第2話 神様に選ばれた
「ん……」
いつの間にか眠っていたのか、目を開けると窓からは温かい日差しが差し込んでいた。すっかり軽くなった身体を起こして、窓を開ける。時刻はもう昼過ぎ。
爽やかな風が部屋の中へ流れ込んできた。
(お腹空いた……)
制服に付いたシワをのばしながら食べ物を求めてリビングへと向かう。母は仕事に行っているようで、リビングは静まり返っていた。
テーブルの上には大きなおにぎりが二つと厚焼き玉子が置かれている。
「昨日は言いすぎちゃったな……」
いつもは起床してすぐに仏壇に飾られている父の写真に挨拶をする。それが日課だったのだが、今日は父に顔を向けることができない。
何十年経っても歳を取らない写真の父。事故に遭った日からずっと変わらず笑みを浮かべて見守っている。
私はおにぎりを抱えて、その視線から逃げるように自室へ戻ろうとする。その時、母の部屋からゴトンと何か落ちる音がした。
「今日は仕事に行ってるはず……」
私は恐る恐るドアを開けると、開いたままのクローゼットから一冊の日記帳が転がり落ちているのを見つけた。日付は私が三歳だった頃に書かれたもの。罫線にキレイに並んでいる字は間違いなく母の字だった。
母が日記をつけていたことに驚きだが、それより日記の中身が気になった。
いけないことだと分かっていながらも、誘惑に負けて読んでしまう。
1998.10.19
三歳になる空美の「どうしてパパは帰って来ないの?」「パパと遊びたい」「神様のところに行きたい」という言葉に胸がしめつけられる日々。
「神様の所から守ってくれてるからね」と答えにも納得しなくなってきた。
突然の事故で帰らぬ人となった時、私は一生分の涙を流しきったあと、頑張って生きていくしかないと決めたのに「会いたい」と涙をこぼすのを見ると小さい心と身体が父親を求めているのかと、どうしようもない気持ちにさせられる。
『死』を口にするのはあまりに酷でどうしても言えない。寂しい思いをさせないようにしているけれど、「なぜ」「どうして」が限りなく出て来る空美に何て答えたらいいのだろう。
天国のパパ、夢の中でいいのです。空美とたくさん遊んであげて下さい。
あなたがいなくなってから、お金では買えないものがこんなにもたくさんあったのかと知りました。
あの日〝いってきます〟と私と空美に手を振ってそのまま帰って来ませんでしたね。どんなパパになりたかったのかな、どんな風に家族を家庭を築いていきたかったのかなと考えると言葉になりません。
これから先、空美にはパパがいないことで辛い思いをさせてしまうかもしれない。
でも空美には命の重みを感じられる優しい子に育ってほしい。空美がパパのいない寂しさを感じるとき、しっかりと受け止めてあげられる強いママになろうと思う。
全てを読み終えた私の頬には知らず知らずのうちに温かい滴が伝っていた。自分がどれだけの愛情を受けていたのか身に染みて感じた。
いつも陽気に振る舞っている母が私の知らないところで父を想い、そして悩んでいたこと。
〝パパは空の上で、雲を作るお仕事をしているんだよ〟
それは心優しい母が話してくれた、おとぎ話。
幼かったからこそ信じていた、神様に選ばれたパパだけが出来る素敵なお仕事。 母の日記を閉じて窓の外を見てみれば、今日も真っ青な空に私の大好きなソフトクリームの形をした雲が気持ちよさそうに浮かんでいた。
「――さん!空美さん!」
耳元で自分の名前が呼ばれている。薄っすら目を開くと、上島准教授が私の顔を覗き込んでいた。
他の学生も私を見ながらクスクスと笑っている。ゼミの真っ最中に眠ってしまったようだ。
「あ……上島先生」
「空美さん、おはようございます。ずいぶんと幸せそうな顔で寝ていましたが、何か美味しいものを食べる夢でも見ていましたか?」
上島准教授はニコニコしながら口元を指差してきた。
私が手で拭ってみると、どうやら涎を垂らして寝ていたようだ。手の甲に透明の液体が付いている。
「すみません、父の作るソフトクリームがあまりにも美味しそうで……」
そう言いながら窓の外に視線を移した私を見て、上島准教授はバカにする様子はなく一緒に雲を眺めた。
「確かに、とても美味しそうなソフトクリームですねぇ。空美さんが涎を垂らすのも分かります」
「ですよね」
「ですが、講義はちゃんと聴いて下さいね。ソフトクリームは講義の後でも食べられますので」
上島准教授は可笑しそうに笑いながら教壇へと戻って行った。
眠っていた時間はたったの三十分くらいなのに、ずっと昔の夢を見ていた気がする。
「もう~お父さんが美味しそうな雲を作るからぁ……」
私は小さく呟き、風に乗って流れていく雲を眺めた。
その呟きに答えるかのように、眩しいほど青い空から心地良い風が吹いてくるのだった。
神様に選ばれたパパのお仕事 うどん @1519_udon
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