神様に選ばれたパパのお仕事

うどん

第1話 雲を作るお仕事

 私は物心ついた頃から母と二人暮らしだった。市内の小さなアパートで静かに、特に不自由のない生活をしていた。

 父は1歳の頃に仕事中の事故で亡くなったらしい。だから私は仏壇の写真立ての中で微笑んでいる父しか見たことがないのだ。

「お前ってパパいないんだろ?」

「リコンってやつ? かわいそう~!」

 幼稚園の頃から、そんな心ない言葉を聞きながら生きてきた。彼らの言うことは真実だが、私は可哀想じゃない。私にはいつでも味方をしてくれた母が側にいてくれたし、そんな母が大好きだった。

 でも周りの人は父がいないことを好奇な目で見てくる。だからこそ私の両親をバカにするクラスのいじめっ子は許せず、からかいには受けて立っていた。

「バカにしないでよ! 私のママはリコンなんかしてない!」

「じゃあ何だって言うんだよ? どうしてママしかいないんだよ」

「私にもパパはいるもん! それにとっても大事なお仕事をしているんだから‼あんたのパパよりずっとずっと素敵なお仕事なんだから!」

「何の仕事してるんだよ。言ってみろよ!」

「空で雲を作る仕事をしているわ!」

 私が言いきると少しの間をおいて、いじめっ子たちが大きな声でゲラゲラと笑い始めた。何がそんなに可笑しいのか、私には理解できなかった。

 こんなにも真面目に話しているのにと怒りを通り越して呆然としていると、あろうことか部屋の隅で先生も笑っていたのだ。

(先生も笑うってことは、そんなに変なことを言ったのかな……私)

 家に帰って台所に立つ母のエプロンを握って尋ねた。

「ねぇ……ママ」

「なぁに? 空美どうしたの。今日は元気がないわね、幼稚園で何かあった?」

「私のパパって本当に雲を作るお仕事をしているんだよね?」

「そうよ! とっても立派なお仕事でね、神様に選ばれた人にしか出来ないお仕事なの」

「どんなお仕事なの?」

「例えばねぇ、お空にソフトクリームの形をした雲とか小鳥さんの形をした雲とかあったら、それはパパが作った雲なんだよ!」

「へぇ! パパってすごいんだね!」

 幼かった私は母の話すおとぎ話のような父の話を聞くのが大好きだった。どれだけバカにされても「私のパパは神様に選ばれてすごいお仕事をしている!」と胸を張っていた。

 空にフワフワと浮かんでいる真っ白な雲を眺めながら、空の上で一生懸命働いているパパのことを想う。それが私の日常になっていたのだ。

「私ソフトクリーム大好きだから、パパの作った雲見てみたいなぁ」

「いい子にしていれば、いつかきっと見られるわよ! パパもお空から見ていてくれるから」

「ママはパパと同じお仕事をしたいって思ったことないの?」

 私の問いかけに母の表情が少し曇る。聞いちゃダメだったのかなと後悔した私はすぐに訂正した。嫌われてしまったら私は一人ぼっちになってしまうから、母の前では良い子でいようと決めているのだ。

「同じお仕事っていうか……パパと会えなくて寂しいかなって……えへへ」

「そうね……。でもママは空美と一緒にいたいからパパと同じお仕事をするのは、もうちょっと後で良いかな」

「私もママのこと大好きだから、ずっとずーっとママと暮らす!」

「わぁ~嬉しいな! ママと仲良しだね!」

 母の温かい大きな手と、私の小さな手をつないで大好きなソフトクリームを買いに行った。幼稚園のいじめっ子に言い返すくらい私にとって難しいことではない。言われることだっていつも同じ。叩いてくることだって髪を引っ張ってくることだって一度もなかった。

 幼稚園から帰れば、美味しいおやつを作って待っていてくれる母がいるからどんなに酷いことを言われたって平気だった。

 それは小学生になっても中学生になっても変わらないと思っていた。だけど、一度だけ我慢できなかった日があった。

 中学生になった私は部活動に参加し、授業も真面目に受けていた。その日はクラスメイトと教室でお弁当を食べていた。

 私は母の特製厚焼き玉子を頬張りながら、クラスメイト二人の会話を聞いていた。

「最近父親がうるさいんだよねぇ」

「うっわ分かる! 口うるさいしウチのすることに全部文句付けてくるんだよ~」

「会社から帰って来ても臭いだけだし、おこづかいもくれないし……」

 二人の会話を聞きながら、私は黙々と厚焼き玉子を口へ運ぶ。こういう類いの会話には縁がないし、入ったところで私には話せる内容がない。

 この歳になってからは自分のお父さんが雲を作る仕事をしているなんて、母の作り話だと分かっていた。幼稚園の頃は「私のパパは空で働いている。神様に選ばれたんだ!」と言って変な子だなんて遠巻きに見られていた。

 今となっては昔話に過ぎないのだが。

「空美はどうなの? やっぱ父親とは仲悪いっしょ?」

「私にはお父さんがいないから……二人が羨ましいかなぁ」

「はぁ⁉ ウチらが羨ましい?」

「マジで言ってる? でも空美からしたらそうなのかな~」

「私、小さい頃にお父さんは空の上で雲を作る仕事をしているんだって信じてたんだ」

「なにそれ! 超ウケる」

「夢見る乙女だったの⁉」

 私は何気なく言ったつもりだったのだが、彼女たちにはツボだったらしい。

周りを気にせず大口を開けて爆笑している。笑われることは慣れていたし、特に気にはしなかった。

 しかし腹を抱えて笑っていた友達の次の一言に、私の中の何かがプツンと切れた。

「じゃあウチの父親もその仕事してほしいわ~」

 そこからの記憶は曖昧で、我に返ったときには自分でも何が起こったのか理解できなかった。目の前には頭から血を流して倒れているクラスメイトと、その傍らに転がっているイス。

 私から一斉に離れるクラスメイトと担任を呼びに職員室へ走る学級委員長。廊下から悲鳴が聞こえていた気もするがハッキリとは覚えていない。私は真っ暗闇に突き落とされたような感覚に陥った。



「この度は、うちの娘がご迷惑をおかけしました」

 それから数時間後。呼び出された私と、急遽仕事場から駆け付けた母が頭を下げていた。

「これが『ごめんなさい』で済む問題ですか⁉ 私の娘は頭を怪我しているんですよ? 傷痕が残ったらどうするつもりなんです!」

「本当に申し訳ありません……」

「分かっているんですか? この責任は貴女にもあるんですからね! こんな暴力を振るうような娘に育てた母親の!」

 許せなかった。

 喚き散らす相手の母親にも、我慢できなかった自分にも。クラスメイトの一言だって軽い冗談だったに違いない。笑ってやりすごせば良かっただけの話じゃないか。でも、頭では自分が一番悪いと分かっていても、何故か頭を下げ謝罪をしている自分の母の方が許せなかった。

 だって……。

「今回のことについては全て私の責任です。ですが、空美は貴女のおっしゃるように暴力を振るうような子ではありません。きっと何かあったんです!」

 ここにきて、私を庇っているのだ。

 私の心に渦巻く不甲斐なさと、母の言葉がグルグルと責めるように纏わりつく。

いっそのこと私を怒鳴って引っ叩いて土下座でもさせてくれたら、全てさっぱり断ち切れてスッキリするのに。悪いのは一から十まで私なのに。なのにどうして必死に謝っているのは私じゃなくて母なのだろう。

 必死に頭を下げる母を横目で見ながら、私はただ俯き蚊の鳴くような声で「ごめんなさい」と呟くので精一杯だった。



「今日は大変だったねぇ。お腹空いたでしょ、すぐに夕飯準備するからね」

 結局私は一週間の自宅謹慎で済んだ。これからは教室に入る度に冷たい視線を浴びることになるだろう。考えただけでも気が重くなる。

 冷静になれば自分がしてしまったことの重大さに気づく。そういうことは大抵意識せずとも罪悪感と共にジワジワ来るものだ。

「……」

 私はソファに身を沈めた。相手に怪我をさせたのは悪いと思っているのに、事実を認めたくない自分がいる。葛藤と行き場のない憤りが自分の中に溜まりにたまっていた。

「今日は空美が好きな肉じゃがよ! 美味しいもの食べて今日は一緒にテレビでも見る?」

「……いらない」

「あら、お腹空いてなかった? じゃあお茶漬けとか……」

「だから要らないって! 放っておいてよ!」

「空美……」

「今日のことだって元はといえば全部お母さんのせいだよ。お母さんの作り話のせいで私がどれだけイジメられてきたと思ってるの? お父さんは空の上で雲を作ってるなんてバカげた話のせいで『あの子は変な子だから、関わらない方が良い』って言われ続けて……。すごく辛かったんだから! そんなことも知らないんでしょ⁉ お母さんなんか居なくなってしまえば良いのにッ!」

 私は目に涙を浮かべたまま自分の部屋に逃げ込んだ。去り際に母が何か言っていたような気もするが、聞き取れなかった。

 いや、聞きたくなかったと言った方が正しいのかもしれない。

 重たい身体を引きずりながら私はベッドに倒れ込む。カーテンの隙間から見える雲はぺしゃんこで、綿埃のような暗い灰色だった。

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