第7話

『すけべ。変態。女たらし』

 思いつく限りの悪口を並べたてながら、碧い炎に包まれた少年は、夜の道をコー・リンと歩いていた。

「小僧、その悪口、いつまで続くんだ?」

『女なら誰でもいいのか。あんな変なオバサン』

「それは彼女に失礼だぞ。彼女のような身分の女性は、まだ十四、五歳くらいの年頃に親が決めた相手と結婚させられてしまう。彼女の場合は、二回りも年上の男の元に嫁がされ、しかもその男、結婚当初から、愛人の家に入りびたりで妻である彼女のことをまったくかえりみなかったそうだ。

 彼女はあの暗い屋敷の中で孤独にさいなまれながら、ただ、帰ってこない不実な夫を待つ毎日だった。それが何十年も続いたんだ。おかしくもなるさ」

『何だよ、それ。寝物語に聞いたのか』

「うるさいな。政略結婚であろうが妻を大切にする男もいるが、ないがしろにされてしまう妻も珍しくないということだよ。彼女を毒々しいバラの花に変えてしまったのは男の罪だ。彼女のせいじゃない」

『甘いな。女に甘すぎるよ、リンは。……あの女は力づくでリンを攫って僕らを引き離し、無理やり言うことを聞かせようとしたんだぞ。そんな女に優しくしてやることなんてないのに。マーガレットの極上の蜜までほどこしてやって、大損だ』

「その価値はある。マーガレットの蜜は、ひとりの不幸な女の心と身体を自由にするんだ」

『自由って……奔放や破天荒がかい?』

「そう。それから慈愛もね。彼女は、結婚前はテニスや乗馬をたしなみ、動物を愛する快活で優しい少女だった。今からでも遅くない。日の当たる外へ出て行き、堂々と人生を楽しめばいい。そうしていれば、彼女を愛してくれる男は何人も現れる。暗い屋敷の奥で嫉妬に身を焦がしながら、帰ってこない不実な夫を待ち続けて、身の内に咲く美しい花を枯れさせることなんかないんだよ」

『モノは言いようだね』

 溜息をつくと少年は憮然として言った。

『結局、タダ働きしただけじゃないか』

「ほら」

 と、コー・リンが不意に少年に手渡したのは、大粒のルビーがついた首飾りだった。

『え。これって、あの女が付けていた……いつの間に』

「知らなかったのか? 私は盗人だぞ」

『ああ、そうですか』

「さあ、急ごう。そろそろ夜が明ける」

 コー・リンは、白み始めた東の空を見上げて言った。

「朝の清廉な日の光は、盗人と幽霊には毒だからな」

『うん……』

 少年はコー・リンの腰に収まっている短剣をみつめた。碧い鞘は『天空の欠片かけら』と呼ばれる宝石で装飾されている。

 指先だけでそっとそれに触れてみた。冷たい感触がはっきりと伝わってくる。

「どうした?」

 こちらを不思議そうに見るコー・リンに、少年はかすかに微笑む。

『何も。ただ、あんたといると、自分が何者なのか時々判らなくなるなと思って』

「そうか」

 少し考えてからコー・リンは言った。

「ならいっそ、すべて忘れてしまえ」

『乱暴だな』

 そんなこと出来るわけがない。


 少年は目を細めて、明けてゆく空をみつめた。



(蜜に酔う おわり)

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