【試し読み】EP5


 いつも通りの教室だが、いつもとは違う日常が花開き始めている。


 開くは一冊のノート。そこに広がるのは可愛い女の子の文字。もうお分かりだろう。俺の心は東條風花とうじょうふうかさんとの〈交換ノート勉強会〉のおかげでキラキラと輝いているのだ!


 男子寮改善? そんなもの今は棚上げだ! 世の中には優先順位というものがある。今一番優先すべきことは〈交換ノート勉強会〉! これは世界の常識です!

 

 とはいえ、例の〈願いの叶うお祭り〉のことは気になるのだが……ああ駄目だ、ノートを走るペンが止まらない!


「ふっふふふふーん♪ はっははははーん♪」


 気持ち悪い鼻歌が聞こえる。誰のって? 俺のだよ!

 でもそれぐらいに楽しい時間なのだ。この〈交換日記風勉強会〉には、男子寮につぶされてしまった俺の夢が全て詰まっているといっても過言ではない!


「ダイリはなんで鼻歌を歌ってるの?」

「……次のニュースです」

「一人ニュースゴッコしているという設定で乗り切ろうとしても無駄。答えて」

れん。ごはん食べ行くか?」

「行くけど、その前に理由を教えて――なんでダイリはあのとき私の服を脱がしたの?」

「質問変わってるからな!?」


 ヒソヒソと一部のクラスメイトがこちらを見て眉をひそめている。


「もう鼻歌すら歌える気分じゃない……」

「そう? ならゴハンいこ?」

「はい……」


 自分の存在しない、俺の楽しい気持ちを壊さないと気が済まないとは……。恋といいタバ姉といい妹の双葉ふたばちゃんといい、本当に俺の青春をブレイクしてばかりで対処に困る。



 なんとか昼食を食べ終えて、授業開始のチャイムと共に着席。

 さきほどは途中で終わってしまった返答を書こうとノートを開くと、いつもより付箋ふせんの数(メッセージ用)が多いことに気が付いた。


国立くにたちさんへ。数日後にGWゴールデンウィーク という長期休暇に入るそうです。期間中は図書館で勉強をしたいと思っています。あの……もしよろしければ、国立さんもご一緒にいかがですか?』


「えっと」


 目をこすってみた。


「……透かしか、あぶり出しか?」


 いや、落ち着け俺。これは間違いなく二人での勉強会に誘われているのだ。


「まじかよ……」


 本当に春が来たらしい。とんとん拍子で信じられないが、これは夢ではない。

 日が落ちて、男子寮に帰った後も、俺の心には日が照っていた。やはり夢ではない。


「いやあ! 青春っていいですねえ!」


 本当に世界が輝いてる! こんなおんぼろ寮なのにまるで天国みたいだ!

 タバ姉を中心とした様々な過去を知る金太きんたが、しかめ面で口を開く。


「あーあー。どうせまた失敗するくせに大理だいりも学ばねえなあ」

「っは。今度こそ失敗なんてしないね! 俺は青春を謳歌おうかするんだ……!」


 タバ姉にも恋にも邪魔されてたまるか! 絶対にし遂げてみせる!


「ゴールデンウィーク、早くこないかなあ!」



 *



「とうとうきたぞ! 光り輝くゴールデンウィーク!」


 あっという間だった。相対性理論ってこういうことだったのだ。


「おい大理。ボランティアも終わったんだろ? 男子寮のことはどうすんだよ」

「それはもちろん考える。今日の夜にな」


 とにかく今は図書館へ急がねば。せっかく早起きして髪をセットしたり綺麗な服を選んだり妄想をしたりしたのだ。これで遅刻していては元も子もない。


 よし。最後の確認をしよう。


 筆記用具と図書館使用のための生徒手帳――よし!

 新品のノートと教科書――よし!

 飲み物とお金――よし!

 婚姻届けと印鑑――よ……よくない!


「ダイリ。押印するか、行く場所を教えるか、どっちかにしてね」

「ただいま電話にでることができません」

「留守番機能を真似まねてもダメ」

「ピーという発信音の後にお名前とご用件をどうぞ」


 この間に荷物をまとめてダッシュだ!


「婚約者のみなみ恋です。式場の予約をしたのですが、不在なら一人で契約で進めてきます」

「今すぐキャンセルだ!」

「居留守を使うから悪い。それでどこへ行くの?」

「別に大したことじゃない。図書館で勉強するだけだ」


 タバ姉との付き合いで学んだことがある。人をだますときは半分以上の真実をまぜると成功率があがる。重要なことだけを隠すのだ。


「じゃああたしもついてくね」


 駄目だった。こうなったら力技しかない。恋の肩に手を置き、真正面から目を合わせる。


「ダイリ……?」

「恋、目をつむれ」

「え?」

「二度言わせるな。真剣と書いてマジな話だ。良いというまで開けるなよ」

「う、うん……つむったよ」

「恋、俺もそんなに経験はないが、全て任せてくれるか?」

「うん……! あたしも初めてだから……!」

「いや、これで二回目だ」


 恋を布団でスマキにして逃げた。



「第二図書館ってココで合ってるよな?」


 やたらと広い学園内。知っているだけで大小三つの図書館がある。さらに内一つは第四図書館という札が掛かっていたので少なくとも四つは存在するのだ。

 

 俺はノートからはがしておいた付箋を今一度確認する。あのあと何度目かのやり取りで、この付箋を手に入れた。


『待ち合わせは第二図書館でいかがですか。一番奥の席に座っておきます。目印に小さな犬のぬいぐるみがついているポーチを置いておきますね!(可愛い犬のイラスト)』


「指さし確認よし! 合ってる!」


 というわけで入館。図書館だけあって静かだ。第二図書館は知る限りでは一番大きな図書館で、奥へいくまでに何十メートルも歩く。

 夢が現実になるにつれて、手に汗がにじんできた。そもそも本当に居るのだろうかなどという愚考がよぎったころ、一人でぽつんと座る少女の背中が見えた。


「小さな犬のぬいぐるみ……!」


 机の上に後ろからでも分かる程度の大きさの犬のぬいぐるみが見える。横にポーチも見える。背中を向けて座っているので顔は見えないが、あちらも緊張しているのだろうか。


「とにかく、きた」


 俺の春がきた! 期待と不安が入り混じる中、さりげなく机を迂回うかいし、突然現れたかのように見える角度から接触を試みた。


 さりげなく、さりげなく、下心などありませんという体で頭を下げる。


「はじめまして、国立大理で……す……?」


 頭が上がり視界が開けると、目の前に見知った顔が現れる。

 おいおいうそだろ、どうするんだ――脳の冷静な部分が計算を始めた。


「あ! く、国立さんですか……! はじめまして! わ、わたし――」

「――東條、風花さん」

「は、はい!」


 東條風花さんはそう言うと、ぴょこんと頭を下げた。小動物のようでとても可愛い。

 きっと頑張り屋で、無理をしすぎるところもあるのではないだろうか。そういうひたむきさが表情や仕草からにじみ出ている。だからこそ、お風呂場で湯あたりを起こし、潜入した男子生徒に介抱されるような事態になるのだろう。


「……? 国立さん?」


 首をかしげるその姿のなんと可愛いことか。

 写模しゃもに言ってやろう、『レア以上確定どころか、ウルトラレア確定だぞ』と。



 そう。目の前の少女〈東條風花〉は、俺が風呂場で救ったメイド――夜学生メイドに違いなかった。



「ここは、こうやって考えるといいよ」

「あ! なるほどです。国立さんってやっぱりすごいです!」

「いやあ、それほどでも……」


 父さん母さん、お元気ですか。勉強会、すごい盛り上がってます。

 よくよく考えてみれば、俺が何かを言わなければ、何かがバレるということもないのだ。

 必要以上にきょどるほうがヤバい度MAXなのだから、至って普通に接してればいいのだ。


「しかもあれは人命救助だったのだ……!」

「じんめい?」


「あ、いや! こっちの話!」


 あわてて手を振って否定したら、消しゴムを落としてしまった。


「「あ」」


 ユニゾンしながら、二人で手を伸ばす。

 するとどうだろう。まるで少女漫画を見ているかのように、二人の指先が触れ合った。


「あ、ごめん」

「す、すみません」

「いや、俺こそ……」


 自然と目が合い、東條さんが恥ずかしそうな笑みを浮かべるが、視線は外さずにこちらをずっと見つめてくる。


 父さん母さん、お元気ですか。息子は今、すごいドキドキしています。


「あの、国立さん、一つ質問しても良いですか」

「え? いいよ! もちろん!」


 この流れはアレだろ。アレだよな!

 すぐに答えるぞ。付き合ってる人は今は居ないよ、って即時に回答するぞ。昔も居ないがそんなことはどうでもいい! いますぐフラグを立ててやる!



「国立さんとわたしって、以前お会いしたことありますか?」

「ないです!(涙)」


 バレるくらいならフラグを折る。


「そう、ですか。そうですよね……すみません、変な質問をして」


 東條さんは、さきほど触れ合った指先をさすりながら首をかしげた。


「でもなぜか国立さんの声を、どこかで聞いたような気がして」


「俺、よく雄叫おたけびあげるから、それじゃないかな(滝涙)」

「おたけび、ですか……?」

「はい、すみません(放心)」

「……っ」


 東條さんが突然下を向いた。肩が揺れている。泣いているようにも見えて、あの夜の記憶と重なった。


「え? どうしたの? 大丈夫?」


 ハッと顔を上げた東條さんはしばらく俺を見つめてから、やはり肩を揺らした。けれど今度は表情が見える。どうやら笑っているようだ。


「す、すみません。悪気はないんですが、ロッキーにすごい似てるから、おかしくて……」

「ロッキー?」

「ロッキーは、昔に飼っていた大型犬なんです。おちこむと、あからさまに表情が変わるので、今の国立さんにそっくりで……!」

「犬……」

「あ、ご、ごめんなさい、気を悪くしますよね。すみません……」

「ああ、いや! モルモットより、大型犬のほうがマシだから!」

「そう、ですか? ありがとうございます」

「犬、好きなんだ?」

「どうでしょうか。犬というよりも、ロッキーのことが大好きでした」

「……? ああ、そうか。今はその犬に会えないんだね。寮生活だから」

「え? ああ、そうですね。会えません……けど、寮生活ですか」

「どうかした?」

「あ、いえ。私が寮生活をしていること、お伝えしましたっけ……?」

「あ!?」


 そうだ。夜学生=寮生というわけではないのだ。夜学にも通学生はいるのだ。

 慌てふためいているうちに、ぽんと言葉が飛び出した。


「学生メイドさんだと、確実に寮生だからさ、それで――」

「え?」

「あ」


 俺のバカ! メイドなんてこと、なおさら知らないはずだろうが!


「いやあ! なんだろう! つまり俺が言いたいのはさ!」


 顔が熱い。やっちまった感をごまかすようにノートで顔をあおぐ。その瞬間だった。ノートの間から何かが、ふわあと抜け出して宙を舞い始めた。ゆっくりと時間をかけて、羽毛が落ちるような軌跡を辿たどり、首をかしげる東條さんの前にポトリと落ちる。


 それは写模から購入した戦利品――東條さんのメイド服姿の隠し撮り写真だった。


「あれ、これって……私?」

「はい(無心)」


 もう駄目だ。俺は全てを白状しようと口を開き――、


「――ダイリ、その写真なに? 持っていることは責めないから、入手ルートを教えて」


 恋の声に中断させられた。


「恋!? なんでここに!」


 って、聞くだけ野暮だった。図書館とまで伝えた以上、見つかるのは時間の問題だった。


「え? え?」


 東條さんの頭はもはや故障寸前のようで、写真と俺と恋の間をいったりきたりしている。


「ダイリ。勉強じゃなかったの? その写真、どこで手に入れたの?」


 金髪美少女がとても怒ってらっしゃる。普段なら言い返すが、今は言葉が浮かばない。

 周りが違和感に気が付き始めた。


『え? なになに。修羅場?』

『あれって星組のツンデレラじゃないの』

『男のほう顔見える? イケメン?』

『イケメンっぽいけど……あのレベル相手に二股は、ナイ顔系のムリ顔系』


 誰か最後のやつに〈遠慮系〉という言葉をインプットして。


「……あ!」


 女子特有の何かを感じ取ったのか、東條さんは立ちあがると、頭を下げて、とんでもない勘違いを口にした。


「もしかして、国立さんの彼女さんですか!」

「「え!?」」


 恋と俺の声がハモッたが意味は全く違うだろう。


「そ、そうですよね、国立さんに彼女さんがいるなんてこと、ちょっと考えればわかることなのに……わたし、なんて失礼なことを……あの、わたし国立さんに勉強をおしえてもらっている東條風花といいます! 夜間学級で国立さんに席をお借りしています!」

「へいき。それは知っているから」

「それを知ってんの!?」

「あ、そ、そうでしたか!」

「おい恋。東條さんへの過度な圧力はやめろ。俺たちは勉強していただけだ」

「へいき。その圧力は未知のルートから写真を手に入れた男子学生に向けて発しているの」

「~~~♪(口笛)」

「……ダイリのバカ」

「ちょ、おまっ―――っ!? 静かにつぶやきながら椅子を投げようとするな! おい、まじでやめろ! 当たったら最悪死ぬぞ!?」


 ギブアップのタオルは司書さんが怒りの顔と共に投げてくれた。

 無事に俺と恋は第二図書館数か月出禁となりました。



 *



「散々だ……」

 場所は変わって、第二図書館から離れた校門近くの喫茶店。学生以外も入れる区画が姫八ひめはち学園には多数存在していて、この場所もそういった場所にある。


「ダイリのせい」

「だから写真のことは誤解だっての。ちょっとした偶然の連続で手に入れることになっただけなんだよ」

「そうじゃない。結婚式場の見学時間が過ぎた」

「留守電ネタがネタじゃなかっただと!?」

「け、けっこん……?」


 口を半開きにしたまま、俺達を観察する東條さん。


「いや誤解だからね、東條さん」

「誤解じゃない。こっちをみて、ダイリ」


 最初はこういう感じで座っていたのだが、

   

     俺

     ○

 東條さん 恋



 なぜか今では恋に真正面から詰問される形になり、


    俺

    恋

    ○

    東條さん

 

 みたいになっていた。

 

 俺もテーブルを使いたい。水のコップ、置きたい。

 それから数分後。飲み物が運ばれてくると恋の気持ちも若干おさまったようで、写真の件も不問となった。恋としては、俺の動きを追えなかったことが怒りの発端なのだろう。


 さすがの恋も、写模の動きは追えなかったということか。

 東條さんからしてみれば自分の写真の件よりも、恋のほうがインパクトが強かったようで、もはや一連の騒動はうやむやのまま流れていた。


 めでたしめでたし。


「わたしも一緒に勉強する。勉強は苦手じゃないし、東條さんにも教えてあげる」

「めでたくなかった!」

「え? ほ、本当ですか、国立さんの彼女さん!」


 恋が無表情のまま固まった。


「今の、いい」

「え?」

「もう一回わたしのこと呼んでみて」

「……? 国立さんの彼女さん、ですか?」

「いいねボタンどこ?」

「あっても押すな」


 とりあえず東條さんには恋のフルネームを教えておいた。


「それで、恋も勉強するって本気かよ……」

「する」

「で、でも、しばらく第二図書館は使えませんね。第一図書館は学校の中で、休みには使えませんし、第三は北側ですごい遠いですし、第四は個別の机があるタイプだそうで、集団での勉強には向かないそうです」

 

 すごい調べてるな。もしかしたら俺との勉強場所探しで知ったことなのだろうか。やはり頑張り屋というか、ひたむきなタイプなんだろうな。


「そっか。残念だな、恋。会場がないなら、勉強なんてできないぞ。これであきらめ――」

「――大丈夫。とっても静かで快適な場所を知っているから」

「わ、ほんとうですか! ありがとうございます!」


 恋がこちらを見て、とっても静かに笑った。


「ダイリのよく知ってるとこ」


 嫌な予感がした。



 *



 場所は変わって男子寮。

 繰り返す。

 男子寮。


「男子寮ですんのかよ!?」

「そう。静かだし、椅子を投げてもストップされない」

「勉強しような!?」


 東條さんが男子寮を見上げている。


「わあ、とっても……、……、……、……長い歴史を感じます!」


 考えた結果、東條さんなりの良い表現が思いついてくれてよかったよ。

 そういう表現をすると確かに格好がつく建物である。物は言いようってことか。


「さ、いこ」


 有無を言わさずに恋が入館。何度か来館しているので案内も必要としていない。一番まともで、さらにはでかい部屋である食堂へずかずかと乗り込んでいった。


 途中何名かの男子寮生とすれ違ったが、『な、なんで男子寮に女……うおおおおおおお!?』とか、『あれ、カードの見過ぎで実体化し……うおおおおおおおお!?』とか『うおおおおおおお!?』とか、お前らは、うおおおおおしか言えないのか、とツッコまずにはいられなかったが、入室を止められることはなかった。


「とてもにぎやかで明るい方々ですね!」と東條さんはいちいち、男子生徒にお辞儀しては感心していた。寮生は決して楽しませようとしているわけではないのだが、東條さんのエンジェルスマイルのせいで〈うおお製造機〉になり果てていた。


「さ、始めよ。なにからする? なんでもいいよ」


 人見知りのくせに、恋はすらすらと場を進めていく。おそらく例の呼び方が異常にうれしかったためだろう。無表情のままテンションが高い、というかくし芸を披露しているのだ。


 なにより東條さんがやけに犬属性っぽいのが効いてる。いちいち「恋さん、ここ! ここわかりません!」とか、「すごいです! さすがです!」とか、「国立さんと恋さんって、いつからお付き合いされてるんですか􌍔」とか、これまた別の意味で場を回すものだから、恋も胸の動悸どうきが収まらない感じで、呼吸も荒いし、なんだかふらついてるし――って、おい! 本当に倒れそうじゃないか!?


「おい恋! 落ち着け!」

「う、うん」

「深呼吸をしろ!」

「う、うん」


 うれしすぎてツッコミの切れも悪く、『う、うん』しか言えなくなっている。


「ふう……もう、へいき」


 オーバーヒートしてしまった恋を落ち着かせて、勉強再開。しかし東條さんは天然のツンデレキラーだったのか。おそるべし天然メイド。


 そんなことをしていると、ふと出入り口から声がした。


「――ヨオーシ! 筋トレして汗かいちまったなあ! プロテインでも飲んで、クールダウンといきますかね!」


 大根役者以下の棒読みをしているのは、我らが金太君だった。


 俺と恋が、冷めた目で観察していると、ちらちらと俺達を――というか見慣れぬ女子である東條さんにアピールするかのように、自慢の左大胸筋や上腕二頭筋を主張し始めた。


 俺は業務用の大型冷蔵庫(なぜかこれだけは立派なのだ)から、金太が作り置きしていたであろうドリンクを出すと、陰でワサビのチューブを絞ってからシェイクして手渡した。


「おお、これはわが友、大理くん! シェイキンまでしてくれて感謝する!」

「気にするな、親友だろ。それじゃあ、ぐぐっとどうぞ」

「おう! オレの筋肉あふれる飲みっぷり、その目でしかと見てくれよな!」


 ちらちらと東條さんを見ながらの一気飲み。男らしさをアピールしたのだろうが、


「――ぐお!?」


 口の端からわさび色の何かを垂らしながら、そのままダッシュで退室となった。

 大丈夫、わさびだから鼻から抜ける。金太、恨むなよ。


「あの方は……? 大丈夫でしょうか……?」

「気にしないでいい。あれは懸賞金をかけられている脱走ゴリラ。じきに捕まる」

「そう。あれは気にしなくていい」

「そ、そうですか」

「それよりも……恋、気が付いてるか?」


 俺は気が付いた。金太のバカのおかげといってもいいが、この部屋は……。


「うん。囲まれてる」

「だよな」

「おそらく十名程度」

「一年の男子寮生がそんくらいだからな」

「突破する? 右辺の壁はもろいからいける。援護をもらえれば初撃で三人」

「何の話をしてるんだお前は」


 ハードボイルドの一幕みたいだが、囲んでいるのは食堂を使いたいけども女子がいるから緊張して入れないやつか、アピールしたいが緊張して入れないやつのいずれかだろう。


「たしかにワルいのは、あたしたち。ここは男子寮なんだから、あたしたちが退散すべき」

「まあ、そうだな」

「え? え?」


 事情が分からぬ東條さんを巻き込む形で勉強道具を片付ける。


「ダイリの部屋にしよ」

「そうなるのか……」

「え!? え!?」


 男子の部屋というワードに反応したのだろうか。慌て始めた東條さんには悪いが、壁のない部屋に通されるとは思いもよらないだろう。


「しょうがない。俺の部屋でやるか」


 というわけで――移動をしようと食堂のドアを開けたところ、十名ほどの男子生徒が一気になだれこんできたが、何事もなかったかのように通り過ぎることにした。



 *



 空に月が浮かんでいる。女子寮への道を、俺と東條さんは肩を並べて歩いていた。

 楽しい時はあっという間に過ぎるものだ。男子寮での勉強会は思った以上に盛り上がった。結果、遅くなってしまった東條さんを、女子寮近くまで送ることになったのだ。


「今日はありがとうございました。送ってまでいただいて、本当にありがとうございます。色々と勉強になりました……!」

「俺の部屋、落ち着かないみたいだったね、ゴメンね、生活環境が悪くて」

「い、いえ! こういうことは初めてだったので……!」

「まあ、そりゃそうだよね。俺だって、壁が抜けた部屋なんて初めてだよ」

「あ、い、いえ! そうですね! それでいいです!」


 恋は一足先に帰っている。手はかかるが全く憎めないキャラの母親に夕飯を作るためだ。

 裁縫だけはやけにうまい元女優の母親は、助けがいないと食べられる料理にありつけない。


「嫌じゃなかった?」

「え! とんでもないです! とっても楽しかったです!」


 東條さんは指折り数え始めた。


「お友達も増えました! 熊飼くまがいさんに、北狼ほくろうさんに、乱麻らんまさん……あと、恋さんも!」

「一応断っておくけど、恋とは結婚しないからね。付き合ってもいないからね」

「え!? そうなんですか!?」

「え!? 信じてたの!?」


 ショック!


「でもあんなに美人な方なのに……」

「東條さん。人は外見じゃないんだよ。中身なんだよ」

「中身だってとっても素敵です!」

「まあ、確かにね。確かにそうなんだけどね」

「でも……人には色々とありますよね。なんとなくですけど、わかります」

「ん?」


 途端に様子の変わった東條さんの物言いに、思わず顔を向けた。

 東條さんはどこか寂しそうに笑った。


「私にも、私にしかわからない大事なものがたくさんあります。だからきっと国立さんのお話もそういうことなんだろうなあって思います」


 俺は夜空に視線を向けて、すこーしだけ恋のことを考えてみた。


「うん。確かにそう、だね」


 恋のことをそこまで意味深に考えたことはなかったけれど、確かにそういう話になるのだろう。恋のことは好きだ。でもそれは友達として好きなのだ――と思っている。


「東條さんの大事なものを聞いても平気?」

「そうですね。うーん……」

「ああ、ごめん。言いたくないなら別に」

「あ! いえ! そうじゃないんです!――ただ、なんて説明すればいいのか。きっとこれは目に見えないもので、手に入れても気が付きにくいものだと思うんです」

「ふむ?」


 なぞなぞみたいだ。


「ナゾナゾみたいになっちゃいましたね」

「あ、今俺もそう思った」

「本当ですか? 心、通じ合っちゃいましたか」

「通じ合っちゃいましたね」

「ふふっ」


 東條さんは口に手をあてて、上品に笑って見せた。


「わたしが欲しいものは〈私が私である人生〉です」


 意外と哲学的だった。


「たしかにそれは難しそうだ」

「はい。でも、だからこそ姫八学園に来ました――ここで、自分の力で色々なものを見て、手に入れて、考えて、組み立てて、それが私になっていくのだと思ってここへ来たんです」

「それは順調?」

「……はい! だって、今日も偶然から始まったとはいえ国立さんと――あ! 女子寮が見えちゃいましたね、ざんねん。魔法はここまでのようです」


 気が付かぬうちに警備員の姿が見えるほどまで近づいていたようだ。ここには因縁があるので、いつかまた来てやろうとは思っていたが、まさか女子の送迎の為に訪れるとは。


「よければ続きはまた今度話そうよ。GW中には何度か送ることもあるだろうからさ」

「え?」


 東條さんは突然立ち止まると、ポカーンとしたまま停止した。


「あの、明日も、勉強会あるんですか……?」

「え? ないの?」


 GW中、ずっとうはうはだと思って、俺、姫八学園の不特定掲示板にリア充っぽい話を連投しちゃったんだけど……はずかしいんだけど!


「あ、いえ、そうですか……明日もあるんですね! よかった! 明日もあるんですね!」

 急に元気になる東條さん。大事なことなのか、二回同じことを言っていた。


「わたし、てっきり今日で終わりだとばっかり思ってて……」

「それはまた、なんで?」

「うーん。なぜ、でしょうね。なんだか、国立さんにも国立さんの世界があるんだなあって思ったら、わたしはわたしだけの場所に帰らないといけないと思ってしまったんです。きっと交換日記みたいな事をしていたから、二人だけの世界だと信じていたのかもしれません。とんだ大ばかさんですね」

「東條さん……」

 

 なんかホロりときた。俺は今とっても感動している!

 月明かりが照らす中、俺と東條さんは見つめあっている。

 どこからかささやく声が聞こえた。それはきっと天に輝く星々が俺達のことをうわさして――。


「――あ! ちょっとボクもギリギリだって! 押さないで!」

「――お、おい! こっちの枝はやべえぞ! 折れるって!」

「――拙者は脱出。否、手遅れでござった」


 ドシーーーン! バキバキ!――唐突に背後の木が折れた。


「え!? え!?」

「東條さん。また明日。俺はいま唐突に殴らないといけない熊飼金太を思い出したからこれで失礼するよ」

 

 のぞきをしていたな、あいつら! やけに簡単に送り出してくると思ったんだ!


「うおおおお!? なんでオレだけ殴られんだ!? 猪助いすけと写模だっているだろ!」

「写模はお宝写真で手打ち! 猪助はなんとなく手打ち!」

「ひでえ! うわあああ、ちょっと待て、ちょっと待て! 話せば分かるだろおおお!?」


 女子寮の警備員が飛んでくるまでに、時間はかからなかった。



 *



 慣れというのは怖いもので、一部の男子寮生は別としても、猪助や写模をはじめとした適応力Aの人間らは、東條さんや恋の勉強通いに数日で慣れていた。

 今も麦茶を手に入れて戻ってきてみれば、猪助と東條さんが話していた。


「今年のゴールデンウィークは学園長の計らいで関係者全員が十連休なんだってさ」

「そうだったんですね! メイド業も休みになるので、とっても助かってます!」

「モンちゃんのお手入れでもしようかなあ。モンちゃんも長く生きてるから、近頃は反応が悪いしさ」

「モンちゃんさんはおいくつなんですか?」

「んー、三百歳ぐらいかなあ?」

「わあ、モンちゃんさんってすごいですね!」

「そうなんだ、モンちゃんはすごいんだよねー」


 和気あいあいである。ついでにいうと猪助の笑顔がとっても可愛いのは、東條さんのおかげなんだろうか。


 他にも、


「乱麻さんはお写真がお好きなんですか?」

「……(こくり)」

「何を撮ってらっしゃるんですか?」

「……人の夢と書いて『儚』」

「わあ! なんだかすごいですね!」

「……笑止(照)」


 とか、


「熊飼さんってすごいたくさんトレーニングをしてるんですね!」

「おう! 俺の自慢のダンベルセットがこれだ!」

「これ、重そうです!」

「持ってみるか? 一緒に筋トレしようぜ!」

「わ、わ、わ! む、無理です!」

 

 などと、尽きない笑顔を浮かべながら片っ端から話しまくっている。男子とか女子とか関係なく、彼女にとっては人間というひとくくりへ向けての笑顔なのかもしれない。


 ちなみに俺達の部屋を最初に見たとき、東條さんはこう表現した。


『わあ! とっても……、……、……、……開放的で、風通しがいいです!』


 たしかに開放的だ。ものすごいポジティブに捉えた場合、間違いではない表現である。

 東條さんは常におおらかな見方をするものだから、修繕運動をしかけている自分の視野が狭い気がしてきてしまう。俺って心が狭いんだろうか……。


「おまたせ。じゃあ、はじめよ」


 遅れてきた恋が、いつの間にか決まっていた定位置に座ると、足のがたつきを雑誌でおさえた机が主役となる。


 最近では猪助と金太も勉強会に参加していることがある。ここ数日だけで分かったことだが、東條さんは不思議な魅力を持っていて、それは人と人をくっつける作用があるようだ。まるで人間接着剤。とても素晴らしい才能だと思う。


「風花さん」と恋が呼ぶ。恋は認めた人を〈名前+さん〉付けで呼ぶことが多い。

「はい、なんでしょう?」

「コツを覚えるのが早いね。今日のノルマはもう終わり」

「あ! そうなんですか! わたし、問題集をこんなに早く終えたの初めてです!」

「じゃあ予習しておく?」

「はい!」


 予習までするとはすばらしいことだ。恋が俺の荷物を指さした。


「ココとココは開けちゃだめ。いやらしい本が入ってるから」

「なんの予習を始めた!?」

「~~~~~!!」


 ぶんぶん、と無言で東條さんは顔を振る。冗談なのに、顔が真っ赤だ。


「ふああ、なんか腹へったなあ」


 金太が勉強に飽きて、寝転んだ。東條さんの前で格好つけるのも限界のようだ。


「モンちゃんもおなかすいた? なにか食べたい?」

「キワどい話はやめなさい」


 めいめいに好きなことを話していると、パチンと音が鳴る。


「「「「「……?」」」」」


 皆が注目。どうやら東條さんが手を打ち鳴らしたようだ。


「そうでした! すこし、お台所を借りてもよろしいでしょうか?」


 男子寮の台所など、カップラーメンのお湯を沸かす程度の場所だ。


「別にいいと思うけど……なにをするの?」

「前から考えていたことがあるんです!」


 東條さんは身を乗り出して、ニコリと笑った。



 *



「どうぞ! 完成です!」

「「「「「「「「「おお!?!?!?」」」」」」」」」


 インスタント食品だけが陳列する男子寮の食堂に、きらきらと光り輝く手料理が並んでいる。寮に居た生徒全員が集まっており、その全てが机に身を乗り出していた。


 あの後、東條さんはどこかへ出かけてしまった。だが、しばらく待っていると段ボールいっぱいの野菜やら肉やら魚やらを持って帰ってきたのだ。


「近くの商店街の方とお友達になりまして、捨てるものを頂けることになっていたんです! ご遠慮したんですが、軽トラックでお送りしていただきました!」


 たしかに前も商店街の話が出ていた。どうやら東條さんは、姫八学園の近くの商店街の方々に対して、人間接着剤スキルを発動し、短期間で懇意になったらしい。


 結果、ほぼ0円で数々の食材を手に入れたのだ。中には足の早い高級魚なんかも混ざっており、どれだけの人間が東條さんの魅力にはまってしまったかが容易に想像できた。


 それから東條さんは、テキパキと料理を作り始めた。誰に声をかけたわけでもないが、普段では想像もできないようなおいしそうな匂いにつられて、勝手に寮生が集まってきた。


 東條さんが『もう少しですから、お皿を用意していただけますか?』とお願いしたときなんか、皆が訓練された犬のように動きまくっていた。


 そうして完成した料理の量を見る限り、男子寮全体を対象としていたようで、俺ら以外の寮生(二・三年含む)全ての目の前に料理が現れたというわけだ。


 小学校時代の給食を思い出すような図式のもと、先生役の東條さんがニコリと笑った。


「いつも皆さんインスタント食品を召し上がってましたよね? 栄養も偏ってしまいますからずっと気になっていたんです! いつもお邪魔していますので、これはいつものお礼です! どんどん食べてくださいね!」

「おお……?」


 誰かがうめくように応じ、お皿のから揚げを手づかみで口に入れた。

 そして――倒れた。


草薙くさなぎーーー!?」


 サバゲー&FPS大好き草薙(兄)脱落。


「え? え? お、お口に合わなかったでしょうか?」


 焦る東條さんに俺は首を振った。


「いや、うますぎたんだと思う――とにかく、いただきます!」


 俺は場を取り仕切るように大きな声で宣言。他の寮生もひきずられるように手を合わせ、とてもおいしそうな料理の数々に手を伸ばす。


『これが寮の庭に生えていた草? 今度は野草の知識を増やすか……』

『……おら、都会さ来れて、ほんとによがったあ……この調子で嫁っこさ、見つけねえと』

『料理ごときで情けない。どれ一口――あ、これ(昇天)』


 忙しいやつらだった。でもその気持ちもよく分かる。

 俺も一口食べてみた。確かにうまい。東條さんの性格が調味料になっているかのような、優しいながらも芯のある味付けだ。そこに〈女子の手作り〉というエッセンスまで加わってしまえば、寮生の反応も仕方がない。


「肉だ! うめえ! まじでうめえ! 風花ちゃんおかわり!」

「うわあ、本当においしいね。寮でこんなにおいしい料理食べられるとは思わなかったな」

「……絶技。絶技でござる(カメラのシャッター音)」

「ふうん? わたしも一口もらう。ダイリ、ちょうだい」

「あ、おい!」


 恋は俺の食いかけのから揚げをつまんだ。口をモグモグさせながら静かに立ち上がる。


「はひはひ、ほいひい」

「飲み込んでから話せ」


 ごっくんとしてから、再び恋が口を開いた。


「確かにおいしいね。でも、ダイリはもっと濃い味が好き。わたしはそれを知ってる」

「まあな。でも、十二分にうまいぞこれ」

「ん。別に深い意味はない――じゃあお母さん待ってるから、帰るね」

「おう、また明日な」

「ん。風花さん、ちゃんと送ってあげてね」

「お? おう、分かった。寄り道もしないから心配するな」

「大丈夫。GPSで見てるから」

「せめて目視にしろ! マジな監視はタバ姉だけにしてくれ!」

「……? たちばなさんのシステムで確認してる」

「譲り受けるんじゃねえよ!」


 この前なんてGPSが見つからないから結局、物を全て買い替えたんだぞ!?


「冗談。そこまでしてない」

「どこまでならしてるんだ……しかし、あれだな。恋としては珍しいな」

「なに?」

「いや、短期間でそこまで他人に入れ込むのも珍しいなと思ってさ」

「べつに。風花さんはいい子だと思うけど」

「そりゃそうだけど……」

「わたしは――」


 帰り支度を終えた恋は、椅子に座る俺を見下ろした。こいつは美人すぎて、何をしても絵になる。


「――ダイリの世界に住みたいだけ」

「? どういう意味だ――っておい、帰るのか……ああ、行っちゃった」


 残されたのは意味深な言葉と食堂の喧騒けんそうだけだった。



 *



 月夜が飾る舞台の中心を歩きながら、東條さんはペコリと頭を下げた。


「なんだかすみません。わたしの勝手で遅くなったのに、わざわざ送っていただいて……」

「お礼はこっちがするべきだよ。あんなにうまい夕飯なんて久しぶりに食べた」


 いつもカップラーメンとかだもんなあ。冷蔵庫に調味料しか入ってないもんなあ。


「そう思っていただけて良かったです」

「皆も本当に喜んでたよ」

「あの。国立さんも、ですか?」

「え? そりゃもちろん」

「よかったあ」

「……!?」


 デスマス調から転じてのタメ口に、思わずドキッとしてしまう。

 ごまかすように話を変えた。


「そういえば、この前の話だけどさ」

「この前、ですか?」

「うん。大事なものの話」

「……あ、はい!」


 なんだ今の間。


「例えば何か俺たちに手伝えることはあるかな? 寮生の奴らは癖が多いけど、きっと東條さんのことなら一度や二度くらい手助けしてくれると思うよ」

「それはとてもうれしいです! でも……今のままで十分です!」


 また変な間。なんだろうか。


「そうなの?」

「はい。皆さんと出会えて、勉強をして、ご飯を作って、それを『おいしい』と食べていただいて――わたしは自分が欲しかったものを、少し勘違いしていたかもしれません」

「この前言っていた、目に見えないもの?」

「はい。ずっと手に入らないと思ってました。いつ手に入るのかもわかりませんでした。でも振り返ってみれば、とっくに、そしてあっという間に手に入っていたのかもしれません。そして……それでわたしは十分だと思いました!」

「変な間がさっきからあるね」

「え?」

「いや、なんか思うところがありそうな……」

「あ……いや、いえ……」

 

 しどろもどろになる東條さん。俺は別に困らせたいわけではない。


「俺は勉強しか教えられないけど、それでも良ければ東條さんの力になりたいと思うよ」

「……ありがとうございます!」


 雑談をしながら先を進む。俺は話をしながら、考えていた。きっと東條さんには何か事情がある。それはきっと彼女にとって大事なことなのだろう。


 男子寮修繕のために女子寮に潜入――。

 高校生メイドとして働きながら夜学に通う――。

 愚痴を言い続け男子寮をこきおろす――。

 考え抜いて必ず今の状況を褒める――。


 どちらが正しいと考える気はない。

 けれど。東條さんが困っているのなら俺は助けたい――そう思った。


 *



 男子寮修繕という日々の目的が、いつしか〈東條さんとの勉強会開催〉へと変わり始めていたゴールデンウィーク――しかし、その最終日はとうとうやってきてしまった。


 もはや恒例となっていた男子寮食事会終了と共に、食堂では別の会が開かれていた。


「三番! 一年花組、熊飼金太! シックスパック腹踊り!」

 

 悪夢みたいなかくし芸大会だ。酒など用意されていないのに皆ハイテンション。二酸化炭素の吸い過ぎか、もしくは東條さんプレゼンツのゴールデンウィーク食事会が終わってしまう悲しさを吹き飛ばしたいのかもしれない。猛者ばかりではあるが、やはり人の子なのである、マル。


 ヒドい大会でも、胸の前で手を合わせて盛り上がっている健気けなげな東條さんの横に座った。


「東條さん、ゴールデンウィーク中は本当にありがとう」

「あ、国立さん! こちらこそ本当にありがとうございます!」

「東條さんに直接お礼を言えないようなシャイな奴らも居るけど、内心では感謝してるよ」

「はい! さきほど写模さんにもお礼にと写真を頂きました!」

「へえ? どんな写真?」


 さりげなくチェックしてやらないと盗撮写真渡してる可能性があるからな。


「あ! えっと、こ、こっちですね!」

「? ありがとう……うん、いい写真だね。さっきの全員集合写真か。みんな良い笑顔してるなあ……」

 

 なんか今、東條さんの手元に写真が二枚あったけど……一枚しか見せてもらえなかった。


「は、はい! とっても良い写真をいただきました!」

「それは良かった」

「とってもうれしいです!」

「おお、気合が入ってる」

「家宝にします!」

「言い過ぎじゃない!?」

「興奮しすぎてしまいました……!」


 二枚?の写真を大事そうにしまい込む東條さん。彼女もまた二酸化炭素を吸い過ぎているのかもしれない。


「恋さんにはお礼を言いそびれてしまいました……」

「ああ。恋は母親に飯つくりに帰ったから――まあ同じ学園内にいるんだし、そのうちまた会えるよ。夜学とはいえ、休日は一緒なんだしさ」

「あ。そ、そうですね……」

「……? なにか――」

「――ねえねえ! 風花さんちょっといいかな、ボクのかくし芸に協力してほしいんだ!」


 質問を重ねる前に東條さんが、猪助に拉致されてしまった。

 名残惜しそうに席を立つ東條さんだったが、今日も送る旨を伝えると、『じゃあいってきますね!』と嬉しそうに去っていった。

 まったくウケなかったシックスパック腹踊りはおいといて、それ以外のかくし芸はそれなりに盛り上がっているようだ。


「次ボクね! 一年花組、北狼猪助! 人間あやつり人形やります!」

「え? え?」

『いいぞー!』

『ED! ED! 写真とれ! 写真!』

『愚問。これすなわち必定でござる』


 やんややんやと騒いでいる。DVDの利権が絡んでいた気もするが、それは後で止めておこう。こういう思い出をそういう図式で汚しちゃいけない。


 しかし猪助は何をするのだろうか。〈人間あやつり人形〉って若干怖い。が、そこは猪助も分かっているだろうし、多分東條さんに適当に口を動かしてもらって、腹話術なんかをするのだろう。猪助も国宝を持ち歩く剣客とはいえ、可愛いかくし芸を持っているもんだ。


「じゃあね! いまからボクが風花さんの秘孔をモンちゃんで突くね! そうすると、だんだん気持ちよくなってきて、ボクの言うことをなんでも聞いてくれる人形になってくれるんだ! これはもともと拷問用だったものをボクのテクニックで――」



「「「「「「――ストップ! すとおおおおおおおっぷ!」」」」」」



 この日、初めて男子寮生が一致団結した。


 のちにDVD会員の一人は語る。『エロフラグを折るのは、あれが最初で最後のことだろう。しかし童貞紳士として後悔はしていない――ただ、同人誌は作りたいと思う』と。



 *



 ラスボスとなってしまった猪助を皆で討伐したあと、先輩寮生の一本締めで閉会となった。皆が笑顔に包まれており、スマキにされていた猪助も同じく楽しそうに見えた。多分。


 GW最後の日は、一層遅い時間の送りとなった。さすがに金太達も尾行はやめたようで、それぞれ部屋で寝たり、風呂に入ったり、DVD本部でガルーラ(ガールズ×ルーラーの略称らしい)の対戦をするようだった。


 すでに慣れてしまった夜道で、東條さんの声を聞く。


「今日も本当に楽しかったです」

「最後以外は、本当にね」


 猪助は定期的に人権に関する法律を忘れるよな……。


「でも本当に充実したゴールデンウィークだったよ。最初はどうなることかと思ったけど……俺、東條さんに感謝してるんだ」

「感謝、です?」

「うん。俺、あの男子寮に対して不満しかなかったんだよね。もちろん修繕希望はずっと出すけど……でも、東條さんの反応見てたらさ、そこまで悪いものでもないと思えた。視野が広がった気がするんだ。だからありがとう、東條さん」

「そ、そんな! わたし、何をしたかもわかってないですし!」

「ま、そうだよね。ごめんごめん」


 確かに抽象的だった。自分語りもほどほどに――。


「――でも、それを言うならわたしも、国立さんには感謝しかありません」

「ん?」


 俺のトーンに合わせてくれたのか、東條さんの声はわずかに沈んでいる。しかしそれが彼女自身の問題であることはすぐに分かった。


「わたし、大事なものを自分の手で守りたくて姫八に来たんです。でも、じつはスグに挫折してしまいました。疲れがたたって倒れてしまったこともあるんです」

「ああ、うん」


 もちろん知っている。しかしやはり疲れから倒れたのだな。あの時は分からなかったが、今なら東條さんが倒れるまで頑張っていた様子が目に浮かぶ。


「自分の力を証明しようとしたのに、逆に、力の無さをここで知ってしまいました。本当につらくて……まさか一か月もしないで結果が見えるなんて思わなかったんです」

「そうだったんだね」


 正直、先ほどの俺よりも抽象的で、話の着地地点が見えない。

 何と言っていいかの判断もつかず、曖昧な反応しか返せない。


「でも、そんなとき、国立さんから付箋のコメントを頂いて……こうやって、皆さんと夜にご飯を食べたりして……」

「うん」

「しかもそれは私の作った料理のおかげだって、皆さんが認めてくださって。わたしにもこうやって何かを作り出すことができるんだって、知ることができました」


「みんなも喜んでたしね」

「考えていた結果とは違いましたけど、手に入ったモノは考えていたモノよりも、ずっと

 キラキラと輝いていました。それがとても嬉しくて、わたしはとても満足しています」

「そっか」

「だから――」


 大きく息を吐きだすように発せられた言葉。

 しかしその後は、あらかじめ決められていた台詞セリフのようにサラサラと紡がれていった。


「――これで心置きなく〈退学〉することができます」


「それは良か―――って、ええ!? た、退学!? いま退学って言った!?」

「はい、申し訳ありませんでした。黙っていようと思いましたけど、うそをつくことになると思って、無礼ながらもこうしてお話しさせていただきました」

 

 東條さんの所作はいちいち礼儀正しい。お嬢様然としているというか、良い育ちが見てとれる。でも今はその綺麗きれいなお辞儀が、全てを終了させるかのような他人行儀に見えた。


「でも、なんで!? 退学なんて、脱衣所を覗いた俺でさえ免除されたのに!?」

「脱衣所……? 覗く……?」

「例えです。本当に(真顔)」

「そうですね。確かにそういう区分としては、なにかの償いとしての退学ではありません」

「じゃあ、なんで……!」

「国立さん。わたしは、なんでも一人で出来ると思っていました。でもわたしは――まだ文句を言うだけの子供でしかありませんでした」

 

 強くなる語気をおさえるように、東條さんは静かに語った。いつもは人懐っこい東條さんが、急に手の届かないような存在に見えた。


「単純な話なんです。二学期からの学費が足りません」

「学費……? 学費って一年単位の納入じゃなかったっけ……?」


 姫八学園の学費は年度初めに一括振込みだったはずだ。父親に聞いた。


「一部の生徒は学期割納入が認められるんです。それはお金に困っている生徒などです。そしてその生徒の一人がわたしです」

「お金に困ってる……なら、奨学金制度は? あれは申請すれば確実に――」

「それも考えたのですが、申請時期が間に合いませんでした。奨学金は国、姫八、どちらの制度も一年単位の申請のようでして、受けるとしても二年からになります」

「でも、他になにか……」

「思い付きで入学してしまいました。そして卒業できると考えていました。でも、全てが甘かったと知ったのです。石橋をたたいて渡るタイプではありましたが、今回は訳あって飛び込むしかありませんでした。それでも、計算をしているつもりだったのです」


 いつもはふわふわとしている東條さんの、鋼鉄のように固い意志。

 図書館を事前に調べてくるような女の子だ。可能性を全てあげてなお、二学期には進めないと判断したのだ。学生ジョブにより寮費は無料になる。けれど学費や他のお金はかかる。それら全てを考慮した結果、挫折したに違いない。


 欲しかったおもちゃを買うためにやっとの思いで貯金箱を割って――お店に行くための交通費や消費税を考慮しておらず、めたお金が足りなかった時のようなケアレスミス。


 大人なら笑って解決できるような、でも子供ならば泣いて諦めるしかないような、ささいな思い違いの話。


 無い話ではないのだろう。でも、そんな話に東條さんの笑顔を消されたくはない。

 考えるのだ、国立大理。男子寮に文句を言っている場合ではない。


「ちょっと待って。考えてみる。少しだけ時間が欲しいんだ、東條さん」

「……、……、……はい」


 崩れ落ちそうな東條さんをこのまま帰すことはできない。カミングアウトのタイミングがとても気になる。恋に会えないと諦めていたことも。

 おそらく明日にでも出立の準備を始めるつもりだったのではないだろうか。きっと朝になれば、今夜までの彼女は消えてしまう。


 それは、とても嫌だ。


 だから考える。頭の回転率をあげる。心を静かにして、思い込みを捨てる。俺にはタバ姉と同じ血が流れている。天才的な発想を、どうか一度だけ。


 その一瞬で、彼女の一生を変えることができれば――。


「――っ!」

 

 でも、気が付いてしまった。東條さんにはきっと色々な事情がある。それを探ることが目的ではないけど、一つだけ見過ごせないものがある。それは、彼女にとって一番大事なことが〈自分の力で乗り越えたい〉という点にあること。


 だから俺がお金をかき集めても、タバ姉に泣きついても、親父おやじに借金を頼んでも、彼女にとってはゲームオーバーと同意なのだ。そこに自分の意思がないから。


「……国立さん、ありがとうございました。もう、決めたことなんです。皆さんのことは忘れません。私はこの結末を受け入れます」


 俺の表情から悟ったのだろう。東條さんはタイムアップを告げた。


 これで終わり。これでさよなら。俺は男子寮の愚痴を言い続け、変わらぬ日々を惰性でやり過ごす。同じ繰り返しの中でいつの間にか三年が過ぎれば、東條さんとの記憶もきっと薄れていく。〈結末を受け入れる〉とはそういうことなのだろう――でも。


「大丈夫だよ、東條さん!」


 でも――そんな結末は絶対に嫌だ!


 俺は東條さんが胸の前で合わせていた両手を、包むようにして握った。


「え!?……え?……あれ、これ……」


 何かを言おうとする彼女の言葉をさえぎるように、あたりはばからず叫んだ。


「大丈夫! 俺がなんとかする!」

「で、でも、それは私の……」

「もちろん東條さんの気持ちも分かる。でも答えを出すのはまだ早いよ。だから、まだここに居てほしいんだ!」

「あ……、……、……それは」


 計画が見透かされているのを悟ったのだろう。東條さんは途端に動揺を見せ始めた。


「俺、東條さんと一緒に勉強できて楽しかった。東條さんは?」

「も、もちろん楽しかったです……!」

「俺と、東條さんと二人で勉強したから楽しかった。違うかな?」

「……はい、その通りです」

「東條さんの主張は分かる。自分でなんとかしないと意味がないんだろうと思う。でも、それを俺は手伝いたい。勉強だって同じじゃないか。テストを受けるときは一人でも、それまでの過程はいくらだって協力できるだろ? だから俺に手伝わせてほしい。俺と東條さんの二人で、この問題を解いていきたいんだ!」

「二人で……?」

「そう、二人で!」

「国立さんとわたしで……?」

「俺と、東條さんで!」

「そんな……国立さん、そんなこと言われたら、わたし、勘違いしちゃいますよ」

「別に勘違いでもいいじゃないか! 進むことが大事だよ!」


〈勘違い〉の意味がよく分からないが、流れを切るのはまずい。ALL肯定だ!


「……ほんとですか?」

「ウソだったら金太のプロテインを全部片栗粉かたくりこに変える!」

「誰かと頑張ってもいいんでしょうか」

「助けを求めちゃいけないなんていうやつは、かたっぱしから猪助に斬ってもらう!」

「力のないわたしが、ここに居ていいんでしょうか……?」

「いてくれないと、写模の楽しみが一つ減っちゃう!」

「……、……、…!!」


 長い沈黙の後、


「ありがとうござ、ます! あの時も助けて頂いて、本当にありがとうございました

 ……!」


 東條さんはんだ。

 でもそれは気が付かないふりをする。だって、きっと彼女は泣くのを我慢して、唇を引き締めることに全力を注いでいるから。


「俺もあのとき東條さんのノートに書き込みをして良かったと思うよ」

「あ、いえ……、……いえ、そうですね。私もノートを置き忘れて本当に良かったです」


 はにかんだ彼女のなんと可愛らしいことか。


「あの、国立さん」

「ん? なに?」

「えっと、手を、そろそろ、あの」

「手?――うおお!? ごめん!」

「い、いえ!」


 俺は汗ばむほどに握りしめていた東條さんの手を見た。あれだ。手というか、あれだ。

 胸の前に組んでいる手を包み込んだせいで、俺の手が若干、東條さんの胸にあたっていた。

 前から気が付いてはいたが、東條さん、胸、やばい。撫子なでしこ先輩並みだ。


「と、とりあえず続きは明日以降にしようか!」

「は、はい!」


 俺達はどちらからともなく歩き始めた。二人きりの沈黙が意味を変えている気がする。

 なんだか誰かの視線を感じたが、自意識過剰だろう。それぐらい舞い上がっているのだ。

 長くも短い逢瀬おうせの終わりが見えた。もはや見慣れた女子寮の明かり。


「到着……しちゃいましたね」

「うん……じゃあ、今日の続きはまた明日以降に」

「あ、はい、おやすみなさい国立さん」

 

 きびすを返す俺を、少し上ずった声が引き止めた。


「あ、あの! 国立!」

「……ん?」


 東條さんは下を向いている。表情は見えない。


「あ、いえ、国立、!」

「なに?」

「いえ、えっと、その」

「どうかした?」


 きっと顔をあげた東條さんのその顔は、勢いに反して泣いてしまいそうだった。


「ううん、大丈夫、だから――ばいばい、国立

「お、」


 どきり。


「おやすみ、東條さん」


 変化球は苦手だ。いやこれは剛速球ストレートなのか?

 どうにせよ、男子寮に戻るまで動悸どうきが収まらなかった。


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