第2話

「そうだな。しかし、その金持ちの依頼人はダイヤモンド・エルの蜜を使って何をしようっていうんだろう」

「そこは詮索しっこなしだよ。で、どうする? 気が乗らないなら断ろうか? 無理することはないよ」

「優しいんだな」

 にこりと微笑みかけられて、カシスは慌てて言葉を継いだ。

「ち、違うよ! お前に失敗されたら、仕事を紹介したうちの沽券こけんに関わるってハナシだよ。その心配であって、お前の心配じゃないんだからね!」

「判ったよ、そう吠えるなよ」

 コー・リンは文字通りお手上げと両手を上げて笑いかけると、不意に黙り込み思案を始めた。その様子をちらりとカシスは盗み見る。

 柔らかそうな黒髪に、黒曜石の輝きを秘めた眼差し。すっと通った鼻筋は上品で、凛々しい顔立ちをしていた。美男というほどではないのに、何故か魅力的なこの花を専門とした盗人は、時折みせる優雅で何気ない仕草ひとつでカシスの乙女心を騒がせた。

「……どうした?」

 視線に気付き、上目遣いにこちらを見るコー・リンにぎくりとして彼女は慌てて言う。

「な、な、何でもないよ。待っているだけだ、お前の返事を!」

「ああ、そうだな。待たせて悪い」

 すっと短く息を吐くと、意を決したようにコー・リンは言った。

「受けよう」

「……いいのかい?」

「ああ」

「そうか。では期限は三日だ。今日から三日の内に、あたしの店に成果を持ってきな。お前は直接、依頼人に会うことはない。報酬はいつもの三倍。それもうちの店を通して渡す。いいな」

「ああ。下賤な盗人は高貴な依頼人のご尊顔を拝見することは叶わないってわけだ」

 コー・リンは物憂げにそう言うと、ゆっくりとベッドから立ち上り、そしていきなり服を脱ぎ始めた。慌てたのはカシスだ。顔を真っ赤にして騒ぎ立てる。

「ちょ、ちょっと、お前、何脱いでいるんだ! 乙女の前だぞ!」

「今から水浴びをしようと思って。見物していくかい?」

「だ、誰が!」

 カシスはそう言うや、靴音も荒々しく部屋を出て行った。ばたんと扉が閉まると、やれやれと肩をすくめて少年が言う。

『からかってやるなよ、彼女は強がってはいるけど根は純情なんだ』

「カシスは怒る顔が可愛いから、ついいじってしまうんだよなあ」

 すっかり裸になったコー・リンは、笑いながらそう言うと、そのままガラス戸を開いて屋上に出る。

 屋上の隅には四方を板で囲んだだけの粗末な浴室があり、コー・リンは慣れた様子でその中に入った。垂れている紐を慎重に引っ張ると、天井に吊るしてあるタライが小さく傾いてわずかな量の水が落ちてきた。屋根の勾配を利用して、雨水が樋を通してタライに溜まるようになっているのだ。その水を使い込んだタオルに湿らせ、小さくなった石鹸で泡立てると、コー・リンは体を洗い始めた。

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