第2話 林檎と恩返し。

朝10時30分

 昼前の街中にある公園に僕は何故かうさぎと隣り合わせにベンチに座って空を見上げていた。いや、見上げていたのは僕だけかもしれない。

脳裏に浮かぶのは遅刻してしまった事や、しゃべるうさぎの事や、うさぎに言われ何故か林檎を八百屋で買わされた事。忘れかけていた一週間後に死ぬと言われた事。

けれど同時に空を見上げ流れる雲をこんなにゆっくりも見たのは久しぶりかもしれないと、そうどこか思いついたように思い出した自分もいた。

 「おい、小次郎」

 「…それ、僕の事ですか?僕の名前は荒本亨太です」

 「そうか。悪かった荒本」

  青い瞳は明らかに僕では無く手元のビニール袋の中にある林檎に目が向いていた。腹が空いたから林檎を買えと言い国産で無いと駄目だとか文句を言いながら買わされた林檎1個128円である。ついでに自分にも買ってみたので合計2個ある。

 「林檎食べたいんですね。どうぞ」

 林檎を手渡すと両手で器用に受け取る宇佐美と言う名のうさぎ。

 「うむ。いただこう。やはり林檎は国産に限る!しかも俺の好みは、ふじりんごだ」

 「貴方の好みも、りんごの種類も知りませんよ」

 大きくため息をつくと、相手がうさぎだと言う事を忘れかける。

 -一週間後に死ぬ

 自分がこんな突然現れたうさぎに、しかも言葉を話すうさぎに言われた事を動揺しながらも受け入れている所が不思議で仕方なかった。

 「おい、武蔵」

 「巌流島にでもたどり着いたんですか。僕の名前は、荒本亨太ですってば」

 「すまない荒本。どうした溜息なんてついて。空は青く、俺は美しく気高く、お前も林檎を食えばいい。遠慮するな」

 顔から表情がどんどんなくなっていくこの感覚は初めてかもしれない。

 「…遅刻したのは、初めてなんです」

 「就職してからという意味でか?」

  もしゃもしゃと食べながら両頬に林檎を溜め込む姿は動物だとやはり認識させた。

 「いえ。幼稚園、小学校、中学校、高校と僕は無遅刻無欠席の皆勤賞。自慢があるとすればそれくらいで…。今日が人生で初めての遅刻をした日です」

 なんの取柄もなく、なんの趣味もなく、ただ漠然とした自分が持っていた賞状は皆勤賞。誰かに褒めてもらえるのが嬉しくて休まないように通っただけだった。凄いと言われたかった皆に好かれたかった。皆の仲間に入りたかっただけで必死だった。

 けどそんなの無意味で、寧ろそれがどうしたの?と言われた事もあった。

合コンでの会話に出ても、わーすごいねーで終わりのパターン。

 林檎を見つめながら走馬灯のように思い出す過去を少し自分で笑いながら、けれどどこかで寂しく感じた。

 「荒本」

 「はい」

 「ありがとう」

 「…へ?」

 青い瞳は僕をじっと見つめ言葉をつづけた。

 「貴様の過去はよく知らないが。きっとその遅刻をしないという事は貴様の誇りであったのだろう。それを、俺の餓死を食い止める為に時間を割いて林檎を買い与えてくれた」

 「餓死だなんて…大袈裟な」

 「誰かに何かをするというのは少なからず自分の時間を削り自分の人生を削っているという事だ。それはストレスになり、いつしか嫌悪感や劣等感に変わる。貴様は遅刻をした事がないのが誇りだった、筈だ。なのにそれをしてまで俺に林檎を与えてくれた」

 うさぎはベンチから飛び降りると俺の目の前にきて立ち上がり頭を下げた。

 「改めて礼を言おう。ありがとう」

 「あ、いや、その!僕は!別に遅刻が貴方のせいとかじゃなく…その…僕は…」

 「うさぎの宇佐美だ。荒本、林檎を食え」

 「え?」

 「食えや!」

 「はひ!!!!」

 ふわふわした毛並みが一気に逆立ったのを見て、自分の手元にあった林檎をがぶっと食いつき食べる。

 「…うまい」

 林檎ってこんなに美味しかったっけ。そう思うくらい美味しかった。頬に当たる風が心地よく感じた。

 「荒本。貴様は今、誰かに何かをした事で感謝されたと感じた幸福感を感じている。だがしかし、遅刻というのは努力はいるが誰にでも出来る事で守れる事だ。この違いはなんだ?」

 「なんでしょうか…」

 「"自分にしかできない事で感謝される事″だよ」

 何処かで気付いていた。無遅刻無欠席は確かに凄いが、ただそれだけで表彰される一瞬だけが栄光だった。

 「貴様は優しい。その優しさは強みだ。優しさというのは誰にでもあるものじゃないんだ荒本。誰かに何かをするという事を出来る貴様は強いぞ。例えるなら犯罪行為を現在も繰り返すが過去に無遅刻無欠席の人間と、過去に遅刻を多々繰り返していたが優しく人助けが出来る奴なら貴様はどちらを好く?」

 「後者です。後者です」

 「そういう事だ荒本。貴様は誰にでも出来るようで出来ないことを今したのだ。名誉あることだ」

 自分の口元が自然と緩んで、目の前が歪んで久しぶりに泣きそうになった。誰かにありがとうと言われ、自分が何かに囚われ続けていた。過去を振り返り続け変わる事を恐れていた自分。自分で自分の心に閉じこもり続けていた。

 「おい、悟空」

 「サイヤ人じゃないです。荒本亨太です」

 「行くぞ」

 「え?何処へですか?」

 うさぎの宇佐美さんは俺の林檎をちゃっかり奪うとバリバリと食べ始め数秒もかからないうちに芯まで食べてしまった。芯には毒素があるので良い子は食べないでね。

 

 「うさぎの恩返しだ」

 「はい?」


 こうして、突然の出会いから数時間。僕はうさぎの宇佐美さんに何か不思議なものを感じながら自分の内側と対面していく事になる。

 そしてこれから僕はこのうさぎの宇佐美さんと1週間を共にすることになるのでした。

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うさぎと僕と。 大田口宇佐美 @usa_mi

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