時計仕掛けの魔法使い

秋来一年

時計仕掛けの魔法使い

チクタクチクタク

   チクタクチクタク

      ボーンボーン


「こんばんは姫さま。今宵も姫さまのお顔が拝見できて私は嬉しゅうございます」


 そう言って私は、折り目正しくきっかり30度のお辞儀をし、壁にかけてある大きなからくり時計からするりと抜け出した。

 地面に足をつくと、顔以外の体のほとんどを覆う鋼の甲冑がカシャンと音を立てる。

 ちらりと後ろを振り返ってみると、古びた大きな掛け時計が深夜零時を告げていた。控えめな音楽の中、人形たちが可愛らしく踊っている。

 けれど、人形たちが舞い踊るその空間には、不自然な空間が生まれていた。

 それもそのはず、そこでは本来、私が踊っていなければならないのだから。


「もう、まちくたびれちゃったわっ」


 桃色の唇をちいさくとがらせて、姫さまが抗議の声をあげた。

 一日二回、深夜零時と正午に時計の仕掛けとして踊り、時間をお知らせすることが本来の私のお役目である。

 しかし、長い間時を伝えるものとして王宮に仕え続けるうちに、ただの掛け時計の仕掛けにすぎないはずの私は、いつのまにやら意志というものを持つようになっていた。

 そして、数年前からは人間のような姿をとることもできるようになり、最近ではふつうの人間には使えない不思議な力、いわゆる魔法のようなものまで自分が使えることに気がついた。

 そういうわけで、実体を持つようになった私は、今までの時計としての役割だけでなく、しばしば姫さまの夜更かしにお付き合いするようになっていた。


「それはそれは、申し訳ございません。しかしながら姫さま、こう頻繁に夜更かしをされていては、明日のお勉強に差し支えるのではないですか?」


 姫さまと一緒に過ごせることはとても嬉しい。だが、まだ幼い姫さまの眠りを自分が妨げているような気がして、毎回少し申し訳なくなってしまう。


「だってしょうがないじゃない。あなたがこの時間にしかでてこられないんだもの」


 深夜零時、時計の針と針が真上で重なり、重々しい時計の鐘の音が二度鳴り響く。その瞬間にだけ、私は姫さまの前にでてくることができるのだ。

 そして、タイムリミットは朝日が昇るまで。

 だから私が姫さまにお会いするためには、毎回姫さまに夜更かしを強いなければならない。

 もっとも、こうして一緒にすごすのは、姫さまの方から誘われたときだけなのだが。


「ま、いいわ。明日のことは明日考えるわよ。そんなことより、ねえ、私見てみたいものがあるの!」


 そう言う姫さまの瞳は期待にきらきらと輝いていて、年相応の幼い少女のものに見えた。

 昼間の姫さまは、国を統べるものの娘として、はやくから大人になることを強制されているように思う。

 それは仕方のないことなのだと頭では分かっているのだが、せめて私の前にいるときだけでも、ひとりの女の子としての時間をすごしてもらいたい。

 だから私は、姫さまのこの瞳にすこぶる弱いのだった。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、姫さまはいつものように、私へのお願いを口にした。


「あのね、私、“ユキ”というものが見てみたいの!」

「ユキ……とは、雪のことですか?あの、空から降ってくる」

「ええ、そのユキよ。白くてふわふわと舞うのでしょう?今日ご本で読んだの」


 この国は暖かく、冬でも雪が降らない。国の外に出たことのない姫さまは、今日まで雪の存在を知らなかったらしい。 


「そういうことでしたらお任せください。一週間ほどお時間をいただければ、必ずや姫さまに、雪をご覧に入れましょう」


 私がそう言うと、姫さまは両の瞳をよりいっそうきらきらとさせながら、


「ほんとうに? さっすが私の魔法使いね。たのしみにしてるわ」


 と、おっしゃったのだった。

 私に使える魔法は時を操る魔法だけ。けれども、時に関しては、巻き戻すことも推し進めることも自由自在に行うことができる。

 だから本当は一週間の準備期間なんて必要のないものである。けれど、連日の夜更かしは、まだ幼い姫さまによろしくないだろう。ただでさえ最近の姫さまは、国が新たに東国と同盟関係を結ぼうとしている関係で、パーティーへ出席したり未知の文化についてのお勉強など毎日忙しそうにしてらっしゃるし……。

 そんなことを考えて、実行日時を一週間後に決めさせていただいた。

 けれども、まだ見ぬ雪に期待を膨らませている姫さまは、そんなことには気がつかない。


「それでは姫さま。私は一週間かけて、精一杯準備いたしますので、姫さまも規則正しい生活をし、しっかりと勉学に励んでくださいね」


 そんな私の言葉にも、


「ええ、わかったわ!」


 と、素直にうなずいてみせたのだった。


◆ ◆ ◆


 まぁ、この国には通常雪が降らないといっても、異常気象か何かで、雪の降ったことが一度くらいはあるだろう。

 その日時を調べて、空の時間だけをその時まで巻き戻せば、姫さまに雪を見せるのは可能なはずだ。そんなことを考えて、昨日は姫さまの申し出を引き受けたのだが。


「ま、まさか、一度も雪が降ったことがないだなんて」


 宮殿の中にある、王国に関する資料室の中。

 愕然とする私の目の前にはひらかれた状態の本があり、その本はひとりでにページが一枚ずつめくられていた。まるで、見えない誰かが本を読んでいるかのように。

 時刻は午前十時すぎ。この時間の私は実体を持たず、いわゆる魂のような思念体だけの状態で資料室に来ていた。

 今の私は物に触れることはできない。だから扉を開けることはできないが、かわりに壁や扉を自由自在にすり抜けることができる。

 そうして資料室に入った私は、今度は時間を操る能力を使って、本の時間を誰かが閲覧している時に進めたり戻したりしながら、この国の気象状況についての記録書を読んでいた。

 時間を操る能力はいつでも使えるため、こうして誰かが読んだことのある本や将来読まれることになっている本は、自由に読むことができるのである。

 実体を持たないので、当然人に見られることもない。いつもならこの時間は、悠々自適に読書を楽しむところなのだが。 

 どうしよう。大口を叩いておいて、姫さまに雪を見せられないなんてことになったら……。

 姫さまの落胆する顔が頭に浮かび、今日はそれどころではなかった。

 しばらく資料をあさってみるも、やはりどの資料にもこの国に雪が降ったという記録はない。そうなると、何かべつの手を考えなければいけないわけだが……。

 しばらくの間資料室で頭を捻ってみたものの、なかなかいい考えは思い浮かばない。

 外の空気でも吸ってこよう。少し歩いて身体を動かせば、何か思いつくかもしれないし。そう結論付けて、私は資料室の壁をすり抜け、廊下へと足を踏み出した。


◆ ◆ ◆


 どうしようどうしようどうしよう。焦っても仕方がないことだし、そもそも時間を操れるのだから焦る必要なんてないのだが、私の足は自然と早足になっていた。

 資料室のある四階の廊下を、パタパタと行ったり来たりする。

 わが国は気候が温暖なだけでなく、国の四方を高い山々に囲まれていて、それが自然の城壁となって古くから平和の維持に一役買ってくれている。しかし、資料によると、その山々が海から運ばれてきた空気に含まれている水分を、残らず吸収してしまうらしい。その影響で、雪が降らないんだとか。

 その証拠に、山の向こうにある隣国では、こちらとほとんど同じ気温にもかかわらず、何年かに一度は雪が降るとのことだった。

 このときばかりは、日中に実体を持てないというのが歯がゆく思えてくる。

 だって、もし私に身体があれば、お城中の時を止めて、その間に姫さまを雪の降る隣国へと連れて行って差し上げることができるのだから。

 そんなことを考えながら、ぼんやりと窓の外に視線を向ける。

 目の前にひろがるのは、背の高い木々の立ち並ぶ果樹園。そこから視線を少しばかりずらすと、今度はささやかな菜園がある。まだ花をつける前の青々とした野菜たちが、午後の陽を全身に浴びて輝いている。さらに視線をずらすと、すこしばかり小高い丘のようになった場所があり、そこには、新しく植えられたばかりなのだろう、やや不自然に茶色い地面に、見慣れない苗木が植えられていて。


「あれは確か――、いや、しかしそれは」


 その苗木を見た途端、私の脳裏にはある考えが浮かんでいた。けれどそれは、決して良案と呼べるような代物ではなくて、しかし――


「やるしかない、か」


 姫さまがどんな反応をなさるのか心配ではあるが、背に腹は変えられない。

 結局はそう割り切って、私は先ほど思いついた子供だましじみた方法で、姫さまに〝ユキ〟をお見せすることにしたのだった。


◆ ◆ ◆


 そして、ついに約束の一週間後がやってきた。

 いつもと同じ深夜の零時。鐘の音とともに時計から出てみると、そこには体中を期待でいっぱいにしていらっしゃる様子の姫さまがそこにいた。

 幾段にも重なる薄桃色のレースが上品な、ネグリジェ姿である。


「お待たせいたしました、姫さま」


 跪き、手を差し伸べる。

 やはり、雪を用意するのは無理であったと、姫さまにそういうべきではないのか? この段階にいたっても、そんな疑問が脳裏を掠めた。

 けれど、私の手に重ねられた手はあまりにも小さくて、姫さまの瞳は、初めて見る雪への期待にきらきらと輝いていて。


「それでは、参りましょうか」


 気がつくと、私はそう口にして、姫さまの手を取って歩き始めていた。


◆ ◆ ◆


「いかかがでしょう、姫さま? 」

 

 姫さまの顔も見ずに、おそるおそる窺ってみる。

 姫さまの寝室を出発した私たちは、資料室のほぼ真下にある、ちいさな菜園のあたりに来ていた。やわらかな春の夜風が、優しく頬を撫でる。

 しばらくの間、姫さまは何もおっしゃらなかった。

 やはり、こんな子供だましみたいな手では、姫さまを失望させてしまったのだろうか。

 姫さまのがっかりした顔を見るくらいなら、いっそのこと詰られてしまいたい。

 そんなことすら考え始めたその時、姫さまがついに口を開いた。


「おんなじ、おんなじだわ。私がご本で読んだのと!」


 姫さまの瞳には、私の大好きな、あの子供らしい輝きがきらきらと満ちていた。

 そのことにひとまずは安堵しつつも、本当のことを申し上げなければ、と私も口を開く。


「恐れながら姫さま、実は、これは雪ではないのです」


 目の前の白いものに夢中だった姫さまは、その言葉で、ばっと顔を上げてこちらを見た。

 そして、くりくりとした大きな瞳でまっすぐに見つめる。


「どうして? だって、白くて、空からひらひらと舞い落ちてきてるわ」

「その白いひらひらを、ひとつお手にとって見てください」


 言われて、姫さまはしゃがみこむと、足もとにあったそれを指でつまんだ。

 暗闇の中で舞っているときに白く見えたそれは、淡く紅色がかっていて、どことなくハートに似た形をしている。


「雪というものは、本来氷のようなもので、とても冷たく、さわると融けてなくなってしまうのだそうです」

「じゃあ、これは……?」


 〝ユキ〟の正体のあるところ、丘の方を手で示しながら、私は答える。


「これは、〝サクラ〟というものです。東国より、昨日王様に献上されていたのですが、ごぞんじでしたか?」

「で、でも夕方にみたときは、あれはまだ苗木だったはずで……あっ!」


 はっとした表情で私の顔を見上げる姫さまに、わざと芝居かかった口調でこう答える。


「ええ、私は魔法使い。時の魔法使いですから」


 姫さまの目に、尊敬の眼差しの様なきらきらとした輝きが浮かんだ。


「必ずや雪をご覧にいれましょう、などと偉そうなことを言っておきながら、私の力では姫さまに本物の雪をお見せすることは叶わず……申しわけございません」


 ここの地方は冬でも雪が降らない。厳密に言えば数千年前までは雪が降ることもあったのかもしれないが、もし無理に雪が降る時代まで時間を遡れば、すべてが凍りつく、何者も生きることのできない空間になってしまう。

 だから苦肉の策でこの方法を採ることにしたのだが。

 深々とさげた私の頭に、姫さまが声を掛ける。


「なにをいっているのよ、あなたはこーっんなにすてきなユキを見せてくれたじゃない」


 気をつかってくださったというわけではなく、心からの言葉である姫さまの様子に、ほっと胸をなでおろす。


「それでは、お気に召していただけましたか?」

「もちろんよ!」


 姫さまはそう元気に答え、桜の木の下まで駆けていくと、ごろんと仰向けにねころんだ。

 本当は地面に寝転ぶなどというはしたない行為はしかるべきなのだろうが、それが一番舞い散る桜を眺めるのに適した姿勢であることは分かっていたので、何も言わずに姫さまの隣に寝転ぶ。

 お部屋に戻ったら、姫さまの服の時間を戻して、汚れを落としてさしあげないと。そんなことを考えながら見あげた空には、たった一人のためだけに花開いた桜の花びらが、ひらりひらりと舞い踊っていた。


◆ ◆ ◆


 どれくらいそうして、二人で桜をみていたのだろう。

 私のとなりで、姫さまが眠たそうに目元をこする。

 大人どころか草木すらも眠るこの時間だ。幼い彼女が眠くなるのも当然だった。


「姫さま、そろそろ戻りましょう。歩けますか?」


 いまにも眠りに落ちてしまいそうな姫さまに、思わずそう声をかける。


「だいじょうぶよ、ひとりで歩け……ふわぁ」


 言葉の途中で大きなあくびをする姫さまを、私はひょいっと抱き上げた。

 ちょうど姫さまの頭が私の肩に乗るような形、いわゆる、お姫様抱っこである。

 抗議の声が上がるかとも思ったが、なんの反応もない姫さまをみるに、もう彼女はまどろみの中らしい。

 胸元に感じる姫さまの温かさに、少し不思議な気持ちになった。

 生き物ではない私には、体温というものがないのである。

 もともとは、ただの時計のなかの仕掛けの人形であったはずなのに、いつの間にか意思が生まれ、確立し、実体をも持つようになった。

 私はこれからどうなるのだろうか。

 生まれてきた時と同じように、いつの間にか意思は霧消し、またもとのようにただの人形にもどるのだろうか。

 そもそも、私は一体何者なんだろう。

 そんな漠然とした疑問が頭の中で渦巻き始めた時、すっかり眠っていると思っていた姫さまの声が耳に届いた。


「びっくり、したけど、うれしかったから、ほうびを与えるわ」


 ぽつりぽつりと呟かれた言葉のあと、柔らかな温かさが頬に押し付けられる。


「――っ?!姫さま……?」


 褒美とは、私が姫さまを抱っこして運んで差し上げてることに対するものなのか、それとも雪がみたいという姫さまの要望にお応えしたからなのか。

 というか、そんなことより。

 いま、姫さまは私の頬に、その、い、いわゆるキスというものをしなかったか?

 新たな疑問に頭の中が埋め尽くされて、さっきまでなにを考えていたのかなんて、いつの間にか気にならなくなっていた。


「私がおおきくなったら、あなたの、およめさんに、なってあげる」


 そう囁く姫さまに真意を確かめようと声をかけるも、とっくに限界だったらしい姫さまは、もうすっかり夢の中だった。

 天使のような愛くるしい寝顔をみていると、あぁ、まだ幼い少女なんだなという思いがよりいっそう強くこみあげてくる。

 それにしても、


「およめさん、かぁ……」


 自分で口に出したにも関わらず、くすぐったさに思わず頬が朱に染まっていくのを感じた。

 思わぬ姫さまのお言葉は、嬉しいやら誇らしいやら恥ずかしいやら驚きやら……。

 様々な感情が入り混じり、それらはすべてくすぐったさとなって私の胸にじんわりと広がっていったのだ。

 もちろん、一国の姫である姫さまと私が結ばれるなんてことは万に一つだってありえない。

 けれど。

 けれど、今日だけは。

 誰もが眠りにつき、誰にも知られないいまこの時だけは。

 眠ることを知らない私も、夢を見たっていいのではないだろうか。

 不思議とそんな気持ちになって、だから私は


「はい、喜んで。姫さま」


 と、彼女の寝顔に呟いたのだった。


◆ ◆ ◆


 後日、たまたま私の返事を聴いていたのか


「あなたと結婚したいから、時を進めて早く大人にして!」


 なんてとんでもないことを言い出した姫さまを説得するのに、相当な労を用すことになってしまうのだが、それはまた、別のお話。

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