第5話

『……はあ? その女に使うのか? 勿体ない。頼まれてもないことをするなよ。あのマーガレットの子は娼婦だったけど、心は純で慈愛に満ちていた。少しばかり奔放で破天荒なところもあるけど、それでも彼女の蜜は極上だよ』

「奔放、破天荒上等だ。だから使うんだよ。ほら、早く」

 片手を差し出すコー・リンに、仕方なく少年は手の平から小さなガラス瓶を出現させ、それを彼に放り投げた。

「ありがとう」

 にこりと笑って小瓶を受け取ると、コー・リンは片手で器用に瓶の蓋を取る。中に入っているのは透明度の高い黄金色のなめらかな液体……花の蜜だ。これはただの蜜ではない。心の奥にひっそりと咲く人の体が宿す花からとれる蜜。

 それを取り出せるのは碧い鞘の短剣を所持するコー・リンのみだ。


 小瓶をゆっくり傾けて、ほんの一滴、バラの花弁に蜜を落とした。彼がしたのはそれだけのことだったが、その途端、毒々しく黒ずんでいたバラの色がすっと鮮やかな真紅に変わった。

 うっと小さく女が呻く。

 それを合図に、再度、コー・リンは鞘から引き抜いた短剣の、冷たい刃を女の胸元に当てた。すると大きく裂けていた傷口はみるみる閉じてゆき、最後には何事もなかったように、傷ひとつない滑らかな胸元に戻った。その胸を優しくコー・リンは手の平で撫でる。途端に女は意識を取り戻した。はっと短く息を吐くと、慌てて半身を起こし、露わな胸を両腕で隠す。

「な、何なの……!」

「気分はいかが、マダム?」

「気分?」

 彼女はぽかんとコー・リンの顔をみつめた。

「あなた、私に何をしたの? どうしたのかしら。あんなに苦しかったのに、心が軽くなっている……」

「それは重畳。まだ、夫の愛人の美貌を奪いたいですか?」

 少し考えた後、女は静かに首を横に振った。

「潰れそうなくらい心に溜まっていた嫉妬や怒りが今の私には感じられない……どうして? 自分が自分でないようよ。怖いわ」

 彼は怯えて逃げようとする彼女の体をやや強引に自分に引き寄せると、至近距離で囁いた。

「怖がらないで。本来のあなたに戻っただけです」

「本来の、私?」

「あなたは心に可憐な花を持つ優しい女の子だった。その花に嫉妬や怒り、焦燥などのつまらない毒を含ませてしまったのは誰なんだろう。あなたの花を汚してしまったのは誰なんだろう」

「それは……」

「あなたをないがしろにして帰ってこない夫か、それともこの沈鬱とした屋敷の重たい空気か。そんなもの、あなたには必要ない。あなたは常に自由だ。こんな屋敷に籠っていないで、いつでも外に出て明るい日の光を浴びればいい。あなたの花にはそれが必要だ」

「……自由? そんな言葉、何年ぶりに聞いたわ」

「何度も言おう。あなたは自由だ。あなたは愛されるべき人だ。誰かに嫉妬する必要などはない。そのことに気付けば、あなたはずっと自由でいられる」

「私が愛されるべき人?」

「そうだ」

 女はふと、熱のこもった瞳でコー・リンを見た。

「あなたも私を愛して……くれる?」

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