第15話
「……美しいねえ。なまくらのくせに」
『誰がなまくらだ、誰が』
碧い剣から不機嫌な少年の声がして、狭い部屋に響いた。遊女はぴくりと眉を上げる。そして不意にしなをつくると悩ましげな声で言い返した。
「あらあ。うら若き夜の姫君にキツイもの言いだねえ」
『……黙れ、変態』
途端に遊女は笑い出す。腹を抱えての大笑いだ。若い女の笑い方ではない。
『おいおい、静かにしなよ。ここは敵地だよ、リン』
「悪い。そうだったな」
笑いを引込めると、遊女の姿をしたコー・リンは碧い剣をドレスの腰のリボンにしっかりと差し込むと、その上に薄物のガウンを羽織り、剣を隠した。
「しかし、本当に大丈夫なのかな」
『何が?』
コー・リンは懐から小さな手鏡を取り出した。
「サリの呪具だよ。この『姿ぬすみの鏡』。ちゃんと時が経てば入れ替わった姿は元に戻るんだろうな。鏡に姿を映した途端、遊女が気を失ってしまったのも気になるところだ。このまま、死んだりしないだろうな?」
『さあ、どうだろう。サリも使ったことないって言ってたから、結果は判らないよ』
「……あいつ、やっぱり、私を実験台にしているな」
『大丈夫だよ』
笑いながら少年は言った。
「サリはどうこう言っても天才だもの。利きすぎて失敗することもあるけど、人の命を脅かすような代物は作らない。そんなことより、あんたと遊女の姿が入れ替わっていられるのは、ほんの一刻ってところだ。ここでもたもたしている暇はないと思うよ』
「そうだな」
心配そうに、ベッドに眠る自分の姿をした若い遊女を一瞥した後、彼は部屋を仕切っているカーテンを押し開くと外に出た。
遊女たちの部屋を繋ぐ廊下には、所々にランタンが下げられており、安全に通行できるだけの明るさはあった。コー・リンはそこを悠然と歩きながらも、周囲に気を配ることを怠らない。あちらこちらのカーテンの隙間から艶めかしい吐息や睦言が聞こえてくるがそこは、聞こえないふりだ。
「……しかし、たいしたものだな」
小声でコー・リンは碧い剣に向かって囁いた。
「もっと雑な場所かと思っていたら」
『そうだね。ちゃんとした娼館だ。遊女たちの教育も出来ている。さすが、ダイヤモンド・エルってとこだね』
入口で会った用心棒に案内されてコー・リンがたどり着いたのは、水路より一段上がった石畳の上にどんと構える館だった。
貴族の住む館のよう……とまでは言わないが、石材を巧妙に組んで造られたそれは立派な外観で頑丈でもある。なにより大勢の人が暮らすには充分な広さと奥行きがあった。『娼館』と形容するに無理のない建物と思われる。
広く取られた入口は、赤い格子の扉がはめられ、その風情だけでも艶めかしい。見送りのため、外に出ている遊女たちが男たちと言葉を交わして笑いさざめいている中、用心棒が扉を開くとすぐそこに世話役の女たちが人待ち顔で控えているのが見えた。
用心棒はその中のひとりに何やら耳打ちすると、コー・リンに意味有りげに笑いかけて娼館を出て行った。
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