第3話

『リン、さっきの仕事のこと、本気?』

 浴室を仕切る板の向こうから少年の声がした。心配そうなその声に、コー・リンは優しく言う。

「何とかなるよ。いつものことだ。貧民窟にだって潜ったことは何度もあるじゃないか」

『だけど、最深部は初めてだ。ダイヤモンド・エルがいるのは最深部だろう』

「そうだなあ」

 どうでもよさそうに答えるとコー・リンは紐を強く引っ張った。が、期待していたほどの水の量は落ちてこない。

「え。これだけ?」

『……最近、雨が降ってないからそんなに水が溜まってないんだよ』

「うーん。髪までは洗えないか。湿らせただけで終わってしまった」

『水晶玉を使えば? まだ残ってただろ、この間、サリの店で買ったのが』

「あー、あれか」

 少し考えてから、コー・リンは首を横に振る。

「だめだ、止めておこう。前に使った時、溺れて死にかけた」

『サリの作る呪具は笑えるからなあ。天才のくせにこんなところに堕ちてきた所以だよね』

「面白がるな。こっちは命がかかっているんだ」

 からからと楽しげに笑う少年に、コー・リンは苦笑いを返すしかなかった。

「まあ、とにかく、丸腰で貧民窟に出向く気はない」

 浴室を出ると、仕切りの板にひっかけておいたタオルで体を拭きながらコー・リンは言った。

「昨夜の戦利品も換金したい。これからサリの店に行ってみよう。呪具も探せば少しは使えるものもあるだろう」

『そうだな。で、今夜、決行?』

「準備が整い次第ってとこだな」

 コー・リンは部屋に戻ろうとした足を止め、ふと、屋上の向こうに広がる景色を振り返った。

 彼らが住まうのはいわゆる貧民街と呼ばれる貧しい人々が暮らす区画だ。錆びた色をしたバラック小屋が立ち並び、整備が行き届いてないため水はけが悪く、常に地面は汚水で湿っている。人々は貧困にあえぎながらこんな不衛生な環境の中、ぎりぎりの生活を送っているのだ。

 すぐ近くにあるゴミ集積場には種々雑多な廃棄物の山に、生活のため、少しでも金になるものを集めようと毎日、子供たちが群がっていた。そこはとんでもない悪臭が立ち込めているのだが、子供たちはものともしない。歯を食いしばり、目をぎらぎらと光らせて闘うようにゴミを漁る彼らには、弱さも羞恥もくだらないプライドもない。そこにあるのは自分や家族の生活を守ろうとする強さと、生きるということへの純粋な執着だけだ。

 初めて彼らの姿を目にした時、コー・リンはただ感動した。これが生きるということなのかと。


『あんたは幸運だよ』

 背後から、少年が静かに言った。

『もし、サリがあんたを拾わなかったらどうなっていたか判らない。空に住めて幸いだ』

「私にはゴミの山を漁る根性はないか」

 自虐的に笑ってコー・リンが言うと、少年も少し笑って言った。

『どうかな。盗人になるくらいなら、ゴミの山を漁る方が人としてはずっとましだと思うけどね』

「言ってくれる」

『でも、貧民窟に堕ちるより、ここに……空にいる方がまだ自分を保てるとは思うよ』

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