた。
部屋に入ってすぐに目につくのは、中央に置かれている大きなベッドだ。そこに一人の人物がたくさんの管に繋がれて横たわっていた。
豊かな黒髪、白い肌、その美しい顔は紛れもなく。
「ダイヤモンド・エル……」
コー・リンがようやく一言、呟いた。
そのベッドに横たわっている女性は、今、コー・リンの傍らに立っているダイヤモンド・エルと同じ顔をしていた。まさに瓜二つだ。
「簡単なからくりさ」
そっとベッドに近づくとダイヤモンド・エルは悲しげに言った。
「私の姉だよ。姉のダイナだ。見ての通り、私たちは双子の姉妹だ」
「……なるほど。タフで不眠不休でも働けた理由はダイヤモンド・エルがふたりいたからか」
「そういうことだ」
ダイヤモンド・エルは愛おしそうにもう一人の自分をみつめた。
「どちらかが表に立ちダイヤモンド・エルを演じている間に、もう一人はこの部屋に隠れて休んでいたのさ」
「死んでいるように見えますが……」
「死んではいない。お前は香で死臭を消しているのではないかと言ったが、それは違う。香を炊いているのは、この薬の匂いを消すためだ。独特の獣臭(けものしゅう)がするのでな」
「彼女は一体、どうしたのです?」
「……ダイナは子供の頃から心臓が悪かった。それなのに、ここまでのし上がるのに相当な無理をした。そのツケが今、回ってきたというわけだ。時折、こうしてエネルギーを注入しないと歩くことすら困難な体になってしまった。注入している間、ダイナは仮死状態になる。それを見た者が死んでいると勘違いして騒いでいるのだ」
「……何のエネルギーを注入しているのか、あなたは承知しているのですか?」
コー・リンは、ダイナの体を繋いでいる管を目で追いながら言った。
管の先にあるのは、ベッドの天蓋にぶら下がる複数のガラス瓶だ。瓶の中は曇っていてよく見えないが、目を凝らせばその中で何かがのたうち蠢いているのが判る。鼻を近づけると、香の効果で微かになってはいるものの、確かに獣臭がした。
「この薬液は、人外の生命エネルギーを凝縮したものでは?」
「そうらしいな。あの怪しげな医者からそれなりの説明は受けているよ。これは医療行為ではあるが、いわゆる黒魔術だ」
「判っていてこんなことを。いつか
「そうかもしれないな」
小さく息を吐いて、ダイヤモンド・エルは言った。
「それでも、姉を、もうひとりの私を失いたくない」
トーイがそっと寄り添い、子猫の声でにゃあと鳴く。それに微笑み返して、彼女は優しく弟の黒髪を撫でた。
「コー・リンとやら。お前には守りたいものは無いのか?」
「はい?」
「私にはある。この貧民窟で生活する者、働いている者、今、お前が体を乗っ取っている遊女のルカも、そしてこの弟のトーイも、姉のダイナも、私にとっては絶対に守り抜きたい者たちだ」
そして、挑むようにコー・リンを見た。
「私とダイナは、元は街角に立っていた娼婦だ。父親は下級貴族だったが、母親は捨てられて病死した。トーイの母親も似たようなものだ。取り残された私とダイナは生きるために体を売った。まだ、十三歳だったけどな。驚くことに子供を買う腐った大人はいくらでもいた。おかげで稼がせて貰ったよ」
諦めたように微笑むと彼女は続けた。
「こちらが子供だと思って、男たちは安心して色んな話しをしてくれるんだ。それが漏れれば、誰かの身の破滅に繋がるような、絶対に秘密にしなくてはならないような話しを、それは気軽にな。私たちはその情報を上手く利用してここまでのし上がってきたというわけだ。
ようやく街角に立たなくても生活が出来るようになって、私たちは幼い頃、父親に連れられて何度か会ったことのある腹違いの弟の消息を調べた。この子は」
と、トーイに目を向け、
「粗末な孤児院でぼろ雑巾のようになっているのをみつけたよ。私たちはすぐさまトーイを引き取った。あの時のトーイの姿は……思い出すたびに今でも胸が苦しくなる」
そして、静かに目を伏せた。
「どうして親を失った子供たちは不幸になるのだろうな? 貧しい娘たちは体を売らねばならないのだろうな? そんなことをお前は考えたことがあるか」
「……それは、この国がそんな境遇の子供たちを救う手立てを考えないから」
「そうだ。この国には何もない」
きっぱりとダイヤモンド・エルは言った。
「私たちは父親が貴族階級だったから、母が捨てられるまでは、それなりにいい学校に通って初等教育は受けられていたんだ。読み書きや計算、礼儀作法なんてものは既に身についていて知識があった。本もよく読んだからな。だから悪知恵も働かせることが出来たんだ。
だが、ここに売られてくる娘たちはほとんどが自分の名前すら書くことが出来ない無教養な者たちだ。自分に何も無いから、生きるために仕方なく体を売るんだ。他に売るものが無いんだよ。それは悲劇だ。
だから、私は娘たちに教養を付けてやる。時間の許す限り、小さな学校を開いて読み書きから簡単な計算、どこに出ても恥ずかしくないよう最低限の礼儀作法をな。
その教養は、いずれ年季が明けてここを出て行く時、娘たちの身を助けることになると私は信じている。ベッドの上での手練手管と同じくらいに大事なことだ」
そう言うと、彼女はにっと魅力的に笑った。
「コー・リン。お前も本を読め。そして学べ。知識は人を裏切らない」
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